さびしい人


ハリアーP 【ノベマス】765プロのPVは越える【後編】 11年09月12日


なんとなくこの動画を見返して、ハリアーPの春香ってさびしい人なんだな、と思った、という話。
まあ、「リボンズ」の春香が「寂びしがり屋」だというのは、すでに動画中でも指摘されていて、今さら言うようなことではありませんが、たぶん、それともまた少し、ちがう話。

上記動画のネタバレを含みます。






ハリアー手描きシリーズの春香と亜美真美は、自分が楽しさ、面白さを感じることを最優先の行動原理にしている、という点で共通していますが、では違いがあるとするとどこなのでしょう。その違いが、このエピソードを見直して、わかった気がしました。

このエピソードでは初め、亜美真美が自分たちでPVを撮影する計画を思いつき、ついで春香もそれを真似て同様のイベントを立ち上げるわけですが、ここで見られるように、亜美真美の思いつき、いたずらは、何かを作り上げる・達成する方向に向かっていることが、時々あります。
『765プロのPVは越える』や『大人の紙芝居』は、何か形のあるものを作り上げる方向に向かった例ですし、『花の妖精』は難易度の高い条件をクリアしていく、という方向に向かった例です。
そして亜美真美において、彼女たちの遊びがそうした方向に向かった場合、なんだかんだで最終的には、最初に目的としたものを作り上げる/達成することでその遊びが終了している、という首尾一貫性があることにも気づきます。『765プロのPVは越える』においても、途中までの展開を見て、彼女たちならそんな思いつきは途中で忘れたり飽きたりして放り出してしまうんじゃないか、と想像した視聴者は少なくないと思いますが、そうはなりませんでした。

ひるがえって、春香の場合はどうでしょうか。確かに春香も、最終的に他人が見て価値を持つような映像を残しました。けれどもそれは、彼女がそれを作り出したいと思い、その目的を達成するために行動した結果そうなったのではなくて、成り行きのままにその過程を面白がっていたら、結果としてそうなっただけのように見えます。そしてそれはこの一件のみならず、手描きシリーズにおける春香の行動すべてにわたって、言えることだと思います。
結果として春香の行動が何かを生み出したことは、少なくありません。「リボンズ」というバンドとその音楽が、まさにその例です。けれどもおそらく、春香自身は、何か形になるものを生み出したい、達成したいと思ったからそれらのものを生み出したのではないでしょう。彼女としてはただその過程、その時その場の成り行きを楽しむため、面白がるために行動していたら、たまたまそういう結果が残っただけなのではないでしょうか。

私は思うのです。亜美真美には、いつか彼女たちが過去を振り返った時、明確に形になった思い出や誇りや自慢が、確実にそこにあることでしょう。春香の場合は、どうなのでしょうか。あそこでこんな変な曲を作った、あの時こんな面白い動画を作った、という形のある成果自体は、彼女の軌跡の本質ではない。彼女が生み出したものがあるとすれば、それは、あの時春香が居たからこんな素晴らしい出来事が起きた、あの時春香が居たから今の自分がここにある、そういう、形になっていない何かを、誰かが振り返って見つけ出すことでしか存在しない、そういうものなのではないでしょうか。(『絶対どっちか選んでね! 〜伊織編〜』において、直接登場しない春香の存在感が際立っているのは、興味深いことです。)
そして、春香自身は、どうなのでしょう。彼女には、自分の昨日、過去、軌跡を振り返る、ということがあるのでしょうか。あるとすればその時、彼女は何を思っているのでしょうか。

ある意味で、手描きシリーズにおける春香というキャラクターは、ゲームにおける美希の有り様に似ていると感じます。
彼女は何かを望んだ時それを実現するだけの能力も、時間も、情熱すらも初めから与えられている。ただ、それらを向ける対象だけが、与えられていない。『300の事』のあずさ回であずさが、春香が好きになる相手はどんな人間か? という問いに対して答えた、どんな人間であれ、その相手に春香が本気で惚れ込んでいることが重要なのではないか、という言葉は、必ずしも恋愛のみに限定されることではないと感じます。

一方で、ここまで述べたような解釈で、手描きシリーズで描かれた春香の全体を捉えきれるわけではないのも確かです。ごく初期においては、彼女は美希と同レベルで恋の鞘当てをしていた筈ですし、近年の『新人アイドルとプロデューサー【短編】』においては、彼女の憧れとか初志とかいったものの存在、そしてそれらを回顧、見直そうとする彼女の心の動きの存在が示唆されています。

ただ、少なくとも、こうは言えるのではないでしょうか。現時点において手描きシリーズの春香を一言で言い表すならば、何よりも彼女は「さびしい人」なのだ、と。
彼女はいつでもその時その場の何かを楽しもうと、面白がろうとしている。その面白がる行為は決して彼女独力で完結することはできず、必ずその対象や源泉となる他人を必要とする。そして、そのように常に他人を必要とし続ける人間は彼女以外に存在せず、ゆえに彼女は孤独である。

もちろん、春香以外にも遊びやいたずらを好む人間はそこかしこにいて、たとえば「リボンズ」が3人いっしょにいて、格好のからかう対象がある時は、彼女たちは共同歩調を取って楽しむ、面白がる行動を取ることでしょう。けれども「リボンズ」においてすら、他のメンバー、伊織と響にとっては、眼前に面白がる対象を見つけて面白がることは、別に人生のすべてでも、優先すべき目的でさえありません。
『765プロのPVは越える』で春香に呼び集められたメンバーの場合も同じです。今日、たしかに彼ら彼女は一緒に行動して、とても楽しい時間を過ごしました。けれども、春香以外のメンバーにとって、それはあくまで今日限りの特別でイレギュラーなイベントであって、彼ら彼女らには、その時間が終わればそれぞれに戻っていく日常があります。
ところが、春香だけは、そうではないのです。春香にとっては、このイレギュラーな、仮初めの、成り行きの、楽しい時間こそが居場所であり日常であって、彼女だけは、今日の楽しい時間が終わったらまた明日は明日、明後日は明後日の、イレギュラーで、仮初めで、成り行きの時間を探し求め、創出し続けていくしかないのです。

個人的に、ハリアーPの春香をこう捉えた時、思い起こしたのは、天才カゴシマPの、とりわけ『夏のナンセンス』における春香でした。それは、カゴシマPの春香もまた、自ら意図してイレギュラーな時間の中に身を置こうとする人であるからです。
違いがあるとすれば、カゴシマPの春香の、そうした行動原理の根底に何があるのかについては、すでに私の中に答えが存在する、という点です。夢は叶わないものであり、楽しい時間はいつか必ず終わるものである。それが、私が天才カゴシマP作品の春香の根底に、存在すると考えている認識です。

ハリアーPの春香の根底には、何が存在するのでしょうか。
その答えを見いだす手がかりが増えていくことが、私がハリアー手描きシリーズを見る上での、ひとつの楽しみです。


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