響の話ではない話


前の記事で、アニメ『響け! ユーフォニアム』について書いた部分が、なんとも尻切れトンボな感じになったので、もう少し書いておこう、という記事です。同作品のネタバレを含みます。原作未読です。







序盤、顧問の滝先生が吹奏楽部に対して、無理せずに楽しく部活をやるか、それともコンクールを目指して厳しく真剣にやるか、の選択を迫る、という、大きなポイントになるシーンがありました。
すでに指摘している人がいますが、ここで滝先生が提示した "2択" には、トリックがあります。
無理のない範囲で楽しく演奏をするか・他のものを犠牲にしてでも熱心に打ち込むか、というのは、なるほど2択になるかもしれない。
コンクールを目指すか・目指さないか、というのも、2択だろう。
でも、”コンクールで勝つことを目指す” ことと、"高いレベルの演奏を目指して熱心に打ち込む" ことは、イコールではないですよね。単にありうる選択肢を列挙するのであれば、"コンクールには出ない。でも厳しく熱心にやる" という選択肢がその中にあってもいい筈ですが、滝先生という指導者はそれを言わない。
そこにトリックがあるよね、ということは意図的に表現されているのだと思いますが、しかしそれが登場人物たちによって、問いとしてそれ以上深められることはない。たしかに昔、コンクールに出る必要なんかない、と言った人たちもいたよ、でも、結局そういう人たちは単にやる気がないだけだったんだよね、という綺麗にオチがついたエピソードが語られることで、登場人物たちが "コンクールには出ない。でも厳しく熱心にやる" という選択肢についてそれ以上掘り下げて考えなくても不自然でないように処理されています。

似たようなトリックは、トランぺット奏者のオーディションの回にも存在します。一つの曲でソロを吹けるのは一人だけ。でも、そのソロを吹きたい人が二人いる。どちらかを選んで、どちらかを落とさなければならない。2択だ。それはまあ、避けがたいことだと、とりあえずはして。
ならば、その2択は、どういう基準で判断されるべきなのか。より "上手い" のが、すなわち "コンクールで勝てる音を出す" のが、3年の中世古香織でなく1年の高坂麗奈だ、ということは、はっきりしていた。だから、吹奏楽部にいる "みんな" "わたしたち" が目指しているのが "コンクールで勝つ" ことであるならば、答えは高坂麗奈に決まっています。
けれどもその場合、実は、"コンクールで勝てる音を出す" 奏者でありさえすれば、それは高坂麗奈でなくても構わない、ということにもなります。たとえばの話、これから何週間何ヶ月、ずっと高坂麗奈のソロと演奏し、高坂麗奈のソロでコンクールを勝ち抜いていけたとして、一番最後の全国大会の前日、突然高坂麗奈より "上手い" ソリストが部に転入してきたら、本番では麗奈ではなくそいつに吹かせるべきだ。理屈としては、そういう話になる筈です。

だから、本当はここにも、問いが存在していた筈なのです。それは、"わたしたちにふさわしいソリスト" とは、どんなソリストなのか? それは、"コンクールで勝てるソリスト" と同じなのか? という問いで、さらにその奥にあるのは、私たちは一体どんな演奏を目指しているのか? それは "コンクールで勝つ演奏" と同じものなのだろうか? という問いです。
けれども、形式上 "コンクールで勝つことを目指す" のが全員の了解事項だという前提でずっと話が進んでいて、今さらその前提をちゃぶ台返しには出来ない、という経緯が存在することで、問いの存在に皆薄々勘づいてないでもないのだけれど、誰も言い出さない、掘り下げないのが不自然でない、という状況が、巧妙に形作られています。 

オーディションの場で目立った行動を取った吉川優子と黄前久美子は、本人にとってやりたい・目指したいことが具体的な形で見えていて、それがオーディションでの選択に反映されている、という点で共通性があります。つまるところ、この二人の場合には、コンクールも、相対的な比較も、吹奏楽部の演奏全体も、問題ではない。吉川優子は自分が中世古香織のソロを聴きたいから、自分も中世古香織のソロと一緒に吹きたいから、中世古香織を選ぶ。黄前久美子は自分が高坂麗奈のソロを聴きたいから、自分も高坂麗奈のように吹けるようになりたいから、高坂麗奈を選ぶ。
でも、彼女たちの場合にも、見えているのはあくまで "わたしはこの場所で何を目指しているのか" であって、それが眼前に大きな課題としてクローズアップされることで、陰に隠される問いがある。それは、"わたしたちはこの場所で何を目指しているのか" という問いです。

彼女たちの前には、ずっと問いが存在している。それは、"わたしたちは何を目指しているのか" という問いであり、”いい音楽とは何か” という問いであり、そして "なぜ独奏ではなく合奏をやるのか" という問いであって、かつそれらの問いは互いに密接に絡み合っている。しかも、手がかりになりそうな事柄は、お話のあちこちに散りばめられてある。一滴の水も漏らすまいぞ、というような慎重で巧妙な手つきでもって。曰く、楽器が好き、という話。一緒に吹くと楽しい、という話。うまくなりたい、という話。
でも、正面で語られる大きな流れにおいては、手前にコンクールという歯車が噛まされることで、問いは迂回し雲散して、"選択" と"勝ち負け" を突きつけられる中で浮き彫りになる人間性と人間関係のドラマ、みたいなところに話が収束していく。いろんな要素を全部、ちゃんと計算して盛り込んである作品だなあ、というのはわかるのですが、それらがどう繋がって、最終的にどういうところに向かっていく話になるのか、私には未だに想像がつかないです。
で、続きに、滝先生についてと高坂麗奈について、個別に書こうかと思っていたのですが、書くのに飽きてきたので、この記事はここでおしまい。






関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Vinegar56%

Author:Vinegar56%

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
全記事一覧

全ての記事を表示する

検索フォーム
リンク
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数: