続論(インターバル)


最近、劇場版アイドルマスターに関する記事をいくつか書きましたが、この記事は私の中でその続きであり、また前置きでもあり、そして話題としてはアイマスとは何の関係もない記事です。

劇場版アイドルマスターのネタバレを含みませんが、大長編『ドラえもん のび太の恐竜』及び『ドラえもん のび太と鉄人兵団』のネタバレを含みます。










劇場版『ドラえもん』の監督を、過去に合計3回担当している寺本幸代氏は、2011年の『鉄人兵団』リメイク時のインタビューで、自身の描くドラえもんというキャラクターについて、
「単なるのび太の世話係ではなく、兄弟として描く」
「ケンカしたり一緒に遊んだり、のび太と一緒に生活していく存在」
と語っています。
これを私の言葉で置き換えると、「ドラえもんを、のび太と同じ目線、同じレベルで思考し行動する子どもとして描く」となりますが、監督作3本のうち昨年公開された『ひみつ道具博物館』は、そうしたキャラクター解釈、そうした描き方だからこそ成立する物語を見事に描いた、傑作だと思っています。

で、残りの2作はリメイク作で、この記事の目的は、その内容をどうこう論評することではありませんが。ここで言いたいのは要するに、寺本監督のそのような描き方は、リメイク元である、藤子・F・不二雄存命期の『大長編ドラえもん』シリーズにおけるドラえもんというキャラクターの描かれ方とは、かなり異質だ、ということです。
『大長編ドラえもん』におけるドラえもんは、決してのび太と同じ目線で生きる子ども、ではありませんでした。大人として、リーダーとして、指揮官として思考し行動するキャラクターであって、しかしながらそういうキャラクターが同時に、平常の人間関係としてはのび太たちと対等に付き合い遊ぶ友人である、そこに妙味があったのです。

いま「妙味」と書いたのが、具体的にどういうことかと言いますと。たとえば、シリーズ第1作の『のび太の恐竜』。
のび太たちがタイムマシンから恐竜のいる世界に降り立った瞬間、子どもである視聴者の関心を占める出来事は、のび太たちと同様、目の前を "実物" の恐竜が闊歩している! 恐竜のいる世界にやってきた! という感動、衝撃に違いありません。

けれども、実はその場面でドラえもんだけは、まったく別のことで頭が一杯になっているのです。
彼は到着した時点で、タイムマシンが故障したことに気づいた。そして、目的は済んだから帰ろうと言うのび太たちに、せっかく来たんだから一日くらい遊んでいくのもいいのでは、なんて誤摩化して、皆が遊びに行った後、なんとか一人でタイムマシンを修復できないかと悪戦苦闘する。
その、炎天下、誰にも気づかれず、誰に頼ることも出来ず、たった一人で機械と格闘している時の、ドラえもんの心情というものを。
あるいは、恐竜世界での旅が始まった後。毎晩、キャンピングカプセルの個室で各々が思い思いのプライベートな時間を過ごしている間、長旅で次々消耗していくタケコプターのやり繰りにひとり頭を悩ませている、その時のドラえもんの心情というものを。
最初にこの映画を鑑賞した時、それらの場面でのドラえもんの心情を、見て理解したつもりでいて、子どもであった私たちは本当のところ、ピンと来ていなかったのではないでしょうか。

そうした、対等に付き合う友人でありながら、同時に視野を共有しない立ち場にある、という、『ドラえもん』ならではの特殊な関係性が、ひとつの成熟を見せたのが、7作目、『のび太と鉄人兵団』においてでした。

象徴的なシーンが、鉄人兵団の来襲前夜、畳に布団を敷いて安眠しているのび太のすぐ横で、ドラえもんが座り込んで迎撃作戦を考えている場面です。
のび太たちだって当然、自分たちが遊んだり寝たりしている間も、ドラえもんがずっと働け続け、頭を悩ませ続けていることはわかっている。けれども、それはドラえもんにしか担えない仕事だから、ぼくも一緒に起きていようか? 何か手伝った方がいい? なんてことは言わない。
逆もまた同じで、ドラえもんが鉄人兵団への対処というマキシマムな問題に悩んでいる間、のび太たちはのび太たちで、目の前に居るリルルとどう向き合うか、どう付き合っていくのか、というミニマムな問題に悩んでいる。けれども、各々がリルルをどう考えどう接するのか、ということについて、ドラえもんは何の指示や助言を与えるわけでもない。

『恐竜』でキャンピングカプセルの壁に隔てられて、互いに何をやっているか関知していなかった二人は、ここではすぐ隣に寄り添っていて、しかし互いの領分には踏み込まない。
踏み込まないけれども、互いの存在を互いの存在が支えている。

劇中、なぜドラえもんはああも迷いなく、鉄人兵団との戦いを遂行できたのでしょうか? 
何がそこまで、彼に自分が為していること、自分が守ろうとしているものの正しさを確信させたのでしょうか?
そして、のび太やしずかがリルルと向き合って悩んでいた時、ドラえもんは特別にその悩みを聞いてやったり励ましてやったり、なんてことはしなかった。
でも、最後に学校でのび太がひとりでボーッとしている時、やってきてその隣に寄り添っているのは、ドラえもんなんだ。
そういうことです。

対等な友人としての関係と、子どもと大人としての関係が、ひとつの関係の中に重なり合っている。
『ドラえもん』という作品における、そんな不思議なキャラクター関係の有り様は、『鉄人兵団』において、そんな有り様からしか生まれなかったであろう、美しい結実を見せています。




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