ひと夏の終わり


天海春香主演 映画 『QuQ<クック>』 アイドルマスター(終)


上記動画のネタバレを含みます。






カゴシマ QuQ 終 5:31_のコピー_convert_20170416154302





天才カゴシマPの『QuQ<クック>』が完結した。これぞカゴシマP、という魅力がたっぷり詰まった最終回である。簡潔で歯切れのいいセリフ回し。構図と動かし方の工夫によって形作られた、"ぬるぬる動く" とか "演出過剰" とか言われるような力技ではまったくないにも関わらず、絵として楽しく美しく、そして物語と有機的に結びついた映像表現。ここぞという場面で投入されるとっておきの洋楽、そこでの歌詞と物語のシンクロ、さらにお馴染みの定番BGMへの回帰。

そして忘れるべきでないのは、いかにその表現のためにMMDや実写の多彩な素材が駆使されても、なお作品の肝心要のところを支えているアイマス素材の力である。『QuQ<クック>』のどの回にも、アイドルが、アイマス素材が、その持って生まれた美しさによって見る者の心を奪う瞬間があった。むろん最終回も、例外ではない。この記事では例として、あえて雪歩のショットだけを貼って、春香のものは貼らない。
"それってアイマスでやる意味あるの?" というフレーズは、誰が作ったどんな内容と形式の2次創作に対しても普遍的にのしかかる問いではあるが、カゴシマPの動画において、その問いに答えるのは容易である。アイマス素材以外の何物に、この絵が生み出し得るというのか。

先の記事で書いた、カゴシマPの動画は簡潔である、という特徴は、『QuQ』とその最終回にも、見事に当てはまる。17ヶ月の連載期間と29話の話数を費やした末の、20分近い長さの動画が「簡潔」だって? しかし、この最終話に関わる登場人物の数の多さと、そのひとりひとりがこれまでの軌跡(『QuQ』の中で、という意味でも、カゴシマP作品全体んを通して、という意味でも)の中で積み重ねたエピソードの厚さ、深まり続けてきたキャラクターの奥行きを考えて欲しい。
まず、最後の最後になってついに登場した、雪歩がいる。ついで、それぞれ全然別の経過を辿って春香のもとに集結してきた、千早、伊織、響がいる。さらに、ずっと別口で行動してきて、この最終局面でようやく合流した小鳥、美希がいる。そしてもちろん、最初から行動をともにしてきたやよいがいて、話の発端である真がいる。
『無免許 轢き逃げ&逃避行』や『夏のナンセンス』のようにまっさらな地点からスタートしたお話の場合には、最後は中心となる二人だけの場面に収束すれば良かった。だが、これだけ各人について物語を積み重ねてきた以上は、どの登場人物にも、最後にそれなりの見せ場があって、それなりの落ち着きどころが与えられなければ尻切れ蜻蛉というものだ。

まさにこの、物語が長く深くなればなるほどに、大団円に至るためにオチをつけなければならない人物・事象の数が雪だるま式にふくらんでいく、ということが、実に多くのテキスト系動画の連載を、収拾不可能な事態に追い込んできたわけだ。ところが『QuQ』の最終回は、今あげた、それぞれに簡単には片付かない奥行きをもった登場人物全員について、"それなりの見せ場" を用意して "それなりの落ち着きどころ” を提示しての18分なのだ。先にあげた、テキスト、映像、音楽各面での特長が三位一体となって組み合わさることで、それが可能になっている。『QuQ』は簡潔である、と言う所以である。

古今の映画へのオマージュとともに、過去の自作を踏まえた様々な小ネタ、そして過去作での役柄を踏襲しつつ作品ごとに少しずつ見せる顔を変えてくる、"役者" たるアイドルたちの変容ぶりも、カゴシマP作品を見る楽しみである。
たとえば、『轢き逃げ&逃避行』を思い起こさせる、日傘を差した雪歩との出会いの場面。たとえば、写真の中で相変わらず「まことちゃん」ネタをやらされている真。たとえば、やよいが「新人」で、真のみ「菊地マコト」とイレギュラーな表記がされている、という、クレジットでの各人の扱い。
千早が面白い。もともとカゴシマP作品の中で、千早はボーイッシュでしゃっきりした喋りの女の子として登場することが多いが、なかでも『QuQ』の千早は、ぐいぐいと自分から局面を動かしていこうとする行動力と、状況や人の心理を鋭く見抜いてずけずけと言葉にしていく明晰さで異彩を放つ。10話での、千早がまるで春香の心を読んでいるかのように先回りして言葉を紡いでいて、それによってすらすらと会話が繋がって話が進んでいった会話風景は、強く印象に残っている。これまでのカゴシマP作品の、多くを省略した断片的で断定的な台詞の連続の中からキャラクターの心の動きが浮かび上がってくる感じとはまた違った鮮やかさがあったと思う。

この千早が、28話から最終話に掛けて、春香を助ける、という明快な目的意識をもって周りをまとめ上げ、動かしていく。
これまで、カゴシマP作品において千早は、しばしばヒロインであり、春香にとっての想い人であった。春香の側が動き回ることで物語の中に現れてまた去っていく、春香の側が動き回ることで離れてまた再会する、千早は不動の基準点であった。
『QuQ』の最終局面では、千早が動き回り、状況を動かし、他人を動かして春香に迫っていこうとする。そこに新鮮さがある。そして、千早が喋り、千早が動くとともに、何かとても力強くてダイナミックなものが物語の中に湧き出て疾走し始めるような、わくわくした感じがある。そのわくわく感は、『無免許 轢き逃げ&逃避行』で、小鳥の掛け声のもと、みんなが車に乗り込んで春香のもとに走っていこうとする、あの場面のわくわく感によく似ている。
けれども、『轢き逃げ&逃避行』の場合と同じように、そこで描き出されたダイナミックな力が、春香を救出し、物語を解決していく、という、わかりやすく心地のいいオチに、『QuQ』は向かわない。そこにちょっとしたさびしさがあり、そしてたぶん、この物語のとても大事な部分がある。春香は結局、春香だけで、春香自身の孤独と向き合うのである。

天才カゴシマPが描き出すアイドルは、普通には、原作とはかけ離れた作者だけの世界の中のキャラクター、と理解されるのかもしれない。しかし、私には、アイドルマスターのゲームの中身を深く読み込んでいなければこう描けるはずがない、と感じるところが多々ある。
たとえば、『無免許 轢き逃げ&逃避行』における美希である。この美希については、みな川氏の素晴らしい記事の中に、重要な指摘がある。

なんか言いたくなったこと 春香の 無免許&轢き逃げ 逃避行 第1~11話 備忘録

(4話の美希のシーンは、私にとってカゴシマP作品が特別な存在となった、ファーストインプレッションの場面でもある。読んで、私も何か言わなければと思いつつ、結局何もできないまま今に至る。)

みな川氏の記事では、『無免許&轢き逃げ 逃避行』において、春香の視点からは美希が特別な輝きをもった存在として見えていること、そして、そこで描写されている美希の "特別な輝き" が、視聴者にも直接伝わるものであったことが語られている。私も、まったくその通りだと思う。

そして、そのこととともに重要なのは、そんな美希が、しかし美希自身の視点からすると、大変な苦労をして生きている、居場所のない人間である、ということだ。『轢き逃げ 逃避行』では、美希という人間のマイペースさ、というものが、美希という人間の生き辛さに結びつくものとして描かれている。それは実は、無印『アイドルマスター』のシナリオにおける美希の描かれ方そのものでもある。
けれども、その生き辛い人間が、春香からは表面上、かろやかに楽しく人生を送っている存在と見えてしまう。(なぜ「表面上」かと言えば、本当は春香と美希は似た者同士であり、そして春香自身、心の奥底では、自分たちが似た者同士であることをわかっているからだ。)この、『轢き逃げ 逃避行』の中の "春香から見える美希" とそっくりの美希像を、私たちはよく見知っているはずである。それは、『ミリオンライブ!』の漫画の中で伊吹翼がイメージする美希像であり、そしてアニマスやミリマス漫画で多くの読者・視聴者を魅了してきた美希像そのものだ。

『QuQ』では、最終回になって「太陽」というキーワードが浮上する。アイマスで「太陽」がキーワード、と言えば、『アイドルマスターSP』「パーフェクトサン」のシナリオであり、「太陽」のようになりたいのにどうしてもなれない女の子、と言えば「パーフェクトサ」ンの天海春香そのものである。(そう言えば、春香、真、そしてやよい、という、『QuQ』のお話の中心にいる三人は、「パーフェクトサン」のメンバーと重なっている。)

一方、違う点もある。「パーフェクトサン」の物語において、春香がなりたいと願う「太陽」とは、具体的には、とどのつまり「我那覇響」のことであった。『QuQ』の春香にも、誰か他人のようになれたらいいのに、という憧れはある。最終回で春香はやよいに向かって、なぜこの旅をしてきたのか、今まで語っていなかった理由を口にする。そこには他人に対しての嫉妬が、悔しさがあり、そして嫉妬・悔しさの裏にあるものは、自分には見えなかった可能性を示してくれるかもしれない他人への期待と憧れである。
けれども、『QuQ』では、カゴシマPの他の作品の多くのように、誰か特定の登場人物との再会がゴールになることはなかった。旅を終えての春香がやよいに伝えた結論は、他人は、羨望し、自らの "なりたい" を仮託するに足る対象ではなかった、ということだ。『QuQ』の春香がなりたい「太陽」は、「星井美希」でも「我那覇響」でも「四条貴音」でも「如月千早」でも「萩原雪歩」でもなかった。
ならばそれは何なのかと言えば、「太陽」そのもの、誰にとってもまぶしく輝いていて、誰にもなり方がわからない「太陽」そのもの、としか言いようがないだろう。そして『QuQ』は、そして天才カゴシマPの春香動画すべては、その作品の全体を通して、春香の問い、春香が目指しているものへの答えを示している。どうしても「太陽」になりたいのに、どうやっても「太陽」になれない女の子が描いている軌跡そのものが、私たちにとっての「太陽」なのだ、と。

さて。作者は、23話の動画説明文において、「映画として投稿する作品はこれが最後」と言明している。もちろん、あくまでも、今後長編を連載する予定はない、というだけで、即ニコマス引退だとか、アイマスとは縁を切る、とかいう話ではない。ただ、内容から見ても、『QuQ』という作品が、たしかに一つの区切りなんだな、と感じるところはある。
『QuQ』は、菊地真が死ぬところから始まる。カゴシマP作品において、設定として誰かが死んでいる、という前提で話が始まるものはいくつかあるが、物語の中で、アイドルが死ぬところが描写されるのは、『QuQ』が初めてのはずだ。

死んだ真を、春香とやよいが埋葬しに行く。

つまるところ、それだけの物語である。たったそれだけの事柄のために、たくさんの人間が否応なしに巻き込まれて、どうしようもなくバカバカしい大騒ぎを繰り広げる。そのバカ騒ぎが、突拍子もない絵空事であればあるほどに、それは、現実の厳しさ、冷ややかさ、さびしさの反映である。
実際のところ、『QuQ』の中で春香たちがそうしたように、ひとりの人間が死んだ時に、故人の望み通りに、あるいは生き残った人間の心ゆくように、弔って見送るために、どれだけ処理しなければならない障害、厄介ごとがあることか。その当事者が、『QuQ』の主人公たちのように、貧乏で、安定した身分を持たず、世間から警戒され白眼視されるような人間たちであるならば、なおさらである。(そういえば、カゴシマPの最初の物語作品は、『プロデューサーの葬儀にアイドル達が参列!』…… "ひとりの人間が死んだ後に起こる騒動のエピソードを通して、人の弔い方を説明する" 動画だった。)

そのバカ騒ぎの突拍子もなさ、盛大さはまた、ひとりの人間の喪失、という事実の重大さそのものの反映でもある。物語の中で、真の死体は、人を人とも思わないような、実にぞんざいで手荒でギャグみたいな取り扱いにされされ続ける。
"人を人とも思わないような" 扱い。そう、まさしく、それがかつて人間だったものの名残りである、というのは生きている人間の側の勝手な思い入れであって、そこにあるのはただのモノなのだ。真の死体のためにどんなにみんなが頑張っても、真の死体に対してどんなにぞんざいで滑稽な仕打ちをしても、それを受けとめて応えてくれる真は、もはやどこにもいないのだ。
『QuQ』のバカ騒ぎの中心には、ぽっかりと空いた、人間ひとり分の形をした空白がある。そして、その空白を前にして、どうしたらいいのかわからなくて途方に暮れている、人の心があるのだ。バカ騒ぎがにぎやかで、狂騒的であればあるほどに、空白は深さを、底知れなさを増す。

ニコマスには、アイドルの死体を重要な役者として登場させた動画としてすでに、プロディPの『かまいたちの夜? 別離編』がある。

プロディP 【アイマス】かまいたちの夜?24-1短編 別離編【Novelsm@ster】 09年10月18日 18時10分



「別離編」では、律子が死ぬ。生き残った春香や千早や雪歩たちが、その場を平穏に収めるために、律子の死を隠そうとして必死のドタバタ騒ぎを展開する。その過程でやはり、律子の死体が、実にぞんざいで滑稽な仕打ちを受ける羽目になる。
その、死体が受ける仕打ちのひどさ、滑稽さこそが、律子という大切な存在の空白の表れなのであり、そのドタバタ騒ぎのバカバカしさと常識外れぶりこそが、彼女たちの動揺の大きさを、ひいてはひとりの人間の喪失の重さを表しているのだ。
(この傑作が、単に死体が出るというだけのことで、過激だとか律子の扱いが悪いとか話題になった一方で、同じ作者の、単にくだらなくて醜悪な、弱い者いじめをしているだけのいくつかの動画が議論にもならないのは何故なのか、私にはさっぱり理解できない。)

29話の一大連載である『QuQ』に対して、たった一本の短編であるプロディPの「別離編」は、それゆえに、同じテーマを表してより簡にして要を得ている面があると思う。他方で『QuQ』には、時間を掛けて物語を積み重ねたからこその感動がある。そしてそれだけでなく、『QuQ』には、「別離編」や、人の死を扱った他のノベマス作品が描いていない境地を、示している部分があると思う。それは、物語の途中で、真を弔う立場の春香自身もまた、明日も知れない体となっていく、ということである。
去っていくあなたがいて、見送るわたしがいて、私はあなたの後始末をして、あなたを忘れず、あなたから受け取ったものを引き継いで生きていく。……のではなく、あなたは消え去り、打ち捨てられ、忘れ去られていき、見送る私もまた、同じようにこれから消え去り、打ち捨てられ、忘れ去られていくのだ。それを知覚した上で、その事実と向き合いながら、どう生きていくのか。『QuQ』が描いているのは、そういう問題である。

天才カゴシマPが描き出す、物語の結末は、どれも美しい。けれども、その中で一度、その終わり方があまりにも美しく、完璧に見えて、ここが本当に終着点なのではないか、カゴシマPはこの動画を最後にニコマスから居なくなるのではないだろうか、と、本気で思ったことがある。それは、『夏のナンセンス』が完結した時だ。
二度と帰って来ないんじゃないかと思ったカゴシマPは、しかし『マザーロード』であっさり戻ってきて、その後も連綿と物語を紡ぎ続けてきた。そのひとつひとつを見れば、そこには、この作品がこの形で生み出されなければならなかった必然性が明瞭に見出されて、疑問はない。

たとえば、『マザーロード』の何人もの登場人物の中のほんのひとりとして、「ジュピター」の天ヶ瀬冬馬が居た。実は「ジュピター」は、『無免許 轢き逃げ&逃避行』の時点で、一瞬だけ登場している。凶悪な犯罪者として、ほんの一言だけ言及されるのである。『マザーロード』が作られなければ、それだけで終わりだった。
けれども、作者は、想像せずにはいられなかったのだろう。物語の都合のためにほんの一瞬だけ引っ張り出されて、そのまま放り出されてしまった男が、そうして生み落とされてしまった世界で、どんな人生を歩まねばならなかったのか。そうして想像した時、自らが生み出してしまったキャラクターの行く末を、ふさわしい居場所が見つかるまで描かずには居られなかったのだ。そういう、このキャラクターが、この場面が、この作品が、ここにこの形で存在しなければならなかったのだ、という内的な必然性が、カゴシマPの作品の軌跡を形作っている。

それでも、私は考えてしまうのである。11年7月の時点でカゴシマP作品がたどり着いていた境地を思い返す時、『夏のナンセンス』の終わりを思い浮かべる時、なぜ、あの終わりを描いてなお、さらなる続きを、始まりを、やり直しを、書き出すことができたのだろう、と。その疑問は、私の中で、『マザーロード』以降のカゴシマP作品を見る上でのテーマのようになっていて、新作を目にするたび、目の前の新しい世界を存分に楽しむ一方で、心の中のどこかある部分はいつも、『夏のナンセンス』の最後の風景を思い浮かべていた。
そうして思い浮かべていて、あるとき、ようやく気づいたのだ。ああ、あそこにいる春香さんは、なんて孤独なんだろう、と。

今でこそ、天才カゴシマPの物語と言えば「夏」がキーワード、というのが、ファンの間でも常識となっている。しかし、最初からそうだったわけではない。『無免許 轢き逃げ&逃避行』は、冬から春にかけてのお話である。「夏」が初めて全面的に掲げられた作品が、まさに『夏のナンセンス』だった。
『夏のナンセンス』では、ばらばらの場所に生まれ育ってきた何人かの人間が、ひと夏の間に、ひとつの浜辺に集結して、夏の終わりとともに、またばらばらに別れていく。その別れは、必然的な経過である。真や雪歩は、どうやってもうまく社会のレールに乗って暮らすことができないアウトローであり、彼女たちはアウトローとしての自分のあり方を貫徹していくしかない。千早や亜美真美は、帰るべき日常の世界を持った人間であり、春香や雪歩や真がいる非日常の世界に対して、どんなに憧れたり共鳴するところがあったとしても、自分の日常に帰るしかない。

物語の中で、行くべき場所も、帰るべき場所も持っていないのは、春香だけである。春香がどちらの側の人間か、と二分するならば、アウトローの側、真や雪歩の側、ということになるだろう。けれども、真のような、こうして生きていくしかない彼女固有の定まった生き方、というものは、春香については示されていないように思う。物語は、春香が学校を追い出されて居場所を失うところから始まり、物語が終わった後、春香がどこに行って何をするつもりなのかは語られていない。
もしこれが、千早の視点から描かれていたならば、とてもシンプルでわかりやすい物語になっていたことだろう。どこからともなく現れて、どこへともなく去っていくヒーロー天海春香の物語。けれどもそれを、どこから来てどこへ行くのかわからない当人の視点からこそ描くのが、カゴシマP作品の特質であり、面白さである。

『夏のナンセンス』の春香は、あちらの世界にも、こちら世界にも、どこにも居場所がない存在である。いや、逆だ。あちらでもない、こちらでもない、どこでもない場所こそが、春香の居場所なのだ。
夏が終わるより前に、千早が春香に問いかける。すぐに秋が来て冬が来る。夏のあいだに起きたことなんて、誰も覚えていないだろう。なのに、この夏を過ごすことにどんな意味があるのか、と。春香は答える。誰も覚えていなくても、私が覚えている。私が思い出す、という理由だけのために、この夏の出会いは必要であり、私が覚えている、という理由だけによって、私が過ごした夏、あなたがすごした夏、この夏のすべてに意味があるのだ、と。
あちらにいる人たちも、こちらにいる人たちも、誰にも覚えていられないものを覚えている。そんな人間がいるべき場所は、あちらでもない、こちらでもない、どこでもない場所に違いない。

カゴシマPの動画の中から、「アイマス2」や「9.18」をめぐる事柄だけを読み取るのは、つまらない矮小化した捉え方であろう。ただ、たとえばそういう事柄も、動画に対して仮託できる、というだけのことである。
"あちらの世界" は、"今のアイマス"と付き合うこと、自分の外にある社会と対話することに絶望して、自分の中にあるアイマスだけを見つめている人たちの世界である。そこは、ななななな〜Pが、てってってーPが、哀れな小羊Pが、時雨Pが、TAKAPが、メイPが、ぽきーるPが、シェリングフォードPが、いとしいさかなPが居る場所だ。私が焦がれてやまない退屈な世界だ。いつか自分の中のアイマスを飽いて忘れたとき、そこが彼らのゴールだ。
"こちらの世界" は、時々刻々、前に向かってつんのめっていく "今のアイマス" に、社会に振り落とされないために、思考と感情のどこかを停止させて、必死に走り続けようとする人たちの世界である。時々刻々誰かに追いつかれたと思うと誰かが弾き出されて、そうであり続ける間は滅びない場所だ。私が疎んじてやまない、愛しい世界だ。いつか走り疲れて振り落とされた時、そこが彼らのゴールだ。

カゴシマPを、どちらの側の人間か、と二分するならば、彼はアイマス2の「アンチ」であり、アニマスの「アンチ」であり、9.18以降の世界を否定する側の人間、ということになるのだろう。けれども、カゴシマP作品の中で "今のアイマス" を皮肉に見るネタが差し込まれる時、同時に必ず、そのような感じ方でしか "今" と接することができない自分自身が、皮肉な存在として、滑稽なものとしてネタにされる。一方でまた、カゴシマPの中でのアイマス2素材やアニマス素材は、望んでも届かない理想を暗示するアイテムとしても登場する。カゴシマPとアイマスの距離感は、幾重にも屈折した複雑なものであり、彼はその複雑さを、形にして発信し続けてきた。
天才カゴシマPは今でもニコマスに居て、動画を通して、自らのアイマスを語り、アイマスを考え、アイマスを楽しみ、アイドルをプロデュースし、そしてアイマスを、アイドルを好きである喜びを、人と分かち合っている。彼の最初の長編のエンディングに流れる曲の名前を、「The world is all one !!」という。

いつだったか、畏友K_1155氏が、書いたことがある。「どちらも選ばずにい続けるってのは」、きっと、「しんどい」ことだよね、と。

デフォルトさんのこと。 - 箱の外から

『夏のナンセンス』の春香が最後に立ったのは、あちらでもこちらでもない、どこでもない場所で。きっと、彼女は今でもそこに居る。あの場所に立つことで春香は、ばらばらに別れていった千早とも、伊織とも、雪歩とも、やよいとも、あずさとも、律子とも、真とも、亜美とも、真美とも、美希とも、貴音とも、響とも、手を取り合い続けている。
天才カゴシマPが描く物語は、いつも、居場所がない人間たち、どこから来てどこへ行くのかわからない人間たちの物語だ。そしてその物語の中で、春香と仲間たちは、いつも生き生きと輝いていた。そうして、たしかに生き生きとここに存在している春香たちを連綿と描き継いでいくことで、カゴシマPは、どこでもない場所に立つ孤独を、春香と分かち合ってきたのだ。

『QuQ』の春香は、どこでもない場所にいつまでも在り続ける、2.5次元のアイドルではない。有限の肉体をもって生まれ、傷つき朽ちていく肉体に苦しみ、やがては不可避の死へ向かっていく、人間である。人間天海春香を描き、人間の死と向き合うことで、天才カゴシマPは、自らの長く豊かな歩みを総括し、そして、7年のあいだ春香さんとふたりだけで分かちあってきた、孤独でしんどい使命を、優しく肩から下ろしたのだ。


天才カゴシマP、数々の素敵な出会いをありがとうございました。あなたの動画を見る喜びは、私にとってずっと、ニコマスとアイマスを好きである喜びそのものでしたし、これからもそうあることでしょう。あなたとあなたの春香さんの未来に幸あれ。







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