のべますバトル4コマ


連想でスクリーンショットを並べてみましょうシリーズ、若干文章つき。

以下の作品のネタバレを含みます。

介党鱈P『ぷよm@s』シリーズ
ATP・ピウP『Qm@s』シリーズ
マル憂P『りっちゃんにバベル面をやらせてみた』シリーズ
クサーP『【ノベマス】せんだみつおG@ME 【ナハナハ】』シリーズ
















AT・ピウ 劇Qm@s 10 5:33 のコピー
(ATP・ピウP 劇場版Qm@s part10 (14年10月31日)より)


ATP・ピウPの『Qm@s』シリーズを見るといつも、この作品が介党鱈P『ぷよm@s』シリーズの表現と構成のメソッドを、実に的確に換骨奪胎して、「競技クイズ」という自らのフィールドへと落とし込んでいることに感嘆します。
で、この場面など、いかにも下の『ぷよm@s』のシーンが連想されるところです。


介党鱈 ぷよ 33 17:06 のコピー
(介党鱈P 【1DAY】ぷよm@s part33【トーナメント(2年)】 (14年01月12日)より)


『ぷよm@s』の流れを汲む表現と言えばもう一つ、先ごろ大団円を迎えた、マル憂P『りっちゃんにバベル面をやらせてみた』シリーズも思い起こされます。
パズルゲームをクリアしていくこの作品においては、リーグ戦があるとは言っても、前2者のようなMan to Manの形の対決になっているわけではありません。が、やはり ”ハイレベルなゲームの中に身を置く・没頭できることに楽しさを感じる” という、相通じる場面が描かれています。


マル憂 PSバベル 27 27:28 のコピー
(マル憂P りっちゃんにPS版バベル面をやらせてみた part27(終) (14年08月30日)より)


このように、”ゲームに没頭している瞬間の楽しさ” を描く、よく似た場面を持つ3つの作品ですが、一方でその ”ゲームに没頭している瞬間の楽しさ” が、作品世界の中でどのように認知され、位置づけられているか、ということを考えてみると、そこには作品ごとの方向性の違いが見てとれます。

あるゲームに夢中になって競い合う様子を描く物語が、そのゲームの楽しさを表現する。至極当たり前のことに違いありません。野球小説は野球の魅力を描くものだろうし、将棋漫画は将棋の面白さを描くものでしょう。
ただ、題材が野球や将棋であれば、その面白いゲームに対して、一生を賭けて打ち込んで、それをプレイすること、プレイしている姿を見せることで生活していく人々がいる、ということは、世間的にも認知されています。

けれども、たとえば『ぷよm@s』の「ぷよぷよ」の場合はどうでしょうか。
一生涯「ぷよぷよ」を極めることだけに身を捧げ、「ぷよぷよ」することによって生活していく。そんな生き方が一般に認知されているか、生業として成立しているか、というと、多分そうはなっていません。
さらに言えば、この作品でそのゲームをプレイするのは、アイドル、という職業を持つ人間たちです。彼女たちは、そもそもアイドルをやりたいという別個の明確な目的があって事務所に来ているのであって、別に「ぷよぷよ」をやるために所属しているわけではありません。
そこには、”何故彼女たちが「ぷよぷよ」をやらなければならないのか?” "「ぷよぷよ」の楽しさ、なるものは、誰に対しても普遍的に通じるものなのだろうか?" という問いが存在します。

「キョウスケP」や小鳥や美希にとっては、「ぷよぷよ」が生涯かけて熱中するに足る存在だ、というのは自明のこと。けれども、「ぷよぷよ」がそんな存在だということは、世間的には全然認知されていない。一方で、765プロという枠の中では、「キョウスケP」と小鳥がアイドルたちに対して持っている有形無形の影響力の下で、全員が「ぷよぷよ」に取り組むのが当たり前、「ぷよぷよ」が楽しまれるべきなのは当たり前、という、世間の価値観とは180度異なった空間が構築されている。そしてその中にあって、さらに個々のキャラクターごとに「ぷよぷよ」に対する価値観、モチベーションは異なっている。
対象の面白さに目覚めている少数の人と、目覚めていない大多数の一般人の意識の差。どんな業界にも存在する普遍的な問題を、そのまま作品世界に持ち込んで物語の大きな柱としているのが、『ぷよm@s』という作品の特徴です。


対して、「Qm@s」の場合。
「Qm@s」の世界は、全国津々浦々の学校に「競技クイズ部」が存在し、そこに所属する多くの学生たちがトーナメントに参加し、多くの観客がそれを見て楽しむのが当たり前、という世界観になっています。
しかも、ゲームに参加するのは全員、「競技クイズ部」という部活を意識的に選び取って所属した人間ばかりなのだから、当然根本的なところでは ”「競技クイズ」は楽しい” という認識を共有していると考えていい。

中高生が部活と全国大会の形でゲームに関わるのが当たり前な世界観を設定する、というのは、1次創作の漫画やアニメでもしばしば見られる手法ですが、これによって、”何故彼女たちはこのゲームをやらなければならないのか?” という問題が直接露呈することが回避されているわけです。
(TRPG系の卓m@sでよくある、アイドルがTRPGをやっているのが当たり前の世界、というのもこれによく似ていますし、弓削P『アイドルたちのジャンケン大会』やテラフガシP『アイドルたちの念能力バトル』の、何の前触れも説明もなく話が始まった時にはもう「ジャンケン大会」や「念能力バトル」をやってます、この世界ではそれが当たり前なんだね、という世界も、この延長線上にあるものと言えるでしょう。)


『りっちゃんにバベル面をやらせてみた』の場合。
やはり、「バベルの塔」をプレイする楽しさ、というものは、一般的には認知されていません。その中で、765プロ内全員参加のリーグ戦が、プロデューサーの鶴の一声によって、『ぷよm@s』以上に唐突で強制的な形で始まります。そして最後まで、何故彼女たちはこのゲームをプレイしなければならなかったのか、アイドルと「バベルの塔」の間にいったいどんな関わりがあるのか、ということは、明示的には説明されないのです。
ただ、すべてを終えて彼女たちが振り返った時、そこにはいつの間にか積み上がっていた、大事な思い出、たしかに得たものが存在していた、と。

もう一つ、この作品の場合、途中から実際のアイドル活動をめぐるストーリーが、ゲームのプレイと並行して進行していき、終盤には芸能界の物語と「バベルの塔」の物語の2本立て番組、というような様相を呈します。
その両者を照らし合わせた時、ゲームをプレイしていく中で何を感じ、何を考え、どう変化していったか、ということと、アイドル活動の中で何を感じ、何を考え、どう変化していったか、がリンクしている。そういうお話になっているのです。
つまりは、ゲームでの経験は、そのまま人生の糧となる価値あるものだ、というメッセージを秘めながら、それを明文の言葉で語ることは避ける。それがこの作品の有り様、ということになるでしょうか。
(ゲームをプレイしていく中での経験と、背後にある彼女たちの現実世界の問題がリンクしている、というのは、前出『アイドルたちのジャンケン大会』でも見られる要素ですね。)


ともあれ、三者三様の、ゲームと人間、ゲームと世の中の関係を描いているシリーズが、連載開始4年から5年になろうとする今年、それぞれにアイドルがゲームを楽しいと宣言している絵を表現した、というのは、なかなかに感慨深いことです。
そこで、もう一つ思い出すのが、クサーP『激闘 せんだみつおG@ME』のこの場面です。


クサー せんだみつお C 17:38 のコピー
(クサーP 【ノベマス】激闘 せんだみつおG@ME Cパート【ナハナハ】(10年04月06日)より)


4年前に描かれたこの場面も、アイドルが、ハイレベルな戦いの中でゲームの楽しさを感じる姿を描いたものでした。
ただ、この作品を視聴した方は、この場面が前後の流れの中で見ると、実にバカバカしいギャグシーンでもあることが、すぐわかることと思います。

『激闘 せんだみつおG@ME』には、同じくアイドルたちがゲームに熱中して競い合う様子を描いている作品でありながら、ここまで挙げた3作品と大きく異なっている点があります。
それは、登場人物の誰も、本当のところ「せんだみつおゲーム」が、熱中すべき楽しくて価値のあるものだ、なんて全然信じていない、というところです。

だって、どう盛り上げたところで、やっていることは所詮「せんだ!」「みつお!」「ナハナハ!」なんだもの。
でも、だったら何故、ここにいる人間たちは、まったく価値を信じていない行為に対して、必死に取り組んだり、その様子を鑑賞したりしているのだろうか。その理由は、あるいはひょっとしてそんな光景そのものが、とんでもなく下らなくて無意味なものなんじゃないだろうか。

そこには、何かの目的や対象を価値あるものと信じ込んで熱中している自分や他人を、斜め上から等価に冷徹に観察する視線が存在しています。この作品の笑いの源泉となっているのは、その冷徹な視線です。

だからこそまた、逆のことも言えるのです。だって、どんなにくだらなくて無意味な戦いであったとしても、外から動画として見ていた私たちは、その瞬間がどれだけ盛り上がる、どれだけ輝かしいものであったか、知っているのだから。
(こういう、くだらなくて馬鹿馬鹿しくてちっとも美しくない、だからこそのっぴきならない盛り上がり方をする人間模様、みたいなものを得意にしているテキスト系動画作者は、ニコマスに何人か居ます。)

クサーPの作品もまた、『ぷよm@s』的な表現と構成のメソッドを踏まえたパロディなわけですが。
当然ながら、クサーPがこの作品を生んだ当時に、先に貼った3つのシーンが存在していたわけではありません。
けれども、これらゲームと人間の関係を語る物語が紡がれていった先、いつか当然描かれるべき光景を踏まえて、『激闘 せんだみつおG@ME』の真美の台詞は存在していたのでしょう。
3つの作品が4年、5年と歳月を重ねて描き継がれた結果、4年前のこの作品もまた、いま新しい光彩を得ているのだと、私は感じます。


ちなみに、この記事、最初はコメントなんて付けないで、真美の台詞の代わりにこっちの小鳥さんを置いて4コマ漫画にして終わろう、とか思っていましたが、まあ普通に文章を書きました。

クサー せんだみつお C 14:49 のコピー
(同上)




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