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背の順で前ならえ


ニコニコ生放送でやっていたアニメ版アイドルマスターと劇場版アイドルマスターのタイムシフト、を、全部見る気力はとてもなかったので飛ばし飛ばし、気になるところだけ見たので、その心覚えに。
シンデレラガールズの方のアニメも見るつもりでしたが、見てなんか書く気力が残っているかどうかは怪しいです。






・いちばん印象に残った視聴者コメント。

「雪歩は声優変わって良かったよな」

こういう言葉をひとつひとつ覚えて心の閻魔帳に刻んでおくのが、私の仕事です。

・アニマスでは、"前向きなのが春香のいいところ" だと何度も言われる。事実、レッスンや仕事が行き詰まった時、気まずい空気が流れた時、とりあえずポジティブなことを言う、というのがアニマスでの春香の役割である。
さて、しかし、春香さんって、本当にそんな「前向き」な人なのか? 自分の眼前にある事象に対して、まずその楽しさに着目する、自分がそれをどう楽しんでいるかを真っ先に表現する、という人であることは間違いない。今日はこんな仕事をしたね、ええ、これこれこんな体験ができて楽しかったです! 明日はどこどこへ連れて行ってあげるよ、わあ、何があるのか楽しみです! 
また、それが自分ひとりのことであるならば、練習していてもまだまだ出来ません、でももっともっと頑張ります、と言うのは確かだろう。けれども、それがユニットになり集団になり、他人に対してどう言葉を掛けるか、という問題になった時に、春香さんはどういう風に振る舞う人なのか? 私の中では未だに、こうに違いない、という定見がない。

・千早の物語の核心は、やはり "弟が死んだ思い出" ではなくて、現在進行形で変わり続けている親との関係の方にこそある。だから、親が離婚して一人暮らしを始める、という事件を所与の前提にしてしまった時点で、20話が春香の物語としては深くとも、千早の物語としてはどうにも隔靴掻痒になるのは仕方がない。まあ、やよいの家庭にしてもそうで、アニメの中で、全員の物語を描くことと親との関係を描くことを両立させるのは無理があるのだろう。

・20話の春香さん、「ほっとかないよ」のインパクトが強くてその前のシークエンスで何を言っていたのか忘れていた。「歌が好きってだけじゃ、ダメなのかな」か。
実際のところ、アニマス全体を通して、春香が語っている動機は、アイドルが "自分の「夢」" とか "自分の「憧れ」" とかいうことであって、歌が好きなのがどうこう、という話をするのはここだけ、千早の前でだけである。
「夢」とか「憧れ」とかいう言葉から引き出されるのは、劇場版で矢吹可奈に対して語られるような、"今はダメでも、信じ続ければいつか「憧れ」に届く" という論理である。けれども、”「歌が好き」なだけでいい" というのは、"「歌が好き」だから、いつかもっとうまく歌えるようにならなきゃいけない" という話ではないはずだ。アイドルだからとか、憧れだとか、キラキラしたものが見えるとか、そういうことが本質じゃない。ただ単に、あなたはあなたの歌を歌い、私は私の歌を歌う。歌が好きってだけじゃ、ダメなのかな。春香と千早、一対一だと、そういう話になるのだ。

・23話の、春香が他の仕事をやめてライブの準備に専念する、と言い出す場面。次の回と続けて視聴すると、ここで正しいことを言っているのは春香であり、美希と律子の理解が及んでいなかったのだ、という筋書きだったことがよくわかる。劇場版でも同じだが、アニマスの春香のストーリーは、春香は最初から正しいのに、それを他人に対して押し通していいのかどうかで思い悩む、という筋立てになっているので、"春香が失敗して反省して立ち直る" という話だと思って見ていると肩透かしを食うことになる。
23話の終わりで春香は、私何をしたかったんだっけ、と言うけれども、結果から見れば、"みんなで一緒に楽しいステージをする" という、この時点ですでに春香が持っていた答えでやっぱり良かった、となるわけで。24話の春香の側のストーリーは、春香が、自分の想いを信じていいのだと自分で確信するだけ、という単純な話だからこそ、映像をいろいろ工夫しなければならなかったのだろう。こう、ニコマスならほんの数瞬のステージで全部表現できることを、いろいろ回りくどく描きこまないといけないアニメって、不自由だよね。

・24話の、美希が、自分を見失いそうだから仕事を断ってきた、と言う場面。「どんなお仕事も、倒れそうになるまで頑張る」の美希がこう言ったと思うと感慨深い、というのはともかく。ここで、「さすが感覚派」「そのへん感覚的に理解してるのはやっぱ天才よな」というコメントがついている。
しかし、24話で描かれているのは、夢中になってただ目の前の仕事をこなしているだけでいいのか。自分が本当にやりたかったことは何なのかをじっくり考えて、自分が進む道を自分自身が主体的に選ばなければいけないんじゃないか。春香がいなくなって初めて、みんながそう気づいた、という話であって、美希もまた、例外ではない。なるほどこれまでの美希の所業はすべて、"天才的な感覚" でなんとなく正解を察知した結果、だったのかもしれないが、24話ではそうではなくて、立ち止まってじっくりと頭で考えた結果、自分なりの結論にたどり着いた。そこが大事なのだ。


・劇場版。可奈が失踪した後のミーティングで、右端の北沢志保以外、佐竹美奈子>横山奈緒>七尾百合子>望月杏奈>箱崎星梨花と、綺麗に右から背の順で並んで座っているのがなんか楽しい……と思ったのだが、後の立っているシーンだと、背の高さは志保>奈緒>美奈子に見える。
奈緒と美奈子の高さが違って見えるのは髪型の綾(額までの高さは奈緒の方が高いが、ポニーテールの盛り上がった部分を勘定に入れると美奈子の方が高くなる)だと思うのだが、座っている時に志保が二人より低く見えたのはなんだったのか。
①志保さんは姿勢が悪い。
②志保さんは足が長い。
③これが遠近法というやつだよ、ワトスン君。
……足が長いってことにしておきましょうか。

・ダンスの振り付けを今のままでいくか、簡単にするか、の決をとる場面。百合子が周りの様子をうかがってから手を挙げるのを、最初に見た時は ”本人は手を挙げるつもりだったが、杏奈・星梨花に気を遣ってためらった” と解釈したが、逆に "最初は挙げるつもりがなかったが、周りの様子を見て手を挙げた" という解釈も成り立つ気がしてきた。
美奈子の動作も複雑で面白い。美奈子自身はもちろん、難しいダンスをやりたい派なのだが、奈緒がそれを主張しようと立ち上がるところでは、引っ張って止めようとする。……なに、それはカロリーを逃さないためだって? それなら仕方ないな。

・挙手シーン以下の議論で、志保から、あるいは美奈子&奈緒からも、「自分を出し切りたい」というフレーズが何度か出てくる。ここでの志保の主張には、二つの要素が混ざっているように思う。

①納期が決まっていてリソースも限られているのだから、理想論を言っていないで、とにかくできる範囲で製品を完成させましょう
②俺は自分が満足のいくパフォーマンスをしたいだけなんだから、俺のパフォーマンスの邪魔になる可奈なんか放っておこうぜ

①の要素があるから、なんとなく志保の主張が "正論" としてまかり通りそうな余地が生まれているのだが、志保が本当に言いたいことはたぶん②の方で、春香vs志保の議論とはつまり、みんなと一緒じゃなきゃヤダヤダ、という春香のエゴと、俺に自分で満足できるパフォーマンスをさせてくれなくちゃヤダヤダ、という志保のエゴの衝突なのだ。良識がある美奈子と奈緒は、それが自分のエゴでしかないことをわかっているから、主張するのをためらうのである。そして、春香が人一倍、自分のエゴを他人に押し付けていいのかどうかで思い悩む人であることは、先に述べた通り。

・以前にも指摘した人がいたかもしれないが、コメントで、合宿の練習シーンで志保の動きが遅れている、と言われている。つまり、ゲームの北沢志保にはダンスが苦手、という設定があって、その設定は劇場版の描写にも反映されているのではないか、という説。
志保は、自分に足りないものを全部、自分の努力で埋めようとしてきた人間である。だから、彼女の目からは、できない人間は全部、覚悟や努力が足りない人間に見える。可奈に才能がないって? 私にだって、才能なんか無い。でも、私は踊れるようになり、可奈は踊れていない。それは、可奈の努力が私の努力よりも少なかった、ということでしょう?
自分ひとりで脇目も振らずに努力をしてきたから、「覚悟」や「努力」というものの、自分のやり方以外のありようを想像できない。和気藹々と楽しそうにしている人間や、出来ていないのに前向きなことを言う人間は、"手を抜いてサボっている人間" 、"自分の怠慢をごまかしている人間" に見える。

・橋の上でのシーン。可奈の告白中、「ひとりでできるようにならなきゃ、って思って」以下の台詞で、唇を噛んでうつむく志保が映る。「ひとりでできるように」必死に頑張ってきた志保だからこそ、頑張っても届かないかもしれない恐怖、頑張ってもどうにもならなかった絶望が、誰よりも痛切に理解できる。ここで初めて、北沢志保は、理解できないと思っていた矢吹可奈が、鏡の向こうに居る自分自身だと気づくのだ。
その後の、ダンサー組がステージに連れて行かれて、会場が客で埋まった様子を想像するところで、志保が体を震わせる。この瞬間の体験があるから、春香の演説の後の、「今立っているこの場所は、私が思っているよりもずっと、重たかったから」という台詞になるわけだ。何を言っているのかわからなかった春香の言葉は、この、自分ひとりの覚悟では背負いきれないくらい広い世界の存在を知っていて、それを見据えていたからこそのものだったんだな、と。

・劇場版を通して、赤羽根Pと律子が、アイドルやらないか、いえ、今はプロデューサー業に専念しますから、というやりとりをしつこくしつこく繰り返すのは、なんなのか。もちろん、公式アニメの立場上、律子は未来永劫プロデューサーです、とも、未来永劫アイドルです、とも明言はできない。だから、"今はプロデューサーをやります" としか言いようはないのだが、これは、**Pの「Two for the road」と同じなんだな、この世界の律子はアイドルの道を捨ててプロデューサーの道を選んだ、ということなんだな、と、今回思った。

アニマスの律子は、二度とアイドルにはならない。赤羽根Pはどこかに旅立って帰ってこない。千早と千早の親が元の鞘に戻ることはない。"みんなでいっしょ" に居る時間を確保するためにどれだけ工夫を重ねても、集まれる時間はどんどん少なくなっていく。ダンサー組の何人かは、1年後には芸能界から去っているかもしれない。だからこそ、「今を大切に」なのだ。
アイマスにおける「思い出」というと、ライブに行っている人の話を聞くと、ステージで爆発する破壊兵器だったりするらしいのだが、ゲームとニコマスを見ている人間にとっては、"最後にそれだけが残るもの" である。無印春香シナリオ、ランクAドーム成功EDのラストには、こうある。

「俺たちの活動は、いったん終わった。けれど、これまでの記録が、色あせることはない。
どんなに時が経とうと、記憶の中で、光を放ち続ける。それが――、真のトップアイドルだから。 」

春香シナリオにおいて、「俺が育てた少女」は、巣立っていって「俺」の手元には残らない。残るのは「記憶の中で、光を放ち続ける」ものだけである。
「今」は二度と再現できない。でも、「今」作り上げた「思い出」が残る。アニメのアイマスは、その最後に、ゲームのアイマスと同じところに来ていたのだな、というのが、見返しての感想である。




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