ハッピーな動機


デレマス11話をまだ見ていないのですが、見てないうちだからこそ書きやすいこともあるだろう、ということで。

アニメ版シンデレラガールズ10話までのネタバレを含みます。















輿水幸子はノベマスや架空戦記で見たことがありますが、アニメに出てきて個人的に印象深かったのは、そうか、カメラの前で普通に「世界一カワイイボク」系の発言をするんだな、ということ。
言われてみればそりゃそうか、という話ではありますが、彼女が実際にカメラの前で仕事している姿を、あまり思い描いたことがなかったので。

さて、そういうわけでデレマスには、この子普段どんな感じで周りとコミュニケーションしているんだろう、という、一見して目立つ振る舞いをするキャラクターがいろいろいます。アニメのレギュラーの中だけでも、ゴシックで堕天使な神崎蘭子にハピハピでおにゃーしゃーの諸星きらり、猫耳で語尾が「にゃ」の前川みく、と多士済々。
彼女たちのことを考えようとすれば、その特徴的な振る舞いについて考えることは避けて通りがたい。
しかし一見してネタネタしくてフィクショナルな設定だからこそ、真面目に掘り下げようとすると複雑怪奇なことになりがちだったりするわけで。
きらり とか蘭子には、ああいう喋り方じゃない "普通の言動" が出来るのだろうか? 出来たとして、その場合彼女にとって "素の顔" "自然な状態" というのは、一体どっちの状態のことなのだろうか? 
彼女たちについて、考え始めるとよくわからなくなることが、いろいろあります。

そういう中で、前川みくの振る舞い方は一見してわかりやすい。つまり、彼女の場合は振る舞い方に、はっきりとしたオンとオフの状態がある。やっている動機も明確です。
猫耳つけてにゃあにゃあ言うのは、みく がアイドルやるには特徴的なキャラクターが必要だ、と思っているから。だから ”アイドルとして仕事してるモード” じゃない "素の顔" の彼女は猫耳つけないし、感情を揺さぶられて演技に気が回らない時には語尾の「にゃ」もなくなるんだね、と。
で、わかりやすいからこそ問われにくい、語られにくい事柄もあるんじゃないか、というのが、この記事で私がしたい話です。

アイドルとして生き残るための必要性、という動機の説明が、とてもわかりやすい。わかりやすいが故に、なんで猫なの? みく にとっての猫って一体なんなの? という話は、少なくともアニメの中ではほとんど気にされていません。
いや、たしかに5話で、猫を素晴らしいものだと思っている描写はありました。でも、いくら猫好きだからって、見た目も語尾もイベントも自分は全部猫で売っていきたい、とまで思い切る人、そうそういないでしょう。
そして、たとえばもしPが、そんな猫被っている姿より "素顔" の君の方がずっと素敵だよ、僕ならそんなキャラづけ抜きで "本当の君" をトップアイドルにしてみせるよ、と言ったとしたら、彼女はどう答えるのか。
わあ、本当の私を理解してくれてありがとう! もうこんな七面倒な演技をしなくていいなんて嬉しい! ……と、言うでしょうか?

多田李衣菜のことを考えようとすれば、李衣菜にとっての「ロック」って一体なんなの? と気になるのが当然です。三村かな子を知ろうとすれば、かな子にとっての「お菓子」「お菓子作り」って一体なに? という問いが当たり前に出てくるだろうし、神崎蘭子を理解しようとすることと蘭子が何に魅せられ、どんな世界を脳裡に思い描いているのか、 を理解しようとすることは不可分だろう。
ところが前川みくの場合には、みく にとっての「猫」ってなに? という問いを省略して通過しても、なんとなく人となりを把握したつもりになってしまえる。
けれどもそれは単に、ロックやお菓子作りやゴシックな世界に憧れてそれに執着して生きる、というジャンルの存在は認知されているから想像しやすいが、「猫」にこだわり抜いて生きる、という生き方に対して認識や興味を持つ人がいないから想像が及んでいない、というだけのことではないでしょうか。

似たようなことは、諸星きらりの振る舞い方についても言えます。まあ、きらりの場合には、なんで彼女はあんな喋り方をするんだ、ということが気になる視聴者は少なくないでしょうが、何をどうしてこの振る舞いに行き着いたのか、という道筋を想像しにくい。

ただの倉庫:【デレアニ10話】きらりはどうして緊急時でも普通に喋らないのか?

きらり の口調については、cha73氏の上記記事で語られていますが、私としてはいくつか引っかかる点があります。まあ、cha73氏のアニメ版デレマス記事に、思索としては面白いけれども理屈としてはどうなっているのかよくわからない部分がある、ということは、ブログの外では言っている人もいるみたいですが。

私が引っかかるのは、一つは、きらりはあの大きな身体ゆえにどんな経験をしてきただろう、という想像をするのはいいとして、そこから きらりの身体的要因という事柄と、きらりがどんな風に喋っているか、という彼女の行為・選択・嗜好の問題が、原因 - 結果の関係として一直線に結びつけられていること。
もう一つは、アニメを外から見ている視聴者にとって彼女の喋りがどう聞こえるか、という事柄と、アニメのお話の世界の中できらりがどんな存在で彼女は自分自身をどう認識しているか、という事柄が、同じ問題であるかのように語られていること。

まあ、作画と声優さんの演技を通して視聴者の五感に届くものと、劇中の世界でどう扱われどう認識されているかは必ずしも同じでないわけで、そもそもデレマスの世界の中では きらりの喋りはちっともウザくない天使の語りとして響いているかもしれないじゃん、という理屈の立て方も出来ますが。
より重要なのは、周囲にどう受け取られているか、と きらり自身がどう信じているか、は同じ事柄ではない、ということです。

あのアニメの世界で、幸子や蘭子や みくの振る舞いは、周りからはどう見えているのだろう。ひょっとすると、ああいう子がどこに居ても、特に不思議に思われず自然に受け入れられている世界なのかもしれない。いやいや、そんなことはなくて一歩外に出れば「何、あの痛い子……」と陰口を利かれてばかりで、皆苦労してきたのかもしれない。そこは、外から見ている私たちには、確かなことはわからない。
ただ、どうであったとしても、彼女たち自身は、これが好きだ、こういう振る舞い方こそが自分にふさわしい、こういう生き方をしたい、と信じている。だからこその幸子であり、蘭子であり、みく であることは間違いないでしょう。

きらり だって、同じなんじゃないですかね。「優しくて、小さくてかわいいものが大好き」な諸星きらりだから、優しくてかわいい喋り方が大好きで、そんな喋り方に憧れている。
きらり はあの喋り方が優しくてかわいくて素晴らしい、と本気で思っていて、あの喋り方が大好きで、そしてそんなかわいい喋り方こそ自分に似合っている、似合う筈だと信じている。だから、いつもあんな風に喋っている。たったそれだけが理由では、ダメですか?

きらり にだって過去に辛い経験をしたことはあるだろう、というのは勿論です。過去の経験が今のきらりの考え方に影響を与えているだろう、というのももちろんです。
ただ、「恐がられる」のが「イヤ」、「邪魔だと思われる」のが「イヤ」、というのが きらりのパーソナリティの重要な一部であるにしても、それは、彼女が "何かでありたくない" "今いる場所を捨てたい" ことの説明にはなっても、"何かになりたい" "どこかを目指したい" ことの説明にはならないでしょう、と。

諸星きらりはアイドルです。あるいは少なくとも、人生の中で一度は確実に、アイドルになりたい、と本気で願った人間です。そして私は、アイドルを説明する最初の理由は、「好き」であり「憧れ」であるはずだと信じています。
前川みくはなんで猫耳を被るのか。諸星きらりはなんでいつもハピハピなのか。それは、何よりも先にまず、彼女の「好き」「憧れ」がそこに宿っているからであって、必要性とかプロ意識とか処世術とかは、それより先に存在するものではないと思うのです。



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