Wish You a Merry Christmas


12/19追記:おお、まさかタイトルに誤字があったとは! (わりとよくある。)


zeit氏がこの文章を書いて。

Augenblicke:モバマスのPV


それを見て一昨日、私が文章を書いて、それからdamehumanoid氏が書いた、と。

真夜中12時を過ぎたシンデレラについて - Damehumanoid 曰く


これらの記事を読んだcha73氏が、

「3人揃ってアイドルの話してないとかもうねw あのPVで何を見たんだこの人たちは、っていうw」

というコメントをされまして。(この箇所だけで伝わるかどうかわかりませんが、半ば賞賛、半ば困惑、というニュアンスのお言葉だと私は受け取っています。)
この言葉自体について言うと、いずれの文章も、アイドルの誰が何をしてそれのどこがどう凄くて、という具体的な話はしていない、のは確かなのですが、ではしているのは「アイドルの話」ではないのかというと、そんなことはないと思います。
ただ、cha73氏の言葉が提示しているのはそういうことではなく、3人もの人間が同じ話題を語っているわりには、切り口が偏り過ぎているのではないか、もっと他に掘り下げられるべき要素が存在するのではないか、ということでしょう。で、それは全くその通りだと、私も思っています。

さて、一度書いたものについて、その後の発見や考えの変化を加えだせば際限が無いので、一昨日の記事はあのままでいいかな、と思っていますが、一点だけ、補足してもいいか、と思ったことを書いておきます。









一昨日の記事の中で、『レプリカーレ』という動画の名前が出てきました。しかし、その作者である「哀れな小羊P」の名前は、記事中には出てきていません。動画の話をするなら、当然その作者の名前は触れられてしかるべきなのに、出てきていない。
これは、意図的にそうしていました。つまり、動画の話をするにおいて、誰が何を意図して何をしたのか、という事柄を、私は意識して表に表さないよう書いていた。
モバマスPVについても、同じことが言えます。「王子」やら「魔法使い」やら「星」やら「受け手」やら、いろんな存在が文中に出てきます。しかし、具体的にその存在の立場、心理、行動に寄り添ったことは書いていません。(「作り手」に至っては、登場すらしていない。)ならば、「シンデレラ」の心理、行動についてはどうかと言うと、それも実は、全然踏み込んではいないわけです。

一昨日の記事の後段がどこを向いて書かれていたか、というと。
何かしらひとつのサイクルが終焉した時、そこには何が残るのか、何かが残ると言えるのか。
基本的に、そういう話をずっとしています。

そういう話を書くにあたって、私としては、二つの選択肢がありました。
人と人との繋がり、人間の営為の積み重ねを強調して描き出すことで結びを導くか、それともそういう描き方をしないか、です。
私は、後者を選択しました。
私が書こうとしたのは、自分ひとりだけになった時、さらには、誰もいなくなった時、そこに何があると言えるのか、ということ。その話に、他人は登場し得ない。
勘のいい、というか暇な方はお気づきかもしれませんが、私が最近(更新頻度の関係で、 "最近" に随分幅がありますが)書いている記事のいくつかは、一昨日の記事と似たようなベクトルを持っています。

そもそもなんで私は、今日の文章を付け足そうと思ったのか。
偶然でしょうけれども、zeit氏の Augenblicke:魔法をといて の記事中に、「縁」という語が出てきたからです。
まったく個人的な話になりますが、縁、という言葉は、私の中で特殊な重さを持っている言葉なのです。その理由は、ここで具体的に説明すべきかどうかしばらく考えて、書くべきではないと判断しました。
ただ、とにかく、私はこのブログを始めてからある時、縁、という言葉を使って他人へのメッセージを書いた。そして、自分が書いたその言葉が、時を経れば経るほどに、私自身の中で、重く容易ならざるものになっていった。
なので私はいま、縁、という語を、滅多なことでは自分の言葉として口に出しません。

もっとも、私は今でも、文章として人と人との繋がりを中核に据えたものは、書くことがあります。
それは、私自身が人と人との繋がりに対して働きかけたい、という意識をもって書く時には、そういうアプローチ、そういうメッセージで書くことになる。
けれども、一昨日の記事に、そういう目的はありませんでした。
だから、いま「シンデレラガールズ」を好きで「シンデレラガールズ」のPVを見ている人には、もしくは、いま「シンデレラガールズ」を嫌いで「シンデレラガールズ」のPVを見ない人には、あの記事は関係ないかもしれない。
私はただ、いつか私の言葉を必要とする 私 自身のために、文章を残しそうとしたのです。

ちなみに脱線というか伏線というか。
一昨日の記事中に「祈り」という言葉が出てきますが、あれは、あくまで『シンデレラ』の物語の中のことだからです。「祈り」という語も、私自身の言葉としては普段、まず使わないものです。
この語を使わないというのは、ひいては神とか運命とか自然とか、人間より大きな存在を登場させない、ということでもあります。が、これがなかなか、話題によっては私自身にとって厄介な問題で。
なんとなれば、人間が誰もいなくなっても残る価値とか意味、なんてものを、人間より大きな存在を用いずに語る、なんてことがあり得るのかどうか。たとえばそういう話になってくるからです。
一昨日の記事にしろ今日の記事にしろ、何か言っているようで結局何も言っていないような、煮え切らなさがずっとつきまとっています。それは、私自身が未だ、何をどう書くべきなのか、自分の立つべき位置を見定めかねているからでもあります。


その他、一昨日以後の話で気にかかることとしては、私が不用意につぶやいた一言のせいでガラクタ氏が書く筈だった記事が無くなってしまったらどうしよう、というか、書かれない名目になってしまっていたらどうしよう、とか、そのくらいですね。



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