盆とアイマスが一緒に来た気分


天才カゴシマP 「真夏のアリバイ」 (アイドルマスター・夏のノベマス)短編 15年08月12日

上記動画ほか、天才カゴシマP作品のネタバレを含みます。







記事を書く前に、『夏休みは終わらない』が削除されたことに気づいたもので、双手を挙げて喜びの舞を舞う、という気分でも無くなってしまいました。まあ一視聴者としてはね、あの発想の玉手箱のような怪エピソードだったり、あの痛快極まりない名台詞だったり、あの見とれるワンカットだったり、あれやこれやの輝かしい時間が、いまニコ動上にコメントと共に存在していない、というのは惜しい。本当に惜しいですが、仕方ない。仕方のないことです。


それはそれとして、天才カゴシマPが帰ってきてくれました。カゴシマPが現在進行形でニコマスに居て動画を見せ続けてくれている、ということは、私にとって本当に大きな事柄だったので、こんなに嬉しいことはありません。
どこがどう面白いから、とか、こんな風に考察のしがいがあるから、とかいう以前に、ただただシンプルに素直に、アイマスは楽しいなあ、アイドルは美しいなあ、と思える。私にとってカゴシマPの動画は、そういう場所なので。

で、動画の具体的な内容に関してあまり整ったことを書けそうもないので、この記事をどうしたものかなあ、と思っていたのですが、くろ さんの記事が、押さえるべきところをしっかり押さえた素敵なレビューなので、私は気楽に勝手なことを書いていこうと思います。

『真夏のアリバイ』は、真と千早の出会い、真と美希の出会い、という二つのイベントが柱になっていますが、ここで出会う相手が千早、美希なのは、これまでの各作品での彼女たちの扱いからしても納得のいくところだと感じます。千早、美希は、どちらも、これまでカゴシマP作品の中で、特別な魅力を湛えた美人、として扱われてきた存在だからです。

カゴシマP作品の中では、登場人物の中で誰が美人扱いで誰が美人扱いではないか、という格差がかなりはっきりと、かつ固定的に存在します。
美人じゃない、性的魅力がない、持たざる存在として扱われている筆頭は、たとえば春香であり、律子ですね。美人で性的魅力のある存在として扱われている中には、たとえば雪歩や伊織がいますが、この二人は美人ではあってもまあ庶民的というか凡人の範囲内というか、スター的な存在ではありません。
それに対して、明確に特別なスター性を持った存在として描かれているのが、美希と貴音になります。ただ立っているだけで耳目を集めずにはおかない、ただ居るだけで異性を誘引して狂わせずにおかない、なんにもしないでも自然と周りから1人だけ浮いてしまう。そういう、隔絶した魅力と特別な存在感を湛えたスター。

かたや春香や真というのは、取り柄らしい取り柄が何もない、その上でしかも不器用で型に嵌まらなくて、どこに居ても自然と爪弾きになり、はぐれ者になっていく存在。
美希や貴音と比べると、一見両者は対極なようですが、どうあっても世間の、日常のレールからドロップアウトせざるを得ない存在だという点において、実は相通じるものがあります。そして、それ故に互いに通じ合える部分もあるし、相手がまぶしい理想に見える部分もある。すなわち、美希や貴音から見れば、春香や真は自由で自分らしい生き方を貫いているヒーローだし、春香や真から見れば、美希や貴音は自分に欲しかった力を備えて自分が輝きたかった場所で輝いているアイドルになるわけです。

他方、千早も各作品において、美人で性的魅力に富んだ存在として描かれていますが、その立ち位置は、美希や貴音とも、また違っています。
『無免許&轢き逃げ 逃避行』や『夏のナンセンス』の千早は、自分の生まれ育った村や町で普通に暮らして、そのまま普通に死んでいくであろう存在。『アイドル・ガード』の千早はアイドルで歌姫。全然違う境遇のようですが、確固たる自分の居場所を持っていて最終的にそこから離れない、という点が共通しています。いずれのストーリーも、放浪者である春香が移動することで千早と出会い、春香が移動することで再び別れていく、という構図になっています。春香にとって、どんなに強く惹き付けられても、どんなに強く願っても、同じ場所で一緒に居続けることは出来ない存在が千早。

そんなカゴシマPの千早の性質には、二つの側面があるように思われます。一つには、どうあっても日常からドロップアウトしないと生きられない春香や貴音に対して、千早にはどんなにつまんない日常の中に生きていても、埋没することなく自分が生きる道を見いだせる強靭さがあって、だから春香にも貴音にも選べない道を選べる、という側面。『ナンセンス』や『ガード』の千早には、そういう強靭さが強く顕われています。

他方、そういう人格的な、あるいはステージ上のイメージからの説明とは違う要素もあるでしょう。
時間の流れから取り残されたようながらんとした田舎の風景の中に、古風で野暮ったいセーラー服姿で現れた、『逃避行』の千早。いつか遠い昔に撮ったセピア色の写真の中で微笑んでいる少女が、そのまま色づいて動き出したような。
美希が、景色の中から浮き出して一瞬の鮮烈な輝きを放つ存在だとすれば、千早は、すでに失われた輝かしい景色の中に、溶け込んで一体化したまま目に焼きつく存在。

何の話をしてるんだ、って感じですが。
カゴシマPの動画の核には、いつも景色があります。それは、どこにもそんなものは無かった筈なのに、どこかで体験した気がしてならない、輝かしくて懐かしい景色。
その景色の一方を代表するのが千早であり、もう一方を代表するのが美希であって、だからこの動画も、1人の少年が2人の少女と出会うお話になっているのかな、みたいな。


ところで、じゃあ春香さんはどうなんだって言うと。カゴシマP作品では千早にも美希にも、誰かが彼女に見とれる瞬間、というものが描かれていますが、春香さんに関してそういうシーンはありません。まあ実際、カゴシマP作品で春香さんが一番美しく撮られているカットって、誰も彼女のことを見ていない瞬間だったり、何気なく通り過ぎてしまうようなさりげない一瞬だったりすることが多い気がしますが、つまりは、それに気づいて、なんだ、春香さんだってこんなに美しいじゃないか、と言うのは、視聴者だけの特権なのです。
作品の中で春香がスターだとか特別な存在だとか大真面目に論じるのは真くらいのものですが、作者自身の言葉によれば、「私の中で天海春香とは、永遠のスーパースター」なんだそうです。




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