Rest and Recuperation


そろそろアニマスの映画を見に行こうと思っているのですが、せっかくだからその前に、見ていないうちだからこそ書けそうなことを書いておこう、と思い立ってブログの管理画面を開きまして、で、見る前に書いておこうと思ったことってそもそも何があったっけ、と、そこから思い出さなければならなかったりするわけですね。そんな記事です。

特に何かのネタバレ、というようなものはない筈です。






エコノミーPのブロマガ記事と、それを受けての諸々の反応を見ていて(特に先駆者Pの一つ目の記事は、個人的に興味深かったというか、いろいろ考える上で手がかりになりました)。
ひとつ思ったのは、映画の内容がどうのこうのという前に、アニマスの23話24話の春香が一体なんだったのか、それ以前に20話の春香が一体何をやっていたのか、そこの認識の時点でもうすれ違いがあって、その摺り合わなさが映画で改めて立ち現れてきているのだろう、と。

まあ、遡りだせば2の、DSの、SPの、L4U!の、無印の、アケマスの時点でもうすれ違いが、という話になるかもしれませんが。
少なくとも、アイマスとずっと付き合ってきてTVシリーズのアニマスも当たり前に全部見てきました、という人が映画を見て、春香さんすごいねいい話だったね、となるか、この春香さん一体なんなの? となるか、という時、そもそもTVシリーズの春香を一体どうだと認識していたのか、ということが、かなりダイレクトに関わってくるように思えます。

さて、もちろん、アニマス及びその劇場版の春香について熱心に考えている人は、春香派だけではありません。
ただ、少なくとも、俺は春香のことが人一倍好きだぜ、と思っている人であれば、天海春香と呼称される存在がそこでスポットライトを浴び、何かしら語り、考え、行動しているとなれば、この春香は一体なんなのだろう、何をやっているのだろう、とついつい考えるのは、まあ自然なことです。
そして、そういう人であれば、この作品は春香の立場に立って考えてみればこんな凄いことをやっているんだぞ、と言うことが出来るのも、当然のことではあります。私もまあ、いろいろ読んでいて、TVシリーズの解釈についてだけでも、いやここはこういう話だったんだから、と、あらためて書いてみた方がいいんだろうか、と思うところはありました。

ただ、それはそれとして。我々アイマス好きは別に、アイマス好きになる以上は春香が出てきたら必ず春香の立場に立ってものを考えてやらなければならない、という契約をバンナムと結んでアイマス好きになった覚えはない。だから、アニマスの春香の気持ち、さっぱりわからないんだけど、という人に対して、なんで春香の立場に立って考えてやらないんだよ、と言ったところで、別段何の正当性がそこにあるわけでもありません。
もっと言えば、アニマスはなんで春香ばかりを優遇するんだよ、と、春香派以外のすべての人が声を上げるようなことになったって、何もおかしくはないわけだけれど、しかしそういう声はまあ、滅多なことでは聞かれない。たとえアニマスなり劇場版なりを、何なんだあれは、自分は全然楽しめなかったぞ、と思っている人であっても、だからと言って他にどんな道があったのか、春香を主軸にするしかないじゃないか、という、大人としての理解は持っているわけで。


で、ここまで、わかりやすいので、春香派とそれ以外、という区切りで話をしてきましたけれど。
もちろん、ならば春香派の中ではコンセンサスが取れているのか、ということは、全く別問題であって(笑)。
ちょうどこの記事で言及しているような劇場版感想が上がり始めた頃のこと。私が、なるほど春香さんが転ぶの転ばないの、とうだうだ一人で思って、満足して脇に目をやったら、名立たる春香Pが、春香が転ぶのは何もないところだからね、何か問題がある時は転んだりしないからね、と堂々と断言なさっているのが目に入ってきて、ああ私の存在って何なんだろう、と天を仰いだりしましたが。
それとは別の問題として。

春香がフューチャーされた作品で、だからそれは誰より春香好きが満足できる、楽しめる可能性がある作品だ、ということは、しかし、その作品の有り様こそが春香派の望んだアイマスの有り様、春香の有り様である、ということを意味するわけではない。
はじC氏の一連の記事は、そのあたりの微妙な心情を、巧みに表現されていると思いました。
はじC氏以外にも、自分が元々春香に求めていたもの、春香に惹かれていた要素とのすれ違い、という観点から書かれた人は何人かいて、「団結」だの「いっしょ」だの、アイマスに都合のいいメッセージの体のいい代弁者になっちゃってるんじゃないの、とか、無印にあったなにか大事なものがなくなっちゃったんじゃないの、とか、いろいろ切り口はありますが。

ようは、アイマスの物語全体が春香に占有されて欲しかったわけじゃない、ということなのだと思います。
アイマスの中に居る春香、春香の居るアイマスを好きになったのであって、アイマスのための春香、春香のためのアイマス、が見たかったわけじゃない。

そう考えると、先ほど春香に関心のある人とない人、という 区切りで述べたことも、根は同じです。
ようは、これが他に十二人分の、あるいはさらにDSアイドルやミリマスアイドルを含めたいくつ分の個別シナリオが存在するの中の春香ルート、であれば、何の問題もないわけです。無印の春香ランクAドーム成功EDを、なんてひどい結末なんだ! と怒る人がいたとしても、だからこのゲームは駄目だ、とは言わないでしょう。
しかしながら、アニマスにおいては、肯定するにしろ否定するにしろ、春香の価値を量ることがそのまま、アイマスの価値を量ることに直結してしまう。そこに受け手にとっての重さ、場合によっては辛さがある。それはそのまま、作り手にとっての難しさでもあるでしょう。


まあ、個人的にはですね、とある春香Pが(……と名を伏せたところで、御本人には、ああ自分のあの発言を見たのね、とバレてしまうでしょうが、まあ)劇場版を見て、悔しいが面白かった、自分はやっぱりアイマス好きだね、と語った、ということで。
私個人としてはもう、それだけで、素晴らしい映画でしたね、と言い切れて、もう自分で見に行かなくても充分かな、というくらいには満足していますが。

あと、いくらか劇場版の感想を眺めていて面白かったのは、一度見て、なんだかなあ、納得できなかった、面白くなかった、という感想を書かれた人の中から、その後に、でも2回目に見たらまた印象が変わったよ、という記事が出てくるのを、結構見かけたことですね。
この映画については、そんなに劇場で繰り返し見るものでもないんじゃないの、という意見もあったりして、それはそれでもっともなんだろうな、と私も思います。
ただ、物語作品というものは、一度見てスパッと、ああ面白かった! いや全然ダメだった! と白黒つくようなものばかりではなくて、わからなかった、しっくりこなかった筈なのに、じっくり考えて、粘り強くつき合っているうちにいつの間にか面白くなっていた、そういう面白さ、楽しさもあるんだ、と。そんな体験がアイマスを通じて生まれているとすれば、それはとても素敵なことだと思います。
逆に言えば、一度見てすぐに感動できた、あとはもうどれだけ通って深く細かく突き詰められるかだ、という人は、実はもうその時点で、一番面白い味わい方を得るチャンスを失っているのかもしれません。一期一会。怖い言葉ですね。

全然関係ない話ですが、去年の末にまどかマギカの映画を見に行きました。あれは、行った時間と場所が悪かったんですね、平日の夕方に街中の映画館に行ったら、劇場内は中学生・高校生の社交場状態でした。それも、カップルの比率がやたらと高い。
で、うわあ思っていた客層と違うぞ、ひょっとして私、とっても場違いですか、と思いながら席に座ったんですが(周り中が小学生、なら慣れてるんですけどね、ドラえもんとかで)。
映画が終わったら周り中みんなポカンとして、どう反応したらいいかわからない、という顔をしていて、退場する時も各々会話の種に困っている、という感じで、まあそうだろうなあ、と。結局この場において、今の時点として一番正しい居場所に居たのは私だったんだなあ、という、実にどうでもいい納得と満足を得て、私は帰ったのでした。まどマギ劇場版の感想はたぶんこのままお蔵入りなので、ついでに書いておきました。
ちなみに特典のフィルムには、凛々しいマミさんが大写しで写っていました。私はまどマギに関しては、誰が特別好き、というのはなくて、みんないい子だな、と思っていますが(上条くんとかも、嫌いじゃないです)、嬉しかったです。


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