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最近?見たものの位置づけ


下半期は、私としては今までにない量のアニメを見ていたのですが、個別に印象に残った事柄を記事を書こうとしても、どうもまとまりませんでした。そこで、かりふらPが以前やっていた、その年に見た映画を、気に入った順に上から全部並べる、という企画を真似してみようと思ったんですが、並べてみると、時期でどうこう区切るほどの量はありませんでした。
どうせなら、ということで、ここ10年ほどの間で、見ていた(ことを思い出せた)ものを全部並べてみたのがこの記事です。(10年以内でも、見たのが昔すぎて、どうにも内容が思い出せないものは省きました。)







カテゴリの説明:
S:生涯のマスターピースになるだろう。
A:自分の中に語るべき何かが残った。
B:充分に楽しめた。
C:一応最後まで見たことは見た。
D:論外。




S
『この素晴らしい世界に祝福を!2』
今まで見た中で最高のアイドルアニメ。この女神さまは、今日はすでに最悪で、明日はきっともっと悪い、それを神さまですらどうにもできない。それでもお前が生きている今を笑え、と言うのだ。そしてここまで積み上げた描写のすべてが、彼女の生が、自分の言葉をそのまま具現化した軌跡であったことを示しているのだから。

『とある科学の超電磁砲S』(2期 シスターズ編)
・全能感からの絶望、絶望からのぎりぎりの救い、救いの先の課題。物語を御坂美琴の側から描いて、どれだけ彼女が考え尽くし、努力し尽くしたかを描き込んだからこそ、理屈で考えたすべての希望が打ち砕かれた、どうしようもない絶望の最後に乗せられた、俺が全部をハッピーエンドにする、という、理屈を超えた上条さんの一言が、どれだけの救いになったがわかる。
・シスターズの生は、つまり『マッドマックス4』におけるウォーボーイズの生と同じようなものなので、この物語は、生き残った妹たちのその後を視野に入れたことで、この部分に関して『マッドマックス4』よりも広い射程を持ったとも言える。

『みなみけ』(1期)
南家三姉妹内側のエピソードの良さに尽きる。隣にいるとはた迷惑だけど、隣にいるからこそ毎日が面白い、という夏奈のありようと、夏奈と千秋の関係の対等さ。後続のアニメのいずれも、三姉妹の関係の表現において、無印のバランスに到達していない。

『この素晴らしい世界に祝福を!』(1期)
非現実の世界を描いて、そこに現実に暮らす我々を惹きつける喜びを提示できないならば、そもそもファンタジーなど不要なのであって、その点において、これほどファンタジーしている作品もなかなかない。

A
『アニメ THE IDOLM@STER』
・アイマスは自分の中で計量不可能な特別であって、アニメはその特別さの本体ではないけれど、特別さの一部分をなしているものではある、ということで、なかなか位置付けるのが難しくはある。
・話で言うならば、感銘を受けたのは8話、9話、20話、23~24話。が、そういう個別の達成以上に、この13人+αが集う空間を、なにかとてもまったりとして、にぎやかで、なつかしい空気をもった世界として提示したことが、最大の功ではないか。……けれども同時に、ここで提示された"765プロらしさ" "765プロの空気" が、アイマスコンテンツの全体にわたって、この13人の集団のその後のありようをどれほど根本的に規定し、拘束したか……とか考え出すと、どうにも位置付け不可能なんだな、やっぱり。

『ARIA The ORIGINATION』(3期)
・1話にアイちゃんを出さなかったのでマイナス1000点。
・アイちゃんの出番があったのでプラス1000点。
・"終わらない日常" だった物語の締めくくりとして、"取り残されていく不安" と向き合う。

『輪るピングドラム』
・答えのない現実と正面から向き合う物語ほど、 "十字架に掛かるキリスト" オチになる問題。
・どうにもならない現実を繋ぎとめるラストピースは音楽だった、という話なのだと思っている。

『涼宮ハルヒの憂鬱』(1期)
全盛期にニコ動を見始めたわけで、まあ、理屈ではない。

『ばらかもん』
時間の積み重ね方への納得感。

『ユーリ!!! on ICE』
パフォーマンスの一瞬一瞬が、一期一会であること。

『とある科学の超電磁砲』(1期 レベルアッパー編)
シスターズ編もそうだが、若くてかわいくてかっこよくて人気者な上に無敵の天才的超能力者な女の子が、その能力を思うままに駆使してならず者をぶっ飛ばす、という、全能感全開の景色から出発して、力を振るえば振るうほど矛盾が露わになり、行き詰まっていく現実に辿り着くところに鋭さがある。

『みなみけ ただいま』(4期)
良くも悪くも "無印『みなみけ』の拡大強化版" であることに徹していて、最高に楽しいが、ときどき最悪に無神経。海回で千秋を村八分にする夏奈とか、不必要な保坂仲間はずれオチとか。

『アニメ アイドルマスターシンデレラガールズ』(1期・2期)
主に島村卯月周りと前川みく周りで、心に強く残る場面はいくつもありますが、まあ、良い悪いじゃなくて、もう少しのんびりしていた方が私の性には合うんだろうな、という。

『血界戦線』(1期)
・畳み掛けるBGM、SE、セリフ……音が作り出すノリと勢いに映像が乗っかって、奔流のように突き進んでいくダイナミズム。それが1期の生命線であったことに、2期を見てようやく気付いた。
・「絶望王」まわりのお話はまあ、ていねいにほぐしたら、最終話からまるまる『Fate/stay night』桜ルートが始まってもおかしくないくらいの設定であるわけで、あれで精一杯だとは思う。

『ARIA The ANIMATION』(1期)
『AQUA』からのアイ派です。(補足:「アケマスからの美希P」みたいなもの……なに、最近はこっちの方に補足が必要、ですって?)

『かんなぎ』
OPの中に、あるいは1話冒頭からOPが流れ終わるまでの間に存在する、なにか、とても見つけにくい奇跡的なきらめきがこの先に存在しそうな予兆の感覚、だけでこの位置にいる気はする。あと、最近気づいたんだけど、劇場版アニマスの「M@STERPIECE」を聞いて刺激されるものって、私の場合、たぶん "アイマスの思い出" じゃなくて、"かんなぎOPの思い出" だ。

『みなみけ おかえり』(3期)
良くも悪くも、縦に並んだ原作をそのまま横に並べ替えただけ。だから、原作がピリッとしない時はそのまま冴えないし、原作に繊細な味わいがある部分はそのまま素直に出ている。ラストに、南家三姉妹にとって、何がいちばんの不安であるか、を物語るエピソードを持ってきたのは殊勲甲。

『魔法少女まどか★マギカ』
・23分×13本という時間をどう構成するか、のお手本。
・克明に描いた絶望のぎりぎり最後に、ちょこんと "十字架に掛かるキリスト" を載っけた構成が美しいのであって、 オチ自体が目新しいものではないのは、そりゃそうだ。

『Re:ゼロから始める異世界生活』
だれる部分、枝葉を生やしすぎて幹が見えなくなる部分はあるが、誰かにとって誰かがアイドルである、という関係の連鎖で人の生が繋がっていく、物語の骨格はとても好き。

『SHIROBAKO』
・大勢の人が関わり合う中で生きることの難しさと、その難しさの中にある喜びを、"大勢の人が関わり合う" ことそのものを精密に描き出すことで表現する。
・いちばん難しい部分をコミカルなおとぎ話に棚上げすることで、話を綺麗にまとめてしまう手法。

『Fate/stay night [Unlimited Blade Works] 』
所有することにしか自分のアイデンティティを見出せないし、所有することでしか相手との関係を結べない。ギルガメッシュと間桐慎二は似た者同士であり、だから、自分を "便利なおもちゃ" 扱いしてくる慎二との遭遇こそがギルガメッシュにとって最大のアイデンティティの危機であって、自分も相手を "他愛のないペット" という相似形の扱い方をすることでしか向き合えなかったんだな、と、この間のニコ生で見返していてようやく気付きました。

『Wake Up,Girls!』(劇場版「Wake Up, Girls! 七人のアイドル」込み)
・見返していたら、岡本未夕(メイド喫茶でアルバイトしてたツインテールの子)いいなあ、と。ムードメーカーだけどわかりやすく弱気、という、ありそうでいてあんまり似た例に思い当たらないバランス。劇場版で松田マネージャーがスカウトに駆り出された時、彼の話をちゃんと聞いて事務所に入ってくれた人って、彼女だけなんですよね。2話のコンパニオン仕事では、その、Pにたいして自発的に、アイドルやりたいです、と言ってくれた後にも先にもただ一人の子が、もうやってられない、私には無理、と言う。あの場面はだから、とても哀しいし、深刻な場面なんです。
・歌も踊りもヘタクソな素人だけれど、アイドル好きで、友達に憧れて自分もアイドルを志した林田藍里。メジャーなアイドルグループを追い出された訳あり実力者の島田真夢。普通だったら、林田藍里がメインヒロインで島田真夢が相方ポジションだと思うのだけれど、このアニメでは島田真夢の方がメインヒロイン。その真夢は、性格的には別にとんがってない穏やかな人だし、相方の林田藍里はさらに地味で穏やか、というw。実のところ、物語の中の、なんで私たちはアイドルをやっているのだろう、なんでこのメンバーで一緒にやっているのだろう、という局面では、林田藍里が重要な役割を果たしているのだけれど、普通のアイドルアニメみたいにわかりやすく "何も持っていない彼女" が話を牽引するノリにはならない。さらに、リーダーの七瀬佳乃は、本当にただ芸能経験と真面目さだけでリーダーにさせられてしまった人で、別にリーダーシップがあるわけでもなんでもない(2本目の映画以降、彼女の葛藤が単純に消滅した結果、存在感も薄くなってしまっているのは惜しいと思う)、という。なんかこう、「七人のアイドル」と2話と最終話を除くと、個々の話が見ていて面白いかと聞かれるとよくわからないんですが、いろんな要素が、この作品の中にしかないバランスで存在していて、癖になる味わいはあるんですよねえ。
・1期放送当時は、無能なことで勇名を轟かせた松田マネージャー。実際、彼はアイドルたちからも、仕事ができる人とはさらさら思われていない。にも関わらず、劇中で松田が非難されたり見捨てられたりしないのはなぜか。「七人のアイドル」では、松田がやらない、無理だと言っていればそこで、彼女たちは一度も舞台に立つことなく、アイドルになることなく終わっていた筈だった局面があった。しかし、そこで彼は駆けずり回って、とにかく曲がりなりにも彼女たちを舞台に立たせた。だから、アイドルたちには根底のところで、この人はぎりぎりの場面ではきっと、自分たちの側に立って体を張ってくれる人だ、という信頼があるのだと思う。
・アイドルたちの決意表明を聞いて、感動したと言い出す松田。この子たちなら本物の「物語」を見せてくれる、と興奮する丹下社長。「I-1club」の白木社長を前に、本気で「Wake Up,Girls!」の見せたパフォーマンスを誇ってみせる、音楽プロデューサー早坂。「Wake Up,Girls!」に吸い寄せられたデコボコの業界人3人組は、何のことはない、自分の売り物であるアイドルグループに自分自身が魅せられてしまった、夢を見てしまったのが共通点なのだ。そして、夢ばかり見て失敗し続けている丹下たちとは、対極の仕事をしているように見えた白木が、実は誰よりもアイドルという存在の意義を、可能性を信じてやまない人間であることが、最終話の演説を通して明らかになる。アイドルに関わる人びとを、アイドルに夢を見てしまった人びとの織りなす世界全体を、たとえそこにどれだけの矛盾があったとしてもなお、ひっくるめて肯定する物語。

『狼と香辛料』(1期)
世の中は損得で動いている、というたてまえで、実際には、大事な局面では必ず、損得ではないハートの部分で人間が動く物語。物語を通して、主人公の最大の武器はつねにハートであり、だから、求めすぎなのは百も承知だが、この物語においてこそ、経済が語らない、感情や信仰の領域の問題をも、正面から語って欲しかったと思う。

『氷菓』
何を描いても同質の "青春の苦さ" オチに帰着する原作者に対して、アニメはそうでない要素を付け加えるか、あるいはアニメとして動かして声を吹き込むことそのものが、そこに納まらない要素を生み出している。それでいい。たとえば7話「正体見たり」。親は子どもの一方にしかモノを買い与えられないし、子どもは子どもで、与えられた側はそれを独占したいと思うほどに、与えられなかった側は奪いたいと思うほどにモノに飢えている。さて、過疎化していく故郷の統治者、経営者たらんとしている千反田えるにとって、ここで本質的に重要な問題は、姉妹とは美しいものなのか醜いものなのか、という事柄だろうか? 美しくなかった、と切って捨てただけで終わる原作よりも、人間の関係はそんな一面的、単線的なものではない、と示すアニメのオチの方が、その先に思考が広がる可能性を残している。

『花咲くいろは』
・大人に対する子どもの憤怒、の描写の尖り方。
・ほとんどすべての事件が、説明不足によるすれ違い、だけで起こる。
・いちばん難しいところをコミカルなおとぎ話に棚上げする手法。

『戦姫絶唱シンフォギア』(1期 2期以降未視聴)
荒削りだけど、"ヒーローに大切なこと" はがっちり押さえている。

『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』
13話の尺の中で、つねに予測を越えながらきっちり全てを回収するシナリオ。が、結局、そういうシナリオの面白さをも超えて、この作品の中でもっとも光を放っていたのは、一瞬の交錯のうちに生と死、互いの命運が鮮やかに分かれていく、人形の殺陣そのものだったと思う。

『SHOW BY ROCK!!』(1期)
演奏している瞬間が楽しい、という描写の説得力が、物語を動かす推進力になっている。

『ラブライブ!サンシャイン!!』(1期)
・いま現在進行形で2期に感動しているのだけれど、そのせいでむしろ、1期の位置を不当に低くし過ぎているかもしれない。
・『Wake Up,Girls!』の3本目の映画もそうだが、誰かが別の夢を追うために、アイドルから、グループから離れていくことを、仲間が後押しする、という、アイドル第一主義、仲間第一主義的なアイドル観を相対化するストーリーが仕込まれている。のだけれども、その行く手には、コンテンツ的には、バラバラで別れ別れのままシナリオを終わらせるわけにはいかないんだよね……という問題が立ちはだかっているわけだ。このアニメが、ころころと話が二転三転して転がっていくつくりなのは、たぶん、そういうノリの中にしか籠められない何かが存在するからなのだと思う。

『ARIA The NATURAL』(2期)
『AQUA』からのアイ派です。

『BACCANO! -バッカーノ!-』
時系列と登場人物のごちゃごちゃシャッフルがウリの原作の、出だしの勢いのいいところをつまんで、さらにごちゃごちゃシャッフル! うまくやれば、面白いお話になるのは間違いないだろう。が、結局、その "面白いごちゃごちゃ" を通して見せたいものって、なんだ? そこで、それは、"アイザックたちがチェスの魂を救う" ことなんだ、という答えを見出してラストに据えたことで、お話に一本、筋が通った。

『神撃のバハムート GENESIS』
損得ずくで出合頭に殺そうとした相手を、次の瞬間必死に抱きしめていてもまったく不自然に思えない、という、融通無碍で掴み所がなく、それゆえに何をさせても違和感がない主人公。人間にやらせると不自然なギミックを全部引き受けてくれる、ゾンビの仲間。テクニカルな人物配置がダイナミックなストーリー展開を可能にしたが、ダイナミックでスピーディーであるが故に犠牲になるものもまたある。このアニメを2クールでやったらとてもテンションが持たないかもしれないが、もっと時間を掛けた中でこそ、このキャラクターたちの物語を見てみたい、という気はする。

『メイドインアビス』
・ナナチとミーティのエピソード。倒れたままのメインヒロインリコをどう話に関わらせるのか、という問題と、"意思疎通できない存在の意思" なるものの実在とその内容をどう証明するのか、という問題を同時に解決する展開が見事だったし、そのくだりでようやく、なぜこのキャラクターがメインヒロインなのかが腑に落ちた感じがする。
・ナナチの選択は、うん、あれじゃあやっぱりボンドルドの掌の中を一歩も出てないよねえ。

『とある魔術の禁書目録』(1期)
インデックスさんの姿が見失われることの問題点は、それはすなわち、同時にお話の原点が見失われることだ、という点にある。

『響け!ユーフォニアム』(1期)
この先に進んでも、音楽の話はこれ以上深まらないんだよな、と思うと、一期の位置も下がってしまう。

『ガールズ&パンツァー』
"面白さは正義" "面白ければそれでいい" という意志が行き着いた先に生まれた怪物。

『ユリ熊嵐』
面白かろうが面白くなかろうが、俺が大事だと思うことを表現できればそれでいい、という、こちらはこちらで怪物。ただこう、さすがにもう少し、人を騙す甘味が、夢や希望を抱かせる嘘が、あってもいいんじゃないかという気が。

『四月は君の嘘』
『ユーリ!!! on ICE』と『のだめカンタービレ』と『AIR』を一本の作品でやってしまおう、というのは、やっぱりちょっと盛り込み過ぎではなかろうか。

『プリンセス・プリンシパル』
暫定。続きがないとなんとも言えない。最初に、それを飲み込まないと楽しめない大嘘の設定と、楽しくてたまらないディーテールを提示する、というつくりが『ガールズ・パンツァー』と似ているな、と思ったら、同じ会社の作品だそうで。それがわかった時点で、私の興味は、その大嘘の中に、"こんな世界があったらすごく面白そう" 以外の主張があるのかどうか、という一点に絞られたと言っていい。結果、たしかに、世界がバラバラに分断されているが故に生まれる悲劇と、自分が女王になることでその悲劇を乗り越えたい、というプリンセスの理想が示されて、人間関係のドラマとしては一本筋が通った。が、この先で、実際にどうやって彼女が女王になるか、彼女を女王にしていくか、という過程を描かなければ、結局ここまでのドラマは "そういう味付けの人情劇、ごっこ遊び" にしかならないし、そして、私が言ったような過程を物語として説得的に描き出すのは、たぶんとても難しい。


B
『オーバーロード』
仲間が誰も来なくなったオンラインゲームの世界にしがみついている男の話、ということで、こんなブログにしがみついている人間としては、共感する部分もある。しかし、私と大きく違うのは、この主人公は社会人としても立派に仕事をこなし、ゲームの中でもギルド長として見事に切り盛りしてきた、高い社会性を備えた廃人だということである(笑)。

『響け!ユーフォニアム2』
・面白かったですよ、人間ドラマとしては。エゴエゴアタクシで繋がる世界。
・OVAでコンテスト落ちしたメンバーの挿話が描かれていると聞いて、なるほど、1期の「音楽だった!」の続きはそこでフォローされていたのか、ならば2期の評価も改めなければ、と思って見てみたら、恋愛話しかしてないじゃねーか! 私の期待を返せこの野郎。

『ワンパンマン』
・いろんな敵が、 "強いライバル" を探し求めて主人公の前に現れて、いざ本当に強い相手と戦ってみると、そこでは自分はただ塵芥のように踏み潰されるだけで何の手応えも達成感もない、という哀しみ。
・『オーバーロード』もそうだけど、面白いことは面白いんだけど、見終わってしまうと、一回見れば充分かなあ、という気分になるものは、だいたいこのカテゴリに入ることになる。

『異世界食堂』
人は誰でも孤独だが、行きつけの食堂でいつもの席に座り、自分の好物であり、親の好物であり、一族郎党、先祖代々みんなの好物であった料理を頬張る。そのひとときだけは、孤独でないのだ。そして、その幸福は、食堂のドアを開ける権利を有した、限られた特権的な人間だけが持てるものである。
舞台の上で芝居をしている瞬間、どんなに自分の芸が下手であっても、同じ芝居をした父やおじさんたちと、同じ空間で同じ動作をしている。そのことが嬉しいのだ、という中村勘三郎の言説みたいなお話だと思った。

『SHOW BY ROCK!!#』(2期)
いや、とても面白かったんですけどね、見終わると不思議に何も覚えていないんですよね。なんでなのか、神秘的ですらある。

『TARI TARI』
そこをおとぎ話に棚上げしてはだめなんじゃないかな、というところ、本当はその先こそが突っ込んで語られるべき部分だったんじゃないか、というところが、ラスト周辺に集中してしまった印象。

『アクションヒロイン チアフルーツ』
最初は、そんなことより「御当地ヒロイン」やろうぜ! でどんどん周りを巻き込んで引きずっていく主人公の狂気がいいな、と思っていたのだけれど、気づいたらその推進力が失われていて、あれ、また仲間を増やすのか、ところで今何人目でまだ仲間になっていないのはどの子でこっちの子はいつ仲間になった誰だっけ、となっていた感じ。真面目に見直したら印象が変わるのかも。

『狼と香辛料Ⅱ』
ロレンスとホロの、
①経済的な危機
②身体生命そのものの危機
③ふたりの関係性の危機
という三つの危機が同時に重なってくるところに、1期のエピソードにおけるクライマックスの盛り上がりがあったのだけれど、なかで特に、3番目の関係性のところが、話を積み重ねれば積み重ねるほどに、短いスパンでは揺らぎようがなくなってくるので、緊張感が失われるのは致し方のないところ。

『ラブライブ! School Idol Project』
これも、真面目に見直したら変わるかもというか、あんまり覚えていないんですよね。

『けいおん!』
えー、なんというか、私、音楽ものに関してだけは根性論志向、体育会系志向なので。

『とある科学の超電磁砲』(1期 レベルアッパー編以外)
学園都市に暮らす、美琴たちの周囲にいる大人たちの日常をひとりひとり描きこんだところには、意義があると思う。

C
『カブキブ!』
主人公に如才がなさすぎる。それは物語そのものの印象でもある。たとえば、メンバーが離脱して、芝居が成り立たなくなるんじゃないか、という事態になって、ぎりぎりのタイミングでそのメンバーがようやく戻ってきてきました、と。そこで主人公が最初に言うことが、まずはきっちり謝ってオトシマエをつけなさい、なんてことだったりとか。そうじゃねーだろ。そりゃあ、そういう場面を挿入しておけば、"アニデレ本田未央さん2chで大炎上の悲劇" は防止できるかもしれないけどさ。誰も興味がなくて何の地盤もないところから、自分がやりたいだけで歌舞伎をやる部活を作り上げてしまう主人公にしちゃあ、狂気が足りなすぎるんですよ。

『ゼロから始める魔法の書』
・9話だっけ、ヒロインの真情の叫びが押し通って、疑念に支配されていた主人公が心を取り戻す、あのシーンは血が通っていた。
・"ライトノベルの、1巻目のお話" としては仕方のないところかとは思うが、すべての事象が黒幕のたくらみ、というオチになることで、物語全体がスケールの小さい茶番になってしまった。

『アルドノア・ゼロ』(1期 2期は途中挫折)
1話の、全般的な状況としては、情報(通信)で優位に立つ敵側が圧倒的な優勢を握っているのだけれど、主人公の周りの局地的な状況においては逆に、主人公側が情報で優位に立つことで勝つ、という構図は、美しかった。

『ストライクウィッチーズ』
最初はとりあえず、戦争なんて嫌よ、と通り一遍のことを言い、いざ戦闘に遭遇すると、私には守らなければならないものがある! とたちまち使命感に目覚める。物語に転がされるのに都合がいいだけの主人公。

アニメ『うみねこのなく頃に』
アニメにしなきゃいけないということで、よくぞ頑張ってそつなくシナリオを要約したものだと思う。

アニメ『ダンガンロンパ』
アニメにしなきゃいけないということで、よくぞ頑張ってそつなくシナリオを要約したものだと思う。

『ぷちます! プチ・アイドルマスター』(1期 2期未視聴)
この作品における、春香のわりとテキトーでぞんざいな扱いは、まぎれもなくこの作品の出自がニコマスにあることを示していて、今となっては公式では描かれようがなく(グリマスにおける春香の丁重なもてなされ方を見よ)、ニコ動がなくなったら再現困難な諸々の、残りかす的なものを公式のコンテンツの中に記録しているという意味で、貴重なのかもしれない。

『とある科学の超電磁砲S』(2期 シスターズ編以外)
シスターズ編のあとで、仲間の絆があればなんだってできるんだよ、という全能感回復の物語を頑張って紡ぐ徒労。全能感が否定された後の世界でどうやって生きていくか、と問うた物語の後では、あまりに軽く、あまりに空虚。あらかじめ蛇足であることを運命づけられたエピソード。

『ぼくらの』
3周半くらい回って、結果的に鋭利な鬼頭莫宏批判になり得ている気がしないでもない。つまり、なぜ子どもたちが死ななければならないのか、なんで自分が生きるために他者を殺さなければならないのか。だって、それが生きるということそのものじゃないか、という原作に対して、いや、そういう構図を作り出して人と人を争わせることで、得をする誰かが上の方にいるってだけの話だろ? というオチになっているので。

D
アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-』
まあ、ニコマスの中にくだらないもの、醜悪なものがいろいろ存在したからこそ、それを昇華しようとする苦闘が描き出したあれこれの奇跡もあった。同じように……同じってことはないか、ニコマスは仕事でも商売でもないから。とにかく、このTVシリーズが最初に産み落とされたから、あの劇場版も生まれた、 ということで。

アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ劇場』(1期 2期未視聴)
しょっぱなに見せられた、向井拓海ってキャラクターが、弱くて逆らえない奴にひたすらセクハラしているだけのひっどいお話に呆れ返って、以後のことは何も印象に残っていない。

『みなみけ おかわり』(3期)
フユキというキャラクターを出して、千秋と対照させることで何を描きたかったかはわかる。問題は、前提である、"働かないで春香に頼っているだけの妹たち" という南家三姉妹観が根本的に間違っていることであって、だから、フユキ周りのシリアス話ではなくて、表面上 "『みなみけ』っぽい平和なギャグ" をやっているエピソードの方が、私には致命的に許しがたい。もちろん、ギャグだろうがシリアスだろうが、春香が何かというとすぐ妹の食事を抜こうとする、なんてのは論外である。3人だけでずっと肩を寄せ合って生きてきた姉妹にとって、食というものが、そして互いの存在が、どれほど重いか、ということをきちんと読解できていないから、こんな地に足のつかない机上の展開を描けてしまうのだろう。

『涼宮ハルヒの憂鬱』(2期 エンドレスエイト)
短い時間のうちで、どれだけ長い時間を感じさせることができるか、を工夫するのが表現というものであって(だから原作は短編なのだ)、長い時間を感じさせたい、だからそっくりそのまま長い時間を掛けてみました、と言われても困る。ループものだって、それぞれのルートにどう変化をつけるか(そのヴァリエーションがあるからこそ、どのルートを辿っても正解にたどり着けない絶望と、その絶望を乗り越えた時のカタルシスが生まれる)が腕の見せ所なのであって、それをサボるのはただの怠慢である。



現在放送中のもの。

暫定S
『ラブライブ!サンシャイン!! 2期』
1期のところで書いた、"このノリの中にしか籠められないもの" が何であるかが突き詰められた2期だと感じる。こちらの予測を斜めに上回り続けて、届きそうに思えなかった理想に到達する3話。2期開始以来コミックリリーフに徹してきた津島善子にスポットを当てて、彼女の同じありようを、前半ははた迷惑で地に足つかないものとして、後半は他者にとって希望に、救いになるものとして映し出した5話。この2回だけで、今期の個人的MVPに推すのに十二分。さすがに少々お話が粗いかな、という回であっても、テンポの良さ、ハイテンションさだけで視聴者を運んでいって、最後は新しい楽曲、新しいダンスシーンの物量で押し切る。凄いところまで来たもんだなあ、「ラブライブ!」のアニメ。

暫定A
アニメ『アイドルマスター SideM』
なんかこう今のところ、あまりに一話単位でひっかかりなく綺麗に話がまとまっていて、あれ、ひょっとしてこのアニメ、1クールで終わっちゃうの?

A or B
『血界戦線&BEYOND』(2期)
映像は変わらないけれど、音作りの方向性が変わった気がする。たとえるならば、打撃音が鳴らないカンフー映画、剣戟音が聞こえないチャンバラ映画。映像の方は相変わらずグリグリの奔流なのに、音の方はさらさら流れるせせらぎのよう、というなかなか不思議な味わいになっている。もちろん、それ自体は志向の違い、個性の違いであって、どちらが上というものではないだろう。ただ、気になるのは、一期であればストーリーが多少説明不足だろうと、音と映像の勢いだけで運んでいける、頭で納得する以前に体でわかる、となっていたところ、この表現だと、シナリオが細部にわたってより平明に、細やかに出来ている必要がたぶんあって、どうなのだろう、と。

『宝石の国』
すごい映像美で繰り広げられる、"カタくてモロいカラダ一発ギャグ集"。 

B or C
『Wake Up, Girls! 新章』
・映像なんて、背景があって可愛い女の子の立ち絵が貼っつけてあるだけでもいいじゃないか、というのが私の立場だから、アニメの絵に文句をつけるなんてことは例外中の例外なんだけど、なんせこのアニメに関しては、"背景があって可愛い女の子の絵がまともに正面から表示される" ことすら危ういので、不満とかどうとかいう以前に、マジで大丈夫なんでしょうか、1クールなんとか終わることを祈っております。
・ストーリーの方は、1話単位では、アイドルものとしてまっとうで不足はないシナリオになっていると思います。キャラクター間の掛け合いの呼吸が成熟したのもあって、まあ安心して見ていられる出来でしょう。ただ、1クール全体となると、どういう絵を描くつもりなんでしょうね。全国進出の夢は見ても、結局自分の居場所、居るべき場所は仙台ローカル、という、1期のオリジナリティの源泉であり拠り所であった部分は、すでに放棄してしまっているわけで。WUGを見てアイドルに憧れた女の子の物語、で最後まで持たせるんでしょうか。なんか、リアルアイドル vs ヴァーチャルアイドル、みたいなネタもちらちら見せてはいますが、そっちはそっちで、SF展開に持ち込めるニコマス動画ならともかく、アニメでそんなことをやっても、終わった時何の話をしていたんだかわからなくなるだけになりそうですし。

B or C or 途中挫折
『魔法使いの嫁』
うーむ。魔法や異種族をめぐる個々のイマジネーションは、興味を引かれないわけではないのだけれど。現実の世界は嫌い。で、自分の目に変なものが見えているせいで現実世界でいじめられるのだから、非現実の世界の方も嫌い、というところから話が始まるのか。ヒロインのメンタリティが、現実の世界は嫌い、だから非現実の世界に惹かれている、非現実に惹かれているから、浮世の人間関係は拒絶しても不思議な出来事には自分から首を突っ込む……というものだったら、ごく普通のファンタジーになるんですけどね。
私には生きる意味がなかった。だけど、彼が必要だと言ってくれたから、今の自分には生きる意味がある、彼だけは信じられる。ヒロインの行動原理がそれだけなら、舞台が現実と非現実を行き来する地点である必要はないし、個々の場面でヒロインがわざわざ非現実の側の事象に関心を持ったり、他者の人生に首を突っ込んだりする理由もないはずだと思うんだけどなあ。

『キノの旅-the Beautiful World- the Animation Series』
まっとうに正攻法で映像化しているからこそ、説明しない、描きこまないことで隠されていた、原作の無理なところ、粗雑なところが露わになってくる感じがして。

C or 途中挫折 or D
『少女終末旅行』
飢えも乾きも疲れも痛みも、到底存在しているとは思えない世界に、自分と親友だけが居て、どこでも好きなところへ行けて、そして手元にはいつでも発射できて、打てば何者をも打ち倒せ、尽きることなく弾が湧いてくる武器(銃)がある。現実の面倒なものは徹底的に綺麗さっぱり洗い流して、"少女" と "機械" という心躍る観念だけを残しました。本当にこのままの調子でずっと続くのだとしたら、逆にすごいかも。



あと映画。

S
『Fate/stay night Heaven's Feel 第一章』
なんだろうね、この、画面の中でセイバーが、凛が、イリヤが、誰よりも桜が、"生きて動いている" という感触は。あるいは、"生きて動いている" 彼女の姿はこうなのか、という納得感は。いや、それはもちろん、製作に投じられた膨大なリソースとノウハウの結実であることは間違いないだろうけれども。
たぶん、ここに映し出されているものが、画面の向こうにある世界の中の、ほんの断片、刹那でしかないということが、鮮明に感じ取れるからこそ、なのではないか。断片であるからこそ、刹那であるこそ、その奥に長い時間が、広い世界が、人間の生が息づいていることを、信じられるのだ。

『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』
のび太とドラえもんは、友だち思いだけど自分では何もできないダメ人間。クルト少年とペプラー博士は、自分の夢を大事にして周りに迷惑ばかり掛けているダメ人間。物語の中でこの4人は、徹底して他人に迷惑をかけ通しで、周りに助けてもらい通しなのである。そう描いた上で、彼らの思いを素晴らしいもの、美しいものとして全面的に肯定する。ダメ人間賛歌なのだ、この映画は。しかも、そんな物語が、"子どもが安心して楽しめるエンターテインメント" という化けの皮を、完璧にかぶっているのだからおそろしい。

『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』
グリマスが終わるわけだけど、ミリシタもモバマスもデレステも終わった時にこの映画を見返したら、何が見えるのだろうね。……なに、ニコ動の方が危ないだろうって? それだけは困るなあ。みんなもっとニコマスを見よう!

A
『聲の形』
・答えのない現実と正面から向き合う物語ほど、 "十字架に掛かるキリスト" オチになる問題。
・結局お前の好評価の決め手は絵柄じゃないのか、と言われたら、まあそうかもw。

『ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~』
・元のシナリオから何も引かず何も足さず、ただ演出と演技を細部にわたって現在の技術、現在のキャストならではの形にブラッシュアップすることで、リメイク前に勝るとも劣らない映画に仕上げた……後にも先にも一度きりの、孤高の事例。

『思い出のマーニー』
原作は、長いわりに、その長さが厚みとして意味を持ってくるというよりは、話の本筋を見失わせているきらいがあった。映画は、後半のリンジー家との交流話をばっさり整理することで、原作が内包していたテーマを、むしろ原作よりも鮮明に、一貫性をもって提示することに成功している。第一に、リンジー家との出会いの意味が、マーニーという他人に憧れていたアンナが、今度はプリシラという他人に憧れられる立場になる、という事柄に集約された。第二に、この整理によって、物語全体を通しての焦点が、アンナと養母の関係にあることがより明瞭になった。
また、現実の場面と非現実の場面が自在に移動するシナリオは、アニメの映像演出に適合的であり、この点も同じ内容を描いて原作より効果的だと感じる。
そして、原作ラストの、最後の一文だけ視点を別の時間軸、別の話者に飛ばす、という『トムは真夜中の庭で』に酷似した手法は、あれは、『トムは真夜中の庭で』の場合、最後の最後、二度と交錯しないかと思われた二つの時間がもう一度だけ交わる、劇的な瞬間を切り取っていたからこそ効果的なのであって、そうではないアンナの物語でやる意味は薄い。この点、映画のラストは素晴らしい。アンナが村へやってくることで動き出した物語が、アンナが村から去ることで閉じていく……そして、そこでのアンナの何気ない挙動のひとつひとつ、映し込まれる何気ない風景の一コマ一コマが、この場所で彼女が何を得てどう変わったかを、何よりも雄弁に物語っている……物語を見事に総括、昇華していて、実に美しい。

『かぐや姫の物語』
意識的に、宮崎駿の近作と、また片渕須直の作品を思い浮かべて比較した結果として、この位置に来た。考えたのは、絵の力で物語を動かし、読者を動かしていくことと、そこにメッセージをこめることと、読者が思考する余白を残すこと、三者をどう並存させるか、ということ。

『たまこラブストーリー』
時間の積み重ね方への納得感と、その積み重ねが、一点の核心に向かって収束していく美しさ。

『この世界の片隅に』
作り手の、克明であること、細部を描き込むことへの異様までの執着、何かを組み立てる際に、それが事実であること、忠実であることを拠り所にせずにはいられないありようそのものがおそらく、あたかもそこに描かれたものがすべてであるかのように、現実であるかのように、視聴者を幻惑せんとしてやまない性質を帯びている。もちろん、"描くこと" と現実との関係は、この作品のテーマそのものであって、克明に描き込まれたモノ、あるいは克明に描き込む行為は、映画自体の中で何重にも相対化されているし、そのことを読み解いた優れた評論はすでにいくつもある。が、それでもなお、私のうちには、ここには何か、根本的な性質においてとても異様で手に負えない怪物が生み出されてしまっているのではないか、という恐怖が抜きがたくある。

『劇場版 艦隊これくしょん -艦これ-』
「艦隊これくしょん」というのは絶妙な名前である。そこで行われることの本質が「コレクション」である、と自ら定義しているのだから。しかも、「艦艇これくしょん」でも「2次元美少女これくしょん」でもなくて「艦 "隊"これくしょん」である。「艦隊」をコレクションする、というのだ。モノを際限なく集めて自分の思いのままに何度も何度も並べ替え飾りつけることそのものが、このゲームの目的であり、存在意義なのだと。そこに悲劇が存在するとしたら、それを生み出しているのは、「史実」がどーとかいうことではなくて、際限なく自己目的化して肥大化していく、コレクションする、という行為に対する作り手と参加者の欲望、そこにロマンを見出してしまう幻覚そのものである。映画はその業と向き合った……というか、この映画を自らの業に向き合ったものと位置付けることによって、ぎりぎり私自身が納得できたことにしている、というか。

『Wake Up, Girls! 青春の影』(2本目)
・ニコ動では、2期の初めの方で、あれ、こいつらってこんなに仲良かったっけ、という感想がちらほらあって、まあTVシリーズだけだとわからなくもないコメントなんですが、そこがまさに、この劇場版で描写されている部分なんですよね。
・最初の「七人のアイドル」と同様、アイドルとしてまともに仕事ができていないどん底の状態で、寒くて暗くて誰も見ていないステージで、自分たちだけで歌い踊る、という幕切れ。ストーリー全体としてはもちろん、どちらもただの通過点でしかないのだが、しかし、このアニメがもっとも、この作品にしかない輝きを見せていたのは、この、"誰も見ていないステージ" が現出する瞬間だったのではないか。きっとこの先に、自分たちがアイドルとして成功できる未来なんてない。ファンに見守られ、ファンのために歌い踊る時間なんて、自分たちには永遠にやってこない。それでも、誰が見ているからでも誰のためにやっているからでもなく、いまこの瞬間、自分にしか歌えない歌、自分が踊るしかないダンスがあって、それを歌い踊っている、ただそれだけで他のどんな時間よりも充足しているのだ。

『君の名は。』
なぜだかこの映画についてはいくつも記事を書いてしまった気がするので、もはやあまり言えることがない(笑)。なんというか、つまり、『この世界の片隅に』とか『シン・ゴジラ』とかが、書かなければならないことがあり過ぎて逆に手をつけられないのに対して、これや『聲の形』は、"感想を書くのにちょうどいい厚さ" の作品だと言えるのかもしれない。

『楽園追放』
・ユートピア/ディストピアを、静的で内部完結した世界と幻想するのではなく、そこに人とモノがやりとりされる周縁部の存在を意識的に描きこんでいること。
・物語において、見た目上少数劣勢の側が勝つ時はだいたい、情報と輸送の面で普通はありえない不均衡が生じている、という法則を、(たぶん意識的に)綺麗に活用している事例。

『マイマイ新子と千年の魔法』
一見、幻想を抜け出して現実と向き合ったように見えて、実はその瞬間にまた別の幻想にすがっている、という、『この世界の片隅に』で繰り返し出現するストーリーの枠組みは、振り返ってみるとこの作品においてすでに提示されている。最後に現実を乗り越える力が、『この世界の片隅に』においては人が身を寄せ合って生きていこうとする意志そのものの中に見出されているとすれば、本作において見出されているのは、物語る力、人が物語を紡ごうとする営為である。

『ラブライブ!The School Idol Movie』
アイドルは「卒業する」のが魅力で、アニメは「永遠に続く」のが魅力。アイドルアニメとは根本的に矛盾した存在なのだ……とは、かつて096%Pが書かれたこと(を、私がうろ覚えで要約したもの)ですが、なるほど、「ラブライブ!」とは、アイドルであることに徹した作品だったのだ、と考えると、腑に落ちるものがあります。

『劇場版ガールズ&パンツァー』
以前書いた感想の締めをそのまま再掲。「楽しくて、気持ち良くて、すっきりストレスが解消されて、難しく考えなくていいし、何を押し付けられた気もしない……そこにはなんでも自然に溶かしこむことが出来る、透明な溶液のような作品。」

B
『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』
・TVシリーズで神を作ったので、今度は悪魔を作ってみました……って、それじゃあ「指輪」や「ナルニア」のスタートラインに立っただけじゃないか(笑)。連中は、その先を思索することにこそ全力を尽くしているのであって。まあ、後期の『ゲド戦記』だって、"結局は神さまの存在に行き着きました" なオチなんですけどね。
・ほむらさんの執着ごときが「愛」なら、このブログなんか「愛」でむせかえってることになっちゃうぞ。

『Wake Up, Girls! Beyond the Bottom』(3本目)
・全国進出と仙台を大事にすることの両立→どん底でも東京にかじりつく執念→仙台でアイデンティティを取り戻す→全国ドサ廻り→メンバーの別の夢への旅立ち、と、これだけの内容を60分×2本の尺で駆け抜けるのはやはり厳しく、本当はこの内容をTV2期としてやりたかったところだろう。
・前期WUGの物語は、アイドルという存在そのものを、従ってアイドルに関わる人間たちすべてを、究極的には人に、世の中に希望をもたらすものとして力強く肯定しているのだが、同時に、売れて商売のレールに乗ったアイドル活動においては、関わる当人たちから喜びが失われる、という構図を描いている。そこには、売れるまでの過程においてはどんなに個性的で魅力的だった女の子も、売れてしまえば結局、レールに乗った機械になるだけではないか? というディレンマがあって、最後までそれに対する答えは示されていない。繰り返しになるが、TVシリーズは未来がどう転ぶかわからないローカルでマイナーな立ち位置のまま終われたからこそ綺麗な絵を描けたのだけれど、この劇場版の後にはそのディレンマが重くのしかかっていくことになるだろう。

『STAND BY ME ドラえもん』
「STAND BY ME しずちゃん」としてなら、佳品と呼んで差し支えないかと。特に、「すりこみたまご」を持ってきたのはクリーンヒット。どんな手を使ってでも「しずちゃん」がほしい、という、その狂おしさこそがまさに、のび太の「しずちゃん」への想いを、余人の好意とは隔絶した感情たらしめているポイントなのだから。

『メアリと魔女の花』
・どうしても守らなければならないもの、やらなければならないことが見つかった土壇場で、魔法の花と魔法書という、それまで主人公のアドバンテージであったものを失って、本当にただの女の子でしかなくなってしまう。一体ここからどう状況を打開するのか? というところでそれまでの主人公の行動がすべて生きて繋がってくる、終盤のシークエンスの美しさ。
・作中では、主人公が大人から "好奇心旺盛な子" と評されるのだが、描写を見る限り、実際にはそうではない。主人公は単に、大人にほめられたい、周りに認められたいだけなのだ。だから、魔法世界に行っても、そこでどれだけ褒められたか、という点にしか思い出がないし、動機がそれだけだから、いい思いはしたけれどあんな怖い場所はもうたくさん、と、その世界を去ることにも全く葛藤がない。それゆえに、魔法世界での出来事がすべて他人事になってしまう。校長たちが夢見た「究極の変身」は、本来は主人公自身の願望・欲求とも深く結びつきうるものの筈なのに、主人公は、自己に内在的な課題としてではなく、自分の外にある単純な敵として校長たちと対峙するだけで終わるのである。

『風立ちぬ』
シナリオの交通整理は実に達者だけれども、どんな欲求や関心からその物語に取り組んだのかはいつも見えない米林宏昌と、己の欲求から絵が迸り出て、絵から物語が引き出されてくるさまは手に取るように鮮明だが、ただしストーリーのあらゆる箇所が "作者注釈つき"、読み取ってほしい矛盾を、欲求第一に生きる後ろめたさを、全部言葉で釈明してしまう宮崎駿。さて、自分の中でどう並べたらいいものか。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
・アスカが元気そうでよろしい。
・連弾のシーンが好き。
・あれこれドタバタした末に、「第九」という権威を召喚しておすがりする儀式。

C
『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』
ただの "少年少女の友情賛歌" ではなくて、大長編ドラえもんらしい 「すこし・ふしぎ」を、「冒険」を、正面からやってやろう、という意気込みは良し。この路線で試行錯誤した先、どこかでホームランが出る可能性に期待します。

『ひるね姫 ~知らないワタシの物語~』
・"夢の世界で主人公がこんな行動をしてこんな事象が起こったのは、種明かしをすれば、実はその瞬間同時に、現実の世界でこういう操作をしてこういう出来事があったことを直接反映した表現でした" 。夢の中の出来事をすべて、そういう理由づけでしか描かないのであれば、そもそもこの物語において、夢の世界をわざわざ現実世界と分けて描写する意味ってどこにあるのだろう? と、作り手は疑問に思わなかったのだろうか。
・ハードがものを言う時代からソフトがものを言う時代への転換点にあって立ち遅れている大企業、という、たいへん具体的、現実的な題材に対して、オチが "悪巧みしていた佞臣を排除して、隠し持っていた大発明を届けました" というものでしかないのも、なんとも物悲しい。技術とファンタジーという二つの看板を掲げて、映像的には看板に即した見どころがいろいろあろうけれども、物語としての読みどころは素朴な家族ドラマに尽きてしまう。

『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』
"少年少女の友情賛歌" としては、今まででいちばん過不足なくまとまっているのではないでしょうか。むやみに脇の登場人物間の関係線を増やして話をごちゃごちゃさせない、ということが出来るようになっただけでも長足の進歩。

『おおかみこどもの雨と雪』
すでに指摘されていることだが、
①マイノリティとして生きること
②理性で制御できない獣性、暴力性の発現
③子どもが親のコントロールの及ばない存在になっていくこと
という性質の異なった事象が、"狼への変身" という一つの表現で処理されている。そのおかげで1本のあまり複雑でない物語としてまとまれているのだが、そのせいで、何を描いたものとして読んでも中途半端。

『ドラえもん のび太の恐竜2006』
新時代の第一歩にふさわしい、"原点回帰" でありながら "新機軸" "オリジナル" である一本を、という意気込みは、痛いほど伝わってくる。

『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 はばたけ 天使たち』
言いたかったことはわかる。ロボット側のドラマを描きこむことで、"よい人間とわるいロボットの戦い" ではなく人と人、社会と社会の衝突なのだ、という構図をより鮮明に打ち出したかった、というのだろう。だが、そうして加えられた要素が実際に描き出したのは、"下劣でクズな奴ばかりのロボットたちの中で、例外的に心の美しいリルルとジュドだけが人間と心を通わせた" という構図であり、ここに原作の精緻な物語は完膚なきまでに粉砕された。

『借りぐらしのアリエッティ』
一筋縄ではいかない原作なのは確かですが、"小人というガジェットと絡めたボーイ・ミーツ・ガール" くらいしかやりたいことが無いなら、身に合わないよその国の原作なんか借りてこないで、佐藤さとる『だれも知らない小さな国』の映像化にでも真面目に取り組んだ方が、よっぽど意味のある仕事になると思いますよ。

D
『ポッピンQ』
いかにも、短い尺の中に要求された要素を全部折りたたんで詰め込みました、という、忙しなく感情移入を呼び起こさないシナリオ。互いに矛盾し噛み合わない、各場面での主人公の性格と行動原理の描写、立ちはだかる課題や敵の設定。主人公が主体的に関わる意味を、まるで見出せない非現実世界。これはいったいなんの組織の新人研修なのか自己啓発セミナーなのか、という、全体を通してのメッセージ。さすがに『ポッピンQ』と同列扱いは失礼ではないか、というだけの理由でDからCに移動する作品が発生し、さらにそれに伴って、これらと同列では不当だろう、とCからBに移動する作品が発生したということで、このリストの基準点ともいうべき重大な映画である。

以下6作、順番にはほぼ意味なし。共通する特徴としては、見ているうちに、たとえば "AはBであり、BはCである。従ってAはCである" というような常識が、本当に正しいのか自信が持てなくなってくる、という稀有な体験ができる。
『ドラえもん のび太の宇宙英雄記』
『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』
『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』
『ドラえもん のび太と奇跡の島~アニマル アドベンチャー~』
『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』
『ドラえもん のび太の人魚大海戦』

『ゲド戦記』
・「父を殺す」というキャッチコピーが、10周半くらい回って偶然鋭いル・グウィン批判になっている可能性が……やっぱりいいやw。
・原作と比較してこうおかしい、という批判は、ル・グウィンって人が丁寧にわかりやすく書いているからそれを読めばいいと思うけれど、そもそもコレを作った人間自身が "いや、「ゲド戦記」は名前を借りただけで、実際にやりたかったのは親父の「シュナの旅」っすからw" と明言しているのだから、原作者と読者をコケにしているにもほどがある。









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