名誉回復など


名無しさん@真面目系クズ氏 【東方卓遊戯】こころちゃんはガーデンオーダーがしたい!シリーズ (15年12月27日〜)


二つ前の記事の補足的な話です。上記シリーズのネタバレを含みます。







文章を書いた後で作品を見返してみると、記憶で思い描いていたイメージと内容が違う、というのはよくあることです。最初のイメージは最初のイメージでその時点の自分を表す大事なものなので、毎度逐一訂正しようとは思わないのですが、この動画の話に関しては一点、放置すべきではない違いがあったので。
前の記事では、乙女さんのことを、なんか最初はすごいダメな人だった的なノリで書いてしまったのですが、それは間違いでした。乙女は、人間の弱さというものへの痛切な共感を持っている人で、弱い人間が虐げられることに耐えられない。だから、他人が傷つけられるところを見るくらいなら代わりに自分が傷つこうとする。その行動原理は物語のいちばん最初から一貫していて、実際にも、セッション1でもっともお話を推進し、人を救う働きをしているのは乙女でした。むしろ、セッション1の乙女は、乙女自身のムーブだけを取り出せばヒーロー的で主人公的な働きをしているのであって、その場のノリで面白おかしく行動していたわけでは全然ないのです。

ただし、そんな彼女のムーブがヒロイックな軌跡ではなく、かる〜いギャグ的な軌跡として私に(そしておそらくは多くの視聴者に)印象付けられていたのは、故のないことではありません。基本的には、プレイヤーである小傘が、乙女の言動を、これはギャグなんだよ、ただのネタなんだよ、という態度で演じているから、というのが原因ですね。
ただ、それはたまたま小傘の個性でそうなった、というものではなくて、この作品の特質を反映した事柄であるように思います。この作品では、PLの側の思考と対話の中でPCの側の世界が形作られていく、という枠組みが常にクリアに描かれています。演じられるの側の物語がどれだけ盛り上がっても、どこか没入しきらずにそこから一歩引いた演じる側、眺める側の視点が維持されているところがあって、それが、内実としては相当にハードだったり陰惨だったりもする事柄を描いているのに、表面上 "軽くて楽しくて、時々ちょっと熱いお遊び" として視聴者に届く、ということに繋がっている。
キャラクターについて言えば、鶴も、PC鶴の言動だけを取り出すとある種ベッタベタであざとい無口系ヒロインみたいなところがありますが、そこに飄々としてノリがいいPLこころの言動が被ることで、より複雑で面白いキャラクターになっているし、白夜の場合は、初期のわりとストレートにとげとげしい言動が、PL弁々の柔らかさで中和されていたと思います。PLの姿とPCの姿の重ね合わせによって、キャラクターに奥行きが生まれているのです。

ヒーローの筈の乙女がギャグキャラに見えてしまう、という話に戻ると、見返してあらためて重要だと思うのは、セッション1の時点での鶴と白夜の、動機の無さです。二人とも、権力によって否応なしに拘束されて強制されているから嫌々任務に就いているだけで、この仕事を真面目にやらないといけない、とか、他人のために何かしてあげたい、とか思う内在的な理由が、何かを成し遂げたいという動機が、一切ありませんでした。
乙女だけがそういう動機を持っていて、だからセッション1では物語の進行上乙女の動きが重要なのですが、それは、鶴や白夜の側から見れば、むしろ乙女こそが、突拍子もないことを仕出かす攪乱要因、何を考えているかわからない異物だ、ということでもあります。なんでこいつは、呼ばれてもいない他人事にわざわざ首を突っ込んでボコボコにされているんだ? 乙女の姿がギャグとして、ネタとして映し出されていたのは、鶴と白夜に見えている世界の冷ややかさの反映、とも言えるのかもしれません。

セッション2についてもスコンと忘れていたのですが、セッション1に "乙女が孤軍奮闘する物語" という側面があるとすれば、セッション2には "白夜が変わっていく物語" という側面があります。アイマス風に言えば、セッション2は白夜が "ほっとけない" で行動する人間から "ほっとかない" で行動する人間に変わるお話なのです。
実はその過程ですでに、鶴は白夜の手を引く重要な役割を果たしていますが、そこでの鶴のありよう自体は、だいたい前の記事で書いた通りと言っていいと思います。鶴には、他者に支えられて自分が生きているという知覚があり、そこから、自分にとって大事なものを自分で守りたい、支えたい、という動機が芽生えてくる。
白夜の心理の変化も鶴と似ていますが、白夜の投げやりな言動の裏にあったのは、他者は、世界は、自分を助けてくれない、自分の大切なものを守ってくれない、という認識です。にも関わらず、お願いされたら断れない、泣いている子どもを見たらほっとけない、そういう "ほっとけない衝動" によって、結局は流されて行動してしまう。それがセッション1の時点での白夜でした。
乙女のふるまいは、今の自分もまた他者に支えられて生きている、という認識を白夜にもたらし、そして鶴のふるまいが、自分にもまたヒーローがいる、希望がある、と白夜に信じさせます。そうして二人との出会いから、自分自身が、自分自身の大切なものを守るために戦わなくてはいけないのだ、という想いを得て、彼女は自覚的な意志で行動するようになるのです。

このシリーズにおける「アイドル」という存在についても、いま少し書いておきたいと思います。
この物語の中の世界では、超能力者は「アイドル」として表舞台で活動することは出来ません。超能力者であることが知られた人間はアイドルにはなれない。そういう状況下で、それでも「アイドル」という存在に希望を見出し、「アイドル」になろうとしたのが、PCの敵として現れてくる女の子たちです。アイマス動画ならずとも、世のため人のため戦うヒーローが同時にステージで人を楽しませるアイドルである、という設定の物語は少なくないと思いますが、この作品では、ヒーロとアイドルは相対立し、ヒーローはアイドルになろうとする女の子の夢を挫き、アイドルのステージを潰すために戦うのです。

物語の中で、「アイドル」は、決して単なる敵、悪、憎悪の対象として描かれているのではありません。セッション1において、演出上の最大のクライマックスと言うべき場面は、「アイドル」がステージでライブをするシーンです。敵の女の子たちは、みんな「アイドル」活動に真摯に情熱を傾け、ファンのことを大切に想っていて、そして現に彼女たちのステージはそれを見る者に喜びや希望をもたらしています。セッション1では、その時点でのPCたちよりも敵の「プロデューサー」一味の方がよほど、あたたかい信頼関係を育んでいるように見えますし、セッション2の「プロデューサー」は、PCたちが戦う意志を獲得していくのを邪魔しないどころか、むしろ肯定的に見守っているようにすら見えます。
だからこそ、主人公高坂鶴が、「アイドル」に興味を持ち、自ら「アイドル」を語る、という、セッション3で起きた出来事が、大事なのです。鶴は、アイドルというものは、今あなた方が考えているよりも、もっと高くて絵空事のような境地を目指さなければダメなんだ、と、そしてわたし自身が見ているものもまた同じ夢なんだ、と言っているのです。それが、今はまだ人を騙り惑わせるだけの夢想だとしても、鶴はいま、道に迷った時いつでも自分が立ち返るべき原点を、自分の中に見出したのです。




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