11月19日、最近見た東方卓遊戯動画


2週間ほどにわたって断続的に書き続けてきた記事なので、内容が、取り上げている作品の最新の展開を反映していない場合があります。
分量的には分割した方が見やすそうなのですが、切りどころがよくわからないので、このまま置いておきます。








ピポッ氏 【東方卓遊戯】魔理沙と亜侠の冒険譚【サタスペ】絵狂いの章E 15年11月01日

DD:霧雨魔理沙 PL:河城にとり、アリス・マーガトロイド、パチュリー・ノーレッジ
「サタスペ」の動画は、なんとなく見る気分になれない期間がしばらくあって追ってなかったのですが、10月にこのシリーズを見てやっぱり面白いな、と思って、いろいろ見てみる気持ちが湧いてきました。
ピポッ氏は「サタスペ」と同じ冒険企画局製のシステム「キルデスビジネス」の動画制作経験が長い人。「キルデスビジネス」の時から、プレイヤーがゲームの中で演じるキャラクター(以下PC)が魚人だったり怪物だったりパンだったりと、まともな人間じゃないのが売りでしたが、その作風と、猥雑で荒唐無稽な世界観が売りの「サタスペ」とがよく合っているように思います。
いいなあと思うのは、今回の "人間がどんどん絵に変わっていく" にしろ、前回の "空中を泳ぎ回るサメを退治する" にしろ、「サタスペ」だからこそ描けるシチュエーションであって、しかも単に設定に書いてあることの表面やサイコロを振って出てきたものをそのまま読み上げたのでは出てこない "すこし・ふしぎ" な発想を次々と見せて、こういう現象が起こる世界ではどんな出来事が生まれるんだろう、次に一体どんな物語が展開するんだろう、とわくわくする気持ちにさせてくれるところです。


まっく氏 宵闇裸獣狂想曲 1-19 【東方卓遊戯・サタスペ】 15年11月07日

DD:古明地こいし サブDD:風見幽香 PL:東風谷早苗、多々良小傘、わかさぎ姫、堀川雷鼓、鬼人正邪 
こちらはソード・ワールド2.0動画の経験が長い人。奇抜でインパクト抜群なキャラクターとサイコロの目のランダムさに振り回される展開で見せる、"サタスペ動画正統派演技" の趣き。
「サタスペ」動画では、セッションの終わりに視聴者がPCに投票するのが恒例になっていますが、本人のロールプレイ方針とサイコロ運とが相まって、自分も周りも大変な目に合わせた わかさぎ姫が、演じたPCの名ではなく「わかさぎ姫」という括りになってしまっているのがw。ええ、私はこういうキャラクター好きです、端から見ている分には。


MiyaZ氏 【東方卓遊戯】早苗さんちでサタスペ【6-6】 15年08月19日

DD:東風谷早苗 PL:十六夜咲夜、紅美鈴、村紗水蜜、封獣ぬえ、四季映姫・ヤマザナドゥ、小野塚小町
通称「さなスペ」で知られる、2011年から連載が続くサタスペ動画の古株。
「サタスペ」に限らない現象として、TRPG動画では、セッション回数が積み重なるに連れて、PCがデータ的に強力かつピーキーになり過ぎて、戦闘のようなデータ的に処理されるイベントが、"決まり切った手順に従ってひたすらサイコロを振り続けるだけの消化試合" になってしまうことがしばしばあります。
また、これは「サタスペ」固有の事象として、"PCがデータ的に強力かつピーキーになり過ぎた状態" が比較的早く訪れやすい、ということと、元々サイコロを振るだけで自動的にイベントを進行させられるシステムだということがあって、サタスペ動画の終盤は "消化試合" になりやすい印象があります。
そういう中にあって、このシリーズは最終盤になっても物語として読み応えのある展開が紡がれ続け、人間関係が動き続けているのが凄いと思います。セッションを重ねている分、過去のネタやサブキャラクターの数も膨れ上がっているのを、よくこれだけあれもこれも生かしながらちゃんと話をまとめられるものだなあ、と。


ブラッディP 【ビギニングアイドル】妖夢Pのアイドルプロデュース1-4 15年09月02日

GM:魂魄妖夢 PL:レミリア・スカーレット、西行寺幽々子、蓬莱山輝夜
「キルデスビジネス」の芸能界版、的なシステムである模様。レミリア・幽々子・輝夜の3人でアイドルユニットを組んでデビューするわけですが、輿水幸子×2+ヘレンさん×1のユニット、というような様相を呈していて大変楽しいです。いや、レミリアのPCはカリスマ繋がりで城ヶ崎美嘉モチーフ、らしいですが、どう考えても実態は幸子でしょうw。
作者がアイマスと東方にまたがって活動している人なので、アイマスネタが普通にポンポン出てきますが、私としては、こういうところから東方動画側でニコマスに興味を持ってくれる人が増えることを心なし期待しないでもない……。のですが、再生数とかついている視聴者コメントの内容とか見てよく考えると話は逆で、そもそも、東方・アイマス・TRPG動画という3つの集合すべての共通部分に当てはまる視聴者だけがこういう動画に集まってコメントしているんだろうなあ、と。気づいてしまってちょっとショックを受けたりもしました。まあ、アイマスネタに影響力があるかどうかはともかく、TRPG動画において、マイナーなシステムを使っていると内容の如何に関わらず再生数が伸びない、という現象は見られるようです。
(※という文面を考えたのは動画の投稿当時のことで、今見ると再生数もコメントももっと増えていますね。)


湯屋氏 【クトゥルフ神話TRPG】ハート(が)フル(で減る)高速クトゥルフ 15年10月12日

KP:稗田阿求 PL:比那名居天子、アリス・マーガトロイド、古明地こいし、鈴仙・優曇華院・イナバ
「東方卓遊戯」と「ゆっくりTRPG」の違い、というのは、「NovelsM@ster」と「im@s架空戦記シリーズ」の違いのようなもので、厳密に境界線を見極めようとするとややこしいことになりますが、両者の間ではっきりとした文化やスタイルの差異が存在するのも確かです。この動画は全編東方立ち絵だし、「東方卓遊戯」タグもついていますが、タイトルだけでも大体わかるんですけど、「ゆっくりTRPG」側の文脈の中で作られた作品ですね。
「高速卓」という言葉があります。「高速卓リンク」タグの大百科を見ると昔の卓m@s動画や東方卓遊戯動画が貼ってあったりもしますが、今日「高速卓」を名乗る動画、とは、2014年に出てきた「ゆっくりクズどものクトゥルフ」「ゆっくりできないパラノイア」「よいこのクトゥルフ昔話」あたりのゆっくりTRPG動画を見て、それらを模倣しようとして作られている動画のこと、と言っていいでしょう。
この動画は、目標を模倣しようとして実際に模倣に成功している例(それは決して簡単なことではない)なので、"「高速卓」が「高速卓」らしくなる要件" みたいなものがうかがえたりもして、興味深いです。
単純な話、ツッコミどころがあるのに落ち着いてツッコむ暇もなく話がどんどん流れていく(という状況が連発する)、あるいは、あれよれよと言う間にどんどん状況が変化して違う場所へ連れていかれる、という要素がないと、台詞のスピードを早くしたり区切りの効果音を勢いよくさせたことの意味があまりない。では、"ツッコミどころが連発する会話" や "あれよあれよという間に状況が変化していく展開" がどうやったら生み出せるか、となると、それはコントや漫才を構成する技術に限りなく近似していくことになります。
各々のキャラクターにどういうポジション、役割を振るか。次に出現するキーワード、アイテム、サブキャラクターが状況をどう変化させるのか。コントではそういうことが単純化した形ではっきり定まっている必要があって、この動画はそこがよく考えられていると思います。最初に出てくる天子の探偵とアリスの助手が、それぞれどういう奴でどんな関係なのか、が、冒頭数言の会話でたちどころにわかる。そしてこの二人が掛け合っているだけでどんどん話が転がっていく。まあ、コメントでも言っている視聴者がいますが、こんな美味しいキャラクターを揃えて、ひたすら短くした動画一本で使い捨てるのは、逆にもったいないような気もしますw。


となり氏 よいこのクトゥルフ百物語 その7 15年09月14日

KP:ナズーリン PL:犬走椛、村紗水蜜
「高速卓」系の人気作者のひとり。ほらふき男爵の冒険というか、コメディ版はてしない物語というか、ひたすらナンセンスな会話、突飛な展開を思いつくままにどんどん連ねていく。「ゆっくりTRPG」で人気を博す才能の、一つのタイプの典型を具現化したような作風です。前シリーズ「よいこのクトゥルフ昔話」は最終話後編を残した状態で打ち切り、本シリーズも第7話までハイペースで投稿したところで唐突に中断している、という連載状況そのものが、そのスタイルと資質のありようをよく示しているのではないでしょうか。
個人的に興味深いのが、素材とキャラクターの扱いの面で、前シリーズと本シリーズで変化している部分です。前作はストーリーが一回ごとに単発、PCは一回ごとに入れ替わりで、PCの設定や立ち絵はインパクト重視奇抜さ重視で笑いが取れればなんでもアリ、という感じでした。対して今作は続き物で、レギュラーPCを二人に固定、サブキャラクター含めて立ち絵は東方立ち絵に固定。奇抜な絵のインパクトで笑いを取る、という要素は本作にもありますが、本作の場合はそれに加えて、見た目はあんなに可愛い子がこんな言動をする、という要素が一つの見所になっています。まあ、前作でも2話で出た洩矢諏訪子の女神様とか可愛いかったんですけど、一回きりの出番だったんですよね。それが、本作では過去のサブキャラクターの再登場があって、絵の可愛さやシリーズ通しての人間関係の形成が楽しみどころになっている。似たようなことですが、一話一話ごとのネタがどう面白おかしかったか、以外に、シリーズ通してのレギュラー二人の掛け合い、関係性が見所になっている、というのも前作には無かった点です。
"「面白おかしさ」から「可愛さ」へ" という、今年の私がテキスト系動画を見る上でのテーマのようなものがありまして。なんでもかんでもそれに当てはめて我田引水の嫌いはありますが、そういう流れというか、動画を作る人の中での心の動きがある、と仮定すると個人的に納得のいく事象は、存在する気がします。


でぅとぃるとる氏 【DX3rd】ダブルクロス・リプレイ・フェイク 1−7前編【ゆっくりTRPG】 15年10月26日

GM:東風谷早苗 PL:秦こころ、古明地こいし、フランドール・スカーレット、稗田阿求、二ツ岩マミゾウ
各PCの顔見せ、導入が終わって話が動き出したところですが、裏切り・スパイ・反抗等様々な立ち場のキャラクターを容易に混在させられる、そして人間でなくとも無生物だろうが思念だろうが簡単にキャラクター化し得る、という、「ダブルクロス」の世界観の強みを存分に生かして個性豊かなPCを取り揃えたシリーズで、先が楽しみ。ボーイ・ミーツ・ガールな こいし&こころ、シリアス一直線なフラン、、ダークでノワールな雰囲気をぷんぷん漂わせる阿求、奇想天外な設定で一人浮きまくってギャグ要員になっているマミゾウ、と、どのキャラクターも立っていて、面白い話のタネになりそうな要素があちこちに転がっていますが、それだけにどういう方向に話が進んでいくのか想像し難くもありますw。


芳川南海氏 【東方卓遊戯】幽香と緑髪同盟のダブルクロス2-9【ダブルクロス】 15年09月13日

GM:風見幽香 PL:リグル・ナイトバグ、鍵山雛、魅魔、幽谷響子
過去回を見直していて思ったのが、この人の動画の楽しさには、"言い切ってもらえる、断定してもらえる快感" "迷わずに居させてくれる気持ち良さ" とでも言うべき要素があるな、ということ。
本シリーズのメインヒロイン格(?)である ひびき(響子)は、歌うことで周りを支援する、というキャラクター。人外じみた能力者たちがあちこちでドンパチやっている世界に身を置きながら、彼女自身には直接的な戦闘力は何もなくて、ただ歌うことしかできない。そういう人間が、自分は歌うことで戦っているのだ、何かを守っているのだ、自分が歌うのは戦うため、何かを守るためなのだ、という明快な確信をはじめから抱いていて、微塵も揺らがない。迷わないのは彼女だけではなくて、主人公格の蛍一くん(リグル)も、いざという時自分が戦わなければならない、ということを明快に思い切れるし、対峙する敵の側も、自身の追い求める欲求、理想とする生き方に対して一切の疑問を抱かない。キャラクターがより複雑な立ち場に居る「元人間」卓のPCたちも同様で(騙されて使嗾されていることが匂わされている未紅(妹紅)はともかくとして)、復讐だったりスパイ行為だったり各々のやっていることは一筋縄ではいかないけれども、皆自分の選択している行動、歩んでいる人生に対して疑問や迷いがない。
迷いも疑問も一切放棄した、明快でブレがない行動原理で動く、特徴的な個と個が交錯し衝突して、華やかな火花を発して散っていく。世の中の物語がなんでもかんでもそうあるべきだとは全く思いませんが、それが心地よくて楽しいエンターテインメントであることは間違いなくて、そして本作は、そういう物語として最上質のものであると思います。
まあ、ひびきが迷わない人間であることの異常さ、怖さ、みたいなことは作中の描写に組み込まれているものでもあって、実際にはもっと多面的な作品です。ただ、だからと言って、ひびきがアニマスの矢吹可奈やアニデレの島村卯月みたいにくよくよ悩み続ける、みたいな展開は、たぶんこの本作の主眼にはならないんじゃないだろうか。それはどちらが良い悪いではなく、持ち味の違いというものです。だからこそ、本作を見て、ああかっこ良かった、気持ちよかった、で終わるのではなくて、その奥にもう少し一筋縄ではいかない思索を読み取るのは、視聴者の側の仕事だ、とも言えるかもしれません。


芳川南海氏 【東方卓遊戯】幽香と元人間たちのダブルクロス2-2【ダブルクロス】 15年10月25日

GM:風見幽香 PL:藤原妹紅、東風谷早苗、聖白蓮、アリス・マーガトロイド
音楽に合わせた演出、音楽の流れに沿った展開による盛り上げ、というのはアイマスのテキスト系動画では発達している技術で、ゆっくりTRPGではまだまだ未開拓、卓遊戯動画と比べてもまだ一日の長があるんじゃないか……と個人的には思っていたりしますが、この人はBGMの使い方が非常にうまいんですよね。それから、台詞回しの面では、短く、歯切れのいい言い切りの言葉をたたみ掛けて場面を盛り上げるのが、非常にうまい。
上で、気持ちいい、心地いい、という表現を繰り返したのは、この人の作品を視聴した時、耳で聴いて、台詞を読んで体感するもの、身体感覚に訴えかけてくるものが大きい、ということでもあります。


ちりめん氏 【ゆっくりTRPG】ゆっくりレミリアとぶっ壊すダブルクロスPart4 15年10月21日

GM:茨木華扇 SM:鈴仙・優曇華院・イナバ PL:レミリア・スカーレット、フランドール・スカーレット、化け狐、十六夜咲夜
本編「ゆっくり華扇とぶち破るダブルクロス」の6つ目の外伝で、設定的には「ゆっくりこいしと搔っ攫うダブルクロス」と同じ世界のお話……とか説明しても、見てない人にはややこしいだけのような気もしますが。重要なのは、いくつもある「華扇とぶち破る」の派生作品の中で、今のところ「こいしと搔っ攫う」と本作の2つだけが、本編とは別の歴史を辿った世界での出来事を描いたifストーリーである、ということ。
本編ではありえない、こういう状況のあの人の姿、あの人とこの人のこんな関係、がいろいろ見られるのが魅力、と前に書きましたが、こうして同じ世界でのエピソードが積み重なり、登場人物が増えてくると、それだけでは済まない難しさが出てくるな、と。何故かと言うと、本編では見られないアレやコレが見られるのが魅力、というのは、あくまで本編が幹でこちらは枝葉である、ここで見られるものは本編に対する "付加価値" である、という前提のもとでの楽しみ方だからです。で、難しいと思うのは、たとえば、これは本編とは違う歴史を辿った世界なんだから、この世界では本編ではまっとうに生きられていたあの子が殺人鬼に成り果てているかもしれないし、本編では幸せだったこの子が悲惨な目にあってもう死んでいるかもしれない、という内容が明示的に描かれた時、それは "if だからこういうのだってアリ" だけで片付く問題なのか、ということ。
若干話を変えますが、本編で「残姉」という愛称が定着している某キャラクターが、本編とはちょっと違った境遇で本作にも出てきますが、興味深いのは、最新回でのこのキャラクターの言動を見て、視聴者が「やっぱりいつもの『残姉』だ!」と喜んでコメントしている場面があること。どうでもいいマジレスを入れると、本編で「残姉」が「残念」だというのは、普通にしていれば有能だけど、特定のキーワードが絡むと突然言動がはっちゃけ出す、ということであって、決して「ポンコツ」だとか「ドジッ子」だとかいうことでは無かった筈です。むしろこの言動は、本編と「レミリアとぶっ壊す」でのキャラクターの違いを示すものですらあるのではないか、と私は思ったのですが、しかしそれを見て多くの視聴者が、"いつもの「残姉」" に会えた、と言って喜んでいる。
コメントシステムが売りのニコニコ動画、とは言っても、シリアスで息詰まるようなお話がずっと続いて、視聴者は興味深く見守っているけれどもコメントはなかなかつき難い、というようなテキスト系動画もいろいろあるわけですが、ちりめん氏の作品の場合は、そうではありません。視聴者が気軽にどんどんコメントして、みんなでわいわい言いながら見守る、という文化が動画上に形成されています。そしてそれは偶然出来上がったのではなくて、自分の生み出した世界とキャラクターを大事にし、コメントに丁寧に応える作者の姿勢が生み出したものなのですが、だからこの人の作品においては、どんな設定の動画のどんな状況の場面であっても、皆コメントをするのが自然だと思ってどんどん打とうとする。
けれども、視聴者のコメントというものは、まあお話が山場の時に見る方もテンションが上がって長文コメントを打ったり、なんてことはあるにしても、基本的には軽い気持ちであんまり深いことを考えずに反射的に打っているものです。だから、気楽に反射的にコメントを打てるようなフックが動画にあるとコメントしやすい。本編においてはそのフックが、たとえば"「残姉」の「残念」な言動" だったり、”「ダンディ」の奔放なふるまい” だったり、"「りっくん」の女性関係ネタと「女子力」ネタ" だったりしたわけですが、だから視聴者は、たとえそれが、"いつもの「残姉」"なんてどこにも存在しないかもしれない世界のお話であったとしても、そこに "いつもの「残姉」" を見出だしたがるのでしょう。
もう少し物語の内容に絡めた言い方をすると、「華扇とぶち破る」において、あるいは「鈴仙とぶっ放す」において、もっと重く、辛くなる可能性だってあったかもしれない物語を思いっきり振り回して、力ずくで光のさす方向へ引きずっていったキャラクターの代表が、「ダンディ」であり「残姉」でした。単に面白おかしくて楽しいから好き、というだけではなくて、私たち視聴者は、彼女たちの言動の中に、この作品を動かしている、何かとても大事な原動力が宿っているのを、体感的に感じ取っていたのだと思います。
作者はこのシリーズのキーワードとして、「家族」という言葉を挙げていますが、私は、"迷った時に背中を押してくれる人が存在する" という関係が、本シリーズにおいて、「家族」と同じくらい重要なもの(そして、両者は必ずしも同じものではない)と考えています。誰かがひとりで迷いかけた時、そのそばに背中を押してくれる人が存在する。そうしてお互いに背中を押し合うことで前に進んでいける。人間とはそうして生きていくものだ、と。それは綺麗事であり、嘘かもしれないわけですが、しかしその綺麗事を、嘘を、全面的に信じ、推進することで成り立ってきたのが、本編の世界でした。
本編のようにはうまくいかない世界だって、どこかに存在するかもしれない。「こいしと搔っ攫う」で提示されたのはそういう世界ですが、けれども「こいしと搔っ攫う」の時点では、描かれたものの周りにも、描かれたキャラクターの今後にも、まだ語られない余白がたくさん残っていました。そういう意味で「こいしと搔っ攫う」は、語りすぎず簡潔にもなり過ぎない、絶妙でもあり綱渡りでもあるバランスで駆け抜けたエピソードだったと思います。しかし、それが一期一会の、一瞬間のエピソードだけで終わらず、この世界の情報が増えて余白が埋まっていった時、何が起こるか。そこには必然的に、"本当に必要としている時に、背中を押してくれる人を得られなかった人間" の存在が浮かび上がってくる筈です。その時、たとえば、そういう境遇の人間は不幸になるしかないね、という結果が生じたとしても、あるいは、そういう境遇でも人間はそれなりに生きていけるものだよ、という結果が生じたとしても、それは本編で描かれて来たものの意味を変質させることでしょう。いわば、本編の世界に対して、あんなものは綺麗事だ、嘘だ、現実はこんなもんだよ、と突きつけるエピソードになるのですから。
それは、難しさでもあり、大きな可能性でもあると思います。まあ、私は本編第3章が始まった時も、これは難しいところに踏み込んできたなあ、とひとりで勝手に唸っていたけれども、作品は私の考える難しさなど乗り越えて素敵な場所に到達したわけで。だから私の文章は、何か心配しているとか注文をつけたいということではなくて、単に自分の頭の中の状況整理をしているだけですね。


ちりめん氏 【ゆっくりTRPG】ゆっくり華扇とぶち破るダブルクロスSeason4 Part1 15年10月28日

GM:霍青娥 PL:茨木華扇、霧雨魔理沙、伊吹萃香、東風谷早苗
前の話とゆるやかに繋がっているのですが、こう、そろそろサナ(早苗)や萃子(萃香)にも会いたいよね、と、口に出さずとも思い始めている視聴者もいるんじゃないか、という頃合いで本編が来る。見ている人の心理をよくわかっているというか、視聴者との関係より前にまず、自分が今いちばんやりたいことはなんなのだろう、自分が育てているものに今いちばん欲しいものはなんだろう、そんな自分自身の心の奥深くから出ている声を聞き逃さない人なんだろうな、と感じます。
1章から3章までで、サナをめぐる物語として完成している感があったので、ここしばらく本編の投稿がなかったのは納得のいくところでした。アニメ版デレマスネタが出てくる作品なので、心置きなくアイマスでたとえますと、メインヒロインが出奔してもう一度ステージに立つところまで描いたアイマスアニメ、みたいなもので、この上何をするんだ、みたいな。
で、そこで萃子支部長にスポットが当たるというのは、言われてみればなるほど、自然な話です。萃子の過去を知る、萃子のことを考える。それは必然的に、「UGN鏡里市支部」という場そのものを考える、ということにも繋がる筈で、それが残っていたんだなあ、と膝を打つ気持ちと、いよいよ話の収束が見えて来たなあ、という感傷とがないまぜになって湧き上がって来ます。
上でも書いた通り、作者自身が「家族」という言葉を本シリーズのキーワードとして提示していて、たとえば萃子が自分の部下たちを語る時にも「家族」という表現が使われます。ただ、いま物語の状況は、人の動きだけ見れば「鏡里市支部」という "家” にみんなが集合していく、とも表現できる一方で、構成メンバーそれぞれに親しい友人や寄り添う伴侶、各々固有の "家庭" が生まれてきて、萃子という "家長" の下の一個の "家" としての「鏡里市支部」、という枠組みは拡散的に、発展的に自然解消しつつある、という見方もできそうです。木村夏樹や「トライアドプリムス」や演劇仲間が出てきた後の「シンデレラプロジェクト」、みたいな。もっとも、今後どうなるかは全然わかりません。アニデレの「シンデレラガールズ」みたいな話もありえるだろうし、アニマスの「765プロ」みたいなお話もありえるだろうし、もっと違う、私には予想できない行き方もありえることでしょう。
あとはあれですね、今回のサナについていろいろ語りたいと思ってこの動画の項を書き始めたんですが、その前に3章までのサナのことをちゃんと書かないと、いろいろ中途半端でいけないな、と感じたので、ここで止めにします。


ちりめん氏 【東方卓遊偽】ゆっくりサグメと暴き出すダブルクロス 15年11月04日

PL:鬼人正邪、稀神サグメ
ゲームマスターとプレイヤーのやりとりで場面が進む、という通常のリプレイの形態ではなく、正邪PCの1人称視点で描写される、サウンドノベル仕立ての動画。
突飛なシチュエーションのもと、個性的な女の子とラッキースケベ含みのインパクトある出会い。巻き込まれたのは異常で不思議な連続殺人事件……。熱血ヒーロー路線な他の作品とはだいぶジャンルが違いますが、どっかで見たようなこの上なくベタな構図のお話を、この上なくストレートに描いて魅力的に見せる、という点は同じ。うまい人は何を書いてもうまいんだなあ、と思って嘆息して……、なんというかこう、人間あんまりまぶしい輝きを目にすると、やるせない気持ちになることってありません?


work_out氏 メディスンオーダー_S0-1 15年10月10日

GM:メディスン・メランコリー PL:クラウンピース、チルノ、リリーホワイト、大妖精
作者は、妖精ズ(チルノ、大妖精、光の三妖精、リリーホワイト、クラウンピース)にフランにメディスンと、主にちっちゃこいキャラクターを起用して、いろんなシステムの卓遊戯動画を上げている人。私は本作で初めてこの人の動画を見たのですが、流れるように進む会話が実に軽妙で、大変楽しいです。のほほんとした顔と口調で次々に辛辣な言葉を吐き出すリリーホワイトがいい味出してます。チルノの無頓着なキャラクターが、会話のスピード感を上げるのに効果的に使われていて巧み。


MiyaZ氏 【東方卓遊戯】早苗さんと三人のウタカゼ【2-3】 15年04月18日

GM:東風谷早苗 PL:チルノ、ナズーリン、レミリア・スカーレット
「さなスペ」の作者による、こちらもプレイヤーにちっちゃこいキャラクターばかり集めた作品。最近みた動画でも過去の作品はこの記事には載せていないのですが、本作は最新話が2015年にかかっている、ということで載せました。
ほのぼのした童話的な雰囲気が売りの「ウタカゼ」の動画であるにもかかわらず、作り手が暴力ありセックスありドラッグありの「サタスペ」で武名をあげた人ということで、疑心暗鬼にかられる視聴者続出。終始なごやかで微笑ましい内容に、2度びっくりの視聴者続出。
「ウタカゼ」はPCが全員小人、という点が特徴の一つですが、この動画は小人サイズのキャラクターゆえの大変さやアクションの面白さ、小人サイズの視点から見える世界の様子が、生き生きと伝わって来ます。「野に出た小人たち」や「ニルスのふしぎな旅」や「だれも知らない小さな国」の世界を東方キャラクターで楽しめる、良質の児童向けファンタジーの趣き。
で、なんというかこう、うまい人は何を書いてもうまいんだなあ、と思って嘆息して、人間あんまりまぶしい輝きを目にすると、やるせない(以下略。


Satsuki_Ame氏 【東方卓遊戯】博麗神社でFWO1-8 後 【幻想仮想行】 15年09月15日

GM:霧雨魔理沙 PL:博麗霊夢、鈴仙・優曇華院・イナバ、ルーミア、魂魄妖夢
「フィルトウィズオンライン」という同人システムの動画だそう。PCはオンラインRPGの中の登場人物である、という……つまりあれか、『ソードアート・オンライン』みたいな、って言えばいいのか、見たことないけど。あるいは、ゲームの外の世界が実はすでに壊滅していて、というあたりは、『楽園追放』と言った方がわかりやすいか。
で、PCの中にもこれがゲームの中の世界であることを知っている者と知らない者とがいて、知っている者だけが使いこなせる機能があったり、NPCの中にゲームの管理者権限を持っている奴が混ざっていたり、ということが、お話が進行する中で自然にわかってくる。剣と魔法のファンタジー世界な装いとサイバーパンクなギミックとが組み合わされた世界観の特徴、面白さが、ストーリーの中でわかりやすく伝わってくる動画です。
ある日ある場所に偶然集った人間たちがパーティを結成して、さらにそこに、事情を抱えたある人間(すなわち依頼人)との出会いがあって、ともに旅をして、また別れていく。探偵もので探偵と助手が出会ってコンビを組んで果たす "最初の事件" というか、あるいは『指輪物語』でフロド一行が旅だってからギルドールとすれ違うまで、というか。何か特別で大げさなイベントがあった、というわけではないんだけど、でもとても印象的で、これからずっと記憶に残り続けそうな出会いがそこにあって、でも今あったものはひょっとすると一期一会の出会いだったのかもしれないね、という。爽やかさとちょっとした寂しさが余韻として残る、"これから始まる長い旅の序章" の雰囲気が素敵です。


せやろか氏 【卓遊戯】パチュリー「話聞けよ」セッション3-1 【SW2.0】 15年08月05日

GM:パチュリー・ノーレッジ PL:レミリア・スカーレット、東風谷早苗、魂魄妖夢、十六夜咲夜、霧雨魔理沙
実際にプレイヤーを集めて行われたセッションのログを元に構成された動画。何度か書いたことがありますが、"プレイしていて面白いセッションである" ということと、"動画として見ていて面白い" ということは別の問題です。当事者にとってどんなに面白く感じられたセッションであっても、リアルセッションならではの即興的な面白さ、とか、その場限りの異様なテンション、とかいったものをどうやって動画表現の中に落とし込むか、は結局動画作りの技術の問題で、卓m@sで言うとたとえばブースPや場面大根Pなんていう名人がいましたが、このシリーズの製作者(あるいは製作グループ)も、"リアルセッションならではのノリ" みたいなものを動画として表現するのが大変うまいですね。
で、個人的に興味深いのが、動画説明文にある「リアルで友人とプレイしたリプレイを記憶を頼りにクソかわいい子(当社比)たちに置き換えて作成。」という、制作経緯の説明です。動画化するにあたって、「クソかわいい子(当社比)たちに置き換え」たんだ、という。実際にプレイしたのは俺らなんだから絵がどうかなんて本質じゃない、立ち絵なんてなんでもいいじゃないか、というのでもなく、動画は見た目が良ければいいんだからとりあえず絵の描ける奴に描かせました、というのでもなくて、「クソかわいい」東方キャラ(あるいはこの立ち絵シリーズ)だからいいんだ、と。ここには、何故この素材で動画にするのか、という意図が、必然性が示されています。
他方で、もう一つ興味深いのは、動画冒頭でレミリアの人がTRPGやろうと思いついたきっかけが、「卓m@s」を見たことだと言われていることです。ほんの一言の言及ですが、それだけにいろいろ解釈のしようがあって、考えさせられる言葉です。第一に、この作品は全体として、中の人たちの会話をそのまま再現しているのでなくて、きちんと東方の世界観・東方のキャラクターに合わせて改変し編集された内容になっているので、この会話も、東方キャラ同士の会話という体裁に合わせたネタである可能性があるでしょう。そうだとすると、これは、"アイマスでTRPGをやっているのを見て、東方キャラが私たちもTRPGやりたいね、と言っている" という構図になって、2011年頃までの卓m@s-卓遊戯間にあった、お互いを「お隣さん」として見る感覚が踏まえられているのではないか、と見ることができる。
第二に、動画を作った中の人が、実際に卓m@sを見てTRPGをやろうとしたんだと捉えた場合、つまり、中の人たちがTRPGを始めた、動画を作ったきっかけは卓m@sだけれども、実際に動画が具現化される時に選ばれた形態は「東方キャラクター」であり「ゆっくりTRPG」だった、ということになる。あえて大事のように語れば、そこには、TRPG動画を作りたい人にとって各々のジャンルがどう見えているか、自分のやりたいことを表現するのにふさわしい世界と見えているかどうか、という意識が反映されているのではないか。まあ、私は何を見ていても、これがニコマスで出来ないか、これがニコマスだったらどうなるか、と思ってしまう人間なので、ついついそんなことを考えてしまいます。ようは、私はニコマスに対して、浮気する気も起こらないくらい常に圧倒的に魅力的であり続けることを求めているというか、ニコマスこそそういう世界だと思い込めていた時の幸福な暮らしを忘れられないんでしょうね。
話を動画に戻して、かき回し役のレミリア、それに乗っかる早苗、抑え役で苦労人ポジションに妖夢、なんか1人でずれている咲夜、と、最初から各プレイヤーの役割分担がバッチリ決まり、かつ2次創作的な各東方キャラのポジションともよく親和していますが(魔理沙の人は2回目のセッションからの途中加入)、中でもレミリアの人の言動が、レミリアに当てられるだけのことはある奔放ぶりで、見ていて実に楽しいです。卓遊戯のレミリアというと、チョロ可愛さをアピールするタイプの造型も多くて、それはそれで結構なものですが、私はこういう、ゲームを全力で楽しんでいるレミリア、話を楽しい方向に持っていくために全力で生きているレミリアは、殊の外好きであります。
あと、初心者ばかりのメンバーによるプレイということで、第2回のセッションまではありもののシナリオを使っているとのことですが、とりわけ2回目のシナリオは、出来ることの限られる初期冒険者がこなせるものでありながら、惹き付けられるシチュエーションと飽きさせない変化がありますね。そして、GMとプレイヤーたちもこのシナリオのどこが面白いのかという勘所をよくわかって盛り上げている感があります。ゆっくりTRPG界隈では、楽しそうなのでとりあえずサンプルシナリオをプレイしてとりあえず動画にしてみました、って作品がクトゥルフでたくさん存在するわけですが、手始めにありもののシナリオでプレイしてみた、という時にこんなシナリオが目に付くところにあって、かつそれがこんな動画に昇華されている、というところに、日本のTRPG界隈の中でソードワールドが蓄積しているものの厚みを感じたりもします。
ところで、最後にまた動画から離れた話題になりますが、私がこのシリーズを知ったのって、ちょうどim@s MAD Survival ChampionshipⅤが始まった頃だったんですよね。で、初回の動画を流し見しながら続・空から降ってくるのでのMSC記事を読んでいて、エンディングのBGMが流れ出したのを聞いた途端、自分がぼろぼろ泣いているのに気づいて、自分でなんだこりゃ、と思ったんですが。いま、なんで私はあの時あの場面で泣いていたんだろうと思うに、ニコマスって昔から「文化祭」に喩えられたりして、"終わらない青春を全力で生きる" みたいなノリがあります。まあニコ動画自体、あるいはアイマスのファン活動自体、そんなものかもしれませんが。「敷居亭」や「ニコマスとP」の方たちが採録されている界隈の活動家の声を聞けば、"終わらない青春" のノリがそこかしこに充満していますし、実作上の表現においても、たとえばハリアーPの手書きシリーズなんて、 "輝かしいモラトリアムの時間を全力で引き延ばし続ける" という気分、気概がみなぎっていると感じます。で、この動画の中の人たちも、明らかにリアルが大変そうで、集まって遊ぶのも動画作るのもめちゃくちゃしんどうそうなのに、そこを無理押して集まって騒いで楽しそうに遊んでいる、"終わらない青春"を地でいくノリで。そういう情景と、"終わらない青春" の渦中を生きている人の一瞬の輝きみたいなものを全力で見逃すまいとしているようなカズマさんの文章とが。なんとも食べ合わせが悪かったというか、絶妙のハーモニーとなって朦朧とした頭に響いたんだろうな、と。「見る専」なんてものも何年もやっていると、知らないうちによくわからないツボが自分の中にいろいろ出来て、困ったものではあります。


チームNCC 【卓遊戯】塔と魔剣と学び舎と 2-8後編【SW2.0】 15年10月24日

GM:古明地こいし SM:小悪魔 PL:フランドール・スカーレット、レミリア・スカーレット、比那名居天子、秦こころ、博麗霊夢、古明地さとり
この動画も、リアルセッションを東方キャラのやりとりへ改変して動画化している作品。色とりどりの立ち絵が、フォントが、エフェクトが、画面いっぱいをところ狭しと駆け回り、これでもかとたたみ掛けられる。どこのネタがどう良かったとかどこの表現がどう優れている、とかいうよりも、とにかくまず、そうして流れていく絢爛で騒がしい世界を、にぎやかだなあ、華やかだなあ、と楽しむのが第一だな、と。こういう動画は、テキスト系動画が爛熟した時に咲く大輪の花のようなもので、ストーリーとの噛み合わせがどう、とか製作ペースがどう、とか気を回すのではなくて、ただ花は花と愛でればいいんだな、と最近思うようになりました。
一方で、動画化に際して、実際のプレイの中で当人たちが面白さを感じた部分を、いかに的確に切り取り、動画の中に入れ込むか。取捨、要約の仕方が、初期のころに比べてより整理され、洗練されてきた印象も受けます(それだけ、作る側の手間の掛け方が増している、ということでもあるでしょうが)。まあ、TRPG動画の場合、画面の中に情報を詰め込むことと相性が良くて、画面をにぎやかにする志向のシリーズがうまくいきやすい傾向は存在する気がします。ノベマスなんかだと、見せたいものを全部詰め込んでいった結果、気がつくと身動きがとれなくなっている、みたいな現象が往々にしてあって、なかなか難しいんですけどね。


バブルガムブーン氏 主人に隠れてひっそりSW2.0-S0E1 【第6回うっかり卓ゲ祭り】 15年09月24日

GM:鈴仙・優曇華院・イナバ PL:魂魄妖夢、十六夜咲夜、博麗霊夢、紅美鈴
原作や2次創作の知識を踏まえつつ、定型的な表現・ネタから微妙にズレされたキャラクター造型。なんのために導入し、どんな効果をもたらすかがわかりやすいハウスルール。楽しくするための細やかな創意工夫に富んだ動画です。サイコロ振って能力値を決めているだけの場面がこんなに面白い動画もなかなかありません。
この動画も台詞回しが楽しいです。やはり台詞を早回しにポンポン畳み掛ける作品ほど、ひとつひとつの台詞そのものがリズミカルで、読んで口に耳に楽しくあることは重要だな、と。


poco氏 【東方卓遊偽】らんらんふたり旅 0話【SW2.0】.mp4 15年10月31日

GM:博麗霊夢 PL:フランドール・スカーレット、八雲藍
藍にフラン、という金髪コンビがとっても仲睦まじく、微笑ましい動画。お姉ちゃん大好きな妹フランと妹大好きな姉藍にひたすら和んでいられます。プレイの中で「姉妹」をフィーチャーする動画は私のツボに嵌まることが多い、という法則に最近気づきました(プレイヤーに姉妹設定のあるキャラクターが入っていればいい、という意味ではない)。


九十九掛け軸氏 【SW2.0】東方剣遊記11-4 15年11月09日

GM:博麗霊夢 SM:古明地こいし PL:フランドール・スカーレット、封獣ぬえ、風見幽香、秦こころ、綿月依姫、蓬莱山輝夜
ずっと見ているシリーズですが、11章に入ってからロールプレイ成分マシマシで私としては大変に楽しい。ここ数回、パーティの中も外も含めて複数の恋愛関係が進行して、部分的に学園青春ものと化していますが、最初からこういうノリだったわけではなく、かと言ってこの展開が唐突だというわけでもありません。それぞれにひねくれていたり事情があったりして、むしろ安易にくっつけることはできない関係だったのが、時間を積み重ね、キャラクターに人間としての奥行きが生まれたことで、彼はここできっとこうする筈、彼女ならここでこう考える筈、という動きが呼び起こされて、今の人間模様が生じているのです。一方で、そうして人間関係が動き出した直接のきっかけはまったくの偶然、10章でのサイコロの出目の大事故だというのも、TRPGならではですね。


EX団氏 【東方卓遊戯】EXボスのSW2.0 8-EX【SW2.0】 15年09月12日

GM:八雲紫 SM:洩矢諏訪子 PL:二ツ岩マミゾウ、八雲藍、藤原妹紅、封獣ぬえ、古明地こいし、フランドール・スカーレット
6章あたりでも同じことを感じましたが、パーティ分割を余儀なくされてメンバーがバラバラになると、会話からぐっと遊びが減ってシリアスになる。全員集合するとまた、堰を切ったようににぎやかになる、という対照が、このパーティをよく表しているな、と。それぞれ単独では、決して明るい人生を送っているわけでも、四六時中楽しげなキャラクターであるわけでもないんですよね。視聴者コメントで、マーシャル(マミゾウ)と二人だとアンディ(ぬえ)が存外シビアでハードボイルドだ(コセット(こいし)やフレア(フラン)と一緒に居る時とは違って)、という話がありましたが、逆に言って、彼は普段、コセットやフレアと一緒に過ごしているからこそ "へたれなアン兄ちゃん" で居ることが出来るんだよな、と。
それから、コメント返し回の中の、ほんの軽口めいた一言ですが、コセットの「ひょっとして、私はみんなからそれほど大事にされていないのだろうか」という台詞が味わい深いですね。子ども組の3人って、端から見れば、一緒くたに騒がしくてまだまだお子さま、としか思えないでしょうが、それぞれ当人自身から見ると、いや私は1人だと結構まともで大人だよ、という認識になるのもよくわかるんです。そういう自意識と他者からの評価のずれが、自分は周りに理解・評価されていないかも、という意識が芽生えるタネとして存在する。その上でさらに、コセットの場合に固有の事情がある。すなわち、恐がりで、引っ込み思案で、いろいろわけありなフレアは、気に掛けてあげないといけない、ということがみんなにわかりやすい。それに対して、いつも気ままで一人でも勝手に楽しそうにしているコセットは、大人から何か言われる時は大体怒られたりたしなめられたりする時だし、軽口叩いて適当にからかったりあしらったりして大丈夫な存在だと思われている。彼女が面と向かって、気に掛けているよ、君は愛されているよ、とストレートに伝えられることって、平常滅多にないのでしょう。コセットがそういう扱いを全然気にしないで楽しくやっていられる子だ、というのは実際、大体その通りなんですが、だからと言って彼女にだって、ふと周りとの関係にさびしさや不安を覚えたり、ちょっとした言葉に傷ついたり、ってことがない筈がないわけで。コセットが1人で楽しくあれる気ままな人間だ、ということはたぶん、彼女の日常がたくさんの、小さなさびしさや傷つきと共にある、ということと一体なのです。
で、もしフレアとコセットが元から大家族で暮らして来た姉妹なら、こちらは "構ってもらえる末っ子ポジション" であちらは "損をするお姉ちゃんポジション" なんだよな、みたいなことを当人同士自覚できてしまったかもしれません。が、そうではないので、どちらも思ったまま感じたままで周りに対して振る舞っているし、お互い同士も非常にフラットな関係を築いている、というのがまた、味噌で。極度に引っ込み思案なフレアですが、近頃パーティの中では、とりわけコセット、アンディに対しては、遠慮なしにずけずけものを言っていて、その内容が結構辛辣だったりしますw。ラン(藍)やモカ(妹紅)がいる今も、おそらくは家で暮らしていた頃も、フレアのことを気にかけてくれる年長者は周りに少なくありません。けれども、自分を気にかけてくれる人に対して、すぐに遠慮したり、関係の変化を怖がったりしてしまうのがフレアという子なので、何の遠慮も不安もなく互いに言いたい放題できる同年代の友人って、彼女にとって本当に貴重なものなんだろうな、と。
そんなわけで、先に触れたコセットの「私は大事にされていないのだろうか」発言で言及されている場面って、視聴者から見ればむしろ、フレアがどれほどコセットを大切に想っているかがよくわかる場面なんですよね。だけど、バタバタした状況でそれが当人にはあんまり伝わってないようで、だからと言って変に話がこじれるでもなくなんとなくそのまま済んでいる。そんな、ちょっとしたすれ違いのありさまに、おかしみと哀しみを感じます。この何気ないすれ違いの描写が積み重なってこうこうこういう大事件を呼び起こす伏線になっているから凄いシナリオだ、とか、そういう話ではなくて。互いに大事な相手の筈なのに、幸せな時間を過ごしている筈なのに、自分にしかわからないさびしさや、不安や、満たされなさや、傷つきが日々たくさんあって、それでも一緒に過ごしていく。好きな人、大切な人と一緒にいるって、きっとそういうことなんだ。
こんな調子で、書きやすいのでついつい子ども組のことばかり書いてしまいますが、もちろん大人組も大好きです。というか最初はこの後にランとマーシャルについて書いて、次にモカについて書くつもりだったんですが、記事が終わらなくなるのでここで止めます。


BBB氏 【SW2.0】鈴奈庵の積本供養 6-5 15年11月04日

GM:本居小鈴 PL:博麗霊夢、霧雨魔理沙、ルーミア、赤蛮奇、茨木華扇、東風谷早苗
コハク(霊夢)さん因縁の敵との戦いの決着、という展開。キャラクター各々に強いポリシー、こだわりがあって、各々がそれを反映した生き方をしている、という物語なので、PC同士の議論の結果当初の予定と違うところに話が流れていく、というのがいかにもらしいし、戦闘の中に、また戦闘前後の短い会話の中に、それぞれの人生、それぞれの性格が凝縮されているようで、熱い決闘でした。あと、プレイヤーたちのGMいじりと、それに対する小鈴ちゃんの百面相しつつの反応が相変わらず楽しい。


BBB氏 【東方卓遊偽】第三の剣は無かったろう論 15年11月07日

登場人物:稗田阿求、本居小鈴
この動画に対して、真剣になって反駁しているコメントがたくさんついているのが、興味深い現象です。自分が当たり前に正しいと思っていることをひっくり返される不快感、みたいなものを感じるんでしょうね。それに対して、いやそういうツッコミ以外にこの作品の受け取り方、楽しみ方があるのでは、という違和感を表明しているコメントもないことはないですが、そういう違和感を、スマートにわかりやすくコメントするのはなかなか難しそうな感じです。まあ一般に、ここが間違っているからいけない、とか、ここが悪いからダメ、とかスパッと切るコメントに比べると、いやこの作品はこういうところが面白さなのでは、とか、こういう風に読んだ方が楽しいのでは、とかいう受け取り方の提示は、簡潔にまとまりにくくて、ニコ動のコメントシステム上には載りがたいものだと思います。
私としては、この動画のどこがどう面白いと思ったか。一つは "着眼点" であり、もう一つはそこからの "展開" だと、私は捉えています。動画で着眼されているポイントは大まかに二つあって、ひとつは、マナという、ラクシア世界のいろいろなものの成り立ちに関わっている筈の重要な存在が、神話を信じると、歴史の途中で人為的に作り出されたものになってしまう、ということ。もう一つは、第三の剣カルディアと賢神キルヒアをめぐる設定が、曖昧かつ変遷している(メタ的には、つまりカルディアとキルヒアの設定が発表当初は固まっていなくて、後付けで追加・修正されて現在の形になっている、ということ)、ということ。そこに着眼することで、あれ、マナが途中で出来たものだとするとマナが出来る前の世界って一体どんな状態なんだ? 「第三の剣」って、結局のところ一体どんなものなんだ? という素朴で大きな疑問が生じてくる。細かいつじつまがどれだけ精密に説明できているか、ということよりも、普通は何も思わずに通り過ぎてしまうところで、でも疑問を持って想像してみると不思議で面白い。そういう着眼点を提示していることそのものに、面白さがある。
そして、その着眼点から、どのような展開を導き出すか、というのは、またちょっと別の問題で。導かれた結論が、普通は誰も真面目に考えないような突飛な説で、だからその途中の理屈にいかに無理があるか、という指摘が出て、なるほどそれはもっともなのですが。楽しみ方という点では、たぶんもう少し違う感じ方ができるのです。一見してありえない筈の説で、でももし本当にこうだったらいろいろひっくり返って楽しいよな、あれ、この説に従うと綺麗に説明できちゃうことが結構あるような、ひょっとして……、という、その”もし本当だったら楽しい” "ひょっとして本当にそうかも……" を味わえたら、面白くなるのだと思います。言い回しを変えると、あさっての方向へ進んでいる筈なのに、勢いで無理やりそこへドライブされる感覚そのものの面白さ、そして、今までと全然違う見方を手に入れることで、世界を今までとまったく異なる形で解釈できるようになる面白さ。そういうものが、この動画の "展開" が持っている面白さかな、と。
ようは、作者の意図と、視聴者(の、少なくとも一部)の間にちょっとしたすれ違いがあって、作者は『トンデモ本の世界』のノリで楽しんでくださいね、というつもりで提示したけれども、視聴者は "トンデモ本のウソを暴く" という心境で受け取っていた、という話なんでしょうね。ネタだとしてもネタだと(自分が)わからなかったからいけない、という身も蓋もないわかりやすいコメントがありましたが、処世術としてはまったくその通りだと思います。「MMR」でも「川口浩探検隊」でもいいですが、みんながネタだとわかる形式に則って、ここからここまでの期間がネタですよ、だからここでは真面目に受け取らないで呼吸を合わせてコメントしてくださいね、と、そういう動画にしておけば視聴者にとってわかりやすくて楽だからそうしてくれ、という話。 まあそれは、作品にどういう面白さが内包されているか、ということとは関係ない話なんですが。
あと、本編『鈴奈庵の積本供養』の方でこの動画に言及しているコメントがいくつかあって、つまりそれは本編をちゃんと追っていて、書き手がどういう特徴と魅力を持った書き手であるかをわかった上でこちらの動画を見た視聴者の意見、ということになるわけですが、そちらだと、こういうところが良かったから面白く見た、という感想が当たり前に出ているのもまた、興味深いし、腑に落ちる現象ではあります。


ゆらゆら氏 【卓遊戯】 東方緋想剣 session 15-9 【SW2.0】 15年11月15日

GM:博麗霊夢 PL:比那名居天子、八雲紫、東風谷早苗、多々良小傘
15章に入ってからこの方、もう毎回が楽しくて楽しくてしょうがないのですが、同時に今章でいよいよ一区切りだという。いざ完結した時の、私の "緋想剣喪失ショック"がどれほど辛いだろうと、一週が過ぎれば過ぎるほどに怖いわけです。いっそのこと、あの15-3話やこの15-9話みたいな、ああこの回を見るために私はここまで見続けて来たんだなあ、と心底幸せになれるような展開なんかさっぱり起こらないで、あのシリーズも好きだったけどねえ、最後の方はなかなか大変で、まあ物語をまとめるのって難しいからこんなものだよねえ、という終わりだった方が、私はなんぼか気が楽だったんじゃないだろうか? いやいや、そんなバカな。
ともあれ、振り返って、やっぱり14章は難しかったし、これからいざ戦闘という段階に入ったら、また難しいところがたくさあるだろうな、とは思います。基本的に、ターシャ(小傘)たちの理想って、時間がないから、余裕がないから、とにかく目の前にあるどうしてもやらなければならないことをやろうね、という考え方とは遠いところにあるものです。目の前のどうしてもやらなければならないことをやる、という行為を "覚悟" だとか "決断" だとか "成長" だとかだと思っている人が世の中には案外多いようなのですが、それは単に、生存術、処世術、というものであって。14章は、ただ生存するために行動しなければならない局面が実に多かったし、また、大きくて単純な枠組みでものを括って捉え、大きくて単純な言葉でものを語らなければならない局面が実に多かった。それはたとえば、"愛" とか、"戦士" とか、"一般人" とか、 "決意" とか、"守る" とか、"味方" とか、"人族" とか、そして "英雄" とかいった言葉だ。
他方で、この物語は「冒険者」の物語なのだから、ただ言葉で語り、会話で交流するだけではなくて、あるいはただ旅をし探検するだけでなくて、アクション、活劇の要素もまた欠かせざるピースであって、そういう面での14章は、間違いなくひとつのクライマックスでした。ただ、この記事で取り上げている中にもいくつもあるような、戦う自分も相手も揺らぎようのない一つの極点であって、両者は決して相容れず、ただ燃え尽きるまで戦えば、後くされなど一切なくスカッと終われる、というような敵・味方の関係と、このお話の戦いのありようは違うので。むしろ、この上なく胸のすくような勝利だった筈なのに、一点の曇りもなく鮮やかな解決をした筈なのに、果たして本当にこれで良かったのだろうか……、と、どうにも割り切れない、引っかかるものが残り続けてこそ、この物語らしいのかもしれません。
……過去や未来の前に、今の話をしましょう。現状、バルバロス(蛮族)側を代表するヴォルクライア(宇佐見蓮子)、人族の商業国家バルナッドを代表するローディー(リグル)、そしてターシャ一行、という3者の間で交渉が行われています。3人の考えは、大まかな目的においては一致している。けれども、細かい個別の決めごとや手順においては、ヴォルクライアにはヴォルクライアの、ローディーにはローディー個人の立ち場での利害というものが、当然存在する。そこで、彼ら個人の、あるいは彼ら二人の間だけで共有できる利益が反映される方向に話がまとまろうとした時、どちらの個別の利害にも寄り添っていないターシャが、ローディーあるいはヴォルクライア個人にとっては微妙に損になる、でも全体として全員の利益が大きくなることが了解できるからどちらも飲まざるを得ない、というプランを出して、それが通っていく。これは、9章の頃にミョウ(妖夢)やユーシア(幽々子)が、意見の違う冒険者たちの間に入ってやっていたのと同じふるまいです。この旅の間に出会った人たちからターシャが何を学んだかが、今の彼女のふるまいそのものの中に凝縮されているんだ、ということ。
もう一つ、テンシ(天子)・ヴィオ(紫)・ターシャ・シャナ(早苗)という4人が、外との付き合い以前に、パーティの中に、互いに相容れない、わかり合えない多様性を持った集団であって、それをすり合わせて来たのが彼女たちの歩みだ、と、これは前に書きました。今、そのパーティの中での多様性が、さまざまな立ち場、さまざまな性格の人と話し合い、関係を結ぶ上での彼女たちの武器となり、ターシャを支えている、ということ。まっすぐに自分の意志を伝え、相手の意志を問えるのはターシャ。理屈を立てて、隙のないように慎重な交渉が出来るのはシャナ。相手の心理・嗜好を読んで心をくすぐることが出来るのはヴィオ。四の五の面倒なこと言わずに腹を割った会話が出来るのはテンシ。ズィグレ(美鈴)とわかり合えるのはテンシ、ローディーに気に入られているのはヴィオ、ユーシアの本音を聞けるのはシャナ、ヴォルクライアに信頼されているのはターシャ。いずれも単体では不器用でつぶしが利かない各々の性格が、互いに補い合い支え合うことで、4人全員としての強みになっているのです。とりわけテンシの場合、かつては、ただ単純に自分がそうしたいから、他のふるまい方を出来ないから行動していたのだと思いますが。今の彼女は、自分がやりたいことをやることを通して、ターシャの夢を叶えたいと思って行動している。やっていることそのものは変わらないんです。でも、変わらない、変えることのできない自分を、器用にはなれない自分らしさを、どうやって大切な人、大切なもののために生かすのか。自分でそうありたい、と言った通りのありようで、今のテンシはターシャを支えているんですね。
それにしても、どんなに重大なやりとりが交わされる回でも、どこかで視聴者が飛びつくような、コメントが弾まずにはいられないような楽しいひとときを入れ込んで来る、作者のバランス感覚、というか、今この時にこんな楽しい時間が必要だ、こんな楽しい時間がほしい、という自分自身の心の声を聴き取れる能力みたいなものは、一体なんなんでしょうね。
視聴者は、作者にどんな高邁な意図があったとしても、作品にどんな深遠な真理が籠められていたとしても、それと同じ水準で、四六時中深く思索しながら精緻に作品を観察している、ものではないわけで。たいがいは、ちょっとした暇つぶしに面白おかしいものを見て笑ってやるか、というくらいの意識しかなくて動画を見ているのが視聴者。で、たまに誰かが、もっとガチで深い意見交換をした方がいいんじゃないか? とか思ってコメントしても、それは充実した議論を呼ぶ、というよりは、コメントが荒れてみんな嫌な思いをしたねえ、という結末になることの方が多かったりする。
でも、それでいいんじゃないですかね。このシリーズを見ていても、あの子が可愛いとかこの子がチョロいとかこの場面が面白おかしいとか、コメントが愉快に盛り上がれるのは、大体頭空っぽでネタコメント打てるような時で。シリアスになったらなったでお決まりの荒らしの人が現れて、いつも同じパターンの言い合いになって、みたいな。けれども、そんなバカみたいなことばかりやってる視聴者たちは、ならば何も考えていないのか、いつまで経っても進歩しないのか、というと、決してそうではないのです。眺めていると、私が考えているくらいのことは当たり前に理解している人が、私が気づかないことに気づける人たちが、このコメントの中にたくさんいるんだな、と思うことがたくさんあるわけで、それだけ私たちは、目には見えなくても、日々作品から様々なものを受け取っているのです。『東方緋想剣』を見ていると、だからまあ、やっぱりニコ動にはコメントがあるからいいよね、と思える。それはそれだけ作品が視聴者を育てている、ということだと思いますが、そんな作品がここにあるのは、本当に幸せなことです。


Miyako氏 【東方卓遊戯】GM小町の従者卓 Session3-4【SW2.0】 15年09月21日

GM:小野塚小町 PL:魂魄妖夢、鈴仙・優曇華院・イナバ、十六夜咲夜、射命丸文、東風谷早苗
誰かが頑張って場を盛り上げて、みんなで場を面白おかしくするために力を振り絞って、だから楽しい、というのではなく、ただ気のおけない仲間たちと一緒に過ごしているだけで、この時間が楽しい。この場にいるキャラクターたちが楽しんでいる、ということ、そして、何がそんなに楽しいのかが、にじみ出るように、手に取るように伝わってくる。毎回毎回、見ているだけで実に幸福な気持ちになれるシリーズです。
ラビ(鈴仙)の言語感覚が好き、ってことは前に書きましたが、ラビひとりの言動に留まらず、ネーミングセンス、印象的で楽しい言葉のフレーズを生み出すのが実に巧みな作者です。前回発表されたパーティの名前など、ほとほと感嘆しました。たかがパーティのネーミングひとつ、と思われるかもしれません。でも、パーティの名前を付けるのって、ギャグ一本の作品であれば、冒険企画局のゲームが実際にルール化しているみたいに、ランダムに適当な単語をくっつけてむちゃくちゃなフレーズをこしらえるだけでもいいわけですが、そうではなくて、人間関係を慈しんで大事にしているようなシリーズほど、ふさわしく綺麗で格好のついた名前をつけるのが困難で、苦労している印象があります。フレーズとして綺麗にまとまっていて、作品の世界観の中で違和感のない言葉で、そしてパーティの特徴・志向をぴったり表現している。そんな名前をあっさり編み出せるのは、並のことではないなあ、と思うのです。いえ、ラビ大好きな私としては、「爆走ラビッツ」で行ってほしかった気持ちもなくはないですがw。
シリーズが全体として何を描こうとしているのか、どこに向かっていくのか、みたいなことって、1セッションや2セッションではわからないことが多くて、このシリーズも、この先どう発展していくのか、まだまだ想像がつきません。ただ、2章でラビとジル(咲夜)の間のわだかまり、3章でメイ(妖夢)のエルフへの感情、という、ミニマムでとても身近な人の心の問題が扱われていて、そしてミッションを通しての他人との出会いの中に、その問題に呼応したり、ヒントになる事柄があったりする。たとえばそういう、今描かれているものが、物語が重なっていった時にどんな意味を持ってくるのだろうか、とか。ミク(早苗)とイヴ(文)だったらどんな事柄が主題になるのだろう、とか。とにかく彼女たちのこの街でのシティアドベンチャーの様子をもっと見てみたい、とか。あそこが気になる、ここはどうなるのだろう、あんなところもこんなところも見てみたい、と、見返すごとに期待と希望がふくらむ作品です。
リアルの生活の重みに比べれば、ニコ動上の活動なんて吹けば飛ぶように軽いものなので、普段、直接的に続きを要望するようなことはなるべく書かないようにはしているのですが、このシリーズに関しては自分の中での今後への期待が大きすぎて、末永く続いてくれることを願わずにはいられません。


sayuki氏(ほんわかの人) 阿求UVのパラノイアTRPG2-10 15年08月21日

UV:稗田阿求 PL:封獣ぬえ、比那名居天子、鍵山雛、東風谷早苗
2012年にゆっくりTRPGが爆発的に流行った時の旗手の1人で、私が東方動画を見始めたそもそものきっかけの動画(『秘封一家のクトゥルフTRPG』)を作った人でもありますが。最近は東方MMDでの投稿が多くて、このシリーズは15ヶ月ぶりの新回。作者のブロマガを読むと、TRPGの方が制作に時間がかかると書いてありますが、得心のいく話です。MMDで連載している『東方ほんわか日和』が、"いろいろなテレビ番組をザッピングして細切れに映している様子を流す" という体裁であることが示すように、ナンセンスな言葉遊びと突飛な展開を次々に繰り出すのを得意とする作者で、たぶん細かい個々のネタはいくらでも浮かんでくるのだと思います。ただ、続き物となると、前後、全体を考えて構成を練らないといけなくて、もう少し違う神経を使う必要がありそうで、まあだから、最近の「高速卓」を名乗るようなTRPG動画では、続き物としての体裁をはじめから放棄しているものも少なくないわけですが。
さて、もっぱらコメディ動画の作り手として認知されてきたsayuki氏ですが、6月の「第7回東方ニコ童祭」では、ストレートな "幻想郷讃歌" とでも言うべき内容のMMDドラマを出して来て、視聴者を驚かせました。とは言え、それは必ずしもまったく予想外の出来事ではありません。『東方ほんわか日和』の内容を見ても、回を追うにつれ、単にシュールで笑えるネタを並べる、だけではなく、ネタを通してキャラクターの可愛さ、微笑ましさを見せる、後味の良い安心できるオチを用意する、という傾向が強まっている印象があったからです。元来東方卓遊戯でデビューし、ゆっくりTRPGの有名作者の中でも東方色の強い作り手でしたが、デビューから3年経って、自分の生活も界隈の様相も移り変わっていく中で、あらためて "東方という世界が好き" "東方のキャラクターが好き" というところに動画作りのベクトルが収束していく、あるいはそこに立ち戻ってきたのが、この人の 今 なんだな、と。
そして、この、東方であること、東方が好きであることに立ち戻っていく、という志向は、本作最新回においても反映されているように思います。もともと本作は、ザッPの『THE P@RANOIAM@STER』に強く影響され、ザッPのパラマスを大きく参考にして作られていた節があります。(それは、とりわけ各PCの性格づけに顕われていて、響子→春香、雛→雪歩、メディスン→亜美 と比較できる。2期で響子が抜けて ぬえ が入る展開も、パラマス2期で春香が抜けて夢子が加わるのと似ている。)
では、どういう部分がパラマスにはない本作のオリジナリティなのか。ひとつのポイントは、パラマスがいわば「パラノイア」というゲームの世界観そのものを忠実に表現しようとした作品なのに対して、本作は、この世界観の下でもある種の信頼関係やコミュニケーションが成立し得る、ということを描いた点だと思います。それはたとえば、初心者が付いてこられるよう配慮してふるまい、合理性よりもかっこよさを優先する天子のプレイイングスタイルだったり、長いこと一緒に遊んでいることで一種の相互理解や阿吽の呼吸が成立している、2期での天子と雛、雛と響子の関係だったり。(パラマスに無いものの提示、という点でいうと、さらに、仲のいい連中が集まって、ノリを合わせワイワイ騒ぎながら "仲間同士で実際に遊べるゲーム"、としての「パラノイア」像を提示した、諏訪子に祟られたい人『さとりの完璧で幸福なTRPG』シリーズが挙げられるでしょう。)
この、「パラノイア」という世界の中で成立するコミュニケーションを楽しむ、という特色が、最新回ではより強まっていると思うのです。とりわけ早苗の言動に顕著だと思いますが、いかに自分がゲーム上有利に立つか、だけでなく、いかに状況を全体としてより面白おかしい方向に持っていくか、いかにこの「パラノイア」という世界ならではのシチュエーションを楽しむか、という意識、姿勢が強調されていて、キャラクター同士が出し抜きあい押し付け合うゲームでありながら、同時に譲り合いや協力が成立している一面がある。それはまた、キャラクター個人の魅力がやりとりの中で引き出されてくる、ということでもあって、この場面の早苗がかっこいい、とかこの場面の雛が輝いている、とかここのHOUTYOUが可愛い、とか(HOUTYOUがなんであるかは一言で説明しにくいので、実際に動画をご覧ください。)、そういう話題で視聴者が盛り上がる。
上に述べた事柄は、本シリーズのもう一つの特色とも関わっています。「パラノイア」というシステムは、TRPGという遊びそれ自体に対する風刺、パロディである、という側面がありますが。このゲームの、どこがどう風刺であり、パロディなのか。ひいては、数あるシステムの中でわざわざこの「パラノイア」を選択して遊ぶということに、一体どういう意味があるのか。それを突き詰めて表現したのがザッPのパラマスであり、この点において、単に面白おかしい「パラノイア」動画には事欠かない今日に至っても、なおパラマスという作品は孤立した巨峰だと私は認識しています。そして、もう一つ、パラマスとはまた違う形で、「パラノイア」というゲームの性質を照らし出している作品があるとすれば、それは本作でしょう。
パラマスは、設定、ストーリー展開、演出をかっちり固め、動画の中の世界を迫真性をもって描き出すことで「パラノイア」の世界観に迫りました。一方、本作が武器としているのは、"言葉" そのものです。ナンセンスな言葉遊びを得意とする作者と、言葉による主張がゲームの進行に影響する度合いが大きいシステムである「パラノイア」は相性がいいですが、単に動画の中に言葉遊びがあるとネタとして面白いからいい、というだけの話ではなくて、言葉遊びは、この動画の本質そのものだと言ってもいいのです。
各々のキャラクターが、目の前の状況をしのぐために、口から出任せの言葉を並べ立てる。すると、吐き出された言葉によって状況が描き出されて、結果、その状況によって自分たち自身が振り回され、追い詰められていく。言葉を武器として振り回そうとすることで、結局喋っている自分自身が振り回される、そんな不条理な状況を、ゲームとして遊び、その状況を笑う。それは、ゲームだと思わなければ笑えない状況を、ゲームだと仮想することによって笑いの中で捉え直す、ということでもあり、自分で馬鹿馬鹿しい状況を生み出している自分自身を笑う、ということでもある。「パラノイア」というゲームの、ひいては「TRPG」というゲームの中から何を抉り出して笑いを生み出しているのか、という点において、本作は一等突き抜けた地点に到達しつつあると、私は考えています。
シリーズを通して考えていたことをこの機会にといろいろ突っ込んでしまって、話が拡散している感じですが、何より言いたかったのは、この人の動画を好きで良かった、この新作を見られて良かった、と心から思える回だった、ということです。PCの死亡もなければ爆発もなく、誰かが暴走するわけでもない、「パラノイア」としては極めて派手さがない、動きの少ないとも言える回だったわけですが、だからこそ、一つ一つのバカバカしい言葉のやりとりに命運がかかっているという緊迫感と、ものすごく真剣にすっごくバカバカしいやりとりをしている脱力感、という、ゲームの、作品の持ち味がクリアに顕われていたと感じます。天子の「よくわからないもの」を連発した名台詞、阿求の二択になってない二択、響子とぬえのカレー問答など、これぞほんわか節という言い回しの炸裂。やたら前向きにサイコロ勝負に挑む天子、雛の堂に入ったすまし顔、唐突に挿入される早苗の打ち切りエンド風号令等々、これぞこのシリーズのキャラクター達だよなあ、という言動の数々。『阿求UVのパラノイアTRPG』の天子に、雛に、早苗に、ぬえに、HOUTYOUに、響子に、そして阿求に、また逢えて、本当に嬉しいな、と心から思います。


アイマスにしろ東方にしろ、アイマスであり東方である、という素材に、題材に縛られている。単に、何か面白いもの、すごいものを作りたい、見たい、というだけであれば、そんな縛りはいらないわけです。でも、動画作りから素材の縛り、素材へのこだわりを取り外してしまった時、何が起こるか。作り手が自分の作ったものを面白い、すごいと思えている、見る側からも面白いね、すごいねと言ってもらえる、という関係にしか動画が存在する意義を求め得ない、ということになるのではないか。それは、とても苦しくて寂しいことだと私は思うのです。アイマス動画とか東方動画とかは、アイマスであること、東方であることそのものが、理由になる。アイマスを、東方を好きであるというただそれだけのことが、作る理由になるし、見る理由になる。それはとても幸せなことですね、と、ここのところ私は同じような話ばかり書いている気がしますが、その気持ちはますます強まっています。



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