坩堝の中


距離感、というもの。 - 箱の外から

K_1155氏の上記記事を読んで、思い浮かんだことを。












まあ、 "4月23日" や "桃邪気Pの『隣に…』” をどう語るか、の話を一旦脇において、あずささん、とりわけ無印の長髪あずささんのイメージが「隣に・・・」に縛られすぎているのではないか、という問題提起は、以前からいろんな人がしてきたものだと思います。
私個人は、あずさ動画の中には、あずささんと「隣に…」の結びつきに対して、避け得ざる問題として向き合って乗り越えようとしたものもあった。そしてまた "4月23日" 以前も "4月23日" 以後も、「隣に…」の世界の中に納まらない、あずささんのさまざまな魅力、可能性を示す表現が数多くなされてきたのであって、ニコマスのあずささんはとうの昔にもっと先の段階に進んでいると思っています。


赤ペンPの添削日記 赤ペンPの動画レビュー番外編(その3)

おしるP 【Novelsm@ster】幸せの隣に 10年02月23日

225P あずさ「レール」 11年01月18日 再UP


ちなみに、ここで何故225Pかというと、最近の私のテーマの一つが「225Pのあずささん」だからです。私の中にはだいたいいつも、ニコマスを見るにあたって新着をチェックする以外にいくつかのテーマが走っていて、最近だと他に「ぎみっくPの春香」に「SP美希」、それから「カイザーP作品と原作の関係」、とか。容易に想像がつくと思いますが、こう並行して雑多なネタを思い浮かべていると、実際の作業として出来ることは少なく、途切れ途切れにぼんやり考えているだけで大概何の結論も出ずに終わりますが、いいんです、その時その場が楽しければ。
それにしても、この『レール』という動画、初めて見た当時もよくわかんないなあ、と思いましたが、あらためて見直しても難しい動画だなあ、と。歌詞や映像を子細に観察したり、作者の解説を読んだりすれば、動画がどんなメッセージを言おうとしているか、は説明できるようになるかもしれない。でも、結局のところ私は、なんでこの人はこんな世界を思い描いたのか、というところは、どれだけ時間をかけても理解できないんじゃないだろうか。

話を戻して、けれども見る側の意識、桃邪気Pの動画を囲む空気はどうだろうか、という危惧は、私にもよくわかります。一本の動画だけが切り出されて祭り上げられていって、それを語る言葉はただ、三浦あずさと言えば「隣に…」、「隣に…」と言えば桃邪気P、桃邪気Pと言えば "4月23日"、という単調な四題噺しか無い、という空気。そういうものが年を経るごとに強まっていって、動画がそんな見方、語り方で一色に塗りつぶされてしまうのは、たしかにとても「窮屈」なことだと思います。
そういう点で、K_1155氏の記事を読んで久々に動画を見に行って、個人的に興味深かったのは、いい加減この動画のことを祭り上げないでそっとしておいてやれよ、という方向性のコメントが結構目についたことです。一方では、あなたと出会ったのはいつでしたね、今度ドームでライブがあるそうですよ、と文字通り "墓前報告" のように語りかけるコメントもあり、逆にこの前のアニメどうだったい、今度一緒に映画見に行こうぜ、と、意識的に ”生きてすぐそばにいるアイマス仲間" として扱おうとするコメントもあり。
まあ、この動画は今も多くの人が見て日々コメントしているわけで、そして多くの人が集えばその中にはいろんな考え方が含まれている。一時ある単調な空気に支配されたようでも、そこに留まらず動いていくものがあり、新しく生まれていくものがあるんじゃないか、と思いました。


……この記事、元来はここからが本題の予定だったのですが、時間の都合で今日はここまで、ということで。




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No title

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」
「人間たちは、こういう真理を忘れてしまった」
キツネは言った。
「でも、きみは忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ」
「きみは、きみのバラに、責任がある・・・」

サン=テグジュペリの「星の王子さま」を読んでから、この一節を時おり思い返し、私と私にとってのバラに対する「責任」というものを考えています。

この記事で触れていただいた拙記事も、件の動画と私との、個人的な感じ方の変化を記しておくことが、ひとつの「責任」であろうとあげたものです。ですので、文章中に記した「窮屈さ」「不自由さ」というものも、コメントによるものというよりは、むしろそれを見る私自身の中に原因があるのだろうと、今はそう考えています。

ご指摘の通り、止まったように思えるあの動画の「時」も、あるいはそこから生まれたニコマスのあずささんの「時」も実は動いていて、そこにはニコマスのあれやこれがゆっくりと降り積もっていくのでしょう。そんな中で、今の私がどう感じたか、あるいは感じなかったか、という極めてミクロな記録だったワケですが、そこからVinegar56%さんが何かを感じ、考えを進められたのであれば、それはとても嬉しいことです。

それでは、今回はこれにて。
返事が遅くなり、失礼いたしました。

Re: No title

K_1155さん、いらっしゃいませ。
私の記事自体、K_1155さんの記事から1週間経ってからの反応ですし、ブログというものは忙しない世の中にあっても、自由な時間差をもって言葉のやりとりを出来るところが醍醐味だと思っております。どうぞ、コメントは気の向いたタイミングでなさってください。私もそうしております(笑)。

そうですね、感じ方は時々刻々変わっていくもので、自分が今この時何を感じていたか、ですら、すぐにわからなくなっていくものです。ましてや、他人が同じ時に何を感じていたか、なんてただでさえ図り難いことは、時を重ねればなお想像し難くなるものでしょう。
たとえ書いた当人としてはほんの些細な、一部分だけの記録のつもりだったとしても、それが記録されるというのは得難いことで、まさしくK_1155さんが書いてくださったからこそ私も感じ、考え直すきっかけをいただいたわけで、ありがたく思っております。

そういうわけでこの記事、最初は、私自身にとっての桃邪気Pという存在、とか、他の方々はこの動画についてどう書いてきたのか、というような事柄を本題にしようかな、と思っていたのですが、結果としては本文の内容で終わる形になりました。まあ、そういう形で書き進めていくと必然的に私のニコマス体験、とかかつてのブログ界隈、とかいう方向に話が拡散していくでしょうから、一本の動画に話が収束する、という点では、この記事はこの記事の形で良かったのかな、と思っています。

ちょうどと言うべきか、先ほど「老害」という言葉を耳にする機会があって、少し考えるところがあったのですが。
自分が時間を費やしたもの、「絆を結んだもの」に「責任」を持つ、というのは、何より、それを忘れずに思い返すということが、自分自身の佳き人生のために大切だからではないか、と思うのです。
「老害」という言葉は、自分の体験した昔のことばかり語って新しいものや新しい人を受け入れない存在(状態)、くらいの意味に使われていると思います。が、本当のところ、新しいものを受け付けなくなっている状態の人というのは、実は古いものをも現には見つめていない、確認することを怠っている状態にあるのではないだろうか。ニコマスの中のことだけで限っても、大事な思い出だと思っていても普段いちいち見返したりしない動画がたくさんあるわけで、本当のところ、知っていると思っていること、大切だと思っていることも日々どんどん忘れているのではないだろうか。
逆もまたしかりで、自分の中にある古くからの大切なものを確認する、ということは、未知の新しいものと向き合う上での支えになることでもあると思うんですよね。私自身の話題に引きつけて言えば、だから時々は春香さんの動画を見返すべきだよな、とか(笑)。そういう意味で、私自身が励まされた今回のK_1155さんの記事、そしてコメントでもありました。

ではでは、お忙しい中のご返信、ありがとうございました。
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Author:Vinegar56%

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