妖精の距離のはかり方


今月中の更新は無理かと思っていましたが、若干心に余裕ができたので、しばし雑談を。







グリマスプレイのその後ですが、"やらなければならないことに心を圧迫されておらず、かつ他に熱中できるものも無い余白の時間にポチポチクリックするもの" として存続しています。このブログで扱う事柄には基本的に、私の生活の中で、"リアルがいちばん切羽詰まっている時に一瞬間逃げこむ対象" という役割が期待されているのですが、とてもその用途には使えない。かと言って、他にもっとやりたいことがある時も手につかない。ある程度心に余裕があって、しかし、取り組むのにもっとアグレッシブな意志や動作が必要な作業をする気力もない、という時にグリマスのことを思い出す、という感じです。

さて、ミリマスの新しい方のゲーム、「ミリオンライブ! シアターデイズ」では、グリマスの「Vocal」「Dance」「Visual」に代わって、アイドルを「フェアリー」「プリンセス」「エンジェル」という分類で区分するそうで。
こう、アイマス公式の用語って昔から、どれくらいものを考えて言葉を使っているのかよくわからないですが、今回の分類に関しては、言葉の意味から先に考えるよりも、実際に集められたメンバーから考えた方が早い感じですね。春日未来と矢吹可奈と七尾百合子がひとまとめで、LIVE THEATER HARMONY の「リコッタ」のメンバーが周防桃子以外全員居るところから、逆に、なるほどこれがこのゲームにおける「プリンセス」像なのか、と納得がいく、みたいな。

「フェアリー」というものが、アイマスの中でどういう存在として想定されているのかは、前々から気になっていました。SPの「プロジェクト・フェアリー」にしろ今回のミリシタの「フェアリー」属性にしろ、ちっちゃくて、背中に虫みたいな羽根があって、ちらちら飛び回って、いたずら好きで、可憐で……という、"いわゆる妖精" のイメージに通じるものは、あまりない気がするからです。

で、ミリシタの新しい分類の話を聞いて、あらためてそれを思っていたところに、今度はグリマスの方で「雨上がりのフェアリーランド」 と称して、「フェアリー」をテーマにした絵柄の一連のカードが公開された、という。そこに登場するアイドルが福田のり子・箱崎星梨花・高槻やよい・徳川まつり・豊川風花で、せっかく設定されたばかりのミリシタの「フェアリー」属性の子が一人も入っていない! ということで、ネタにされていますが。
個人的には、このカードの絵と面子を見て、ようやく整理がついたというか、前々から思い浮かべていたことを裏付ける手がかりを得られた気がします。

「fairy」という言葉が表すイメージには、ざっくりと言って二つの系譜があるようです。ひとつが、先に言った "いわゆる妖精" 、言葉としては「pixy」とほぼ互換になるような、小さくてかろやかな存在のイメージ。『真夏の夜の夢』の妖精パックとか、『ピーターパン』のティンカーベルみたいな奴。狭義の、あるいは近代的な「fairy」のイメージ、と言ってもいいでしょう。
そしていまひとつが、必ずしも小さくも可憐でもない、超自然的で神秘性を帯びた異種族全般を表すイメージ。つまり、アーサー王伝説の湖の乙女とか、『指輪物語』のエルフみたいな奴を含むイメージです。広義の、あるいは原初的な「fairy」と言ってもいいでしょう。

SPの961プロの「プロジェクト・フェアリー」の売り出し方、黒井社長の志向を考えた時、それに似つかわしいイメージは、『ピーターパン』のティンカーベルではなくて、『指輪物語』のエルフの方なのではないか。ミリシタの「フェアリー」属性にしても、パック的、ティンカーベル的なfairyに限定して考えるより、広く、想像の世界の異種族、というイメージで捉えた方が間尺に合う気がします。
対して、グリマスの中で絵として登場した「フェアリー」は、以前の大神環のティンカーベル役にしろ、ジュリアのお菓子の国の妖精にしろ、そして今回の「雨上がりのフェアリーランド」にしろ、小さくて羽根がある "いわゆる妖精" のイメージが一貫して描かれています。

つまり、アイマスの中で、抽象的なテーマやアイドル像を形容する言葉としての「フェアリー」は広義のfairy のイメージで、グリマスのゲーム中で具体的な絵柄、役柄として登場する時の「フェアリー」は狭義のfairyのイメージ、という使い分けがなされている。そう考えれば、ミリシタの「フェアリー」属性とグリマスでの「フェアリー」役が重ならないのは矛盾ではなく、むしろ必然性があるのではないか。
まあ、実際作り手がそんなことを考えているのかどうかは知りませんが、整理としてはそう整理できる、ということで。

……というところで終わると話がシンプルすぎるので、もう少しぐちゃぐちゃさせておきましょう。
マニアの方はすでにお気づきでしょうが、いま、私が「fairy」という言葉のイメージを二つに分類するにあたって、前者を「近代的」、後者を「原初的」で「神秘性を帯びた」と説明したのは、J.R.R.トールキン御大の主張をそのまま丸呑みにしたものです。

「妖精が極小である、ということについてはどう考えるべきであろうか。この概念が妖精という語の近代における用法の主要部分をなしていることは、否定しない。(中略)確かに、昔は妖精の国には小さな(しかし、ごく小さいとはいえないのである)住人たちがいくらかいた。小ささは、もともとこの国の住人特有の特徴ではなかった。エルフとかフェアリーというごく小さな生きものの存在は、(私の推測では)英国においては、大体が文学的空想による手のこんだ作りものなのである。(中略)しかし、この花や蝶のような小ささは、また一方で、「合理化作用」の産物でもあったのではないかと思われる。その結果、万事を理性が納得できるように解釈するようになった。妖精の国の魔力は単なる術策になり、人間の目ではしかと見えぬという不可視性は、妖精の大きさを縮め、クリンザクラの花のなかに隠れたり、一枚の草の葉の裏に身をひそめることができる、という弱々しさにすり変えられてしまったのだ。(中略)私は子どもの頃、そのような妖精たちが大嫌いだったし、のちになって私の子どもたちもひどくいやがったものだ。」
(J.R.R.トールキン著/猪熊葉子訳『妖精物語について』p.18-20)

しかし、トールキンが、彼が「近代」的な産物であると見なす「ごく小さな生きもの」に対置して提示した、本来的な妖精(elf・fairy)像の中にも、二つの側面があるように思われます。本来、想像の世界の中に描かれる住人すべてが妖精だったはずである、という指摘と、人智を越えた神秘性を湛えた存在こそが妖精である(べきである)、という主張です。
トールキン自身の作品に即して言えば、エルフやドワーフやホビットやエントや、あるいは騎士や姫や魔法使いも含めた、「中つ国」の住人すべてを包含するものとしての妖精イメージと、その中で特にエルフやエントのようなありようだけを取り出して強調した妖精イメージが、彼の論の中には混在している、ということです。

しかし、妖精について、言語学や民俗学において、現在の水準ではfairyやelfがどう語られているのか私は勉強していませんが、少なくともファンタジー論としては、トールキンの言説のみでは不充分だと考えられます。
『指輪物語』の端々の描写を思い浮かべればわかる通り、トールキンには、彼の「妖精の国」(elf land)を、超越的で、荘厳で、永続的で、俗人から隔絶されたものとして描き出そうとする強い志向が存在します。
しかしながら、それは妖精についての唯一絶対の正しい描き方ではありません。C.S.ルイスのドリアードやナイアードたち(あるいはナルニア国の住人全般)は、人から見ると風変わりで謎に満ちているけれども、同時にとても親しみやすく、面白おかしく、心を通い合わせられる身近な隣人として描き出されています。ルイス的な妖精の描き方も、ファンタジーならではの大事な表現だと考えられるからです。
(このくだりを書くにあたって、トールキンとルイスのイマジネーションの差異については、脇明子『魔法ファンタジーの世界』にわかりやすい要約があった筈だなあ、と思いつつ、書棚に本が見つからないので引用せずに済ませたことをお断りしておきます。)

つまり、最初にざっくりと、小さくてかろやかな "いわゆる妖精" と、それ以外、と分けた後者の中にはさらに、少なくとも3つのイメージが含まれる、ということです。

①想像の世界の住人全般
②トールキン的な、超越性、神秘性を帯びた存在
③ルイス的な、身近で楽しげな不思議な存在

……以上を踏まえてアイマスに戻ろうとしても、もはや何の話をどうしたらいいかよくわからないわけですが。とりあえず、七尾百合子は日々、この人は「中つ国」と「ナルニア」どちらの住人だろうか、とか考えながら事務所の仲間を眺めているんでしょうか。楽しそうでいいな、と思いました。



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