そしてすべて滅びるもの、の試金石
動画を削除することをどう考えるか、ひいてはMADというものをどう考えるか、という話は何時か考えなければならないと思っていた。もっとも私の方の覚悟も準備も整わない内に、既に世の中の方が大変な勢いで動いてしまっているが、だからと言って自分のペースを変えることもできない。きちんと考えるのは後にしても、とりあえず提示はした方がいいのかな、と思って書いてみる。
Togetter - 「わかむらP、ニコマスから「撤収」を発表!」
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人気ニコマスプロデューサー「わかむらP」にニコマス撤収について聞いてみたザ・ゲーム情報ブログ・メディア|Kotaku JAPAN|ザ・ゲーム情報ブログ・メディア
「わかむらP」という存在とその活動は常にそうだったが、多分この事件からは、わかむらP個人や個人の動画への感慨・哀惜・応援といった事に留まらない、ニコマスの在り方、あるいはMADという存在の根本に関わる様々な問題提起を読み取れるのではないかと私は思っている。
アイマスMADは、「著作権上グレー」とか「黒に近いグレー」と表現されることがあるが、無論それらの表現は不正確であって、ほとんどのMADは権利上は、あるいは世間的には、全くの黒でしかなく、単に権利者から黙認されるかまたは気づかれない事によって存続しているに過ぎない。
しかし、その権利上ブラックなコンテンツの投稿者に対して、「P」という名称を与えてクリエーターとして扱うことで成立したのがアイマスMAD周辺のコミュニティである。その結果として、ニコマスコミュニティでは広く、個々のMADを公開・維持する権利と責任とリスクは、全面的に各製作者個人が背負うものと見なされている。
この「P」という存在を巡る習慣は、ニコマスの育んできた文化の根幹をなしているが、同時にコミュニティの外部・内部の双方に、権利上ブラックなMADを長期間公開し続けられる特殊な条件が維持されてきたからこその習慣である。今、そうしたニコマスの存続を可能にしてきた特殊な条件のうちのいくつかが、崩れつつあるのではないかと私は感じている。
考えても有効な解決策を見いだし得ないだろう問題であることは分かっている。そもそもニコマスは単にそこに居たいと思う人が居たいと思う期間だけ居る場でしかない。
けれども、もしもう少し長く夢を見続けたいと願う人がいるならば、そろそろ一度本気で考えてみてもいいのではないだろうか。
MADという滅ぶべき存在を、ニコマスという幻想の中で、いかにして少しでも長く生かし続けるかを。
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