21ヶ月目の挽歌


バニラマリンP 【アイマス×オホーツクに消ゆ】 デコのおまわりさん 第五十話 14年12月18日

上記作品のネタバレを含みます。












『デコのおまわりさん』シリーズは、ずっと楽しみに追ってきた作品だ。
けれども、とても魅力的な、そして極めて緻密に形作られているお話だからこそ、話数が進むにつれ、最終的にどうなってしまうのだろう、と思うことは多くなった。つまり、中盤以降、時間的・空間的な広がりが、人間模様の複雑さがどんどん増していって、(にもかかわらず、ずーっと、その部分部分のシーンがみな明晰・明快でスリリングな面白さを持っていた訳だけれども)全体として、この広がった世界にどうオチをつけるんだろう、どこに向かって収束させるんだろう、というところ。
で、この五十話はまさに、輻輳しながら進行してきたいくつもの筋の、一つ一つに決着を、あるいは決着への助走をつけて、話を急速に収束させていく回だった。その個々に、具体的に面白い事柄はいろいろあるし、また話の最終的な落ち着きどころが見えてきて、シリーズ全体を通して思うところもいろいろある。
ただ、まずはその、広がった世界がぎゅーっと収束していく鮮やかさが、何よりも本回の楽しみであろう。だから、具体的なあれこれを、いま語ろうとは思わない。

だからただ、二つだけ。一つは最初の、伊織と律子をめぐるシーン。
言葉による探り合い・駆け引き・対決を大きな魅力としてきた『デコのおまわりさん』。その中にあって律子は、初期から伊織と歯応えのある応酬を繰り広げた、いちばん最初の好敵手と呼べる相手であったわけで。3話でのその登場は鮮烈だったし、11話での萩原組社長&律子との対決は、シリーズ序盤のもっとも高揚するシーンのひとつだったと思う。そしてそれは、私にとってこの作品を追いかけてきた原点でもある。伊織と律子の会話を見て、これは凄いものが始まったと、『デコのおまわりさん』という作品に、水瀬伊織という主人公に惚れ込んだのが、すべての始まりだったんだ。
だから、ああ、ここに戻ってきたんだな、と。私が始まりのあの時に見た ”輝き” は、あの時得た ”思い出" は、物語の終わりの入口に立ったいま、他でもない伊織によって回収され、受け継がれたんだな、と。五十話冒頭を見て特別な感慨が、私にはあった。

もう一点。このシリーズの雪歩は2の立ち絵と無印の立ち絵が混在している。が、その使い分けには特に意味はない、ということが、今回動画説明文であらためて念押しされている。
で、それは、たとえば伊織・千早・美希の立ち絵が、過去シーン=2立ち絵、現在のシーン=無印立ち絵、と区分されているような形で、設定に裏打ちされた使い分けが存在するわけではない、という意味ではその通りなんだろうけれど。


chanana デコまわり 2:27


でも、一年以上前に私が言及した十七話での、この芸風をやらせるなら無印立ち絵じゃなくちゃいけないよね、というのと同じ意味合いで、私は、今話の雪歩には無印立ち絵じゃなくちゃ始まらないところがある、と感じたし、立ち絵の持ち味とハマっているからこそこの雪歩は楽しい、面白い、と思った。そういう意味で、雪歩の立ち絵の混用にも、やはり必然性があったのだと思う。
ドラマがこうなっているからこう面白い、理屈としてこうなっているからこう納得できる、というところを飛び越えた、この立ち絵にこんな演技をさせるなんて、と、あるいは、この立ち絵だからこそこの表現だよな、と、感じる楽しさ。 ”立ち絵がツボにハマる感覚” とでも言うべきものが、本シリーズの魅力の一貫した柱のひとつだったな、と、あらためて感じた回でもあった。

最終話、楽しみにしています。





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