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みゆりP アイドルマスター 春香 『ゴーイングmy上へ』 アイドルマスター 春香 『ゴーイングmy上へ』

削除されたのは4日ほど前のようですが、私が知ったのが今、ということで。










こう、自分の中で思い出が降り積もり過ぎた動画って、動画自体の特徴、魅力を今さらどう語ったらいいのか、わからなくなってしまうもので。なのでただ、私自身の動画にまつわる思い出を並べます。


私がこの動画のことをいつどこで知ったかは非常にはっきりしていて、それはキリコ氏のこの記事で、記事が投稿された土曜の当夜に読んで知ったんですね。

ティンときた! -勝手にまとめるアイマスMAD- 前へ! 上へ!

09年半ば頃の私とニコマスの関係については、何年か前に記事にしたことがありますが。そこで書いた通りで、当時の私にとってニコマス動画を見るということは、『ティンときた! -勝手にまとめるアイマスMAD-』を読むことと同義でした。キリコ氏の文章を読んで、その中から気を惹かれた動画を見る。
だから、見た本数から言えば、当時私がリアルタイムで見た新着動画は、その後自分でタグを検索して探すようになってからに比べればずっと少ない、限られた世界に過ぎなかったのは確かです。でもその分、本当に気に入った動画は誇張でなく毎日毎夜、繰り返し繰り返し見ていて、一本一本の動画とのつきあいは濃密だったし、そして『ティンときた! -勝手にまとめるアイマスMAD-』を読んでクリックするだけで、そうして毎日毎夜浸っていたいと思える出会いが次々にあったからこそ、私はそれだけで満足していられた。何の心配も、労苦も、不快なこともなく、ただただ読んで、見て、幸せでいる、ニコマスを見るということがただ単に何の交じり気もない純粋な幸福であったという点においては、この時以上に幸福であったことは無いと思うし、だから、その時に見た動画というのは、それを見ていたのがリアルでどんなことがあってどんな気分だった月で、どんな天気でどんな気温の夜で、キリコ氏は動画をどんな口調で、どんな言葉で表現していたか、というところまで全部セットで私の記憶の中に定位しています。もっとも、5年も前の出来事ですから、それは動画を見ると生々しく当時の感覚がそのまま蘇ってくる、というのではなくて、どちらかというと、まだブログなどやっていない、いろんな出会いや別れを経験する前で、考え方や暮らし向きもいろいろ違う "09年の私" そのものが動画の向こうに存在しているような、不思議な気分に最近はなります。みゆりPの『アイドルマスター 春香 『ゴーイングmy上へ』』は、私にとって、そういう "09年の私そのもの" であるような動画のうちの一本でした。

その後のことで言うと、私がマイリストを使って見た動画を整理するようになったのは10年の初頭のことでしたが、その時最初に作ったリストの一つに、「元気の出る動画」というのがあって(なお、マイリストの逼迫により今は解体して存在していません)、 『ゴーイングmy上へ』はその最初期からの構成メンバーで、あのひどい一日やこの悲惨な夜にもボロボロになりながらこの動画を見ていたものだったなあ、ということとか。
それから、10年の秋頃だったか、ニコニコ生放送のニコマスリクエスト対決に、春香軍で一度だけ参加したことがありました。ニコニコ大百科で調べれば正確なところが出てくるでしょうが、その時やっぱり、”元気が出る動画”というようなテーマが出て、私がこの動画を出して、それが会議で通って春香軍の選出動画の一つになった。私は 『ゴーイングmy上へ』が負ける筈ないと信じて疑わなかったし、会議の雰囲気も、これはいけるだろう! というノリになっていたと思うんだけど、負けたんだよね、確か(笑)。当たり前の話なんだけど、選ぶ方は春香派でも、見る方は春香派じゃないので、春香派にとってどんなにキラーチューンであるからと言って、それがみんなにとってのキラーチューンであるとは限らない、という。
専属Pとそうでない人、”そこにこだわりがある”人 と"別にそこはどうでもいい" 人の感覚の差、というのは、私にとって年来のテーマですが、生放送というのはそれを実地に勉強できる場でもありました。この時のリクエスト対決でもう一つよく覚えているのは、春香軍の会議のとりまとめをしていた せるき〜Pが、musePの 『Stand by Me』をさして”この動画を出して負けたら、musePに対して申し訳が立たない” という内容のことを言った言葉で。自派だけ、一人のアイドルのファンだけで寄り集まるというのは、そーいうノリになる、ということなんだ。ただ、自派の中での、ここは絶対譲れない、とか、これが通じない筈はない、というノリは、まず外では通用しない。
まあ、私はその後リクエスト対決には参加していないので勝ち負けを気にする必要もなかったし、自分のブログで好きにやっている分には自分で書いて自分で分かればいいのですが、何かしら外に向かって、選ぶ、とか紹介する、とかいうことをする必要がある時には、この時の生放送のことを思い出したりします。

時期は飛んで、15年4月。実はここ半年くらい、ほとんど春香動画を(厳密に断るならば無印時代の春香動画を)見ていませんでした。どうしてそうなったか、というのはここでは本題ではなくて、人間何かをやらないでいればやっていない状態の方に体が馴れるし、何かを受け取る器官はつねに鍛えていないとすぐに摩滅して退化します。それで、しかしまあ流石に誕生祭は見ないわけにはいかないだろうと思って見て、それから久々に、本当に久々に、マイリストに並んでいる過去の春香動画を見返そう、という気分になったのです。
しばらく離れてから見ると、いつも、遠いな、という気分になります。目の前にあるものに かつての私がどれだけ熱中していたか、という "事実" だけが思い出されてきて、しかしその時の生々しい情動そのものは立ち上がってこない。半年ぶりに見る春香さんは、いつになく遠かった。
でも、ここはあんまり説明する気もないし出来る気もしないんだけど、遠い筈の春香さんに、ぶん殴られた気分になる瞬間というのが、時々あって。何度もぶん殴られているうちに、遠さは薄れて、元の木阿弥になってしまった。

そもそも、私にとって人間天海春香というのはずっと、励ましたりエールをくれたりするとか、こちらから何かしてあげたい、という関係ではなくて、私に括を入れたりぶん殴ったりしてくる存在です。ゲームをプレイしている時もだいたいそんな感じで。
この4月に見た『ゴーイングmy上へ』の春香さんもまた、とりわけ強く私に活を入れ、ぶん殴ってきた一人でした。俺こんなんじゃダメだな、何か大事なこと忘れてないか、もっとやるべきことがあるだろう? そういう感情が、踊っている春香さんを見ると湧いてくる。
こう、「ゴーイングmy上へ」の歌の中に、「それでいいの?」「それじゃ中途半端 リタイアじゃん」という言葉があって、これは動画の中ではプロデューサーから春香へ送られたメールの文面、という形になっていますが、私にとっては、春香さんがこちらへ投げかけてくる言葉なのです。私にとって春香さんはずっと、私に対して「それでいいの?」と言ってくれる人で、それは今でも何も変わっていないんだな、と。

そうして活を入れたりぶん殴ったりしてくれる存在が、同時に眺めているだけで元気になったり、癒されたり、和んだり、考えさせられたり、キュンと来たりするのだから。
私はこれまでの人生の中で自分が好きになれるもの、素晴らしいと思えるものにたくさん巡りあえたし、これからも巡りあえるだろうと期待しています。けれども、どれだけそういうものが増えたとしても、私にとってのアイドルは、天海春香ただ一人なんだな、と思った4月でした。




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