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先輩に導かれて



GREE版「ミリオンライブ!」における先輩の偉大さを讃える記事です。
複数のCDとゲーム内のドラマのネタバレを含みます。



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真里谷氏 可奈&美奈子のヤりたいほーだい! 「765輔臣賛」編 【ミリマス】 (14年11月16日 20時10分) より







ミリオンライブの気になる子達 - めぐりあいクロニクル
あなたと過ごした12ヵ月 ―担当アイドルとの一周年を迎えて・後編 - B6の断片


ミリオンライブ!の最初のCDシリーズ「LIVE THE@TER PERFORMANCE」の中で、雪歩・周防桃子・二階堂千鶴・ロコ(伴田路子)のLTP12のストーリーがいい、というのは、私だけの感想ではないようです。……というか、胡桃坂さんの記事は、CDとか映画とか漫画とか、ゲーム本体じゃないところからミリマスに入った人間には各キャラクターがどんな風に見えてくるものか、という事柄が言い尽くされていて、読んでいると自分に付け加えられるものは特にないなあ、という気分になりますが。

LTPのドラマの特徴として、各CD、あらかじめ話の中心になるリーダーとかセンターとかが明確に定められていないし、内容として何を描くか、どういう表現で描写するか、ということももかっちり決まっていない、という点がありました。いちばん最初のLTP02は、ラストの楽屋トークを除けば舞台裏の描写もモノローグによる心情描写も一切無しで、観客から見えるステージの様子だけを描く、というある意味ストイックなつくりでしたが、次の03からはモノローグや舞台裏や前日談などが盛り込まれていって、回によってはリハーサルだけで話が終わって公演本番の様子が描かれなかったり(というか、何が本番であるかが有耶無耶になって終わる)、主役としてクレジットされているユニット以外のキャラクターが話に闖入してきたり、ということになっていく。良くも悪くも一回一回出たとこ勝負で、蓋を開けてみないと話がどう転ぶかわからないのがLTPのストーリーだったと思います。

そんなLTPの中にあって、割り切って登場人物の役割をはっきり振り分けてしまった。すなわち、TRPG風にたとえれば熱血漢で主人公なPC1(雪歩)・屈折していてPC1と衝突するPC2(周防桃子)・年長者でサポート役のPC3(二階堂千鶴)・トリックスターでコメディリリーフなPC4(ロコ)、という具合に各キャラクターのポジションが単純に整理されていたのがLTP12でした。だから、脇役に回った千鶴とロコの内面の描写は皆無に等しかったりするにも関わらず、CDで初めてキャラクターに触れる人間からすると、なんとなく全員でわちゃわちゃしているストーリーよりもむしろ、それぞれの個性がすんなりと頭に入ってくるし、このユニットでの出会い、この公演での思い出がキャラクターにとってどんな意味があったかもわかりやすい。

そういうわけで、私もLTP12のストーリーはとてもいいと思うのですが、きちんと整理されて筋が通っているストーリーであるからこそひっかかってくる部分、というものがあって、第一には、公演中に雪歩が熱を出す展開がひっかかる。
ひとつには、ここで、桃子が、自分が素直でなかったがために雪歩に負担と迷惑をかけていたことに気づく、ということと、桃子が、自分と異なったアイドル観・ステージ観を持った雪歩のパフォーマンスに感銘を受ける、ということ、ストーリー上の二つの重要な要素が、短い一連の場面の中で折り重なってしまって、各々の要素が充分に語り尽くされていない印象を受けること。
ふたつには、"ステージは仕事としてするもの" か、"ステージは楽しむもの" か、という桃子と雪歩の対立軸において、"体調不良を押して頑張るべきか" という問題は、二人の答えが真逆になるような焦点ではないし、"ステージを楽しむ雪歩ならではのパフォーマンス" の内実が、"体調不良の状態での奇跡的な歌唱" というありふれた根性論的な外形で覆われてしまうのも、あまり釈然とはしないこと。
後述する LTHのドラマのように、ステージ本番までの過程を何段階かに分けて描くことが可能であったならば、この部分は "熱を出した雪歩を桃子が思いやる場面" と "雪歩のパフォーマンスに桃子が感銘を受ける場面" としてそれぞれに消化できたはずで、惜しいと思うのです。

第二の、より大きな問題は、雪歩が「やっぱり桃子ちゃんはまだまだ子どもだなあ」と言って終わる、というオチです。まあ、この手の "お子ちゃまな桃子ちゃんオチ" はゲーム内のエピソードでも何度も出てきて、それぞれについて言いたいことがありますが、雪歩について言うならば、誰よりも弱くて自信がなかった雪歩だからこそ、弱い者の立場に立って寄り添うことができる、というのが劇場版アニマス以来の雪歩の身の上であり、そういう雪歩だからこそ周防桃子とも正面から向き合える、というのがこのドラマを成り立たせる大前提だった筈です。
それが、最後の最後で、"お子ちゃまな後輩を可愛がってあげる大人なお姉さんのわたし" という構図を雪歩自身が描いて終わる、という結末には、そこまでが素晴らしいと思っていただけに、かなりがっかりしたものです。
まあ、LTP12のオチはおそらく、ゲームのイベント「大合唱! アイドルシンフォニー」(13年3月13日~24日)で雪歩が桃子を「大人っぽい」「成長してる」と感じて自分も頑張ろうとするストーリーに接続していて、そこまで見渡せばいい話だとは言えますが、CD単体で聞くとがっかりすることには変わりありません。

さて、2番目のCDシリーズ「LIVE THE@TER HARMONY」のドラマ(……に相当する、ゲーム内のボイスドラマ「プラチナスターライブ編」)では、春香・周防桃子・福田のり子・横山奈緒・松田亜利沙の「リコッタ」のものが好き、と何度か言いました。
出たとこ勝負が特徴だったLTPに対して、LTH(のボイスドラマ)は、フォーマットがかっちりと定まっているのが特徴でした。すべてのユニットのストーリーが、最初にユニットのリーダーが指名されて、1話が顔合わせ、8話が公演本番、9話が後日談という共通の構成を取っています。それゆえに、誰がリーダーでどんなメンバーのユニットにおいても、最初にユニットのコンセプトをみんなで話し合い、練習し、悩んだり衝突したりした末に本番を迎える……という、ごくごく普通で地道な物語が描かれている(美希・高山紗代子・天空橋朋花・永吉昴・二階堂千鶴の「ミルキーウェイ」という、大変残念な例外を別として…)のがLTHのドラマの長所です。

そういうわけで、どのユニットのドラマにもそれぞれの良さがあると思うのですが、その中で「リコッタ」の特色は "とにかく練習しかしていない" ということです。 さっき、どのユニットも同じように、普通に地道にやっていると書いた、ユニットのコンセプトを議論するとか、メンバー同士が衝突するとか、相互理解のためにレクリエーションするとか、リーダーが自分がリーダーにふさわしいかどうかで思い悩むとか、そういうことすらしない。初っ端から「みんなプロ意識低すぎ」「もう、みんな全然ダメ」とアグレッシブなコメントを連発する桃子先輩の言葉を、いなすでもけなすでもなく真面目に聞いて、うおーっ桃子先輩すげー、ぜひ指導役になってくれ! とあれよあれよという間に担ぎ上げて、あとはずーっと、ひたすらわいわい騒ぎながら練習しているだけ、という。そしてまた、その練習している様子が、実に楽しそうなのです。

「リコッタ」のストーリーのどこが好きって、まず何よりもこの、"とにかく楽しそうに練習しているだけ" なところが好きです。見ているこちらも楽しいし、きっとこのユニットは、間違いなく素晴らしいステージを作り上げたんだろうな、と思える。どんな内容の公演で、実際にはどんなパフォーマンスだったか、なんてストーリーの中ではどこにも説明されていないにも関わらずです。
何故かと言うと、「リコッタ」の練習が楽しそうなのは、仲良しの友だち同士だからとか、誰かが面白いことを言うからとか、そういうことが理由ではないと思うからです。人に教え、教えられることで、自分ひとりではできなかったことができるようになり、自分ひとりでは見えなかったものが見えてくる。誰かと一緒にパフォーマンスすることで、自分ひとりのパフォーマンスでは得られなかった快感が感じられる。練習の中で起こる事象そのものが楽しいから、練習することが楽しい。練習することが楽しくて、練習するごとに自分が成長している手応えがあるから、もっともっと練習したいと自然に思うし、そうして濃密な練習を積み重ねるからますます上達する。ユニット全体で、そういう好循環が共有されている。だから、具体的なパフォーマンスの描写がなくとも、練習する姿だけで、素晴らしいユニットだと思えるのです。

以下、ストーリーを順番にたどってこの場面のここがこう、という書き方をしても、書いていて面白みがないので、キャラクターについてひとりずつコメントしていくことにします。

・横山奈緒

横山奈緒のエピソードというと、LTP03の、関西弁禁止でトークさせられる話とか、劇場版公開記念のボイスドラマで、他の季節のような有名年中行事がない秋をどうやって盛り上げるか、という相談を延々とプロデューサーにする話とか、つい最近見たばかりの、個別のコミュの3つ目で銭湯のチケット貰って喜ぶ話とか、どれも実に可愛いと思いますが、どのお話も、内容としては本当にどうってことない、他愛のないことをわあわあ喋っているだけ、という共通点があります。
で、「リコッタ」のストーリーの前半は、最初に一聴したときは、とにかく福田のり子と横山奈緒がふたりで騒いでいるうちに、とんとん拍子で話が進んでいった、という印象でした。
けれども、よく観察してみると、実はどの場面を見ても、最初に音頭を取って場を動かしているのはのり子か春香で、奈緒はいつもリアクションしてついていっているだけなんですね。そして中盤の桃子が負傷する場面では、のり子と春香が不在ですが、ここでも、率先して動くのは松田亜利沙で、奈緒はワンテンポ遅れてついていく感じ。全体を通して、奈緒がいちばん前に出て状況を動かす場面はないのです。(あえて言うならば、ラストの遊園地の場面で、桃子をもっともしつこく、うざったくいじるのが奈緒(笑)。)

にも関わらず、見終わって振り返ってみると、横山奈緒がはしゃいだり、リアクションしたり、落ち込んだり、慌てたり、という言動の一つ一つが鮮明に印象に残るし、そういう横山奈緒のなんてことない姿が、「リコッタ」というユニットの空気を象徴している気がする。
たとえば、ストレッチで奈緒がのり子にしごかれて悲鳴を上げるシーン。この悲鳴は、グリマスの中で私がいちばん好きな声のひとつですが、ここでのり子に絡まれて悲鳴を上げる役は、奈緒にしかできません。亜利沙は運動神経に自信がないアイドルオタクだし、いかに本人が大言壮語しようとも、桃子は小学生で、のり子とは7歳も離れているのです。彼女たちがいきなり、元気ありあまる18歳のプロレス女の全力についていけるわけがないし、それがわからない福田のり子ではないでしょう。奈緒という相方がいるからこそ、のり子も、気持ち良く全力を出して盛り上がることができるのです。
あるいは、奈緒が、仕事でさんざん失敗した、と落ち込んで、亜利沙に慰められる会話。この場面は、もちろん奈緒が亜利沙に励まされ、助けられる場面ではありますが、同時に、奈緒によって亜利沙が助けられる場面でもあります。それまで常に、他のメンバーに気遣われ、フォローされる側であった亜利沙が、ここでごく自然な形で、他人を気遣い、寄り添う側に回っている。自分の弱み、不安をあけすけに見せてくれる奈緒がいることで、亜利沙は、"みんなの足を引っ張るできない私" ではなくて、対等に心を分かち合う仲間としてユニットの中に居ることができるのです。
横山奈緒は、ただ横山奈緒らしくそこに居るだけで、"福田のり子の悪友奈緒" でもあり、"松田亜利沙の心の友の奈緒ちゃん" でもあることが出来る。それは、当人にとっては実に当たり前の、なんでもないことなのでしょうが、一緒にいる人間にとっては、得難い大切なものなのです。遊園地で のり子が、「奈緒と一緒にギャーギャー騒ぎながら乗る」のが最高に楽しい、と言う台詞がそのまま、「リコッタ」における横山奈緒という存在を物語っています。横山奈緒がひとりで何かを作っているわけではない。でも、「奈緒と一緒に騒」いでいるからこそ、誰もがひとりぼっちではないし、みんなが楽しい、ということ。

・福田のり子

「リコッタ」のドラマの福田のり子と言えば、何と言っても、7話目の、桃子を叱る場面です。初めてこの話を見て、ここの のり子の言葉を聴いた時には、不覚にも涙してしまったものです。(ちなみに、私がこの前にアイマス公式のストーリーで泣いたのは、無印アイマスで、初めて伊織を自分でAランクにしてエンディングに行った時なので、7年ぶり2回目ということになります。)
この場面の のり子の台詞が凄いと思うのは、人が怒っている場面なのに、聞いていて鬱憤が晴れる、気分がスカッとするような部分がまったくないことです。スカッとするようなカタルシスはなくて、ただ、誰かが必ず言わなければならなかった切実な言葉が、どうしてもそれが必要だった切実な場面で発せられた、それを言ってくれる人がいた、という嬉しさと安心だけがある。
何が切実なのか。それは、この場面が、それまで自分の弱みを他人に見せてこなかった周防桃子が、心のうちにずっと抱えていた不安が、初めて露わになる瞬間だからです。上にも書きましたが、言うて桃子は11歳の小学生です。他の4人は全員高校生、いちばん下の亜利沙でも桃子とは5歳離れていて、しかも高校生たちは互いにとても仲良くうまくやっている。自分は他のメンバーについていけるのか、輪の中に入れるのか。そういう不安が、なかった筈がないのです。
だからこそ、誰かがどこかで、言わなければならなかった。はっきりと、大まじめに。周防桃子が、私たちにとってどれだけ大切か、ということを。「プロ」や「芸能界の先輩」や「指導役」だからではなくて、周防桃子という存在そのものが、こんなにも大切なんだ、ということを。

さて、けれども、なぜこの場面で、福田のり子なのか。ストーリーの要と言うべき言葉を、福田のり子こそが言えた理由は何なのか、というのは、ちょっと興味深い問題です。
福田のり子というと、あずさ、高山紗代子、篠宮可憐と共演したLTP07での言動も印象的でした。いや、07自体は、LTPの中でもとりわけシナリオがひどいものの一つだと思っていますが、その中で一人だけ、終始言っていることがまともで、聞いていて救われるので。ただ、そこで流れる「マイペース・マイウェイ」という曲は、聞いていてひっかかりました。いや、最初はいい歌詞だと思ったんです。ゆっくりでもなく、急ぐでもなく、どこへ向かうわけでもない。「わたしらしさ」なんて誰でもわからないけれども、それでいいじゃないか……。でも、聞いている途中から気になってきた。この人は、こんなにも繰り返し繰り返し、あせらなくていい、気ままでいい、マイペースでいい、と自分に言い聞かせ続けなければならないほど不安なんだろうか? と。
まあ、L4U!以来、アイマスで "普通の女の子" と言えば "自分がアイドルであることへの不安" とセットで物語にする、というのが定跡なわけで(どっかで書きましたが、アケマスの春香さんがそんなことを思っていたかどうかはわりと謎です。もっと能天気な人だったような気がしなくもない。)、こうまで極端に、私はマイペース、私はマイペースと唱えている歌を聞かされると、逆に不安になってくるんですよね。

そういう、私の福田のり子への猜疑心が晴れた(?)……もとい、なるほどこういう人だからあんな歌だったんだなあ、と腑に落ちたのが、「リコッタ」での彼女を見た時でした。
春香、横山奈緒、松田亜利沙。3人とも、自分を平凡な人間だと思い、それ故に、自分なんかがアイドルをやっていけるのか? という不安を抱えています。そして、一見そういう不安から超然としているように見えた周防桃子だって、実は不安だった、というのが件の場面でした。
なぜ、自分が "普通" だという認識が、不安につながるのか。それは、他のアイドルたちはみんな特別で、キラキラと輝いている存在だ、と思うからです。言い換えると、それは、自分が何かを "できない" ことを恐れる心情でもあるけれど、それ以上に、自分が "場違い" であること、”周りから浮く” ことを恐れる心情でもあるのです。
のり子にしても、個別コミュで可愛い衣装を着せられると恥ずかしがったりするわけで、アイドルをやっていく上で不安や恐れが全くない、ということはないのでしょう。ただ、こうは言えるのではないか。福田のり子は、自分が "場違い" であることを恐れない。そのことが、他の "普通な女の子" に対して、のり子をちょっと毛色の変わった存在にしている、と。
プロレス好きのちょっとがさつで威勢がよくてあんまり女の子らしくない娘は、実のところ芸能界には場違いで、アイドルに似つかわしくないのかもしれないが、別にそれでいいじゃないか。場違いでも浮いていても、肩肘はらずにいつも通りの自分でいて、いつもとちょっとだけ違う楽しいこと、面白いことが体験できれば、それでいいじゃないか、と。
場違いであること、自分がただ自分であることを恐れないのり子だからこそ、誰が平常心ではいられない場面でも、"いつも通りの自分" を保持して、自分が言わなければならないことが何であるかを真っ先に見出して、行動することができた。だから、桃子に怒るのはのり子だったのです。

・松田亜利沙

LTPでもう一つ、聞いていてストーリーが面白かったのが、律子、松田亜利沙、佐竹美奈子、木下ひなたのLTP09でした。LTP09は、とにかく、こんな企画がやりたい、こんな演出を思いついた、という松田亜利沙の欲望だけでどんどん突っ走っていくお話であるところがいい。そして、そうやって亜利沙が突っ走った結果として、アニマス以来、普段はさももののわかった大人であるような顔をして、アイドルに対する管理者、抑圧者として振舞っている律子から、お前なかなか面白いことをやってくれるじゃねえか、お前がこう来るならこっちはこうしてやる、という、夢見がちで野心家でノリが良い本性が引きずり出されてくる。二人の人間の出会いが化学反応を生んでいるさまが、いいと思うのです。

自分のこだわりと情熱で突っ走って周りを巻き込んでいくLTP09の松田亜利沙に対して、「リコッタ」のドラマでは、亜利沙の中の、アイドル好きなだけで自分自身には何もない、という不安、心細さがクローズアップされています。そして、派手に動いて話を引っ張る姿ではなくて、先述した奈緒をなぐさめる場面だったり、桃子をフォローする場面だったり、細かなところで他人を気遣って寄り添う姿が描かれている。
ただ、「リコッタ」において松田亜利沙がもっとも重大な役割を果たすのは、そうした公演に至る過程での活躍ではなく、公演が終わった後、物語の最終盤においてだと思っています。

LTP12で書いた、周防桃子の関わるストーリーが、最後は "お子ちゃまな桃子ちゃんオチ" になってしまう、という問題は、「リコッタ」のドラマにも該当します。奈緒とのり子の掛け合いが、終盤になると、"意地っ張りな桃子ちゃんをイジって反応を楽しむ" というノリになってくるんですよね。それは、それだけ距離が近くなって打ち解けた関係になれた、ということではありますが、反面、出会った最初は持っていた、相手を傷つけまいとする慎重さ、相手の言いたいこと、見せたい自分を第一に汲み取ろうとする敬意が失われた、ということでもあります。

そうやって、桃子と高校生たちの関係が変質していく中で、亜利沙だけが最初から最後まで変わらないのです。誰よりもこわがりで、誰よりも弱気な松田亜利沙は、周囲に対して対等な大人としてふるまおうとする、それゆえに自分の弱みを見せまいとする周防桃子の意地、強がりを、決してからかわない。そして、どれだけ一緒の時間を過ごして、互いの距離が近くなっても、あくまで "素敵なアイドル周防桃子をまぶしく見つめるいちファンのわたし" という亜利沙固有の立ち位置、関係性を大事にして、決して "後輩の桃子ちゃんを可愛がるお姉さんのわたし" にはならない。
8話で出てくる、桃子の「亜利沙さん、ちょっとうざい……」という台詞は、グリマスでいちばん好きな声のひとつですが、この台詞は、その後で出てくる、奈緒とのり子に対しての「みんな、ちょっとこわい」という台詞と好対照だと思います。「みんな」の遠慮がなくなって、桃子にとって「ちょっとこわい」時でも、「こわい」ではなく「ちょっとうざい」と、気軽に言えて、そしてその一言を大真面目に受け取って嘆き悲しんでくれる相手がいる。奈緒やのり子には言えない(ましてや、春香に向かって言えるわけはない)「ちょっとうざい」を、亜利沙に向かってなら言える。そのことが、とても嬉しくて、物語を最後まで見た時、桃子とこの3人組の関係というのは、誰が欠けても成り立たない奇跡的なバランスで成立しているんだなあ、と思うのです。

亜利沙は、LTHより後のボイスドラマ「765プロ全国キャラバン編」だと、桃子のストーリーで桃子と中谷育、木下ひなたのストーリーで ひなたとやよい、と年下のアイドルと組んで行動しています。どちらにも共通しているのは、どれだけ年の離れた組み合わせの時でも、亜利沙は声を掛けられればファンとしてはしゃいで激しくリアクションするし、みんなが迷ったり不安だったりする時には誰よりもおろおろしたりおびえたりするし、指揮号令するとか教え諭すとか啓蒙するとかいうような先輩らしいふるまいは何一つしていない、ということです。見ていてちっとも頼もしくない、"年長者が付き添っている" という安心感がないのです。でも、だからこそ、こういう松田亜利沙だからこそ、周防桃子や中谷育の隣に彼女がいる風景が、とても自然で幸せなものに思えて、見ていてほっとするのです。

松田亜利沙についてもうひとつ、書いておきたいのは、「女子力UP! エンジョイホリデー」(17/7/4~12)でマカロン作りを頑張る姿がとても可愛かった、ということです。「リコッタ」でもそうですが、松田亜利沙ほど、誰かが教えてくれたおかげで自分がどんな発見や成長を得たか、ということ、誰かが一緒に居てくれるおかげで自分がどんなに素敵な体験をしているか、ということを言葉豊かに、情熱的に語れるアイドルはいません。だから、亜利沙のストーリーでは、話に関わるアイドル誰もが優しく、魅力的に見えてくる。
普段、ストーリー要素はあとでテキストだけ確認すればいいや、と思っているので、イベント自体は私にとって、"配給されたアイテムを処分するために機械的に画面をクリックする作業" でしかないのですが、このイベントの亜利沙パートの時だけは、クリックするたびに、亜利沙があーでもない、こーでもないと試行錯誤して、ころころと一喜一憂している姿が本当に可愛くて、クリックして亜利沙の反応を眺めている時間そのものが幸せでした。

まあ、中谷育が田舎暮らしをする話も、周防桃子がアルバイトする話も、望月杏奈がタコ焼き作って北沢志保が法被作って福田のり子がお神輿に乗る話も好きなので、そういう系統のイベントが私のツボということは、言えると思います。
が、だからと言って毎度毎度、 "職業体験記" ばかりやってもしょうがないわけで、別にアイドルがダイナマイトで発破しようが体を乗っ取られて人形になろうが宇宙に行こうがそれはそれで構わないと思います。ただ、そういった外形のヴァリエーションがグリマスの真価だと感じたことは、私の場合はありません。私が、グリマスというゲームのどんなところが魅力でしたか? と聞かれたならば、お菓子づくりに一喜一憂する松田亜利沙をずーっと眺めていられたところ、と答えることでしょう。

・天海春香

最初に「リコッタ」のドラマを見た時は、リーダーがあれこれプランを練ったりユニット内の人間関係で思い悩んだり、四苦八苦してまとめている他のユニットに対して、このユニットは春香さんなーんにもしなくても話が勝手に進んでいいなあ、と思ったものです。まあ実際、ほっといてもみんな勝手に集って練習してくれるし、技術的な部分は桃子におまかせ! なので、リーダーとしていろいろ楽だったのは間違いないと思いますが、見直してみると、春香は何もしていなかったわけでは全然ありませんでした。
最初の話し合いで、いちいち過激な桃子のコメントに対して、真っ先にリアクションして、話が建設的な方向に運ぶよう誘導したのは春香だし、桃子に正式に指導役になってもらおう、という提案をしたのも春香。練習が軌道に乗ってからは、自信を喪失している亜利沙のフォローに回って、桃子が無理をして疲れていることにも真っ先に気づいていた。そして終盤、奈緒&のり子の桃子いじりの際には、ときどき春香が仲裁者、保護者として間に入ることで平和が保たれている。表立って指揮官としてはふるまわない、むしろ常に一歩、二歩引いたところにいるのだけれども、仲間ひとりひとりをよく見ていて、気づきにくい大事なことに真っ先に気づいて、大事な場面で常にそこにいる。

なんというか、「リコッタ」のストーリーを見て初めて、私の中で、ミリオンライブ! における天海春香という存在のありようが腑に落ちて、"天海春香という名前とそれっぽい形をした、一人のキャラクター" ではなくて、"ミリマスの春香さん" になった気がします。
まあ、公演本番前後の言動なんかは、あまりにも目の前のステージではない遠い世界を瞳に映しすぎていて、「Wake Up Girls!」の3本目の映画終盤の島田真夢もこんな感じだったというか、最近の片岡仁左衛門の舞台みたいだというか、生きながらにしてすでにこの世の存在ではない雰囲気を宿していて、どうしたらいいんだろう、と思ったりもしましたが。アニマス5話で、まだ何も掴んでいない合宿の最中に、すでに "みんなが売れて別れ別れになった後の世界" を思い描いていた、あの春香の行き着いた終着点が、「リコッタ」8~9話の春香だった、ということなのかもしれません。

あと、あれですね。5話で、春香さんが、私にできることってなんでしょう、と、プロデューサーに聞いてくるところがあって。そこで、「どんがらがっしゃーん」という選択肢を選んだら、春香さんはとても困惑して、できれば転びたくない、って言ったんですよね。自分で選んでおいてなんですが、嬉しかった。ごめんね、もう言わないよ。


・高坂海美

「リコッタ」の話は以上で終わりですが、せっかくなのでもう一つ、イベントの中で印象に残っているストーリーの話をしましょう。高坂海美と周防桃子の「華麗! ジェントルレディライブ」(16/8/26~9/1)です。

グリマスのイベントのストーリーは、多くの場合、メインとなるキャラクターが3人くらいいて、それぞれが主役のシナリオを順番に見せた後、全員が集合して話を総括する、という構成になっていますが、その中で「ジェントルレディライブ」は、海美と桃子という主役ふたりの物語が、最初から最後まで有機的に絡み合って、一体のものとして進んで結末に至るところが、新鮮であり、美しいと思います。

この、「ジェントルレディライブ」に特徴的なストーリー構成は、高坂海美の内面を描写しないまま話を進めて、結末で海美自身に "種明かし" をさせる、という仕掛けによって可能になっています。
ラストで、ひたすら楽天的で前向きに見えていた彼女の心の内にも、実は不安があったことが明かされる、というのは、これがアニデレだったら途中で大惨事になりそうなオチですが、でも、別になにか危うくて大変な事柄じゃないんですよね、それは。

高坂海美は、猪突猛進で不器用な人です。じっとしているのは苦手だし、どうしたら女子らしく振る舞えるのかわからないし、料理させるととんでもないものをこしらえるし、難しいことは考えられない。やりたくてもできないこと、わかりたくてもわからないことがたくさんあって、誰よりも本人が、そのことをよくわかっている。だから、何か新しいことに挑戦する時、海美の心の中には、どうしたらいいかわからないこと、不安な気持ちがいっぱいあるのです。
だけど、同時にそこには、わくわくする希望が、期待が、いてもたってもいられない喜びが、楽しさが、必ずあって。たとえ不安であっても、希望や期待、喜びや楽しさが自分の中にあることを忘れたくないし、希望や期待、喜びや楽しさこそ、他人と共有したい、分かち合いたい。だって、そういう気持ちは、他人と分かち合うことで何倍にも豊かになることを、知っているから。だから海美は、いつでもまずは、自分の中の希望に、喜びに目を向けて、その気持ちを口にするのでしょう。

同時に、「ジェントルレディライブ」での言動からうかがえるのは、たしかに海美は、自分の頭の中で複雑で難しい問題をじっくり考えたり、ものごとをうまく進行させるためのスマートな段取りを練ったりするのは苦手なのだけれど、それを自分でよくわかっているからこそ、自分ひとりでは解決しない具体的な問題にぶつかった時は、すぐに他人と問題を共有しようとする、ということです。
ライブの演出を考える時には、どんな事柄でも必ず相方の桃子に相談して話を進めるし、ふたりだけで良いアイディアが浮かばない時にはすぐに、アイディアを持ってそうな周囲の仲間に聞きにいく。そのふるまいの根本にあるのは、自分の中の希望や喜びへの対し方と同じで、みんなで分かち合った方が楽しい、みんなで共有した方がもっと素敵なことが起きるんだ、という信念です。世の中には、互いに大切なことを言葉にしないことで、人と人がすれ違ってどんどん話が複雑になっていく物語がたくさんあるわけですが、きっと、高坂海美の目からは、世界はもっとシンプルなものに見えているんでしょうね。

何事に対しても素直で直接的な高坂海美の言動は、そういうわけで、「ジェントルレディライブ」において、周囲の人間の力量やアイディアを引き出して、仕事がうまく運ぶ原動力になっています。けれども、仕事の成功以上に大事なことがあります。
嬉しい気持ち、大好きな気持ち、感謝する気持ち。すべてを素直に相手に伝え、気持ちを体全体で表現したいから全力で抱き締める。素直に自分の中の大切な気持ちを伝える海美だからこそ、桃子も、自分の中の素直な気持ちを言葉にして、正面から海美に伝える。そんなふたりの関係が、物語を通して生まれた何よりの宝物として、最後に示される。なんてすてきで幸福な物語なのでしょう。


前にも書きましたが、ミリオンライブ! のストーリーについて、キャラクターについて、こういうところが面白いな、すごいな、と自分が感じて興味が深まった場面を思い返すと、だいたいいつも、そこには周防桃子の姿があったことに気づきます。
私が次にミリオンライブ! のゲームに触れる日が来るとしても、それが果たして何年後のことになるのか、今は自分にもわかりませんが、いつか再会した暁には、きっとまた桃子先輩が私を導いてくれるに違いない、と信じています。








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とても興味深く読ませていただきました。通りすがりののり子Pですが、マイペース☆マイウェイを聞いてそんな感想を抱く人がいるとは思わなかった。目からウロコです。のり子のことを見てくれて考えてくれてありがとうございます。

Re:

ワカメのおじいちゃん様、いらっしゃいませ。思いつきのままに好き勝手なことを書いているもので、言及しているアイドルを好きな方からすれば、足りない点、おかしく思われる点も多々あると思いますが、寛大なお言葉をいただいて、ありがたい限りです。こちらこそ、コメントありがとうございました。
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Author:Vinegar56%

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