主に劇場版の感想


ネタバレを含みます。












そんなわけで、某パンツが見えることで話題になったアイドルアニメの、主に劇場版について、つらつらと書いてみましょう、という記事です。
私はこのアニメを、ニコ動で第1話を見る→ニコ動で劇場版を購入して見る→再度第1話を見る、という順番で視聴して、これから第2話を見ようと思っているのですが。
私が劇場版を視聴した時点での再生数が、第1話18万再生に対して劇場版3000再生、現時点でも第1話24万に対して劇場版6000ちょい、とかですか。もちろん、ここにはそれぞれをテレビと映画館で視聴した人の数字は計上されないわけですが、それにしても60倍、という差は小さくない。そういう状況の中で、どこに向かって何を言うか、みたいなことを考えながら書くのってめんどくさいよね、というのが、この記事の公開が今日になった理由です。
上記した通り、劇場版及び第1話のネタバレを含みます。





①パンチラについて

劇場版を見ると、あのパンチラには一応ストーリー上の必然性があるんだね(その展開を自然と思うか、感動するかは人それぞれとして)、という話は、すでに言われていることなので、特に説明しません。
ただ、それとは別に、件のパンチラについては、見る角度を変えてみると、なんであの場面にそれが存在しなければならないのか、その合理性、必然性が言えるのではないでしょうか。

物語の中から説明すれば、こういうことが言えるでしょう。
ステージに臨むアイドルの覚悟、決意といったものを、アニメでどう表現するのか。アニマスで言うたら、3話の雪歩が、ステージが怖い男の人が怖い犬が怖い、それでも思い切って舞台に飛び出すんだ! という、その ”思い切った雪歩" を、絵としてどう視覚化するのか、というところ。
そこには、このアニメの場合における、件のシーンのシチュエーションも関わってきます。寒風吹きすさぶ中、準備もサポートもろくにない状況での駆け出しアイドルの初舞台。それがそんな、キラキラした凄いものであった筈がない。また、あのステージは、マネージャー君が手カメラで撮っていた、正面アングルからの手ブレありのビデオが唯一の記録で、その記録を通してTV1話でステージが回想されることになる。ということは、劇場版の中で、マネージャー君のカメラの視角からは写りえないような構図を描いてしまうと、TV1話で回想される記憶と齟齬が生じることになります。
そういう条件下で、どうやって、ステージの上での彼女たちの覚悟、決意、というようなものを視覚化するのか。事前に、パンチラ(を厭わない心意気)にそれが凝縮されているんだ、という了解を作っておいて、パンチラを見せる、というのが、このアニメの解でした。パンチラをよしとしないならば、他にどんな演出がありえたのだろうか、と想像してみると、なかなか合理的な選択であるように、私には思えます。

同じことを、物語の外から説明した場合は、こうなります。
果たしてパンチラアップをやらなかった場合、ライブシーンを当代、アイドルアニメが乱立し各々にステージの華やかさを競っている時代の視聴者を、満足させるものに仕上げることは、可能だったのでしょうか。
アニマスやラブライブ!のライブシーンでは、大人数が踊っているところをぐるっとカメラが回りこむ、みたいな面倒極まりない絵が、平気で連発されます。
けれども、このアニメのこの時点での作画には、そういう絵を作る選択肢が存在しなかったとすれば。(それが、”やりたくでも出来ない” なのか、”出来るけどあえてやらない” なのか、”今はまだやらないだけ” なのか、は、今の時点では措いておくとして) ライブシーンでのパンチラの強調、あるいはそこに焦点を収束させるストーリー展開自体が、どう足掻いても地味なステージをどう見せ場にするのか、売り物にするのか、という計算から必然的に導かれたもの、とも言えるわけです。

さて、あのライブシーンの裏にある実情は、”やりたくても出来ない” なのか、”出来るけどあえてやらない” なのか、”今はまだやらないだけ” なのか。
まあ、シリーズ後半になって、ストーリーと対応してぐうとも言わせないような圧巻のライブシーンが出てきたら、いやあ見事でしたね、と脱帽するしかありませんが。そうではなく、ライブシーンがストーリーと演出の組み合わせによる、こういうごまかしの技法で見せることに終始したとしても、だからこのアニメはダメなんだ、とは私は考えません。ぬるぬる動いてキラキラ輝いてる凄いステージを作画できなければ、アイドルを主人公にした物語を描いてはいけない、とは全く思わないので。


②「リアル」について あるいは「リアル」との無関係さについて

「リアル」というのも「リアリティ」というのも厄介な言葉で、私はあまり取り扱わないことにしていますが。
まあ、フィクションが ”現実に似ている” ことを売りにする、というのは難しい。これは、簡単な話ですね。初めからこれは現実離れしたお話ですよ、と言っているお話に、この部分が現実離れしているからおかしい、というツッコミはしにくい。しかし、このお話は現実にそっくりな内容ですよ、と言っている場合は、それを強調すればするほど、でもここの部分は現実と違うよね、というツッコミに弱くなるわけです。かくして人は、この物語のここが「リアル」じゃないぞ、そこも「リアル」じゃないぞ、と夢中になる。 

私も、この作品のストーリーは確かにツッコミ所満載だ、と思っています。ただ、私はそれが、「リアル」を志向しているにも関わらず、監督の力量・知力・感性がそれを表現するに能わないからだ、とは考えません。
私は、そもそもこの作品は、別に「リアル」であることなど、初めから目指していないと思っています。

なぜ、かくも多くの人が、”この作品は「リアル」さを目指しているに違いない” ということを、所与の前提としているのでしょう。
社長が金を持ち逃げすれば「リアル」でしょうか? ヤクザが出てくれば「リアル」でしょうか? 女の子が肌を露出することを要求されれば「リアル」でしょうか? 
それは随分と薄っぺらい発想ではないか、と、(監督に対する批判として)意識している人は多いはずですよね。このアニメで「リアル」だと言われているポイントは、”「リアル」さを目指しているはず” という仮定を前提とした結果、”だからこれらは「リアル」さを表現する記号に違いない” と導かれた、ただその程度のものに過ぎないのではないでしょうか。

ならば、その仮定はどこから生じたのか。
監督が、このアニメは「リアル」なんだ、と喋ったから? 
私は、創作者というものは、嘘をつくこともあるし、本人が自身の為していることを理解していないこともままあるし、その場の思いつき、その場の流れで大して重要でも正確でもないことを述べることもしばしばだと思っています。作者の力量、なした仕事は疑いながら、作者の発した説明は鵜呑みにする、というのも不思議な話です。

別にどの箇所を例にしてもいいのですが、たとえば。社長がドロンしてライブとかもう不可能だよ、どうするんだよ、という話になっていたのに、最後にはちゃんとライブが出来ている。
一体プロデューサー君が何をどう折衝して、ライブ開催が可能になったのか。プロデューサー君が何もしていなかったとしたらなおさら、なんで開催できちゃっているのか。
その説明はどこにもされていません。おかしいんです。ようは、このアニメは別に、各場面のシチュエーションに至る整合性、もっともらしさ、大人の世界で実際には仕事がどのように運営されて世の中がどんな仕組みで回っているのか、そんなことを力を入れてきちんと描写しようとなんて、全然していない。

では、大人の仕事のどうしたこうしたが描写されない代わりに、描写されているものは何か。そういうシチュエーションに立たされた、アイドルたるキャラクターたちが何を感じ、何を考え、何を行動するのか。焦点が当たっているのは、アイドルの心情、アイドルの行動、それだけです。
都合良く7人の候補生が社長1人社員1人の事務所に集まる。都合良く本番直前まで誰も衣装のことを気にしない。都合良くヤクザみたいな業界人がポンと現れて、目の前にグラビアシタギを出す。
すべて、そのシチュエーションに立たされたアイドルたちが何をするのか、を描くための道具に過ぎません。
仕事先に行ってみたら鄙びた農村だったり、でかいライバル事務所がやたらチンケな妨害をしてきたり、学校が廃校になる寸前だったり、という筋立てが、各々の物語においてアイドルが何を思うのか、何をするのか、を描くための道具に過ぎないのと、どこか違いがあるでしょうか。
物語世界がアイドルを映し出すために構築され、物語がアイドルを描写することに収束している、という点において、私は本作は、既存のアイドルアニメに対するカウンターでもなんでもなく、むしろその、ごくまっとうで正統な後継者であると思います。

ただ、確かに、既存のアイドルアニメにあの社長や業界人みたいなキャラクターは出てこなかった(いや、アイドルアニメを全部追っているわけじゃないので、わかりませんが)。
そこに、本作固有の可能性が、存在しないわけではないでしょう。
たとえばアニマスという作品の、アイドルとその身内以外の仕事関係者(黒井社長、こだまプロP、テレビ出演回のスタッフ、21話の音響スタッフ等々)のキャラクター造型は、おしなべて薄っぺらく、記号的、類型的で、人格としての奥行きがありません(必ずしも非難しているのではありません。765プロキャラクターを立たせるための意図的な手法だと思うので)。

芸能界周辺にいる人間たちを、ストーリー進行上の道具に過ぎない記号ではない、もっと立体的で複雑な人格の交錯する世界として描き出せる、少なくとも可能性を、本作は含有しています。
そしてそれは、アイドルを描く作品としての価値とも、なり得ます。なんとなれば、年若い女の子が芸能界で仕事をする、という体験がもたらすのは、ファンだ仲間だ家族だ、歌だ踊りだステージだ、そんな範囲のことだけではない筈で。
今までの自分の全く知らなかった世界で、自分の身の回りでは想像できないような考え方生き方をしている大人と遭遇する。自分の知っていたより多様な世界、人間と遭遇して、アイドルたるキャラクターがどう生きるのか、どう変わるのか、そういうことが描ければ、それはアイドルアニメの新しい可能性の開拓となることでしょう。

ま、それはあくまで可能性であって。利己的で卑小で抜け目なくて、公序のレールからどこか外れた形でしか生きられない、そういう人間を生き生きと描き出すようなセンスが脚本家にあるかどうか、あったとしてこの作品でやるのかどうか、やろうとしたとして尺の制限の中でどこまで可能なのか。
別にそういう可能性が発展する展開にならなかったとしても、ならばただアイドルたるキャラクターをどれくらい魅力的に描けたか、という点で評価すればいいだけですし、その点で特段の不足のある作品だとは、現時点では私は思っていません。


③その他

このアニメに関する語られ方を見ていると、本作を斜めから冷静に観察しているつもりの人ほど、往々にして「ヤマカン」というブランド、「ヤマカン」という権威に囚われ、引きずられながらものを見ている、という印象を受けます。
つまりは、引っかかるもの、判らないものに遭遇した時に、”作り手が「ヤマカン」だから”、”きっと「ヤマカン」はこういう人間だから”、”きっと「ヤマカン」がこう考えているから” という解答を反射的に代入することで、解決したつもりになり、そこで思考が止まってしまう。
だからどう、という話ではありませんが、創作者はエキセントリックな個性であるのと同時かそれ以前に、作品を構築する専門技術者でもあるはずです。同じく作り手の作品への影響力を信仰するにしても、そこに技術者としての論理、合理的判断がどう作用しているか、という要素をも想像してみると、面白く思えない事柄も多少は面白みが増すのではないか、という気はします。

作品自体についての印象について簡単なことだけ言えば、どうにも不器用である、ということになるでしょうか。
私はこのアニメの背景全般の雰囲気がとても好きですが、そういうところを満遍なくそれなりにきちんとやっているよりも、それこそラストのライブシーン一発をどうにかキラキラさせる方が、戦術的には有利なんじゃないか、とか。
TV1話の前半がどうしようもなく退屈で、劇場版見た後ならマシになるかと思って確認したら、後半はキャラクター覚えているので誰がどう動くのかの興味で見られましたが前半はやっぱりものすげー退屈で、多分シリーズ全編通してここが一番退屈な箇所になるんじゃないだろうか、とか。
まあ、何が足りないのかを考えだすと、いろんな階層でいろんなものが無いアニメではあるでしょうが、逆に、ではそんな環境の中で何をこそやるのか、見せるのか、と見ると非常に鋭利で愉快なところがあって、いろいろあり過ぎている中から何をどう拾うのか、受けるこちらとしてもいろいろあり過ぎる中でどうするのか、みたいな環境のアニマスを見るのとは、違った快さがありますね。





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No title

アニマス劇場版の話だと思ったら、WUGでしたか・・w
こんちわー。ウィンなんとかです!たぶんお久しです。

実はWUGは今期一番気になる作品で、
1話で若干ポカーンとしつつも劇場版を購入してパンツに釘付けになり(変態)、
そして3話で見事にみにゃみ推しに成り果ててしまいました。(まだ見てなかったらごめんなさい)

ところどころ(周囲の声とか、シナリオとか。。)すごく勿体無い作品なんですけど、
アイドルを描く雰囲気やキャラクター達が好きで、
春になったら仙台に行ってみたいくらいには応援しています。

それぞれのアイドルアニメによって独特のアイドル感がありますし、
その違いを楽しんだり関心したりするだけでも楽しむ幅がぐっと広がりますね!
アイドル最高!すなわち某リボン娘最高!


話は変わりますけど先日、某別の劇場版も見たんですが、
アニメのアイマスはそれほどな私でも、
春香やアイドル達について考えさせられる映画でした。悔ビクッ
もし見に行く予定ありましたら、是非また記事にて語りつくして頂きたいです!


それでは失礼しましたー。

ウィンなんとかさん、いらっしゃいませ

いらっしゃいませ! こちらこそ、ご無沙汰しております。

パンツに釘付け! 素晴らしいことだと思います。四の五の面倒なことを言うより、まずそこを正直に言うべきですよね! あのパンツが素晴らしいじゃないか、と。
3話も見ております。実波は2話の時から(水着での撮影のところとか)魅力が出ていましたよね。
私は今のところ、誰推し、というのは特になくて、全員均等に好きな感じです。ここらへん、アイマスみたいにこのキャラクターが! というのが出てくる時と出てこない時と、何が違うのか自分でよくわからないんですが……。

確かにいろいろ勿体なさがあるんですが、「シナリオはダメだけどキャラクターはいい」のではなくて、キャラクターの魅力が伝わってくる、というところもシナリオの力に含まれるものだと思うんですよね。私も、この作品のキャラクターと、細部の雰囲気は好きです。

おっしゃる通り、それぞれのアイドルアニメの個性の違いを知ることで、また楽しみの幅が広がりますね。ラブライブやアイカツ等々、いろんなアイドルアニメを楽しんでいるアイマスPの方が多いのも、納得できるところです。

アイマスの劇場版については、私はまだ見られていないのですが、そのうち見に行くつもりではおります。
なんというか、ウィンなんとかさんが認める、楽しめる作品である、ということはそれだけで、わがことのように嬉しいですね。
今のところ、劇場版の春香について自分がガッツリ書きそうな気があんまりしないので、ご期待には添えないかもしれませんが、なんらかの報告をこのブログ上でさせていただくつもりではおります。

ではでは、コメントありがとうございました! 反応を頂けて、とても嬉しかったです。


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