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戦いすんで


先輩の偉大さを讃える記事、番外編。

ミリオンライブ! のドラマCD「THE@TER ACTIVITIES02 果てしなく仁義ない戦い 魅梨音闘争篇」
のネタバレを含みます。








前の記事を書いた後、「THE@TER ACTIVITIES」の02以降を、買ったまましまい込んでいたことを思い出して、とりあえずジュリア・周防桃子・大神環・木下ひなた・福田のり子の02を聴いてみたんですが、なかなか迫力のあるドラマでした。それぞれのアイドルらしさを守りつつ、普通に任侠ものとしてちゃんと成立している。やはり、桃子先輩が出るドラマは、だいたいは外れがありません。

で、同時に、よく出来ている分だけ、もっと突き抜けられるポテンシャルがあるんじゃないか、とあれこれ妄想が思い浮かんだもので、以下に書くのは "ぼくがかんがえたさいきょうのTA02" 的な何かの話です。

5人の出演者のうち、ジュリアと桃子は単純にはまり役だと思いました。きざな台詞をかっこよく決めなければならない風来坊、義と情で世の中と対峙する王道のヒロイン、どちらも役に演じ手がぴったりです。
こう、周防桃子というキャラクターの核心が、大人の社会に対する、憤怒と哀しみのこもった問いかけ、というところにあるのが、このドラマを聞いているとよくわかります。「仕事」とか「芸能界」とか「プロ」であることに関する桃子の語りは、すべて "子どもの目線からは間違っている。でも、大人っていうのはこうしなければならないものなんでしょ?" という問いの形をしていて、だから、雪歩にしろ「リコッタ」の高校生組にしろ高坂海美にしろ、桃子と相性がいいのは、仕事がデキる人ではなくて、問いに対して "いや、それがすべてじゃないんだよ" と、自分の生き方そのもので答えられる人なんですね。あと、中谷育は、桃子とは反対に、大人であることを "子どもにとって大切なものをしっかりと守れる人" であると観念していて、周りの人間から、そういう意味での大人らしさ、大人としてのありようを見出すことを得意としていると思います。両者はだから、態度は真逆なのですが、たぶん、行動の核にあるものはよく似通っているのでしょう。

TA02に戻って、役と演じ手の間に、この役をこの人につけたからこそ、という化学反応があってキャラクターが大きく化けているのが、木下ひなたです。悪徳組長という役どころに対して、故郷ネタという演じ手の持ちネタをうまく組み込んで、もともとは情宜に生きていた素朴な人間が、冷徹な人間へと激しく変貌した、というストーリーを描いたことで、のんびりとしていかにも人が好さそうでありつつ醒めきって凄みがある、というキャラクターが、非常に自然な表現として浮かび上がっています。

さて、問題は残る二人で、まずは大神環。毒気も裏も迫力もない子犬っぽさが魅力、といういかにも環らしい子分に仕上がっていて、演技そのものは良いと思うのですが、問題はラストの決戦において彼女が完全に観客ポジションになってしまっていて、存在感がないこと。敵側のネームドの戦闘要員がのり子だけで、のり子は当然ジュリアとマッチアップすることになるので、必然的に余ってしまうんですよね、環が。
思うに、だからここは、最初からジュリアがついてくるのではなく、環が単身で木下組に乗り込むべきだったと思うのです。みんながビビってついて来ない中、一人で乗り込んでモブを蹴散らす環。そこへ最後の壁として立ちはだかったのり子に圧倒され、あわや絶体絶命……という場面で初めて颯爽と現れ、正体を明かすジュリア! 
まあ、環の見せ場を作るだけなら他にも手順は考えられますが、前後のつながり、他のキャラクターの物語との兼ね合いを考えるとこれが一番すっきりする気がします。

環が単身で乗り込む手順だと、何がいいのか。第一に、ジュリアの役の性根の問題です。この役のもっとも重要な要素は何かと考えると、それはおそらく、ギターが弾けて歌が上手なことでも義理人情を重んじることでもなく、"剣客としての正体を隠していること" です。なぜ正体を隠すのか。それは、暴力を振るって人を傷つけるのが嫌だからです。その性根を大切にするのであれば、ジュリアはそうやすやすとカチコミに加わってはいけないのです。
あんただって元は任侠、少しは腕に覚えがあるだろう。見ての通りこっちは無勢、桃子に恩義を感じるなら、どうか加勢しちゃくれねえか? いやいや、今のあたしはただの芸人、ドスなんて握れないし血なんか見たくもない。たしかに恩義はあるが、芸人が返せるものは芸だけだ。あたしはここで歌って、あんたたちの帰りを待っているよ。そう言って一度は断った修羅場に、最後の最後になって駆けつけるジュリア。二度と刀を抜きたくなかった。二度と人を傷つけたくなかった。こんな血に飢えた自分の本性を、人に見せたくなどなかった。それでも、女に生まれたからには、通さなければならない義理というものがある。環、あんたに加勢しよう! 

第二に、以上のようにジュリアの行動が変わることで、結末の桃子の台詞の意味合いが変化します。
ドラマにおいては、先代組長の死を通して、また、ひなたの過去を通して、"義理と人情では渡っていけないこの世の中" が、重く、説得的に提示されています。その重さに対して、締め括りの言葉が、いざとなったらジュリアというヒーローが現れて颯爽と解決してくれた、だからやっぱり世の中に任侠道はあるのだわ! というニュアンスに聞こえるのでは、オチとして軽すぎるうらみがあります。
ジュリアとの出会いに、桃子が理想を見出すとすれば。それは、いかに奔放で強靭に見えた風来坊にも、実は内面に深い挫折と葛藤があって、それでも彼女はそれを乗り越えて、義理を貫いて生きている。私だって、どんな困難が待ち受けていようとも、義理を貫く生き方ができるはずだ……というのが、本線になるべきではないでしょうか。
同様に、環の役の性根は、何があろうとも、他に誰もいなくなろうとも、いつでも桃子のそばにあって桃子を守ろうとし続ける忠実さ、というところにあるのだから、ラストでのジュリアに対する感情も、その点が中心になるべきでしょう。"姉になってくれたかもしれない女性との別れを悲しむ" より先に、いつかあんたみたいに桃子をちゃんと守れる女になってみせる、という決意が先に来るべきだと思うのです。

内面的にも、ドラマ上の動きとしても、5人の登場人物の中でもっとも複雑で多面的な役となっているのが、福田のり子の用心棒で、そこが面白いのですが、少し整理すればもっと凄みが出た気もします。
つまり、のり子の役の行動原理として次の3つが混在していて、必ずしも互いに噛み合っていないように思うのです。

①情や恩義で動くのではなく、その時の雇い主のために、雇われた分きちんと働く
②強い相手とめぐりあって戦いたい
③こんな狭い街で終わるのではなく、広く世界で名をあげたい、自分の強さを知らしめたい

このうち①は、これ自体が、なぜ情や恩義で動かないのか、という説明になるわけではないので、桃子側との会話において、この部分を多く語るとかえって話の焦点がボケます。
逆に、ひなたとの会話においては、互いにどれだけ思い出や野望を語り合おうとも、それはほんの気まぐれ。あたしたちは互いに利害だけで結ばれていて、受けた報酬の分はきっちり働く、働いた分はきっちり報いる。だからこそ、義理だ人情だとふわふわしたことを言う連中と違って、互いを信用できるんだ、という構図を、もっと一貫して前面に出した方が、桃子側との対比が際立ちます。

②と③は、一見あまり矛盾しないように見えるかもしれませんが、実は全く方向性の異なる動機です。まあ、無印アイマス低ランクの伊織、あるいは『響け! ユーフォニアム』の高坂麗奈なんかもっとわかりやすいですが、彼女たちは "あたしはあたしであるだけで世界一なのよ。世界よ、あたしを見て! あたしを世界一だと認めて!" と叫んでいるのであって、ライバルを求めているのではありません。負けるかもしれない敵とぶつかって生死を賭けた戦いをしたい、なんてことはさらさら思っていないわけです。

では、このドラマの福田のり子の役において、重視すべきなのは②、③どちらでしょうか? 私は、③だと考えます。
なぜならば、第一に、情も知り理も解するのり子が、なぜ大恩人の組長を殺し、生まれ育った街と一家を滅ぼすような行いをするのか、というところで、理由が "俺はただ、強いヤツと戦いたいだけなんだぜ!" では人間味が無さすぎてキャラクターとして面白みに欠けるからです。
第二に、なるほどバトルものとしては②の精神はわかりやすいですが、このドラマが、任侠ものであると同時にアイドルの物語でもあり、女の子の物語でもあることを考えた時、固有の動機としてふさわしいのは③だと思うからです。

なるほど、たしかに先代組長は立派だったし、仲間のことも好きだったし、この街での暮らしはとても居心地が良かった。けれども、それは同時に、何もかもが内向きで、内側だけで完結していた、狭くて息苦しい世界でもあった。自分が何もしなくともすべてが用意されていて、明日も明後日も代わり映えがしない。こんな閉じた世界の中で、その外に何があるかも、自分にどんな可能性があるかも知らないまま、死んでいきたくない! 
のり子の行動原理として、③を中心に据えて考えると、なぜ彼女が先代組長を殺さなければならなかったかがわかります。組長は、彼女がそこから飛び出したかった、狭く内向きに閉じた世界の象徴だからです。

ならば、②の要素は不要だったのか。そうではありません。ジュリアとの戦いは、悪役であるのり子の敗北があらかじめ定まっている戦いであり、ゆえに、必ずやのり子の "あたしはあたしであるだけで最強" という全能感が打ち砕かれる戦いになるからです。
出奔して流浪の用心棒生活、今まで誰ひとりあたしに敵わなかったし、本気を出したことなんてなかった。それが、今この時、ジュリアという敵を前にして、初めて自分の全力を振り絞って、それでも太刀打ちできない。そこで初めて、のり子は気づくわけです。ああそうか、あたしは、天下が欲しかったのでも、名声を得たかったのでも、最強になりたかったのでもない。自分のすべてを出しても届かないかもしれない、たったひとりの相手とめぐりあって、その相手に自分のすべてを出し尽くすこと。この瞬間こそが、あたしが本当に求めていたものだったんだ……と、覚った時には斬られて、すべてが終わっている。
②の動機を、むしろのり子自身はあらかじめ自覚していない方が、ジュリアとの戦いの意味が明瞭になる気がします。

のり子にとってのジュリアとの戦いの意味が明瞭になることで、その後のひなたとのり子の再出発の性格も、より明瞭になります。
片や、義理と人情を捨て去り、マネーとパワーのゲームに徹して生きると決めたのに、ゲームに敗れた上、自分が否定した人情によって自分自身が生かされてしまった、ひなた。片や、ジュリアとの戦いの中にそれまで生きてきた理由のすべてを見出し、そこですべてが終わった筈だったのに、生かされてしまった、のり子。
まず、のり子がひなたに言うわけです。あたしにはもう、生きる意味なんてない。契約は終りだ、金は返す、あたしを殺してくれ、と。そこでひなたが宣言するのです。何を言うんだい、まだ契約は終わってないよ。おまえの剣で、あたしが天下を取る。そういう約束だったろう? さあ、これから天下を取りに行くんだ。
人は利害だけで動く、というたてまえで繋がっていたふたりが、すべてを失った時、掲げてきたたてまえに立ち返ることで、ふたたび繋がって、ともに手を取り合って歩き出す。……うん、そういう話だな。

……ということで、以上の話は、細かい手順はあれこれいじくり回していますが、要素としては全部、もとのドラマの中にあった事柄なので、私の中ではあのお話が、こんな風につながって聞こえました、ということで。











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