近所づきあい


ふみ切氏(「だけの人」) 小悪魔が心を砕くだけ  12年04月06日

だけの人 12:4:6 1:09 のコピー





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この動画の、
「ギュッてした!」
「ああ、ギュッてしたな。」
「←雪歩じゃなくて律子なのかw」
というやりとりを見て、感動した、というと大げさですがw。

ただ、同じくこぶしを握るポーズであっても律子なら「ギュッ」、雪歩なら「きゅっ」と声を掛ける、という、確かに知っていればなんでもない話ではあるけれども、結構細かくてややこしいことについて、2012年の東方の手描き動画で会話が成立しているのは、興味深いと言えば興味深いことです。
特に興味深いのは3つ目のコメントでしょう。このコメントは、単に雪歩と律子で掛け声が違う、という知識の正確さを示しているだけではなくて、この場面、このキャラクターに対してより親和するのは雪歩のそれと律子のそれ、どちらなのか、という思考を含んで発端のコメントを鑑賞しているように思われるからです。

で、このシーン、単にポーズが律子(や雪歩)のそれに似ている、というだけではなくて、シチュエーションも合っているんですよね。自分で自分を鼓舞して、ちょっぴり気分が高揚した瞬間に「ぎゅっ」とこぶしが握られる、という。ここで、律子に対して掛けるのと同じように声を掛けたくなるのは、私はよくわかります。

私はよくわかるけれども、ただ、コメントによる独自のネタの展開というのはどこでも、白か黒かバランスの難しい問題を孕んでいるものなわけで。誰も知らなくて意味不明の発言として流されるだけならまだしも、関係ない場所のネタを持ち込んできてなんなんだよ、と受け取られる可能性だってあった筈です。
この動画のこの瞬間においては、「ああ、ギュッてしたな。」「←雪歩じゃなくて律子なのかw」という応答の存在が、「ギュッてした!」という最初の発声を、孤独な場違いの存在になることから救っているのだと思います。
まあ、私にはそう感じられた、というだけのことですが。

ともあれ、「ギュッ」「きゅっ」という微細な表現の違いで、二人のキャラクターに接したそれぞれの感動を呼び分ける、というのは、私はとても素敵な文化だと思うので、どこであれそれが記憶されているのは嬉しいことですし、これからも受け継がれていってほしいと思っています。




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