投擲の終止


先日の私の生放送、今日までタイムシフトがあると思っていたのですが、"土曜の23:59に放送終了した" という扱いで、昨日で終わりだったようです。失礼いたしました。

そんなわけで、少しだけ千早の話を。ゲームの千早シナリオのネタバレを含みます。



kyeP(仮) 【ノベマス】ガラスのスペェド【短編】 12年10月20日 14時04分




「家では、本は読むものじゃなく、投げる物」と言えばもちろん、アケマス・無印・SPフリープロデュースの千早シナリオにおけるランクE「ランクアップ」中に出てくる台詞だが。kyeP(仮)のこの動画に出てくる、とある描写が、このコミュの内容を直接的に踏まえたものなんだな、ということは、私は件の生放送の準備をしていて初めて気づいた。



アケ〜SPフリーのシナリオは、いずれのアイドルにおいても、家族との関係が、ストーリーの重要な柱になっている。そしてそれは、逆説的に、物語の中で家族が直接登場しないからこそ可能になっている面があると思う。ゲームの「コミュ」の中で描かれるキャラクターのふるまいは、"「プロデューサー」の前での「アイドル」としての彼女" に厳密に限定されていて、家とか、学校とか、友人関係の中でのキャラクターの姿は、つねに伝聞でしか語られ得ない。Pはそれらを直接見ることも、それらに対して介入することもできない。
視点の制限がないアニメでは、そうはいかないわけで、子どもがシリアスな窮地に陥っている時に、親の姿を影も形も見せないのはお話として不自然だ。だからアニマスでは千早の母も春香の母も姿を見せるけれど、それはごく当たり障りのない形でであって、親子の関係がストーリーの中で深く掘り下げて描写されることはない。

家族の問題に限らず、それが核心的であるが故に、正面から描くのが困難な事柄、というのは、物語の中にはしばしばある。「ゲッサン」のミリオンライブ!漫画の最上静香を考える時、父親との関係は避けて通れない。けれども、ならば、静香と父が延々と言い争いをする場面を直接描いたら、それは漫画として面白いだろうか? あるいは、劇場版アニマスで、矢吹可奈が復帰を決意してから実際にステージに立てるようになるまでの努力の過程だったり、その後彼女がアイドルとして一人前にやっていけるかどうかだったりを描写し出したら、お話に収拾がつくだろうか?

kyeP(仮)の『ガラスのスペェド』を最後まで見るとわかるのは、これが、”なんとなく千早にあり得そうなエピソード" を描いたのではなく、"ゲームのシナリオにおいて、ランクDからランクCに上がる瞬間の千早" を具体的に意識して描かれた作品だ、ということ。そしてそれは、ゲームでは "すべてをアイドルからの伝聞で語る" というアプローチでクリアされた、描きにくい核心をどう描くか、という課題にあらためて正面から取り組んだ、ということである。
具体的に、文章作品としての、また動画としての、どのようなテクニックによってその課題がクリアされたのか、という点については、実際に動画を見てもらうとして。

千早の両親の離婚、と言えば、ランクC「ランクアップ」で起こるイベントである。『ガラスのスペェド』を見て思うのは、そのタイミングは偶然ではないんだな、ということ。すなわち、実質的にはとうの昔にこじれきって修復不可能になっていた筈の千早の父と母が、何故それでもその時まで家庭を維持していたのか、と考えると、それは、そこに千早という子どもの存在があったから、なのではないか。たとえそれが嘘でも外形だけであっても、自分たちは今でも一体の "親子" であり "家庭" なんだ、という物語が子どものために必要である、という前提が、彼らの中で共有されていたからなのではないか。

ゲームの中でランクCは、アイドルが、どこへ行ってもそれなりに名前が通るような、またどこへ行っても一人前以上の仕事が出来るような、存在になっていく時期である。それは、物理的にも精神的にも、彼女たちがそれまでの環境・人間関係から自立して生きていけるようになる(あるいは、生きていかざるを得なくなる)時期でもある。千早の側の物理的な、そして精神的な変化こそが、それまで如月家を維持させてきた嘘を、物語を突き崩す原動力となるのだ。

アケマス〜SPフリープロデュースの千早シナリオは、もちろん、千早のすべてを描ききっていて良いことづくめ、というものではない。春香シナリオの後に、結局無印春香はエンディングで振られた後、どこにも進めないままなのではないか? という疑問が残り続けているように、千早シナリオの後には、結局無印千早は誰かに全面的に依存しないと生きていけない、大いなる幼児なのではないか? という疑問がくすぶり続けている。
それでもなお、無印千早には、無印千早だからこそ描かれ得た、無印千早だけが持ち得た視野が、たぶんあって。

昔弟が死んだとか、メディアに家庭のことがバラされたとか、引きこもるとか、声が出なくなるとか、周りの人間に心を閉ざしているとかいうのは、ざっくりと括ってしまえば、要するに千早の問題を、過去の、ある特定の時点で生じた劇的なトラウマの問題として捉える物語である。
けれども、そうではなくて、現在進行形で崩れ去って取り返しがつかなくなっていく現実が、そしてその痛みを受け止めた上でどう生きていくか、という問いが、千早の前にはある。アケマス〜SPフリープロデュースの千早シナリオが、少なくとも一要素として描いているのは、そういう物語である。
そしてニコマスには、無印千早の物語の中にある、その骨太な核心を、捉えて表現しようとしてきたニコマスPたちがいる。千早というキャラクターの、大切であるが故に描くのが難しい核心をめぐる表現を、どうにか流れとして提示できないか。そんなことをちょっと前に考えていて、生放送のセットリストにおいて、かなり満足のいく答えが出せたと自分では思っている。







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