きのこを待ちながら


いつものことですが、私はいろんなお話を聞いたり読んだりする時、わりと細かいことばかりが気になります。とりわけ、お話の中で本筋とは別の事柄がちょこっと言及されたり引用されている時なんかは、そうですね。まあ、自分で文章を書く時は、あんまり考えないで適当に自分に都合のいいような引用をしているんですが。
そんなわけで、以下はアニメ版デレマス21話について個人的に気になったので、整理のために書き出してみたものです。

アニメ版シンデレラガールズ21話、およびバーネット『秘密の花園』の全面的なネタバレを含みます。





私が『秘密の花園』を最初に読んだのは、たぶん福音館の猪熊葉子訳で、今手元に持っているのは岩波少年文庫の2005年の山内玲子訳ですが、アニメとタイアップ(?)しているのが光文社古典新訳文庫の土屋京子訳、ということで、以下、『秘密の花園』からの引用は原則的に、光文社版の訳に依ります。また、アニメからの台詞の引用にあたっては、「あー」「わぁ」などの感嘆詞や、間の空け方などは無視しています。










00:10~
本田未央「変な館に、周りには何もない荒野! まったく、ひどいところだわ! 私のいた国じゃ、服の着替えから何から、みんな召使いがやってくれたのよ。私の言うことは、何だって」

第4章「マーサ」の、メアリとマーサの会話がベース。

p.43「あんた、ムーアは好きかい?」
「きらい」メアリは答えた。「大っきらい」
「そりゃ、まだ慣れてないからさ」マーサはそう答えて。また暖炉のほうを向いた。
「いまはだだっ広くて何もないように思うかもしれないけども、そのうち好きになるさ」

p.46「(前略)だからさ、自分で服ぐらい着られないのか、って言ったんだよ」
「着られるはずないでしょ」メアリはひどく憤慨して答えた。「生まれてから一度だって自分で服なんか着たことないんだから。アーヤが着せてくれることに決まってるんだから」

ただし、屋敷(館)が「変」という言い回しが具体的に出てくるのは、より後段の章。第9章のタイトルがそのまま、「ほんと、へんなお屋敷……」。

p.140
「ほんと、へんなお屋敷……」

p.202
「まあ、ここはなんて変わったお屋敷なの!」メアリは言った。「ほんとに変わってる! 何もかも秘密で。お部屋は開かずの間だし、お庭も開かずの間だし……(後略)」

メアリによる、屋敷が「変」「変わっている」という表現が出てくるのは、いずれも"屋敷の奥に閉じ込められている人間がいる" ことを示唆する場面。



3:32~ 
日野茜「そんなものは自分でやることさ。それにね、あんたの言うように、何もないわけじゃない。外には、宝物がいっぱいさ。あんたには、それが見えないだけ」
未央「見えない、ですって」


前のシーンに続き、4章のマーサとの会話から。日野茜がマーサ役、本田未央がメアリ役。アニメ中の台本「秘密の花園」の台詞に出てくるキーワードのほとんどは、原作で重要な意味を持つ言葉であるが、「宝物」という言葉は原作中には出てこないと思われる。

p.43-44
「あたしは大好きだよ。あそこは、何も生えてないわけじゃない。いいにおいのするもんがびっしり生えてるんだ。春や夏にハリエニシダやエニシダやヒースの花が咲くと、そりゃきれいだよ。甘い蜜のにおいがするし、空気がそりゃうまいんだ。空がそりゃ高く見えるし、ミツバチがブンブンいって、ヒバリが歌って。うん! あたしは絶対にムーアのないとこなんかにゃ住みたくないね」



11:49~ 
未央「コマドリさんは、ここが秘密の花園だって、教えてくれたわ。でも、大丈夫かしら。みんな、すっかり枯れちゃって」
高森藍子「何を言うんだい。ほら、あの青々とした木の芽を見てごらん」
未央「これ、生きてるの? じゃああのバラは?」
藍子「おれらと同じさ。"ぴんぴん" してる」
未央「バラは、この花園は、生きているのね」


コマドリに導かれて秘密の花園に到達するのは、第7章「あのお庭の鍵だわ!」から第8章「コマドリに導かれて」にかけて。

p.104
「古いバラの木が生えてるお庭よ」メアリは聞かずにいられなかった。どうしても知りたい。「お花はみんな枯れちゃってるの? 夏になったら咲く花もあるの? バラは?」
「あいつに聞いてみな」ベン・ウェザースタッフは両肩をコマドリのほうへすぼめてみせた。「知っとるのは、あいつだけだ。ほかには、一〇年前からだれも見た者はおらん」

p.120
「あんた、きのうは鍵のありかを教えてくれたわよね。きょうは、ドアの場所を教えてくれない? でも、知ってるはずないか!」
コマドリは揺れるツタの小枝から塀の上に飛びうつり、くちばしを大きく開けて、「ぼくを見て!」と言わんばかりに美しい声を高らかにころがした。(中略)
メアリは、アーヤが語ってくれたお話の中で「魔法」のことをたくさん聞いていた。だから、その直後に起こったことは「魔法」のなせるわざだったにちがいない、といまでも思っている。

花園の植物に関する会話は、第11章「ヤドリギツグミの巣」のディコンとの会話がベース。高森藍子がディコン役。内容的には、第9章の、メアリが1人でバラ以外の植物が生きていることを発見する下りと、第11章の、バラが生きていることをディコンに教えられる下りとが一つにまとめられている。

p.125
「これ、みんな枯れちゃってるのかなあ……。このお庭、みんな枯れちゃってるのかしら……。そうでないといいんだけど」
p.127
「何もかも枯れちゃったお庭ではないみたい!」メアリは小さな声でつぶやいた。「たとえバラが枯れてるとしても、ほかのものが生きてるわ」

p.164-165
メアリはまた思わずディコンの腕に手をかけ、「バラは咲くかしら?」と、声をひそめて尋ねた。「ね、わかる? わたし、もしかしたら、みんな枯れてるのかと……」
「いいや、そんなことはないさ! みんな枯れてるなんてことはないよ!」ディコンが答えた。「ほら、ここ、見てみな!」(中略)
「枯れた枝もけっこうあるから、そいつは切らんと。それと、古くなった枝もあっちゃこっちゃあるな。だけど、去年出た新しい枝もあるぞ。ほら、ここ……これが新しい枝だ」(中略)
メアリも神妙な表情で触ってみた。
「これ? これ、生きてるの? ほんとうに?」
ディコンは大きな口にいっそう大きな笑いを浮かべて、「ぴんぴんさ、おれらと同じ」と言った。メアリは前にマーサから「ぴんぴん」というのは「元気」とか「生き生きしている」という意味だと聞いたのを思い出した。

ヨークシャー訛りで喋るディコンの、"wick" という特徴的な言い回しを「ぴんぴん」と訳すのは、土屋京子訳に準拠していると思われる。
原文では

"It's as wick as you or me," he said; and Mary remembered that Martha had told her that "wick" meant "alive" or "lively."
(Project Gutenbergのテキストに依る)

ちなみに山内玲子訳では

「あんたやおいらとおんなじくらい、元気しとるよ」とディコンはいいました。そこでメアリは、マーサが「元気する」というのは、ヨークシャ弁で「生きている」とか「いきいきしている」という意味だと教えてくれたのを思い出しました。
(『秘密の花園』上巻(岩波少年文庫 2005)p.178)



16:07~ 
未央「あんたみたいに勝手な人なんて、もう知らないわ」
島村卯月「坊っちゃま、落ち着いて」
渋谷凛「ぼくはもう生きられないんだ。ベッドから動けなくなって、ぼくは、春が来る前に……」
卯月「かわいそうな坊っちゃま」
未央「馬鹿ね。あんたはちっとも弱ってなんかないじゃない。あんたの病気の半分は、あんた自身よ。自分に呪いをかけてるんだわ」
卯月「まあ、メアリーさん、なんてことを」


前半の未央と渋谷凛の会話は、第16章「絶対にお断りよ!」のメアリとコリンの会話がベース。未央がメアリ役、凛がコリン役。

p.271-272
「このわがまま女!」コリンが叫んだ。
「どっちがわがままよ!メアリがやり返した。「わがままな人って、みんなそういうこと言うのよね。自分の思いどおりにならない相手を、みんなわがまま呼ばわりして。あんたの方が、わたしよりずっとわがままよ。あんたみたいにわがままな人間、見たことないわ」
「ぼくはわがままじゃない!」コリンが言い返した。

p.273-274
「ぼくはおまえみたいにわがままじゃない。だって、ぼくはいつも病気だし、そのうち絶対背中にこぶができるんだもの。それに、ぼくはそのうち死ぬんだし」
「死ぬもんですか!」メアリは同情のかけらもなしにいい返した。
(中略)
「何だって? 死ぬに決まってるさ! わかってるくせに! みんなそう言ってるんだから」
「わたし、そんなの信じないもの!」メアリの口は辛辣だ。「あんたなんか、人の同情を引くためにそう言ってるだけよ。自慢してるんじゃないの? そんなこと、わたし信じないから! あんたがいい人なら、そういう話もほんとうだと思うかもしれないけど、あんたなんかひねくれ者だから!」
コリンは背中が弱いことも忘れ、人並みの怒りにかられてベッドに起きなおった。
「出て行け!」(中略)
「ええ、出ていくわよ! 二度と来てやらないからね!」

後半の未央の台詞は、第17章「ヒステリー」から。ただし、「自分に呪いをかける」という言い回しは、原作中にはない。

p.284
「とまらないんだ!」コリンはあえぎながらしゃくりあげた。「とまらないんだよ……とまらないんだよぉ……」
「とまるわよ!」メアリがどなりつけた。「あんたの病気は、半分はヒステリーとかんしゃくなんだから。そんなもの、ただのヒステリー、ヒステリー、ヒステリーよ!」メアリは「ヒステリー」と叫ぶたびに足をドンと踏み鳴らした。

なお、この場面での島村卯月の台詞に相当する言葉をしゃべる人物は、原作中に存在しないと思われる。16~17章のメアリとコリンの会話には、場面によって何人かの屋敷の使用人が居合わせているが、内容的に卯月の台詞のようなことは喋っていない。

p.229
メアリはマーサを連れてきた。気の毒に、マーサはがたがた震えている。コリンはまだしかめつらをしている。
「おまえはぼくの機嫌を損ねてはいけないんだろう? ちがうか?」コリンは高飛車にただした。
「はい、坊っちゃまのご機嫌を損ねないように、と言われております」マーサは真っ赤な顔をして、言葉につかえながら答えた。
「メドロックはぼくのご機嫌を損ねてもいいのか? どうなんだ?」
「みんな、坊っちゃまの機嫌を損ねてはいけません」

p.247
「海辺の保養地に連れていかれるたびに、乳母車に寝かされてるぼくをみんながじろじろ見るんだ。(中略)ひどいのになると、ぼくのほっぺたをさわって『かわいそうな坊やねぇ!』なんて言うやつもいた。(後略)」

p.275
「何を笑ってるの?」
「あなたたち二人のことよ。あの病弱なわがまま坊やには何よりだわ、自分に負けず劣らずわがままに育った相手とやりあうなんて」そう言って、看護婦はまたハンカチで口を押さえて笑った。(中略)
「コリンって、死ぬの?」
「さあ。わたしにはどうでもいいわ。病気といったって、半分はヒステリーとかんしゃくですからね」

p.287-288
「わたし、知りませんでした。」看護婦がおずおずと口を開いた。「坊っちゃまが背中にこぶがあると思っていたなんて、知りませんでした。(中略)ひとこと尋ねてくだされば、わたしからも、こぶなんかないと言ってさしあげることができましたのに」
(中略)
「ぼく……大きくなるまで……生きられると……思う?」


17:09~
凛「ぼくは、君と違って、体も弱くて。本当に、外に出られるの?」
未央「わたしだって、ここに来た時は、体も弱くて。それに、外だって大嫌いだったわ。でも、マーサやディコンが教えてくれたの。外は宝物でいっぱいだって。そうよ、空は高くて、ハリエニシダやヒースやバラが芽吹いているの。外の空気を、いっぱいに吸って」
凛「ぼくも、いっぱい、吸えるかな……」


基本的には、第14章「若きラージャ」のメアリとコリンの会話がベースと思われる。メアリによる「マーサやディコンが教えてくれた」事柄への言及、「ハリエニシダやヒース」が生える場所への言及、かつて「外」が嫌だったことへの言及、コリンによる、自分が「外」へ出られることへの疑義(否定)、の要素がここに登場する。やや長めに引用する。

p.234-235
「その子はムーアが好きなのか?」コリンが聞いた。「あんなにだだっ広くて何もなくてつまんない場所がどうして好きなんだろう?」
「ムーアはとってもすてきな場所よ。きれいな草や花がいっぱい生えてるし、小さな動物もいっぱいいて、みんなせっせと巣を作ったり、トンネルや巣穴を掘ったり、友だちどうしでさえずったり、歌ったり、ちゅーちゅーお話したりしてるの。みんな、地面の下とか木の上とかヒースのしげみの中でせっせと働いて、とっても楽しく暮らしているの。ムーアはそういう植物や動物の世界なのよ」
「きみ、どうして、そんなにいろいろ知ってるの?」コリンはひじをついてからだの向きを変え、メアリを見た。
「ほんとのこと言うと、わたし、自分ではまだ行ってみたことがないの。暗い夜に馬車で通っただけ」メアリはとつぜん、あの夜を思い出した。「そのときは、ぞっとするほどいやな場所だと思ったわ。でも、最初にマーサがムーアの話をしてくれて、そのあとディコンからも聞いたの。ディコンの話を聞いてるとね、まるで自分の目で見て自分の耳で聞いたみたいな気分になるのよ。まるで自分がヒースの中に立っていて、おひさまの光を浴びて、ハリエニシダの甘い香りがにおってくるような気分になるの。あちこちにミツバチやちょうちょが飛びまわって……」
「病気だと、何も見られないんだよね」コリンは何となくそわそわしている。遠くに耳なれない音を聞いて何だろうと考えているような、そんな表情だ。
「そうね、部屋にいたら見られないわね」メアリが言った。
「ぼく、ムーアなんか行けっこないんだ」コリンがうらめしそうな声で言った。
メアリは少しのあいだ黙っていたが、思いきって言ってみた。
「行けるかもしれないわよ……いつか」

ただし、アニメのこの部分の会話は、この場面ひとつにとどまらない原作のいろいろな要素を取り込んだ、かなり複雑なもののように思われる。若干細かく見ていきたい。

・コリンによる 自分の "体の弱さ" についての言及は、すでに何度も出てきている。ただし、「君とは違って」に類する台詞は原作にないように思う。それは必然性のある事柄で、初めて遭遇した時、メアリとコリンは互いに相手を「幽霊」ではないかと考える(第13章「ぼくはコリンだ」p.199-200)。二人は似た者同士、本質的に同じものを抱えた存在であって、この点が、導く者/導かれる者の間に明確な差異がある、『小公子』『小公女』の主人公と周りの人間の関係、あるいはディコンとメアリ、スーザン・サワビー(ディコンの母)とコリンの関係と大きく異なった、この二人の関係の特徴である。だから、たとえ出会った時点での体の強さや行動の積極性に多少の差があろうとも、コリンの中で自分とメアリが "違う" という認識は生じないのが自然なのだ。

・メアリの「外が大嫌い」だった具体的なエピソードは、第3章「ムーアのはてへ」。

p.39
行けども行けども、馬車が目的地に着きそうな気配はない。この吹きさらしのムーアはどこまでも広がる暗黒の海で、馬車はその中に続くひとすじの細い路地を進んでいるのではないか—メアリは、そんな気がしてきた。
「いやだな……。わたし、こんなとこ、きらい」メアリは薄いくちびるをますますきつく結んだ。

・メアリの弱かった体と「外」の関係については、第4章「マーサ」にある。

p.74-p.75
毎朝、楽しいことのひとつもない子供部屋で朝食をとる。そして、朝食のあとはいつも窓辺に立ち、どこまでもはてしなく空までせり上がっていくような広大なムーアを眺める。しばらくそうして眺めているうちに、外へ行かなければずっとこの部屋にいて何もすることがないまま過ごさなくてはならないのだ、という現実に思いいたる。そして、しかたなく外へ出て行く……。
 本人は自覚していなかったが、これがメアリにとっては何より幸いなことだった。(中略)庭の小道や並木道を足早に歩いたり走ったりするようになったおかげで全身の血のめぐりがよくなり、ムーアから吹き下ろす強い風に逆らって進むうちにからだが強くなっていった。

・「マーサやディコンが教えてくれた」は、前述の通り、直接的にはp.234の「マーサがムーアの話をしてくれて、そのあとディコンからも聞いた」と対応していると思われる。ここで注目したいのは、こと「ムーア」(=屋敷の領域の外側に広がっている野原)に関する限り、メアリにとってマーサやディコンが "教えてくれた" というのは、文字通り、自分の目では見ていないがマーサやディコンの言葉で教えてもらった、という意味になる点である。引用文中にもある通り、この時点でメアリ自身は、一度も「ムーア」へ出かけたことがない。それどころか、物語の終わりに至るまで、メアリとコリンが「ムーア」へ、屋敷の外へ出ることは一度もないのである。
マーサやディコンの話を聞いて「ムーア」の想像をふくらませる、スーザン・サワビーに会いたいと願う、といった話の流れからすれば、メアリあるいはコリンがディコンに連れられて「ムーア」に遠足する、スーザン・サワビーの家まで遊びに行く、といったエピソードが生じておかしくないように思えるが、実際にはこの物語はそうした展開には向かわない。これは興味深い点ではあるが、今は措いて続きの台詞を見る。

・「ムーア」の "空の高さ" への言及は、前出p.43のマーサの台詞にあるが、p.234-235のメアリの台詞の中にはない。p.234-235を見ると、メアリが(マーサやディコンからの情報で)描いている「ムーア」のイメージは "地面が生き物で満ちあふれている" (「ムーアはそういう植物や動物の世界なのよ」)というものが中心で、”高さ” や ”広さ” のイメージは希薄であることがうかがわれる。

・アニメの台詞で「ハリエニシダやヒースやバラ」と3つの植物が並列に挙げられているのは、非常に面白い。p.234-235のメアリの台詞には「ハリエニシダ」と「ヒース」への言及のみがあって、「バラ」はない。なぜならば、「ハリエニシダ」や「ヒース」が庭の中に生えていたら、園芸植物の生育を邪魔する雑草であって、これらは人が管理するものではない「ムーア」だからこそ生い茂っているものであり、他方、園芸植物である「バラ」は人が管理する庭にこそ育つものだからである。(とりわけ、作中にいくつも登場する園芸植物のうちでも、「バラ」はコリンの母がかつて造った特別な花園、「開かずの庭」だけに生えている存在である。)
つまり、原作において「ムーア」と「開かずの庭」は、その場所を象徴する植物の違いによって、明確にその性格が区別されている。アニメにおいては、「ハリエニシダやヒース」と「バラ」を混ぜ合わせて一緒に並べることで、「ムーア」と「開かずの庭」がごっちゃに一体化した「外」のイメージが描き出されているのである。

・コリンが「外の空気を、いっぱいに吸」うのは、第19章「春が来た!」。

p.316
「窓を開けて!」(中略)「天使のラッパが聞こえるかもしれないぞ!」
コリンは冗談半分だったが、メアリはあっという間に窓辺へ行って、次の瞬間、窓を大きく開け放った。(中略)
「ほら、外の空気よ」メアリが言った。「あおむけに寝て、ゆーっくり深呼吸してごらんなさい。ディコンもムーアに寝転がってるとき、そうするんだって。そうすると空気が血管の中まで届くような気がして、からだがじょうぶになって、ずっとずっと生きられるような気分になるんだって。ほら、深呼吸して。もっと」



18:14~
未央「そう、私には、冒険だった」
凛「ぼくは、君の見ているものを見たかった」
卯月「コマドリが、呼んでいる、あの花園」

凛「なんて美しいんだろう。ぼくは、もっと早くに、ここに来るべきだったのに」
未央「大丈夫。これからだもの。明日も明後日も、ここに来ましょう」
卯月「そうさ。春の次は夏、その次の秋も、冬も、ずっと、ずっと……」
未央「恐れずに踏み出せば、花園は、わたしたちを待っていてくれるわ!」
凛「花園は、生きる輝き」
卯月「花園は魔法の場所」
全員「花園は、わたしたちの心」


要約的な内容の台詞が多く、原作中にそのまま該当するような会話はない。一貫して未央がメアリ役、凛がコリン役と思しいので、消去法で卯月がディコン役? というところだが、卯月の台詞は内容的に誰が喋っていてもいいような感じで、特にディコンに当てはめる必要もないように思われる。

「冒険」「恐れずに踏み出す」は原作中にないキーワード。

「花園」の「美しさ」「生きる輝き」は第21章「ベン・ウェザースタッフ」。

p.342
 この世に生きることの不可思議というべきか、人生にはごくたまに、自分がいつまでも永遠に生きられると確信できる瞬間が訪れる。
(中略)
 そして、四方を高い塀に囲まれた秘密の花園で、生まれて初めて春を見て聞いて感じたこの日、コリン・クレイヴンにもそのような瞬間が訪れたのだった。この日の午後は、全世界がひとりの少年のために持てる力をつくして完璧な姿を披露し、光り輝く美しさとやさしさを惜しみなくふりそそごうと決意したかのようだった。

「春の次は夏」も第21章のコリンの台詞にある。

p.350
「ぼく、もう外の空気しか吸いたくないくらいだ。こうやって春が見られたから、次は夏も見るんだ。この庭でいろんなものが大きく育つのを見るんだ。そして、ぼくもここで大きくなるんだ」

「魔法」は原作の重要なキーワード。第23章のタイトルがそのまま「魔法」であるが、この章以降を含めると例が多くなり過ぎるのと論点が広がるので、22章までの部分のみ引用する。

p.298
 秘密の花園は、いまや日ごと夜ごとに魔法使いが通りすぎて魔法の杖で土の中や枝の先から美しいものを引き出していくように感じられる季節を迎えていた。

p.339
三人が秘密の花園にはいり、車いすが魔法のように停止し、緑色のドアが閉まったあと、ようやくコリンは両手を下ろした。

p.346
「あのときコマドリが飛んできたのは、魔法の力だったのよね。そうよ、魔法にちがいないわ」—あとで、メアリはこっそりとディコンにそう言った。

p.348
 メアリは、ディコンが魔法に関係のあることを話しているのだと思った。メアリも魔法を信じていた。そして、ひそかに、ディコンは自分のまわりのものすべてに魔法—もちろん、よい魔法—をかける力を持っているにちがいない、だからみんなから好かれるし動物たちもディコンを信頼するのだ、と思っていた。実際、ディコンのそんな力が働いたおかげで、コリンが危険な質問を口にしたあのとき、絶妙なタイミングでコマドリが飛んできたのではないだろうか、とさえ思っていた。午後のあいだずっとディコンの魔法が働いていて、そのせいでコリンがまるで別人のように見えたのではないか、とも感じていた。

p.361
「きみ、魔法をかけたのか?」コリンは鋭い口調で聞いた。
ディコンの口もとに明るい笑みが広がった。
「あんたが自分で魔法をかけたんだ。こいつらが地面から顔を出すのと同じ魔法さ」
ディコンはそう言って、ごついブーツで草むらにかたまって咲いているクロッカスに触れた。
 コリンもクロッカスに目をやった。
「ああ、そうか……。こんなすごい魔法はないよな……ほんとに……」コリンはゆっくりとした口調で言い、いちだんと背すじを伸ばした。

p.362
 メアリは、魔法が続きますように、コリンがずっと立っていられますように、と願いながらコリンに向けて言葉をつぶやきつづけていたのだ。

第22章までの「魔法」について、簡単に要約する。
・「魔法」は、子どもたちが「秘密の花園」に足を踏み入れ、その内部を見聞きするに伴って頻出するようになるキーワードである。
・コマドリ、ディコン(および、例示を省略したがスーザン・サワビー)は、「魔法」と深い関わりを持った存在である。
・「魔法」の力は、生き物が生まれ育つことに関わるものである。

「開かずの庭」→「秘密の花園」が子どもたち、屋敷に関わる人間たちの心と呼応する存在であることは、随所に示唆されている。

p.160
「わたしのお庭ではないの。でも、だれのお庭でもないの。そのお庭はだれもほしがらないし、だれもお世話しないし、だれもはいっていかないの。きっと、もう何もかも枯れて死んじゃってるかもしれないの……わからないけど」

p.207
「だって、あなたが生まれたときにお庭のドアに鍵がかけられて、鍵が埋められたんでしょ? それから一〇年のあいだ、鍵がかかったままなんだもの」




以上、メモ終わり。

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