すごいものをみた。


語れる気がしない。






2月17日午前2時、格納して追記。
2月17日夜、さらに追記。











もしもドミトリー・ヴァシリエフの着地がもう少し綺麗だったならば、2000年代のスキージャンプの歴史は、いくらか塗り替わっていたことだろう。

まず、トリノオリンピックのノーマルヒル個人金メダリストの栄誉は、ロシア人のものになっていたに違いない。
オリンピック・世界選手権の団体メダルのいくつかや、ワールドカップ総合チャンピオンのタイトルがロシアチームの手に渡っていた可能性だって、あったかもしれない。

ドミトリー・ヴィクトロヴィチ・ヴァシリエフ、1979年生まれ。ロシア(出生当時はソビエト連邦)バシコルトスタン共和国ウファ出身。
ずんぐりとした胴体に籠った恐るべきパワーは、彼に空中を高く、遠く飛翔するための、天性の能力を与えた。
スキージャンプが決して盛んではないロシアという国にあって、ヴァシリエフは世界のトップに達し得る資質を持って生まれ、しかも選手として大成するに至った、稀有の存在である。

2001年の元旦、ドイツはガルミッシュでのワールドカップ(葛西紀明が通算13勝目を挙げ、 ”21世紀最初のワールドカップ勝者” になった試合である)。そこで初めて表彰台に昇った時から、彼はロシアチームの希望の星になった。
それから今日に至るまで、15年弱。
そのほとんどの期間において、ヴァシリエフはロシアにとって、この競技でタイトルを競い得る、たった一人のエースだった。
彼の肩にはいつでも、ロシアのファンすべての夢と希望が乗っていて、彼のジャンプがそのまま、ロシアチームの運命そのものだった。

ただ一つ、問題があった。彼の着地が、恐ろしくヘタだった(トップジャンパーにはあるまじきほどに!)、という問題である。
胸のすく大飛行のあと、彼はだいたいいつも、足をがに股に開いて、「どさっ」とか「ずしゃっ」とかいう漫画的な擬音がよく似合う、いかにも不格好なランディングをする。テレマーク姿勢は、出来た時が儲け物。
それどころか、彼はしばしば勢い余って、腕や背中まで用いた着地すら試みた。……有り体に言えば、よく転ぶのである。(それも、しばしばここぞ、という大勝負の時に!)
幾度、ドミトリーが雪を舞い上げながら崩れ落ちて、彼のコーチとチームメイト達が一斉に頭を抱える瞬間を、目撃したことだろう。

あれだけ何度も危なっかしい着地を繰り返しながら、ヴァシリエフは34歳の今日に至るまで、どうにか無事に生きて(負傷しなかった、という意味では勿論ない)競技を続けて来た。それもまた、彼のひとつの才能、あるいは人徳のなせる業、と言えるだろうか。
ともあれ、ひげむくじゃらのドミトリーが、あーまたやっちゃったよ……、とむっくり起き上がる様にはどこか愛敬があって、のっぴきならない悲劇でありながら、それもまた、この十数年のこの競技における、一つの名物ではあった。


2014年2月の時点で、ワールドカップ個人の表彰台登壇回数9回、優勝はゼロ。年間総合では最高5位。
オリンピックの個人最高順位は10位、世界選手権で7位。
団体戦ではワールドカップで表彰台3回、オリンピック・世界選手権のメダルなし。

立派な成績だ。
しかしながら、彼の潜在能力を考えた時、決してこれが限界、これで充分、と言えるものでもなかったはずだ。

もしもあの時、もう少しランディングが上達していたならば。
もしもあの時の転倒、あの時の負傷がなかったならば。
もしもあの時の絶好調が、もう少し長く続いていたならば。
もしも、ドーピング問題による長期の出場停止がなかったならば。
もしも、もう数年早く減量に取り組んでいたならば。

それが出来なかったのがヴァシリエフ個人の限界だ、と言って話を終わらせるのは、簡単だ。
けれども、私は、それだけの問題ではなかったと思う。

もしも、ヴァシリエフがオーストリアに生まれ、シュリーレンツァウアーやモルゲンシュターンが受けたのと同等のトレーニングとサポートを受けて育ち、彼らのような後輩と競い合い、支え合いながら戦ってきたならば(ちょうど、同い年のオーストリア選手、ヴォルフガンク・ロイツルがそうであるように)、どうなっていただろうか。

競技の中心地から離れた弱小国で競技人生を歩むことは、それだけで重大なハンディキャップである。
就職先、資金、周囲の理解、トレーニング環境、最新のスポーツ科学と用具開発のサポート、ヨーロッパ中央で行われる大会への遠征にかかる物理的、肉体的負担。

ヴァシリエフの後に出てきて、有望だと言われた何人かのロシア選手は、結局大成せずに消えていった。
そして2011年にパヴェル・カレリンが非業の交通事故死を遂げた時、ソチの舞台で新星がロシアチームを牽引し、そのままヴァシリエフの後を継いで行く、という望みは潰えた。

ゆえに、最初の結論に戻る。
ドミトリー・ヴァシリエフはロシアという国にあって、世界のトップに達し得る資質を持って生まれ、しかも選手として大成するに至った、稀有にして孤高の存在である。




私は、ソチのオリンピックは、ヴァシリエフの晴れ舞台になる筈だ、いやなるべきだと、思っていた。
そうなっていい能力と、権利が、彼にはあるはずだ。
そして、可能性もあった。2012-2013シーズンのヴァシリエフは、近年の彼としてはなかなか、調子が良かったのだ。
2012年12月のフィンランド、クーサモの試合で、3年ぶりの個人表彰台に上がっている。
スキー板の長さ制限ルールの変化、着用スーツの制限の厳格化といったルール変更によって、パワーと重量のある彼のようなジャンパーが活躍する流れが、出現しかけていた。

しかし、迎えた2013-2014シーズン、ジャンプ競技のトレンド、勢力図はさらに変化しており、ヴァシリエフは不調に陥った。
自国開催のオリンピックが近づいて、プレッシャーもあったのかもしれない。
あるいはヴァシリエフ個人というより、ロシアチーム自体の問題だったのかもしれない。
ここ3年ほど、(男子)ジャンプ競技は、多くの国の選手が非常に高いレベルで拮抗する、群雄割拠状態にある。誇張なしに1試合ごと、1週間ごとに力関係が塗り替わる。
それだけに一層、チームごとの細かな用具の改良、ちょっとしたノウハウの発見、調整の出来不出来が如実に成績に反映されるようになっている。

迎えた2月9日のノーマルヒル個人予選、スタートリストにヴァシリエフの名前が無かった。
ロシアチームの出場メンバーから、落選したのである。
選ばれたメンバーは、しばらく前から2枚看板の片一方となっていたコルニロフの他は、マクシモフキン、ロマショフ、ハツェトディノフ。いずれも、ここ1〜2シーズンで出てきた、ヴァシリエフより一回り以上若いルーキーだ。
(まだまだ表彰台を争うレベルにはほど遠いとは言え、)未来を期待できる若手に、こうしてベテランが取って代わられる。
それはポジティブな事実であり、出られない彼にとっても、慰めではあっただろう。
それでも、この舞台にヴァシリエフの姿の無いことが、私は無性にさびしかった。

ラージヒルの試合で、ヴァシリエフに出番が巡ってきた。
チームメイトの負傷という、喜ぶべからざる理由によって。
期待はすべきでない、と私は思った。今の彼は、トップレベルからはほど遠い。そんなことは、明々白々なのだから。
それでも。スタートリストに載った VASSILIEV Dimitry という名前に、一時たりともささやかな夢を見なかったと言ったら、それは嘘になるだろう。

2月15日、スキージャンプ男子、ラージヒル個人本戦は、強風の吹き荒れる、ひどい悪条件の中で開催された。
試技はキャンセルされ、本戦の開始時間も順延となり、それでも風は収まらなかった。
不規則な強風は、ある者に対しては追い風となって、背中からジャンパーを地面に叩き付けたかと思うと、次の者にはもう向きを変えて、下から選手を持ち上げる向かい風となって遠くへ運んだ。

一番ひどかったのは、1本目の40人目付近、世界ランク6~10位あたりのジャンパーの時で、上と下で向きが違う(恐ろしく飛びにくいのに、数字上は上と下の数値が相殺されて、追い風に対する加点が与えられない!)不条理極まりない条件で、次々に強豪が落下していくことになった。
真に実力を発揮できる条件を天から授かったのは、最後に飛んだ、ワールドカップ総合ランク最上位の5人(ドイツのゼヴェリン・フロイント、オーストリアのグレゴア・シュリーレンツァウアー、日本の葛西紀明、スロヴェニアのペテル・プレヴツ、ポーランドのカミル・ストッホ)だけだったと言って良い。

そんな、多くの者にとって不条理な展開の中、我らがドミトリー・ヴァシリエフは……、130.5mまで伸ばした。
いや、うん、条件が良かったんだ。
ちょうど彼の前、カナダのマッケンジー・ボイド=クロースと日本の清水礼留飛、そしてヴァシリエフと次のスイスのグレゴア・デシュヴァンデンの4人。その4人の間、絶好の向かい風が吹き付ける好条件になっていた(この全員が130mを越え、1本目上位30人に残って2本目に進出している。)
でも、いくら良い条件を貰ったところで、最後にそれを生かして距離を伸ばすのは、選手の力である。
本番で、彼はちゃんと彼らしいジャンプを、見せてくれたのだ。
例によって着地が乱れて順位を下げてしまったのは、まあ、ご愛敬というところで。

2本目。1本目25位のヴァシリエフは、6番目に飛ぶ。
2人前、チェコのヤクブ・ヤンダの時、風はほぼ凪。
1人前、イタリアのセバスティアン・コロレドの時、かなりの向かい風。
しかし、いずれもあまり伸びない(126mと124.5m)。
数値で見えるほど、実際の条件はあまり良くないのかもしれない。
まあ、1本目で幸運に恵まれてギリギリ生き残れたこの辺りの選手の力では、ということもあるのだろう。
次のヴァシリエフも、似たような結果になって終わるんだな、と思った。


34歳のくたびれた顔のロシア人が、スタートゲートに着座した。
刹那、ライブスコアに表示されるウィンドファクターの数字が、唐突に上昇を始めた。
0.3、0.5、0.8、……0.96! とんでもない強烈な向かい風が来ている。

あっと思う間もなく、彼はロケットのようにズガーン! と飛び出した! 
信じられないほど高く、猛烈に速く、空中をぶっ飛んでいく。
そして、K点の125mはおろか、試合中それまで誰も達していなかったヒルサイズ140mをも悠々と飛び越えて、
もはや着地することを想定されていない、ほとんどただ真っ平らな地面になってしまった領域に突っ込んで、舞い降りた。

144.5m。 

ランディングの瞬間、激烈な衝撃に耐えるべく、彼の両足はがに股に大きく開かれ、背中をぐっと仰け反らせながら力の限り踏ん張って……、

そして。そのまま手と背中が地面に触れて、ドミトリー・ヴァシリエフは真っ白なランディングバーンの中央に、大の字になって横たわった。

11.5点、11点、11点、10.5点……。飛型審査員が、次々と無情な判定を打ち出していく。
「転倒」だ。

あとは、いつも通りだった。身体が滑り止まると、ドミトリーはいつものように、むくりと起き上がった。
そしていつものように、さびしげに肩を竦めてみせて、そしてすぐ、その姿は退場門の向こうに消えた。

ただ、ほんの少しだけいつもと違うところが、あったとしたら。
ロシア人の飛型審査員が出した「13.5点」というささやかな心づけの点数と、彼が歩み去っていくほんの一時、会場があたたかな拍手に包まれたことだろうか。

個人戦からすぐ後に発表された、団体戦前の練習のスタートリスト。そこに、ヴァシリエフの名前はなかった。
やはり、あの着地で、ダメージがあったのだろう。
彼の元気な姿を再び見ることが出来るのは、いつになるだろうか。
そして、彼はいつまで、現役を続けてくれるのだろうか。


あの時、ロシアの審判と観客たちと同様、気まぐれな風の女神もまた、ドミトリーにささやかな心づけを、と、思いついたのだろうか。
けれども、神さまの「ささやかな心づけ」は、少々過大で、悪戯がすぎていた。
あんな飛行をしてあの場所で立つことなんて、彼じゃなくても出来なかっただろう。

絶好の ”ちょうどいい” 風を貰う幸運に浴したのは、次に飛んだドイツ人、マリヌス・クラウスだった。予選から好調だったドイツの若手は、140mぴったりまで飛んでバッチリ着地を決めた。
その後、最後の一人に至るまで、そんな幸運が再び巡ってくることはなく、結局クラウスは6位まで順位を上げた。

あとほんの少し、巡り合わせが違えば。
クラウスの居た場所に、ヴァシリエフが居ても良かったはずだ。
あるいは、せめて。
最後の瞬間、彼をぎりぎり堪えさせて、ルースキー・ゴーリキーのジャンプ台の最長不倒の記録に、ドミトリー・ヴァシリエフの名を刻ませる。それくらいの報いがあったって、良かったはずだ。
すべては、ただ一刹那の間に、夢と消えた。

記録として残ったのは、ただ2本目転倒、順位26位、という結果だけ。
それも、1本目、2本目ともに風の加勢を受けての結果であって、彼の今の実力を表したものではないのかもしれない。

けれども。
その瞬間、そこには確かに、
この競技の観戦者の誰もが、見てみたいと夢想する、凄絶な飛行が存在した。
そして、ファンの誰もが願っていた夢が、希望が、そこに顕現していた。

誰よりも高く、誰よりも速く、誰よりも遠く。
ソチの空を、ドミトリー・ヴァシリエフが飛んでいく。

このジャンプ台で未だかつて誰も経験したことのない衝撃と、真っ向から戦ったその着地は、
誰よりもぶざまで、
そして、誰よりも雄々しく、美しかった。

ぶきっちょで、いつでも雄々しいドミトリーの大ジャンプに、心からの拍手を。

この拍手をもって、ソチオリンピック、スキージャンプ男子ラージヒル個人戦の、私的な総括に代える。

























追記


41歳のジャンパーが、インタビューで ”自分のジャンプ人生の95%は負け” と言ったという、もちろん、私は直接その言葉を聴いたわけではないけれど。

まったく当たり前の話、一つの試合、一つの大会を行った時、そこに参加したほとんど全員は、負けることになる。
そして、これもまたごく当たり前の話として、国際的な大会に出場して、そこで負ける機会を得るということは、それだけで、途方もない質量の、才能と、努力と、支援の賜物である。

そうやって途方もない質量の、才能・努力・支援の結晶を集積しておいて、そのほぼ全員に、敗北という烙印を押していく。そこに、スポーツというものの根本的な不条理がある。


国際スキー連盟の記事によれば、ノーマルヒル個人戦の銅メダリスト、ノルウェーのアンデシュ・バーダル(ラージヒル個人戦では、ひどい条件で叩き落とされてノーチャンスだった選手の一人である)は、この試合についてのコメントを求められて、もちろん失望している、と述べた後、

「But this is ski jumping. 」

と言ったという。


本文中にも書いた通り、恐ろしく不条理な試合だった。
不条理な試合であったからこそ、勝負を争うチャンスを授かり、そして勝ち残ることが出来たのは、いま現在、真に強者中の強者と呼べる選手だけだった。

そして、そういう結果であったからこそ、そこには、誰にとっても希望となる結末が存在した。

この競技に取り組んでいる誰もが、身に沁みて知っている。
負ける資格を手にすることの重み、難しさを。
負けることの不条理さ、辛さを。

だからこそ、ここには、誰よりも長く、数多く負け続けているライバルの勝利を、我がことのように喜ぶ人間たちが、存在している。

おめでとう、そしてありがとう、葛西紀明。







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