少しずつ、一歩ずつ


名無しさん@真面目系クズ氏 【東方卓遊戯】こころちゃんはガーデンオーダーがしたい!参【九幕目】 17年03月10日


上記動画のネタバレを含みます。








「ガーデンオーダー」は「ダブルクロス」や「アリアンロッド」と同じF.E.A.R社が作った、現代もののTRPGのシステム。舞台は、「オーダー」と呼ばれる超能力者たちが一般人に混じって暮らしていて、一般人と超能力者の間には差別や偏見、軋轢がある、という社会。そこで「オーダー」たちは「GARDEN」という、超能力者のための保護機関であり、統括機関であり、互助組織である団体を結成している。「GARDEN」はまた、「ネフィリム」という、超能力者とはまた別物の怪物を討伐する活動をしていて、このことが、一般人にとっての「GARDEN」の存在意義となってもいる……だいたいそんなようなお話だと理解しています。

で、このシリーズの場合、話が進むにつれて、"人間が化け物を討伐する" というよりも、超能力者の中で考え方が違う者同士の争い、という事柄に焦点が当たってきて、どちらかというとダブルクロスの「ユニバーサルガーディアン」対「ファルスハーツ」に似た話の構図になっていると思います。
そこで当ブログ的に興味深いのが、敵が「アイドル」である、というところですね。主人公たちは「GARDEN」の一員ですが、彼女たちが追っている正体不明の敵対組織は、どうやらアイドルのパフォーマンスを通して民衆を洗脳・扇動する、ということを活動の柱にしていて、主人公たちの前には毎回、組織にそそのかされてアイドルになった女の子が、敵として立ちはだかってくる。

その、なぜ相手がアイドルなのか、なぜアイドルであることが主人公側と敵対することにつながるのか、ということが、つぶさに語られたのが今回、第3章の物語でした。
敵になった女の子、来春告(アバターはリリーホワイト)は言います。「GARDEN」に加入すれば、否応なしに「GARDEN」の一員としての「仕事」に従事させられることになって、それは「アイドル」になりたい、という自分の「夢」と両立しない。だから、私は「 GARDEN」には従わずに、自分を「アイドル」で居させてくれる「プロデューサー」の命令に従うし、「アイドル」で居続けるためだからどんな命令でも果たすのだ、と。
他方、主人公、高坂鶴(プレイヤーは秦こころ)は言います。私にとって大切なものは自分の親友、自分の仲間。だから、あなたが「アイドル」であるために私の大切なものを傷つけるのであれば、私があなたを倒す、と。

その戦いを、「信念の戦い」と評したコメントがありました。なるほど、二人にはそれぞれ、どうしても譲れない意志が、相手を傷つけてでも果たさなければならないエゴがあって、そのエゴを貫くために衝突している。だからこれは、互いに相容れない信念と信念がぶつかり合う戦いなのだ! と。たしかにその通りだと私も思うのですが、でも、この物語が語っているのは、そんな "相容れない信念のぶつかり合いの熱さ" だけではないんじゃないだろうか。この記事で私が書きたいのは、そういう話です。

話が先走りました。上でいくらか推測したような、物語全体を通してのテーマとか対立軸みたいなものが、最初から見えていたわけではありません。風変わりで可愛い女の子が偶然の成り行きで集結して、面白おかしくドタバタして、最後はちょっぴり熱かったりジンと来たりする、気軽に楽しめるささやかな冒険譚……本作の始まりは、そんな感じだったと思います。

PC1の高坂鶴。プレイヤーである こころ は、我こそが主人公だ! と自認していますが、極度の引きこもりでコミュ障で、「浮世絵」を描くという趣味があって、趣味のことであればいくらでも喋りたがるけれどもそれ以外は無口で、自分の興味が向かないことはまったくやろうとしない。人の言うことをすぐにそのまま信じ込むし、ちょっと親切にしてくれた人にはすぐに懐くし、悲しいこと辛いことがあるとたちまち泣き出して収拾がつかなくなる……という、一言で言えばとても精神が幼い子で、ヒーローらしさみたいなものは微塵もなく、実際にも全然主人公っぽい活躍はしないキャラクター。
PC2……より先に、PC3の宮崎乙女(プレイヤーは多々良小傘)。最年長で、明るくて健気でパーティの良心……な設定のはずが、演じ手の小傘が面白がって暴走した結果、弱々しくて頼りにならなくて、突拍子もない奇行を繰り返して場を混乱させてばかりで、おまけに変態で、でもバトルの時だけはちょっとかっこいいところを見せる、という困ったお姉さんに。
そしてPC2の室町白夜(プレイヤーは九十九弁々)。最年少で、重い過去があって屈折しているひねくれ者で、口が悪くて厭世的で、いざこざを起こしてばかりの問題児……になるつもりが、中の人がいちばん常識的で良心的だった結果、手のかかる他のふたりを始終苦労しながらまとめて、尻拭いばかりしている、リーダーにして保護者にしてツッコミ役、という立場に。
そんな、わかりやすく盛大に間違っているキャラクターたちに、判定でファンブルが出まくるというサイコロの目のいたずらも加勢してのドタバタ劇。

もちろん、初期のそうしたノリは、そのまま終わっても十二分に楽しいものだったのだけれども、面白いのは、お話が続いていくうちに、キャラクターたちからそういう、わかりやすいツッコミどころがどんどん薄れていって、彼女たちがとても普通で、素直で、平穏な性格になってきたように思えることです。
白夜は、表面上のツッパった言動、斜に構えたひねくれ者のポーズを取らなくなって、元から本質的にはそうだった、面倒見が良くて、良識的で、しっかり者なふるまいが、ごく自然に出てくるようになりました。それは、鶴 との出会いがあったからです。鶴ちゃん、本当に素直で幼い子なので、照れ隠しのツンデレ的言動、みたいなのが一切通じないんですよね。あんたのことなんか好きじゃない、とか、別に一緒に居たくなんかない、とか白夜がひねくれてみせるたびに、全部本気にして泣き出しちゃう。逆に優しい言葉を囁きかけた時も、本気にして真剣に喜ぶんです。だから、鶴 とちゃんとつきあおうと思ったら、白夜自身が自分の中にある本当の気持ちに対して素直になって、その気持ちを正面から言葉にしていかないといけない。

乙女もそうですね。奇矯な言動はどんどんなりを潜めて、優しくて気配りができて、自分が前に出て引っ張るわけじゃないけど頼れるお姉さん、という感じになってきました。こう、3章を見ていて気付いたんですが、彼女って、どこの誰と対する時にも、相手の立場に立ってものを考えてみる、ということができる人なんですね。それは優しさでもあるし、視野の広さでもある。……いやまあ、乙女さん、今でも視聴者からは、あの変人の乙女さんがこんなまともな言動を! って感じにいじられてますけど、実際今でも時々アヤしく謎めいていますけど、主に性的嗜好の方面が。
初期の乙女の行動原理って、つまり、その場がパーッと面白おかしければいい、というもので、それは彼女が、集まった三人の関係を、本質的に行きずりでその場限りのものだと知覚していたからでしょう。でも、そうではなくて、これからもこの三人は互いに助け合い、支え合っていくのだし、そうであるからには三人でちゃんと仕事をこなせるようにふるまわないといけないし、仲間にはなるべく楽しく過ごしていてほしい。そういう責任感と愛情が自然と芽生えたから、今の乙女になったのだと思うんですよね。

そういった彼女たちのふるまいの変化は、どこかで劇的なイベントがあってそこを境にガラッと変わった、のではなく、一話一話、時間が流れるうちに次第次第に進んでいって、気付いたら出会った時とはずいぶん変わっていた、というものでした。そして、三人の中でも、変化の仕方がいちばんゆっくりで、ひそやかで、そしてそれ故に、その変化がとても深いところで進んで、いまも進行し続けているのが、鶴 だと思うのです。

先にも書いた通り、引きこもりで、他人とのコミュニケーションが極度に苦手で、自分の興味あること以外はどうでもいい、という子です。今でも、基本的には変わっていません。「浮世絵」を語る以外は、自分から他人に対して喋りかけることはほとんどありません。上司の指示なんかも、自分にとってはどうでもいいことだから基本的に聞き流していて、具体的に命令された必要最低限のことしかやらなくて、何もなければなるべく家に閉じこもっていたがる。
ただ、ひとつ大きな出来事は、白夜を好きになった、ということです。その最初のきっかけは、端から見れば実にささいな、ほんの小さな約束でした。でもそれが、鶴 にとってはとても大切な事柄で、今の 鶴 はとにかく白夜が大好きで、白夜のことをどこまでも信じています。だから、白夜がこうした方がいいよ、こうすべきだよ、ということ(白夜は、理由を相手にわかるように伝えることなしに頭ごなしに何かを強制する、ということを決してしません)は素直に聞くし、白夜のためだから、と思えば自分にとっては嫌なこと、どうでもいいことも、頑張ってやりとげようとする。

自分にとって大切なもの、以外はどうでもいい。でも、大切なものを大切にし続けるために、どうでもいいことにも取り組む、というありようを、鶴 は自ら獲得しました。
第1章の頃の 鶴 は、ヒーローに救出される子どもであり、白馬の王子様に手を引かれる囚われのお姫様だったけれども、誰かを好きであること、誰かを信じることを通して、今の彼女は自分の足で歩こうとし、他者のために動こうとする人間に変わりつつある。そして、そうして変わっていった先で、奥底では変わっていない、自分自身が本当に大切だと思うもののためにしか動かない、という本質が、大事な意味を持つ時が、いずれ来るのだと思います。

3章ではまた、鶴 と「浮世絵」の関係、なぜ鶴は「浮世絵」が好きなのか、鶴 にとって「浮世絵」とはどういう存在なのか、ということが、初めて具体的に語られました。
鶴 は、超能力者であるが故に、親に捨てられた子どもでした。愛情や希望を感じられない閉ざされた世界の中で暮らしてきて、そういうものを心の中に映し出すために彼女が描こうとしたのが、 絵 でした。辛い現実を乗り越える夢を映し出す手段としての、絵。まるでどこかの「世界の片隅」に暮らしているという「すずさん」のようですが、違うのは、描くべき何かを心の中で楽しくふくらませる想像力も、思い浮かべたものを具体的に形にするための物理的な能力も、鶴 の内側には備わっていなかった、ということです。
何かを描こうとしても、何かを自分は描きたい筈だと思っても、出来上がるのは、なんだかわからないつまらない落書きだけ。現実を乗り越える手段である筈の絵の世界で、彼女は、その乗り越えるための力が自分の中にない、というさらなる現実に直面する。
そんな 鶴 が出会ったのが、「浮世絵」でした。彼女は「浮世絵」を見て初めて、描くべきイメージを自分の中で紡ぎだす手がかりを、描きたいものを描くために具体的に何をどうする技術を身につけたらいいか、という指針を獲得したのです。そしてそれは、知らないことを知ろうとすること、目的のために思考し、努力することを彼女が知ったということであり、だから、白夜や乙女との出会いより前、「浮世絵」という最初の "好き" を得た時から、鶴 の変化は始まっていたのだと言ってもいいでしょう。

第3章の話、鶴 と、「アイドル」になるために仲間になることを拒絶した女の子、告 の話です。
「アイドル」になりたいという意志があるから、「GARDEN」を拒絶する。仲間を守りたい、という意志があるから、「アイドル」活動を否定する。なるほど、意志と意志、信念と信念のぶつかり合いです。
けれども、なぜ 告 の「アイドル」になりたいという「夢」が、他人を襲って傷つけるという行動に繋がるのでしょうか? それは、「プロデューサー」がそう命令したから、です。自分が今「アイドル」で居られるのは、「プロデューサー」のおかげ。「プロデューサー」の言うことさえ聞いていれば、アイドルで居続けられるだろう。だから、「プロデューサー」の言うことは、なんでもその通りに実行する。さて、それは本当に、"自分の意志で行動している" と言えるのでしょうか?
鶴 の場合も似たことが言えます。鶴は 告 に言います。「GARDEN」は自分に「浮世絵」をくれ、居場所をくれ、仲間をくれた。「GARDEN」は人から大切なものを奪う存在ではなく、与えてくれる存在だ。あなたの「夢」だって、「GARDEN」にいればきっと果たせる、と。どちらも、「夢」を叶えたい、大切なものを大切にしたい、という "自分の意志" が、「プロデューサー」「GARDEN」という "他者の言うことを聞いていればいい" という思考へと、どこかですり替わってはいないでしょうか?

もっとも、鶴 と 告 の今のありようは、まったく同じではありません。なぜ 鶴は 告 に、「GARDEN」に来るべきだ、「プロデューサー」ではなく自分たちとともにこそ「アイドル」になるべきだ、と言うのでしょうか。それは、彼女が「GARDEN」という組織自体を無条件に信じているからではありません。約束をしてくれた白夜、助けてくれた乙女、最初に「浮世絵」を見せてくれた人、面倒を見てくれた人。自分が受け取ってきた、他者がくれた優しさの、出会いの大切さを、覚えているからです。ひとりぼっちで生きてきたからこそ、自分がひとりきりでは生きられないことを、他人の支えがあって今の自分があることを、鶴 が知っているからです。

こう、鶴ちゃんの可愛さって、あれだけいつもいつも白夜白夜言ってるのだから、どこかに遊びに行くとなれば当然白夜と二人きりで、となるんだろうと思いきや、そうじゃないんだよ、という。乙女だって私の大事な人なんだから、3人で行くんだよ、って当たり前のように言う、たとえばそういうところで。

鶴 の他者への思いの根底には感謝と信頼があって、それは内側に向かって閉じていくのではなく、新たな出会いへ、より多様なつながりへ開かれていく方向性を持っています。それは、敵である 告 に対しても同じです。
実は 鶴 と 告 は、告 がアイドルになる前に、会ったことがあります。もちろんそこは 鶴 のことだから、ろくな会話はしていません。けれども、何故かそれ以来、鶴 は 告 のことを気にし続けている。それは、初めて会った時に、告 が鶴 に、ほんのちょっとした親切をしてくれたから。たったそれだけの理由で、鶴 にとっては充分なのです。誰かを好きであるため、人を信じるためには。

告 は、自分が超能力者であることを他人に知られるのを恐れています。知られれば、異常な存在として偏見にさらされ、組織に所属すれば自由を制限される。そうなれば、「アイドル」になる、という「夢」は叶わない、と考えているから。
他人は、「夢」の前に立ちはだかるもの、信じてはいけないもの。「夢」は、人に隠して自分ひとりの努力で叶えるもの。そういう思考が、「アイドル」になるための舞台も、曲も、客も、人気も、全部向こうから用意してくれる「プロデューサー」と出会った時、「プロデューサー」の言うことさえ聞いていればいいんだ、という思考へと遷移する。
なるほど、歌や、踊りや、パフォーマンスの力を高めるため熱心に努力し続けてきたのは、まぎれもなく 告 自身の意志の力です。今だって、与えられた目の前のステージ、目の前のファンに対しては、真摯に向き合っています。でも、自分が何をしていれば「アイドル」だと言えるのか? 「アイドル」であることを通して何を表現し、何を伝えたいのか? 「アイドル」であること、「アイドル」であろうとすることで、自分は他人に何をもたらしているのか? そういう疑問が、思索が、今の 告 の内側にはありません。

今の 告 のあり方は、アイドルではない。八幕目で 鶴 が 告 に言っているのは、そういうことだと私は考えます。言うなればそれは、鶴 による 告 への "プロデュース宣言" です。物理的にすべてを与えてくれる「プロデューサー」などではなく、何も持っていない私こそが、あなたの本当のプロデューサーなのだ、と。
「浮世絵」にしか興味のなかった 鶴 です。「アイドル」がどんなことするものかなんて、ろくろく知らない筈です。でも、彼女は誰よりも、アイドルとは何であるか、ということをわかっているのです。

鶴 自身は語っていませんが、おそらく、鶴が 告 を気にかけるのは、告 がしてくれた親切だけが理由ではありません。もう一つの理由は、告 にとっての「アイドル」が、きっと、鶴 にとっての「浮世絵」と同じものだ、ということです。「アイドル」になりたい気持ちを真剣に語り、ステージの上で一生懸命に頑張っている 告 が、「浮世絵」の素晴らしさを夢中になって語り、絵を一生懸命に書いている時の 鶴 と同じだから。だから鶴 と 告 は、相容れない敵などではなく、互いに志を同じくする仲間であり、気持ちを分かち合える大切な友人でこそある筈なのです。

戦いが終わった後、鶴 は泣きます。いちばん最初に出会った時、自分がちゃんと言葉で説得できていたら、私たちは仲間になれたかもしれない、彼女ともっと幸せな道を歩めていたかもしれない。そう言って、泣くのです。
その涙は、かつて、白夜から一緒に居たくないと言われて流した涙、ただ受け入れられない現実とぶつかって、悲しい、辛いという感情のままに流していた涙と、同じではありません。そうやってただ悲しければ泣き、嬉しければ笑い、好きなことだけをしゃべり、どうでもいいこと、苦手なことをやらない自分だったから、伝えたいことを、伝えなければならない時に伝えられなかった。それが悔しくて泣いているのだから。

いまの 鶴 はまだ、人と人、想いと想いがすれ違う現実をすら越えていくような「主人公」ではありません。だけど、彼女にはその辛さを受けとめる心があり、その心を分かち合い、一緒にどうしたらいいか考えてくれる白夜と乙女がいます。だから、いつかきっと。
それはまた、プレイヤーである こころ もまた、同じで。かつて最初に目覚めた時、その夢はまるで、本当は起こらなかった幻のように思えた。でも、今の こころ は、その夢がたしかにどこかに在り、そして未来へと続いていると信じている。そして、今はまだ、夢の中の世界がありさえすればいいけれど、いつかきっと、こころ の現実の世界も、今よりもっと広がっていくことでしょう。鶴 の世界がこれまで広がってきて、これからも広がっていくのと、同じように。
少しずつ、一歩ずつ歩んでいけるのが、彼女の強さなのだから。






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