故きをチンして温める


マイリストとかブックマークとかって、こう無秩序に積み上げてあとで何になるというんだろう、と時々嫌になったりしますが、まあ、なんでも取っておくものですね、というお話。








2010年下半期TRPGランキング(卓ゲm@ster除外版) 11年01月25日

そんなわけで、なんとなく古いマイリストをひっくり返していたらこの動画が目に留まりまして。おお、これは何年も前の東方卓遊戯動画界隈を掘り返して右往左往している今の私にこそ必要な動画だ、誰がこんな有り難いものを作っておいてくれたんだろう、と見たら、「iM@S架空戦記ランキング」の手抜きPでした、という。ニコマスの偉大さというか、厚みを感じるのはこういう時ですね。

手抜きPのTRPG動画ランキングは10年上半期に始まって、”本家” の「im@s架空戦記ランキング」同様11年下半期まで制作されているので、ちょうどゆっくりTRPG動画の大波でTRPG動画界隈が洗われる手前の期間がカバーされていることになります。
この動画には
・卓m@sを含む全体のランキング
・卓m@sを含まず東方卓遊戯を含むランキング
・卓m@s、東方卓遊戯以外のTRPG動画のランキング
がすべて収録されていて、あらためて見ると、当時の様相が視覚的にとても掴みやすくて、興味深いですね。
この頃、東方キャラクターのみの動画の最高再生数が9000台で、これは卓m@sを含むランキングでは20位。さらにアイマスでも東方でもない動画となると、最高で再生2000台。これは東方卓遊戯動画のみのランキングの30位にも及んでいません。当時、いかにアイマス・東方・それ以外の3者で甚だしい規模の相違があったかが窺えます。

あと、これはこのランキングを見ていて初めて気づいたのですが、2010年と2011年では、東方動画の上位を占める動画の雰囲気が違うように感じます。
2010年的な卓遊戯動画らしさ、というのは、卓m@sで説明するならば、たとえば場面大根P、ほうとうの具P、あるいは万年P、あるいはエアP、といった作者と似た感触を受けます。端的にまとめるならば、ゲームを遊び尽くした人の手になる、遊びの面白さを細やかに見せる動画。
対して2011年的な卓遊戯動画らしさとは端的になんなのか、と言えば、それはブリッツP的なノリである、ということになります。無茶振りとキャラ付けを競い合う季節の到来。それと同時に、卓遊戯動画界隈にも再生数的、投稿数的な規模の飛躍が訪れます。「大妖精卓」という、内容的にも立ち位置的にも卓m@sにおけるブリッツPに相当するシリーズが2010年末に連載開始しますが、ランキング動画の「大妖精卓」のところでは、このシリーズから卓マス的なノリが入り込んできたんだよなあ……みたいなコメントがついていたりして、なるほどそんな風に見えていたんだなあ、と思ったりしました。
まあ、今の私にとって、「大妖精卓」とか「人妻卓」あたりのシリーズは、うん、すげー面白いのはわかるんだけど自分が見るのは辛いなあ……、という感じで、私も視聴者として老いたな、と思います。いや、遡ればそもそも、私はストレートPペデューサーPにはノれたけどタミフルPにはいまいちノれなかった人、なので、変わってないっちゃ変わってないんですが。



【ゆっくり】ニコニコの名作ミステリー作品を紹介するよ!【動画紹介】 12年08月15日

ついでに思い出した動画。以前の記事で取り上げた『ヴィクトリア朝でスカーレット姉妹がクトゥルフ!』の作者による、ニコ動のミステリー作品全般の紹介動画。中にアイマス動画も出てきて、へえこの人はこっちも見ていたのか、と思ったんですが、並んだ紹介作品を見たら、見ていたのかどころではなくて唸らされました。
架空戦記からはともきPの『逆転裁判春香』、卓m@sではRooPの『小鳥さんは惨劇したくてたまらない』が挙がっていて、まあこれはまだ他にも挙げようがあるでしょうが、「惨劇RoopeR」の動画を押さえているのはさすがですし、そしてノベマスのセレクトは、おお、これは、という内容でした。

ばんなそかなP『TRIM@S』 
マル憂P『【アイドル探偵学園】バベルの塔の殺人』 
内向的P『ばんなむたちの夜』 
ヘンリーP『七六五家蜘蛛の会』

と挙げられていて、これはちゃんと見ていないと選べない面子だと思います。ヘンリーPは複数ミステリー作品があり、「アイドル探偵学園」企画にも参加している中で、いちばん長大な『七六五家蜘蛛の会』が選ばれている。他方で「アイドル探偵学園」からはマル憂Pが選ばれているし、何人もの作者が手がけている「かまいたちの夜」ものからは内向的Pというチョイス。内容をしっかり吟味していることがよくわかるセレクトなんですよね。

この紹介動画、作者が自分の連載を始める前の無名時代に投稿されたもので、今でも伸びていません。私としては、そのうちアイマスも絡めた作品を作ってくれないかしら、せめてもう一度こういう紹介をやってくれないかしら、と思ったりしますが。まあそれはともかく、「ニコマス」とか「ノベマス」とかの括りに囚われずとも、見ている人は見るべきものを見ているんだなあ、と思った次第です。



TomFの二次資料室 とかちからの脱却(亜美の番)

これは何かというと、見返していて、この記事で貼り忘れたなあ、と思ったので。
言いたかったのは、ニコマスはちゃんといろんなものを積み上げて来ているんだ、ってこと。
『アイドルマスター2』が始まる前から、亜美は亜美で、真美は真美で、想う人がいて、積み上がっている表現があった上で、2の亜美真美がいるんだ、ということ。でした。



一人舞台で踊る春香はひとりなのか - AOI-CATの日記

この記事もたまたま見返して、タイトルが心に刺さったので。まあなんというか、この話題は狭いところで話がぐるぐる循環していてアレなんだけど、とりあえずこの記事を貼っておけばいいかな。
書かれている内容自体は私も前々から思っていたことで、いつか書こうと思いつつ、何もしないでいるうちに記憶が色褪せてしまったもののひとつ。


2011年の初春、春香動画にはヨルPの息吹があった。世が『アイドルマスター2』に遷移する前の最後の季節、春香動画に流れていたのはヨルPの血脈だった。

そうなったのは、ひとつにはその前に、2010年12月という季節があったからだ。
今から思えば2010年の春香動画にはまだ、いろんな有り様、方向性が含まれていたけれども、9月から12月までの期間を全力で走り抜けた結果、かなりのものが年末で燃え尽きた。名前で挙げるならば、たとえばOGOP、sabishiroP、museP、みそPが、2010年12月に投稿した動画をもって『2』以前の投稿活動を終えている。

その後、2010年1月から2月にかけての春香動画の作者の中には、たとえばpatoP、和むP、海鮮Pという、ヨルPと強い影響関係にある春香ソロのステージMADの作り手がいる。P自身は独自の文脈の持ち主であるversusPの『Rock & Roll Queen』を、しかし大きく同じ流れの中に置いていいと思うし、そしてそれ自体は春香ソロでもステージMADでもないFRISKP『Crazy』をこそ、そうした春香動画の流れに支えられて立っていたもの、としていいと思う。

いろんな春香さんが走り抜けていったあと、気がついたら最後に舞台に残って踊っている春香さんが居て、そしてそこには、ヨルPの春香さんが生み出した何ものかが脈々と流れ込み、受け継がれていた。
そういう意味において、2011年の2月、『一人舞台』の、というよりヨルPの春香さんは、「ひとり」ではなかった。


では、『アイドルマスター2』以後は、どうだろうか。
『一人舞台』は、少なくとも忘れ去られはしなかった。けれども、『一人舞台』はそれ一つが孤立して切り離され、実体のあやふやなイコンと化していった。私はその流れに水を差したかったけれど、結果としてはむしろ加担した。

『One Man Live』をリスペクトした作品は、繰り返し再生産されている。けれど、かつて春香ソロのステージの成立を支えていた、無印春香モデルのシャープな存在感、野外ステージの魔力、最終奥義スーパーロングといった武器は失われた。2の春香動画において、無印動画から何を受け継げるのか、動画にどんな血を通わせるのか、ということは、心情として、記憶としてリスペクトを動画に籠めるのとはまた、質を異にする問題であるように思える。
今季私が20選に選んだ218P、どらけけ氏、rock821氏、語り部Pという作者たちは、まっさらなところから、我にしか成し得ない2の春香ソロのステージをどう確立するか、という模索の道を歩み続けている点に、共通性がある。そしてそれは、かつてヨルPの春香動画に流れていた精神を受け継ぐもの、と言っていいのではないか……、というネタはもちろん、今書きながら考えた、まったくの後付けです(笑)。



春魂 存在賛歌5-3 11:21


ここに貼ったスクショは、かーれるPの『春魂』、私が大好きな作品の中の一シーンである。
ここの、「人が思うことなど、すでに誰かが考え終えていること」という台詞を、ことあるごとに思い出す。

この言葉は、かーれるPの自作品そのものに対する問いかけでもあり、そして作品そのものが問いに対する答えだと思っている。
だって、それは「すでに誰かが考え終えていること」であり、「ただそれだけのこと」だと言うのに、作者は何故わざわざ人の「想い」を、「想う」人の生を、動画にして語ろうとしたのだろうか?

この場面、このエピソードそのものが、すでに遠い過去の出来事となった今、この言葉は、私が生成の瞬間を目撃したその時とはまた、別の形で受け取れるように思う。
つまり、この言葉は、過去から未来へのエールなのだ。前項のキーワードに引き付けて言うならば、未来に何かを思う誰かは、過去に同じことを「考え終えた」誰かの存在によって「ひとり」ではない。そして、過去に「考え終えた」誰かもまた、未来に思う誰かの存在によって、「ひとり」ではないのである。
私は今も、あの時の閣下と春香と私に、励まされ、エールを送られてここに居る。


そんなわけで、日々後ろ向きに生きております。


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