飛び出し(中)


劇場版アイドルマスターについて、三つ前の記事二つ前の記事一つ前の、前編とダラダラと書いてきました。当記事は前編の続きで、細かいネタをごちゃっと寄せ集めたものになります。これだけ読んでも意味不明な感じが、いっそう強まっていることと思います。
……なんでこう毎回迂遠な前置きを入れているのかというと、私の中では元々これらが一続きのものとして構想されていたからです。が、書き手の側の考えがどうあれ、読む側がどう読むかは読む側の自由なわけです。なので、単に私自身としては今書いているものをどう位置づけているのか、を一応示しておくために、こうしているんですね。
また、この記事のタイトルが中編となっている、ということは、理屈の上では後編が存在していい筈ですが、ニコマスブログという世界での常識として、こういう場合大抵後編は書かれないことになっています。

以下、劇場版アイドルマスターの全面的なネタバレを含みます。また、視聴から日数が経って記憶があやふやになってきているので、引用している台詞等が正確でないかもしれません。












最初に、前の記事で書いたネタいくつかについて。
まず、最初の夕食のシーンの貴音について、ちらっと言及しました。しかし、あれだけだと、単なるギャグシーンだと私が思っているように見えたかもしれません。もちろん、そういうつもりはありませんでした。私は、あのシーンの貴音の台詞は、彼女の本心だと思っています。もちろん、食べ物にこだわっているのも本当でしょう。その二つは、互いに矛盾することでは全くないですから。
第二に、他の方の感想記事を読み返していたら、合宿中、響が横山奈緒と佐竹美奈子に個人指導をしていたシーンを、私がすっかり忘れていたことに気づきました。まあ記事の大意に影響はないんですが、その旨補足しておきます。大意に影響ない、というのは、響の指導は、出来る者がより出来るようになる(バックダンサーズの間での格差が相対的に大きくなる)方向に作用して、出来る者と出来ない者の差を埋める方向には働かなかった、ということなので。
第三に、合宿中の765プロアイドルとバックダンサーズは交流が乏しかったよね、ということを私はずっと書いていますが、それは意図的で計算された描写であると、私も理解しています。この話の場合、私が怒っていたのは劇中の出来事、劇中の登場人物に対してであって、作劇自体、作品自体がおかしい、間違っている、と主張しているわけではないことを、一応断っておいた方がいいのかな、と思いました。
あと、単純に書き落としていたネタが一つ。冒頭で描かれた、社長室に在室していた順二朗社長が、皆の前に ”話は聞いた” 的に姿を現すシーンが、面白かった。社長室の描写は、ひょっとするとTVシリーズでも存在したのかもしれませんが、私が意識して見たのは映画が初めてでしたね。あんな感じで部屋に居て社員の会話を聞いているのか、というところが見られたのは、興味深かったです。


さて、この記事では、映画で目立っていた何人かのキャラクターについて、印象に残ったことを書いていこうと思うのですが。
まず、伊織と美希ですね。前編で引用した台詞や、その時の書きぶりで想像がつくかと思いますが、映画のこの二人に関する私の印象は、非常にネガティブです。
さんざん書いた通り、私は、すべきことを全くやらなかった、出来なかったのが映画前半の765プロアイドルたちだと認識しています。そして、目立って重要な台詞を与えられたのがこの二人であるからこそ、その代表は伊織と美希です。
私にとって、映画における765プロアイドルの未熟さ、至らなさの象徴がこの二人でした。

もっとも、私がこの二人に対して特にネガティブだというのは、この映画だけではない、私の中で個人的に蓄積した文脈というものがあって。
アニマス、というか2nd Vision全体を通じて、土台からきちんと積み上っていないにも関わらず、積み上ったことにされてどんどん話が進んでいる、そういう気分の悪さと不満が、私の中で特に厚く堆積しているのが、この二人なんですよね。
まあ、アニマスの伊織に関してはどこかで書いておこうと思っていたのですが、未だにやっていません。なので、それは私の今後の課題ということにして、ここでは美希について。

美希に対する天才性信仰というものが、場所と時代を問わず根強く存在するわけですが。
厄介なのは、美希の天才性という時、それは非常にしばしば、要領の良さ、スマートさへとすり替えられてしまう、というところだと思っています。何の前置きもなく直感だけであっさり正解、正論にたどり着いて、楽々それを体現できてしまえる、天才的才能とはつまりそういうものだと。
そして、そういうキャラクターは見ている側には痛快で格好いいし、話を作る側にとっては便利で重宝です。

ただ、私の理解している限りでは、無印の14歳の美希というのは、ようするに身体だけ人並み以上に大きく育ってしまった、大いなる赤ん坊のようなものでした。
あまりにもまっさら、あまりにも純粋すぎて世の中を渡っていけない、むしろ要領の良さ、スマートさとは対極にあるキャラクター。なにしろ、ハゲてるおじさんにどうして面と向かってハゲと言っちゃいけないのかわからない、そんなところでもう世の中を不思議に感じるのが、無印の美希だったわけで。
また、美希がまっさらな赤ん坊だというのは、そういう思考能力の面だけではなくて、物理的、身体的にもそうでした。様々に鋭角なセンス、能力を秘めている一方で、虚弱で過敏で、キャパシティを超えた負荷がかかるとすぐに精神や肉体が物理的に故障してしまう。それが、無印の美希でした。(無印美希コミュを通して見ると、節目節目で美希が自分の肉体や精神の状態への不安を口にしていることに気づきます。シナリオ後半で、その危惧は現実化します。)

そんなキャラクターを、そのまま個別専用ルートじゃない世界に放り込んでストーリーが成立するのかと言えば、まあ無理ですよね、となるのは、仕方のないことです。
ただ、先端的で現在的で理想的で、誰しもの願望の具現化であるアニマス的美希像と、どこかにいたはずの、無垢で純粋で歩き出したばかりの美希とが、どうにかもう少し繋がりを持てないものだろうか、とは思います。要領お化けか妖怪食っちゃ寝か、さもなくばその合わせ技か、ではなく、その ”間” や "手前" や ”基盤” が存在できないものでしょうか。
まあ、伊織に関してもですね、言いたいのは同じようなことです。ようは、伊織にしろ美希にしろ、随分前から "765プロファミリーの便利屋” になっていて、それは、私が好きな、私が知っている伊織や美希とはあまり関係がない。それだけです。

ただ、それはそれとして。映画の中の彼女たちについて、興味深かった部分や、凄い、素晴らしいと思った部分は、もちろんありました。
伊織は今回、他のアイドルへのライバル意識を前面に押し出して描写されていたのが、面白かったですね。ただ、TVシリーズでもそういう表現は端々でもありましたが、それが2話なり7話なりの伊織中心のシナリオの軸や、TVシリーズ全体で春香や美希の思想・主張と並立する軸になっていたならば、映画でもっと生きたんじゃないかという、これはダメとか悪いとかいうことじゃないんだけど、なにか惜しい心持ちがしました。

あとなんと言っても、合宿最後の765組寝室での、赤羽根Pに関する言動です。
ここは良かった。掛け値なしに素晴らしかった。
そうそう、これが伊織だよね、という。
「ツンデレ」とか「常識人」とか「リーダー」とか、そういう枠の中に雁字搦めに押込められて、 ”ファミリーの便利屋” を務め続けて。一体どこにあるのか、本当にそんなものがあったのかどうかもわからなくなりつつある、

”伊織らしさ”

というものが。でも今この瞬間、確かに息づいている、ここにいるのは間違いなく私の好きな水瀬伊織だと、そう思えたシーン。本当に幸せでした。

美希は、洗面所での春香とのサシでのやりとりの時の、末尾の台詞が凄かった。
美希らしさがどうこう、という話じゃなくて、単純に、なんて凄い言葉を放つんだろう、と。
美希は美希にやれることをやるから、という台詞ですね。
この台詞の基底にあるのは、美希にはどうやっても、春香が背負っているものを肩代わりすることは出来ない、という認識です。
リーダーになった春香が背負っているもの、感じているもの、苦悩しているもの。それは、たとえどんなに有能だろうとも、あるいはどんなに春香と親しかろうとも、他人には肩代わりすることも、分担して受け持つことすらできない。春香がリーダーだ、というのは、つまりそういうことです。
だからこそ、自分は自分ができることを、自分にしかできないことを隅から隅までやり尽くすんだと、そう美希は宣言した。
この映画全部を通して、いちばん春香を励ました、いちばん春香を力づけた言葉は、この一言だったと思います。

同時に、そんな言葉を軽々と言ってのけるところに、このキャラクターの凄まじさというか、ズルさというか、があるのです。
だって考えてもみてください。言えると思いますか? 矢吹可奈に、望月杏奈に、箱崎星梨花に、七尾百合子に、横山奈緒に、佐竹美奈子に、北沢志保に。 

天海先輩、私は私にやれることをやるから、安心してください。リーダー、任せましたよ。 

って。
そりゃあ、言えるものなら、彼女たちだってそう約束したいでしょう。誰だって言いたい、私だって言いたい。
でも、そんな約束をできるほど、自分はきちんと出来ているだろうか、これから出来るだろうか、こんな自分でいいのだろうか。言いたいと思った瞬間、そう恐怖せざるを得ないのが、普通というものでしょう。
自分は自分にできることをやるから、と確言するために、どれだけの能力と、努力と、自信が必要か。だから私は、こんな言葉を言い切ってしまえるキャラクターがここにいる、ということは、凄まじさでもあり、ズルさでもあると思うのです。


話に出てきたので、春香。
私は、合宿時からの765プロアイドルのバックダンサーズへの働きかけ具合を、ずっと問題にしてきました。
そこで、春香はどうだったのか、改めて振り返ってみましょう。
最初の夕食でバックダンサーズのテーブルに行ったのが、春香と雪歩。カラオケ大会かなんかで、バックダンサーズに囲まれて歌っている中に居たのも、春香(一瞬だったので、他に誰がどういう位置にいたのか覚えていませんが)。宿舎裏に一人で居る矢吹可奈に気づいたのも、春香。そしてミニライブ後の楽屋を訪れたのが、春香とあずさ。
765プロアイドルとバックダンサーズが、特別に接触・交流を持つ場面で、必ず春香がその前面に立っていたことがわかります。

765プロアイドルの中で矢吹可奈の不審な挙動に最初に気づき、矢吹可奈ともっとも深いコミュニケーションを持つに至ったのは、春香でした。
私はそれが、偶然の出来事だとは思っていません。そしてそれは、矢吹可奈にとって春香が特に憧れの存在だったから、二人が特別親しい間柄だったから、そういうことが理由ではありません。
春香は明らかに、765プロアイドルの中でももっともバックダンサーズのことを気づかい、率先してコミュニケーションを持とうと行動していた。だからこそ、バックダンサーズの中でもっとも早くから、もっとも顕著に問題を抱えていた矢吹可奈に対して、自然と深くコミットすることになったのです。
最初に問題になったのがバックダンサーズの誰であったとしても、真っ先にその隣に居たのは春香だっただろうと、私は思います。

春香はずっと、バックダンサーズ個人個人を気遣い、目を配ろうとして動いていました。そこには、自分はリーダーなのだから、という意識も作用していたのかもしれません。ただ、TVシリーズでの765プロ内における春香の行動を考えれば、たとえリーダーに選ばれずとも、彼女が自然と同じような行動を取っていたであろうことは、想像に難くありません。
私がずっと、765プロアイドルたちがやっていなかった、と言っていたことを、春香は初めから、意識して行動していた。それはつまり、春香だけは正しい行動を取った例外として肯定され、賞賛されるべき、ということでしょうか? 

そういうわけではありません。だって春香はリーダーなのだから、私自身は精一杯頑張りました、でも周りのみんながまとまらなかったのでライブはうまくいきませんでした、では済まされない。
リーダーである以上は、自分だけで動いてもどうにもならないことについては、初めから周りのみんなを巻き込んで、動かしていかなければならなかった。
けれども、合宿時の春香には、それが全く出来ていなかった。自分が何をしたいと考えているのか、周囲に伝えること、周囲を動かすことが出来ず、だから765プロアイドルたちは気づけず、動けなかった。
「天海春香として」は精一杯、できることをやったつもりだったかもしれない。でも、「リーダーとして」は、それでは全く足りなかった。
春香もまた、未熟で、不足でした。それは、彼女がリーダーという立ち場に選ばれて、初めてわかったことだったのです。


春香以外で、765プロアイドルとバックダンサーズが接触する場面で存在感があったのが、雪歩でした。
最初の夕食の場面に象徴されるように、雪歩はリーダーでもなんでもないにも関わらず、当初から率先してバックダンサーズと意志を疎通し、ライブへ向けて状況を積極的に動かしていこうとしていた節があります。
後半の、2グループに分かれての先輩組と後輩組の対話の中で、「ちんちくりん組」を前に演説した雪歩。何故、あそこで長広舌を振るう位置に居たのが、雪歩だったのか。
ああいう性格で、TVシリーズでああいう経験をしてきた雪歩だから、あの場面で語りたいこと多く、また「ちんちくりん組」に共感・理解されることが出来たのだ。もちろん、そういう要素もあるでしょう。
しかし私は何より、この映画の中で雪歩がやってきたこと、積み重ねてきたことに、まず着目するべきだと思います。

バックダンサーズと出会った当初から、誰よりも積極的に相手を理解しようとし、自らの意志を伝えようとしてきたのは雪歩だった。そんな雪歩だからこそ、あの局面でも主体となって意志を伝えようとしたし、雪歩の言葉こそがいちばん、バックダンサーズに届く力を持っていた。
別に比較する問題ではないのだけれど、あえてそういう書き方をすると。仲間たちは”TVシリーズよりも成長した雪歩" を、あたたかく見守っているつもりだったかもしれない。けれども本当は、そうして彼女たちが "見守っているつもり” でいる間に、真も、貴音も、伊織も、美希も、あずさも置き去りにして、雪歩だけがより高いステージへと昇っていたのです。


最後に千早。
千早は凄かった。単純に、純粋に凄かった。

如月千早という人間は本来、とても視野が広く、物事の本質と成り行きを、深く鋭く見通せる人間です。同時に、その視野・洞察力を基盤にして、状況に対して、周囲の世界に対して、非常に能動的に、主体的にアクションしていく人でもあります。
しかしながら、そうした彼女の天性の能力は、低ランク時点では必ずも活きていなかった。それは、低ランクの千早に、周囲の状況すべてを自分の完璧なコントロールに置こうとする、強い傾向が存在するからです(低ランクコミュの千早は、環境の劣悪な道ばた、歌を理解しない客の前など、自分の制御下に置けない事象の中で歌うことを強く忌避します)。

では、高ランクになった時、それがどう変わるのか。
他人の中には、千早自身にとっての正しさとは異なる正しさが存在する、ということへの理解を示すようになる。
これが、千早が高ランクになっていく際の最重要の変化であると、私は考えています。
それによって千早は、まず自分が動いて自分の正解を押し通そうとするのではなく、他人の言葉・論理に耳を傾けられるようになる。より正確に言えば、自分から動こうとしないことで、最初から持っていた、他人の言葉・論理に耳を傾ける能力が、強みとして発揮されるようになるのです。

以上は無印の千早の話であって。アニマスの初期千早が、無印の千早のような特質を持ったキャラクターとして描写されていたかと言えば、私にはそうとは思えません。
けれども、TVシリーズ終盤、そしてこの映画で描写された千早の変化は、無印的な初期千早が成長した結果としても、納得がいく有り様だと感じます。
合宿時からの周囲の状況を眺めていて、あるいは律子や春香といった主導する人間の行動を見て、千早には、自分だったらここではこうするのに、ここではこうした方がうまくいくのに、そういう、より正しい道筋が、局面局面ごとに次々見えていた筈です。
けれども彼女は、ああしなさいこうしなさい、なんでこんなことも出来ないの、と他人の判断に口を挟むことは、決してしなかった。
何度も書いた通り、私は基本的に、映画前半における765プロアイドルたちが、もっと積極的に行動するべきだったと考えています。けれども千早に関しては、まさに動かないこと、黙っていることが彼女の映画における、成長を、凄みを表していると思うのです。

では、千早が千早として、実際に動いたこと、やったことはなんだったのか。
リーダーに指名されて以来、春香がプライベートに悩んだり、笑ったり、考えを口にしている時、隣に居たのはつねに千早でした。終盤の喫茶店のシーンが象徴的ですね。
それは、春香と千早が特別距離の近い親友だから、アニマスははるちはわっほい(←どーでもいいことですが、私の大嫌いな慣用句です。春香と千早とわっほいを一緒くたするものではありません。)だから。もちろんそういう側面はあるでしょう。ただ、それだけではないのだと思います。

春香が背負っているもの、感じているもの、苦悩しているもの。それは、他の誰にも肩代わりすることはできない。すでに美希のところで書いた通りです。ならば、リーダーではない自分に出来ることは、なんだろうか。
肩代わりすることはできなくても、春香が悩んでいる時間、考えている時間を共有することは出来る。
喫茶店で千早が春香に何を言ったか、ということ以上に重要なのは、その時その場に千早が居て、春香の言葉に耳を傾けていたことそのものです。そして、その時その場には千早しか居なかった、居ることができなかった、ということです。
春香が一人で悩んでいる時、そこに自分が居ることが出来る、そしてそこに自分は居るべきなんだ。そう気づけたのは、千早だけだった。
美希がリーダーのために言葉で表明した、私は私にやれることをやる、という事柄を、何も言わずとも、誰からも言われずとも、千早は事の初めから実行していました。きっと、他の誰がリーダーに指名されていたとしても、千早はやっぱりこんな風に動いていたのではないか、私はそう思っています。


ついでに、千早にまつわるその他のネタのことも書いておきましょう。
まず、母親と思しい宛先に手紙を送っていたシーンについて。あれは、とても重要なシーンだと思いました。
なんとなれば、765プロのアイドル、と言ったって、別に四六時中アリーナライブのことだけ考えて生きていられるわけじゃないんだ。皆、それぞれの生活、それぞれに取り組むべき問題、それぞれに思考し行動すべき事柄を抱えて日々生きている。アイドル活動は、その一部として存在しているんだ、ということ。描かれなかった他の誰についても必ず当てはまるそのことが、千早のこのエピソードを通して示唆されているからです。

また、このエピソードの、千早自身の物語の中での意義についていうと。
手紙を受け取ってきっと母親は喜んだことだろう、きっとライブにも来てくれることだろう、そうやってだんだん昔のような仲良く幸せな家族に近づいていけることだろう、だから良かったね、そういう話ではないと思います。
千早がこの映画の中で取った行動によって、良い結果が生じていくか、悪い結果が生じていくか、そんなことは、誰にもわからない。
でも、千早と家族の関係がこれからどう変わろうと、あるいはどう変わるまいと、千早はそれと向き合って、自分を伝え続けていくんだと、そういう強靭な決意が、あの行動の中に内包されている。だからこそあれは、素晴らしいシーンなのだと思うのです。

それから、合宿時の、早朝の発声練習とジョギングのシーン。これも、単純ながら、大切な描写だと思いました。
本来、千早が ”歌バカ” だというのは、喉が潰れようがろくな食事を摂らなかろうがとにかく自分の喉から音を絞り出し続けていないと生きた心地がしない、自分の喉から音を絞り出すこと以外には何の興味も反応も示さない、そんなものではなく。
最高の歌を造り上げるために、あらゆる手段を尽くして研鑽を惜しまない、生活の中でやっている全てのことが糧として自分の歌に活きるように生きる、そういうものであった筈で。
だからこれはごくごく当たり前の描写なのだけれども、しかしその描写を、アニマスの中できちんとやった。大事なことだと思います。

最後に千早のカメラについて。千早という人は、インプットする意欲の高い人なのでしょう。だから彼女は、読書家で、音楽愛好家で、散策者だ。
従ってそこに、自分の周りにある風景を、事物を、直接自分の目で見、耳で聴くのとは違う形で切り取れる手段。そういうものが新たな趣味として加わるのは、私はとても自然なことだと思っています。
で、春香との会話で「人物はあまり撮らないから」と言っているのが、彼女の興味の向き方、プライベートな時間の過ごし方をよく表していて、面白いというか、とても千早らしい言葉だと感じました。


だいたいそんなところで。
項を立てなかった人の中で言うと、あずさに関しては、だいたい先に書いた通りです。私はあずささんという人を、765プロ随一の聡明で信頼できる人だと認識しているので、あんなんではダメというか、論外というか。ギャグ系ノベマスじゃないんだから、年下の子守りを付けられてワープなんかしてる場合じゃありません。
その他、ここまで具体的な話が出なかったキャラクターに関しては、要するに私が、一回の鑑賞の中で、何か書けるほどきちんと観察できなかった、ということですね。もう一度劇場に見に行く機会があったら、彼女たちが何をしていたのか、しっかり見てきたいと思います。

特に、律子が物語中で何をしていたのか、ということは、ライブに向かって765プロがどう動いていったのか、を話題にするならば、本来真っ先に考えなければならない事柄です。
しかしながら、まあなんというか、ぶっちゃけ私の手には余る仕事、と言いますか。律子に関しては、これから映画を見直したとしても、自分で何かまとまったことを言える気がしません。
なお、一連の記事中で私が多用している「765プロアイドル」という語には、特に区別して記していない限り、律子も含まれています。これは、映画の内容についての何らかの考察に基づいてそう定義した、という話では全くなくて、単に律子について何も考えていなかった(考えられなかった)ので、自然にいつも通りの習慣で13人一括りにして書いていた、というだけのことであります。

バックダンサーズに関しては、だいたい各々、私の中で、この映画における彼女はこういう存在でこういうことをしているんだな、という認識がなんらか出来ました。ただ、佐竹美奈子だけは、何か言えるほど観察することが出来なかったので、こちらも、今度見に行く機会があったらしっかり見てきたいと思っています。






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No title

こんにちは。
前略。
765プロは組織として動いているので部活じゃありませんから。
リーダーがちゃんとしてないのは羽根Pの責任だし、事実彼は、後悔を見せる場面があるし。
羽根Pがちゃんとしてないのは高木社長がいいかげんだからだと思います。
無印765の面々にはバックダンサーは突然やってきたものだし、どうしろという指示もない。押しつけられてさえいなくて、彼女たちは合宿も過去一度しか経験していない。もちろんアリーナライブだって初体験です。要するに久々に、集団になって、そこに他所からやってきたダンサーが加わる。しかも彼女たちを引率する立場は誰なんでしょう。春香さんですか。
私にはそういう風に見えていたので、未熟というよりも、組織として杜撰だなあと思っていました。

ただまあ、

 細かいことを見ていくと、シナリオ上、演出上の都合だなあで済んでしまうので、あえていうならご都合主義だなあってことになるんでしょうけれど。伊織が便利に使われているところとかも含めて。
 この映画の場合、そのご都合主義で失われたものがたくさんあると、そういう評価になります。ミリマス組が喧嘩になりそうなときに、あずささんが入ってくるのがあと5秒遅かったらどうなったか、という1点を考えても、得た物と失ったものがある。要は、同じストーリーであっても、もっとわかり易い見せ方はできただろうと思います。前半と後半でシナリオ担当者を分けたのも功罪あると思うし。
 で、私自身は、もっとわかり易い見せ方をしてシナリオの齟齬をなくして伏線を分かり易く敷いて、その結果できあがるどっかで見たような映画にならなくて、心の底から良かったと思っています。私がその方がおもしろいからというだけの理由ですが。

Re:

zeitさん、いらっしゃいませ。

>765プロは組織として動いているので部活じゃありませんから。
>彼女たちを引率する立場は誰なんでしょう。
そうですね、まさに仰る通りで、実は一連の記事には、初稿段階では「私はこの映画を部活アニメだと思ってみていました」という前置きが存在したのですが、やはりその点、はっきり断っておいた方が良かったかもしれません。
なんでこんな事態になっているのか、誰が悪いのか、という話をするならば、それは勿論、アイドルに責任があるわけないので、順二朗社長が、赤羽根Pが、765プロという会社のやっていることが悪いに決まっています。
ただ、順二朗社長が、赤羽根Pがいかにダメだったか、という話を延々書いたところで、私に得るところは何もないので、そういう事柄は棚上げにして、あまり書きませんでしたね。そこはやはり、読んでいる方にとっては気になるところだったんだろうなと、反省しております。

で、映画全体については、さんざん書いておいてなんですが、別に伊織やあずささんが自分の思い入れとどう違うとか、そんなことを見るために見に行ったのではないし、ましてやこの荒唐無稽な設定の会社をどう矛盾なく描写するとか、そんなことを期待していたわけではないので。
なので、どうなんでしょうね、個人的には実際に見て、映画自体が何かを失っているとか齟齬があるとか、そういう印象は受けませんでした。
そのあたり結局私がどう思っているのかは後編で書く予定です、と言いたいところですが、必ず後編を書けますとお約束できないのが心苦しいところで、まあ、少なくとも私にとって、書けるだけのことを書こうと思わせるだけのことが劇場で生じた、というところで斟酌していただければ、と思います。

では、コメント、ありがとうございました。

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