まっすぐ存命説


アニメ版シンデレラガールズ16話のネタバレを含みます。






アニメ版デレマス16話の前川みく について何か書こうかな、と思ったんですが、みく とねこみみについては前にちょろっと書いた覚えがあるなあと思って、読み返したら、まあこれでいいか、という気分になりました。
それ以外の話題と言うと、私はアニメ版デレマス 2nd Seasonの新キャラである美城常務については、特に意見も興味持ち合わせていません。ただ、彼女に耳目が集まるのはわかります。
つまり、15話の高垣楓にしろ、16話の安部菜々と前川みく にしろ、アイドル当人の心の動きだけに目を向けている分には、なるほど今回はこんな話でしたか、いいですね、凄いですね、と言っていられるのだけれども、周りの状況に目を向けようとすると、なんだか複雑でひっかかるところがたくさんあって、どうなっているんだ? と考えだすと、必然的に常務の存在に矛先が向かわざるを得ないんですよね。

16話で言えば、
・「安部菜々」という人間
・「ウサミン」というキャラクター
・安部菜々が "アイドルとして売れる" ということ
の3者の関係を考えた時、次のどちらかであれば、話はわかりやすいわけです。

①安部菜々は本当はウサミンなんて演じたくないが、演じないと仕事を貰えないので嫌々やっている。
②安部菜々は、ウサミンさえやらなければちょっとはましな売れ方をする可能性があるのに、本人がやりたいからウサミンをやっている。

①②のどちらかであれば、菜々の前には"売れる" を選ぶ道と "やりたい" を貫く道の二択があって、どちらを選ぶかは彼女の決断ひとつ、というシンプルな構図に整理できる。
けれども実際の16話は、そのどちらでもありません。まあ、菜々のウサミンキャラに対する思い入れとか、ウサミンキャラを始めた経緯とかって描写されていないので、そもそも菜々が自分のウサミンキャラをどう思っていたのかって、わかりません。ただ、少なくとも、嫌なのに仕事だから我慢してやっている、という関係ではなさそうです。
そして、16話での様子を見る限り、「ウサミン」を演じない菜々は全然客にウケず、ウサミンやってた時の方がなんぼかましじゃないか、という状況があります。
すなわち、16話を菜々本人の状況だけについてまとめると、

③安部菜々のウサミンキャラはそれなりに成功していて、本人も演じることに前向き。にも関わらずやめさせられる

という、どうしてそんな展開になるのか、って話になってしまうわけです。

そんな展開が、しかし現に成立しているのは、そこにもう一つ、「会社」という存在が噛んでいるからです。
第一に、ウサミンキャラをやめさせるのは、それが「会社の方針」だから、ということ。第二に、こちらの記事が詳細に考察されているように、そもそも「ウサミン」というキャラクターがそれなりに露出し、認知を得られている状況自体、別に菜々がコツコツとウサミンの魅力を広めた成果などではなくて、会社による全面的なサポートと演出によって作り上げられたものだ、ということ。
菜々に「ウサミン」をやらせない、というのは、単に当人がうさみみつけてキャハッ☆とやらない、というだけの話ではなくて、会社が「ウサミン」を成立させるために掛けていたコストを、今後は支出しませんよ、という話であるわけです。

「高垣楓」や「如月千早」なら、たとえ一切の支援や演出がなくとも、自前の喉ひとつでどんな場所でも自分のステージに出来ることでしょう。
けれども、現状の「ウサミン」は、ゲームとのタイアップ、ウサミンのノリに合致し、気の利いたフォローをしてくれる司会者がいるバラエティ番組、スタッフによるウサミンコールやメルヘンチェンジの演出、といった、会社による諸々のバックアップなしには成立しない存在です。
cha73さんの記事にならって費用対効果という観点を入れれば、果たして「ウサミン」は会社が掛けたコストに見合った業績をあげていたのだろうか? という議論が出来るわけで、たしかに常務の方針にも合理性があるのかもしれないね、と言えるでしょう。

まあ、私は先にも書いた通り、常務の、あるいは常務登場以前の会社の方針がどれだけ合理的かってこと自体は、どうでもいいのです。私にとって重要なのは、安部菜々本人にとって、その出来事にどんな意味があるのだろう、ということです。
菜々に「高垣楓」になる資質は、おそらく無い。他方、会社のバックアップなしに独りでうさみみ付けてキャハッ☆とやってみたところで、それもたかが知れている。周りから見てどうかという以上に、長年地味で細々とした芸能活動を続けてきたのであろう菜々自身が、そういう認識を痛切に持っている筈です。

つまるところ、会社から「ウサミン」へのバックアップが打ち切られた時点で、菜々自身がどちらの道を選ぼうとも、もはや彼女がアイドルとして輝ける展望は、存在しないのです。
自分からお笑いを取ったら何が残るのか、と言った子がいましたが、16話で方向性を考え直すよう言われた他のアイドルたちも同じですね。どう頑張っても「高垣楓」にはなれない彼女たちは、今までの方向性へのバックアップを打ち切られた時点で、緩慢で遠回しなリストラを宣告されたも同然であって、あとはいつ、もう君を養ってはおけないと会社から言われるか、それとも自分から幕を引くか、というタイミングの問題でしかありません。

加えて安部菜々の場合には、母親と思われる人からのメッセージで示されている、菜々固有の境遇の問題が存在します。彼女は、今すぐ花嫁修業してどこかに嫁ぎでもしないかぎり、アイドルどうこうという以前に今後どうやって生きていけるというのか、そういう切羽詰まった境遇にいるのです。
私、菜々が母からのメッセージを聞いた後の、「まだ諦めたくない」という台詞を、最初、まだ"「ウサミン」であることを"諦めたくない、 という意味かと思ったんです。でも、よく考えたら違うんですよね。
今から何をどう頑張っても、アイドルとして成功する目はありそうもない。だったら、今すぐにでも引退して親の意見に従った方がいいというか、それ以外に道はない。でも、まだ "アイドルであることを" 諦めたくない。たぶん、そういう話だ。

菜々は何故、会社の新しい方針に唯々諾々と従ったのか。みく と違って大人だから、そうせざるを得ないことを理解できるから。そういう面は確かにあるのかもしれませんが、それが全てではない。
もっとも合理的に行動するならば、そもそも方針を告げられた時点で、わかりました、引退して実家に帰ります、と言うべきだった。
でも、まだアイドルであることを諦めたくない。だから、武器でありこだわりである「ウサミン」を捨ててもなお、アイドルとして目指す舞台にたどり着ける、ほんのわずかな可能性に賭けようとした。最後のステージで何をしたか、という以前に、あのステージに立っていること自体が、菜々にとって一つの決断だったのです(すっぱり思い切った判断をしたのではなく、迷い、思い定まらない状態だったことも明らかですが)。

E.L.カニグズバーク著/松永ふみ子訳『クローディアの秘密』のクローディア・キンケイド嬢と言えば、わが青春の2大ヒロインのうちの1人でありますが。『クローディアの秘密』は、このクローディアが家出をする物語ですが、彼女は結構な野心家かつ自信家であって、家出の間に、いろんなことをやろうと画策します。
けれども、結局のところクローディアは、自分で思い描いたような成功を何一つ手に出来ないまま、旅費は無くなり、警察の捜索はすぐそばまで及んで、もはやおとなしく家に帰る以外に選択肢はない、という状況に立ち至ることになります。
その時、一緒に家出してきた弟、ジェイミーが言います。家出をして、こんなに面白いことをたくさん体験できた、だからもう充分じゃないか、と。
けれども、クローディアは答えるのです。今帰ったら、何も残らない。家を出た時とは何か「ちがった自分」になって帰るのでなければ、自分が家出をした意味は無いんだ、と。
まあ、クローディアの場合はアイドルを目指したわけじゃないんで、ステージで何を掴んだとか掴めなかったとか、そういう話にはなりませんが、安部菜々の「まだ諦めたくない」という言葉を聞いていて、ちょっとそんなシーンを思い出したりしました。

あと16話で思ったのは、プライベートな時間に親からのメッセージを聞くってシチュエーションが11話の多田李衣菜と同じかってこととか、16話で前川みく と武内Pの行動で全部がうまく運ぶ、という展開になったということは、1期のパターンからするとどこかでそれに対するどんでん返しが入るんだろうなあ、ということとかですが、そこらへんはもっと細かく考えて書いている記事が探せばありそうな気があるので、この記事はこんなところで……。

と、ここまで書いたところで、zeitさんの新しい記事を読んで、さてどうしよう、ここで終わっていいものか、という気分になったんです。


こう、16話についての何人かの方の文章を読んで思うのは、最後のステージで安部菜々がやったことって、そんなに難しい話なんだろうか、ということです。
私はあれを、アイマス的にというか、少なくともニコマス的にはごく当たり前のお話だと思ったんだけれども、それは私が、ニコマスの中でも偏った部分ばかり見てきたせいなのかもしれません。

愛識Pの『ラノベっぽいアイマス』というノベマスを、真面目に全部読んでますという人が今どれくらいいるかわからないのですが、ステージの話とか大して出てこないこの物語の中に、しかし一つだけ、舞台上での天海春香を描いたエピソードがありました。そしてそのエピソードの中に、観衆の中で1人だけ周りと全然違うことをやっている、デレマス16話の みく みたいな人間が出てきます。まあ、この春香さんは別に、メルヘンチェンジ的な鮮烈なアクションは何もしないんですけど。
むしろ、ステージ上でアイドルが変身することで、敵ばかりだったフィールドを自分の色に染め変えていく、というパターンの話は、昔の春香ノベマスには結構あって、おまんP・わかむらP『覇道』なんて動画はその典型でしたね。そして春香さんに限らずこういうパターンの話は今でもあって、たとえばアニメ版デレマスの10話なんか、綺麗に当てはまると思います。
そういうパターンを、なぞりそうでなぞらないのが愛識Pのこのエピソードの面白さでもあって、『ラノベっぽいアイマス』のステージでは、みく役以外の観衆は敵だったわけでも無関心だったわけでもないし、春香さんはパフォーマンスの結果何かを塗り替えたわけでもありません。ただ、たった1人だけの声が、ステージにいる人間に何よりも重い力を及ぼす瞬間が存在する、そんな光景を描いている点は同じです。

あるいは、テラフガシPの『Heart Rocker』という紙芝居。天海春香の狂信的なファン3人が、事もあろうにライブ中の春香を誘拐してしまう、というお話ですが。誘拐された春香さんが暢気に楽しそうにしているのは何なのか、ほっぽり出してきたライブのことは気にならないのか、という疑問が、投稿当時から言われています。
でもこれ、単純なことなんですよね。さっきのイベントには、アイドル天海春香を待っている3万人のファンが集まっていた。けれども、今目の前には、アイドル天海春香を待っている3人のファンがいる。あっちは3万人、こっちは3人、だからあっちのステージはこっちのステージの1万倍優先されるべき、でしょうか? あるいは、前者は事務所で正式に企画したイベント、後者は非公式に個人的にお願いされただけ、だから前者が優先されるべき、でしょうか? 
大人が仕事する時の理屈としては、そうでしょう。でも、"ファンのみなさんのことが好き" "ファンの前でのステージが好き" ってのは、そういうことなんですかね? 
今、目の前には自分を待っているファンが居る。だから、今のために全力で頑張るし、今を全力で楽しむ。きっと、それだけのことだったんですよ、春香さんにとっては。

別の話をすると、天才カゴシマP『春香の 無免許&轢き逃げ 逃避行』に、世の中いちばん大事なのは希望だよ、って台詞があります。無免許で人を轢いて逃げてきて、あたしの人生あとはとっ捕まって牢屋に入って死ぬだけだ、世の中夢も希望もクソもあったもんじゃねえや、と思っている人間が、言い放つわけです。希望を捨てるな、と、赤の他人に向かって。
シチュエーションや言う相手は違うけれど、レストPの『陽気なアイドルが地球と踊る』の春香の言葉も、内容としては相通じるものがあります。こちらには、「希望」の代わりに「ロマン」というキーワードがありました。どう考えても世の中はつまんなくて苦しいことばっかりなんだけど、にも関わらず、世の中ロマンってものが存在するんだ、と大真面目に断言した人間が居て、それを大真面目に信じ込んだ人間がいる、というお話。
そういえば、ておくれPの『アイマスクエストⅣ』にも、ちょっと似たテイストの台詞がありました。「いい? 勇者には必ず世界が味方するのよ」って奴。まあ、ておくれPのお話は、結局それぞれ何を考えていてどう話が転ぶのか、まだわかんないんですけど。

あるいは、陽一Pの『Bullet×M@sters』。春香さんが「まっすぐ」を歌う、ってエピソードがあります。「Bullet」=弾丸、なんて題しているお話ですから、劇中ではしょっちゅう銃弾が飛び交ったり人と人が殺し合ったりしていますが、そういう世界で春香さんには何ができるかというと、歌を歌う以外に能がない。なので春香さんはとりあえず歌ってみますが、銃弾が飛び交っているところで歌を歌っていて何が起こるかというと、たまに自分が撃たれたり周りの人間が撃たれたりするイベントが発生するくらいで、歌は何の役にも立たないっていうか、むしろ迷惑なわけですよね、普通に考えたら。じゃあ、なんのために歌なんか歌うんだ、というお話。実際、自分の歌なんて無い方がいいんじゃないか、というところまで、この春香さんは追い詰められるのですが。

まあ、アイドルに向かって、なんでお前は銃撃や格闘が出来ないんだ、と言っても仕方ないわけで、『Bullet×M@sters』のお話でも、まともなライブを成立させるためにアイドルの周りに飛び交ってる銃弾をどうにかしましょう、というのは、実際にはプロデューサーや事務所のお仕事でした。
そういう、プロデューサーの側の領分、という点から言うと、デレマス16話の武内Pは実に隙のない仕事をしていると思います。安部菜々本人をどうにかするのは、前川みく をぶつければいいとして、それだけでは、イベントそのものは成功しない。だから、あらかじめスタッフに手を回して裏からのサポート体制を万端に整えておく。
16話の武内Pには、このアプローチとサポートの先に、必ずや安部菜々が笑顔になれるステージがある、という確信と勝算があったんでしょうね。1期当初の武内Pだったら、その確信は無根拠だったり手順にすっぽ抜けている部分があったりしたのでしょうが、今の彼は、現にシンデレラプロジェクトの各々のユニットと、笑顔になれるステージを作ってきた経験と自信に裏打ちされているわけで。

ただまあ、ニコマスにおけるプロデューサーは、必ずしもそんなまっとうな仕事の仕方はしてこなかったのが現実で、むしろP自身が前川みくレベルの視野で暴走している例が多々ありますね。
先にあげた『ラノベっぽいアイマス』なんてその最たるもので、春香さんたった1人をどうにかするために、他の何人ものアイドルも物語世界全体もぐちゃぐちゃにしています。
たかだか1人のアイドルをどうにかしようとして、いろんなものをぐちゃぐちゃにしてしまったプロデューサーの例は、ニコマスでは枚挙に暇がありませんが、そういうPはアニメの世界の765プロや346プロだったらたちまちクビになっていることでしょう。しかし、ニコマスPは仕事でプロデューサーやってるんじゃないし、私も仕事でニコマス見てるわけじゃないんで、それでいいんです。


何が言いたいのかっていうと。
たった今、目の前に、ウサミンを待っているファンが居る。
だから、ウサミンはそのファンの前に、降臨しなければならない。
それだけの話だと思うんです。

助けを求める子どものところに飛んでこないヒーローはいない。待っているファンの前に現れないアイドルはいない。
何故そうしなきゃいけないのか自分でもわからない、でもそうせずにはいられないから行くんだ、と言ったのはパーマン1号こと須羽ミツ夫ですが、大人になろうが人生崖っぷちだろうが、彼は同じことを言うでしょう。
とおくでよんでる声のするところに、かすかにつたわる声のあるところに、須羽ミツ夫がパーマンになって飛んでいくように、安部菜々はウサミンコールの聞こえるところでメルヘンチェンジするんです。
状況を考えたらそれが最期だから、決死だからすごい、というのは後先と勝敗を計算する大人にとっての物語であって、その瞬間、自分はウサミンにならなければならないと菜々が想った心の動きに比べれば、どうでもいい些細な事柄です。

前川みくは、誰よりもちゃんとわかっていました。あのステージで、何がいちばん大事だったかを。
みくが安部菜々の言う「最後」をわかっていないから、「これからだよ」という台詞があるのではありません。みく だけが、安部菜々の「これから」をわかっていたから、その言葉があるんです。
たとえば今日のステージが結局失敗で、シンデレラプロジェクトが他所のアイドルを引き取る展開も発生せず、菜々が会社を辞めたとして。明日、菜々の前に1人の子どもがやってきて、ウサミンに逢いたい、お姉ちゃんウサミンを呼んできてよ、と言ったとしたら、菜々はどうするでしょうか? 私は会社をクビになったし、アイドル業は引退した、だから君の前にウサミンは現れないよ、と言い聞かせるんですか。そうじゃないでしょう。
だから、みく の言葉が、誰のどんな理屈よりも真実なのです。最後じゃなくて、これから、なんです。今日、菜々がメルヘンチェンジしようとした瞬間、そうだったのと同じように。




  



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No title

はい。

みくはわかっていたかもしれない。それはそういう答えでもいい。

でも、わかっていたかどうか、わからない。

確実に間違いなく、みくにはそれがわかっていたんだよ、という16話であれば、よかったねと。

私が言いたいのはそういうことですね。

みくは治外法権の存在ではあります。5話はおとぎ話だったし、アニデレそのものがおとぎ話でいいのかもしれない。だから、みくにはできた。

しかし、みくでなくても、それは可能だったのか。もっというなら楓さんでなくても15話は可能だったのか。そうでないなら、やはりアニデレはおとぎ話ではないし、みくは治外法権であり楓さんは別格であるということになる。

私にはまだ、二期において魔法は発動していないと見えているということです。それはアイドルの問題ではなくて、アニデレスタッフの構成力の話という意味です。

みくに、安部さんは引退するけど、それでもいいの?という問いを突きつけることは簡単にできた。しかしシナリオはそうではなくて、引退なんかさせないと、みくに言わせたりはしなかった。

シンデレラプロジェクトに取り込むという救済だって、なくてもよかったです。でも、用意した。

おとぎ話なら、それは違うと思いました。そんなとこです。

Re: No title

zeitさん、いらっしゃいませ。

16話の安部菜々の境遇って、たしかにニュークスに似ていますね。穏当に生きて遠からず病気で死ぬか、それとも車上で華々しく散るか、という。で、やりたいことやって存分に暴れて、しかもそれで自分を愛してくれる人を守れるし愛してくれる人の記憶に自分の姿を焼き付けられるだろう、という選択肢があったら、本人にとっていいことずくめですよね。
私が一つ気になるのは、だから、もし菜々が、ここでウサミンやれば派手に死ねる、ときっちり意識してやったのだとすれば、"ウサミンやれば引退必至" という状況は、どちらかというと彼女の決断を楽にし、簡単にする側面があったのではないか。むしろ、菜々にとって本当に苦しい決断がありえたとすれば、それは親の声にも耳を貸さず、みくの声にも耳をつぶってなおアイドルとして余命を得ようとあがく、という道であったかもしれない。
16話を、うわ、安部菜々の特攻をぶっこんで来やがった! と取るならば、それは自爆したウォーボーイを、よく死んだ! お前今最高に輝いてるぜ! と賞賛する仲間たちのノリと変わらないレベルの話である気がして、それくらいなら、前後の文脈を飛ばして、ただあの瞬間、菜々はウサミンに変身しなければならないと思ったんだ、というだけの話の方が私にとっては腑に落ちる、ということです。

私の記事、みく が「わかっている」というの、何がわかっているんだかぼかして誤摩化していますが、たしかに、李衣菜にCDデビューを譲ろうとした人なわけで、状況を正確に把握していたら、あの行動になったかどうかはわからないんですよね。そこを明瞭に描いて みく に菜々をどうするかの選択を突きつけていたならば、アニデレ16話はアニマス20話に肩を並べていたかもしれないが、そうはならなかった、と。
ただ、私は、みく が何にも状況を理解していなかったとしてもそれでいい、と思って書きました。
ヒーローの事情や生活を慮りながら助けを呼ぶ子ども、なんてあんまりいないと思いますが、そこで、子どもは相手の立ち場に立てないからダメだなあ、というのは違うだろう、と。子どもはものを知らないから夢みたいなことを言ってられるけれども、大人には子どもにはわからない大変なことがたくさんあるんだぞ。子どもは気楽だね、大人は大変で偉いね。という方向に話が行って欲しくないのです。

どうなんでしょうね。相手の事情とか合理的な手順とか考えないでひたすら自分の感じたまま、希望するままで突っ込んでいく子ども。2期になって、みくのシンデレラプロジェクトの中でのそういう立ち位置はますます明確化、固定化していますが、やっぱりそのままじゃダメなんですかね。どっかでそれだけじゃダメだよ、というエピソードが必要だった筈で、16話はその最大最後のチャンスだったけれども逃してしまったねえ、ということになっていくんでしょうか。
私は実は、5話、7話、11話、12~13話とあれだけいろいろイベントがあったんだから、2期ともなれば自然にもう少し視野の広がった前川みくが居るんだろう、くらいに簡単に考えていて、14話を見たら全然そうじゃなかったので、多少とまどったりしたんですが。一方で、彼女の突っ走りっぷりが好きではあるので、どうなって欲しいのか、どうだったら良かったのか、というところはあんまり整理がついていないです。
まああれですね、私も、2期のお話の構成がうまくいっているとは思いません。14話や15話を真面目にどうこう論じよう、という気にはなれないです。

では、コメントありがとうございました。



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