だれも知らない小さな宇宙




すべてのリボンの中には小さな宇宙が入っているのですが、外側から内側を見ることも、内側から外側を見ることも、だれにもできないので、だれもそのことを知らないのです。






















本文に入る前に、ひとつ訂正をしなければなりません。
以前、「灰春香さんは複数いる!」と断言したことがあるのですが、あれは間違いでした。
「灰春香」という名称で呼ばれる春香はおそらく一人だが、モノクロの絵で表現された春香=「灰春香」ではない、と考えた方が正しいと思われます。










My First Vision  Track ZZ02 : "灰春香と春香” 編を兼ねる 










turn-K氏が、ニコニコ動画から削除されたニコマス作品を回顧する放送を時々行われていることはよく知られていますが、今年の4月3日、天海春香誕生祭を記念した放送で流れた中に、この動画もありました。



『アイドルマスター 春香と灰春香』sm3032490 08年04月19日 01:44投稿



私にとってこの動画及びその作者は思い入れひと方ならない存在であり、現在は視聴不可能なこの作者の動画が流れると聞いて、私は一も二もなく飛びついた……、と言いたいところですが、実際にはそれは、迷い、逡巡せずにはいられない情報でした。

ひとつには、もし現実に存在する映像を見てしまったら、それはひょっとするととても色褪せて見えるのではないか、私が心の中で勝手に思い描き、肥大化させていた価値や意味が、がらがらと崩壊してしまうのではないか、という不安。

もうひとつには、それは、ことにその作者に限っては、ただ映像があって見ることができれば済む事柄、ではないのだ、ということ。
ええ、私は今でさえ、いつだって夢見ているんですよ。明日起きたら、すべてが帰ってきているんじゃないかと。夜、眠りともに見るほうの夢ですね。夢の中では、ときどきそういうことが起こります。
現実に、作者の意志などとは関係なくただそこに残存している映像を見てしまったら、それは、そんな夢の中の未来はどこにも実在しないのだと、面と向かって突きつけられることになりそうで、私は怖くてならなかったのです。

けれども、結局のところ私がその放送を見てしまったのは、それ以上に、私の頭の中に残っているものが、どんどん形を無くし、歪んでいって、もう何も語れることがなくなってしまうのではないか、という恐怖が日に日に強く、切実になっていたからでしょう。


そうして、見てしまった結果、私に何が起こったかと言えば。

そうですね、気がついた時には涙が流れていましたが、あのようなあたたかく自分の心を癒されるものを流した体験は、これまで他になかった気がします。
そこにあった言葉は、私が信じていたもの、自分の支柱だと思っていたもの、、本当はどこにもないんじゃないかと思っていたもの、そのものだったから。

なんでしょう、私はこの動画の中で何が起こっていたか忘れてしまったと思っていて、だから私は一番語るべきことをろくろく語らないままに生きているのだと思っていて、事実、実際に目にしたもののディテールのほとんどは、既に私が呼び起こせなくなっていたものだったのだけれど。

けれども、私がいつしか自分で見つけたと思い込んでいたもの。これこそが自分の理解した春香だと信じ込んでいたものは。それは、実はすべて、その動画の中にあったのです。
自分で思っていたよりもずっと、彼の春香は私の心のいちばん深いところで基層になっていて、結局私にとって、春香を見る、春香を考える、春香を語るということは、すべて彼の春香を追いかける過程だったのだ、と。知っていた筈のことを、改めて眼前にして。
なんだ、ちゃんと憶えていたじゃないか、ちゃんと書いてきているじゃないか、と、誰に褒められる筋合いの話でもないから、ただ今だけは自分で自分を褒めてやりたい、と、そんなおかしな幸せを、私は感じていたのです。


さて、しかしながら、そんな涙や感情は、次の動画が流れ始めた途端に止まってしまって、それからずっと私は、変な顔つきで画面を睨んだまま、ひたすら考え込んで残りの時間を過ごしていたように思います。



『アイドルマスター 灰春香と春香』sm3830517 08年07月02日 01:50投稿










ななななな〜Pの動画にはいろんな春香が登場するが、大づかみに分けてしまうならば、異なる道を行く、二つの系譜の春香が、交互に立ち現れるのが基本的な筋になっていると思う。
二つの系譜とは、『春香と灰春香』で言うならば「春香」と「灰春香」それぞれに集約されるものである。
前者にはおそらく、『等身大の地球儀』『そらへ』『ヤッホー!』の泉川そら三部作や、『未来』『Dream'in Love』の小松未歩作品における春香が含まれる。
後者には、『許されない恋』(ひょっとすると『tumblin' dice』も)から、『春香と灰春香』『灰春香後日譚SS』『灰春香と春香』の各作品における「灰春香」、に至る流れがある。

その二つの系譜は各々何を表現しているのか、またそれは同時代的にはどんな意義を持ち、どう受容されていたと考えられるのか、といったことは、まだ私の宿題として残しておくとして。

当今において受けが良いのは、認知されやすいのはどちらか、と言うならば、それは『春香と灰春香』(の「春香」)側、『ヤッホー!』側の春香、ということになるだろう。
春香は "生まれついてのアイドル" である、春香だけが "純粋にアイドルそのものを目指して” いる、春香の物語は "アイマスのアイドルを体現する" 物語である、という、現今において強力な春香認識の文脈に、引きつけて理解しやすい物語であるからだ。

先述した放送において、動画に対する感想として多くコメントされていたのも、上記のような理解であった。
そして、まさにそうしたコメントで次々画面が彩られていく中で迎えた、『灰春香と春香』における「私」のラストコンサート後のシーン。
プロデューサーに向かって、「私」は叫んだのである。


「アイドルなんか……辞めてやる!!」


それは、あたかも4年も前からこの時あるを知っていたがごとく、その場の流れを完膚なきまでに打ち砕く言葉だった。
たとえ時代の認識がどんな方向の極に振れようとも、天海春香はそんな、定型に嵌まった理解の中に押し込められる存在ではないのだ、と突き刺してくるかのような。


私に言わせるならば、時代はまだ、ななななな〜Pひとりに、半分も追いついていないのだ。
『春香と灰春香』を語った言葉は既に無いことはないが、『灰春香と春香』をそれと同じくらいの濃度で語った言葉を、私は未だ知らない。

無論、追いついていない中には、何よりも私自身が含まれる。
初めてこの作者と出会ったとき、私は、泉川そら三部作を生み出すところから、時代的な文脈を離れてゲームの春香そのものを見つめるところから始まった人が、なぜこの言葉に至りついたのか、まったく理解ができなかった。
それからずっと、この動画は宿題として私の心の中に残り続けていて、そして今の私ならばその答えに近づけるのではないか、自らの理解を形にできる時が来ているのではないか、そう思っていた矢先に、作品は喪われた。
私があの時抱いた感情の中には、もっとも打算的なものとして、いま少しの時間があって、宿題だと残してあった動画にいま一度向き合う機会を得ていたならば、きっと今より深い理解に至れていたに違いないのに、という口惜しさがあったのである。


ななななな〜Pは、「春香のプロデューサー」という立ち位置から、一歩も動かなかったし、動くことのできなかった人である。
春香が独りであったり不幸であったりするのは、世界やシステムや宿命や、自分の外にある所与の何かのせいではない。それを決めるのは他の誰でもない、プロデューサーたる自分自身である。だから、彼の作品における春香とプロデューサーは、心で通じ合ってステージに立ち続けているか、二人だけの愛を勝ち獲っているか、どちらかだ。”プロデューサーに愛されない春香” という存在を、まるで他人事のように平然と描き出すことは、彼にはできなかった。だって、「春香のプロデューサー」とは、他の誰でもない自分自身のことなのだから。

けれども、唯一『灰春香と春香』にのみ、ラストコンサート後、プロデューサーと別れた夜、そのまま時を止めた春香、という存在が描かれる。
それは、自らに対して許さなかった、しかしなお考えずにはいられなかった領域に踏み込む意味を持っていて、しかしながら、まだその先に語り残されたもの、彼には描き得なかったものが残っているのではないだろうか。ななななな〜Pに限界があったとすれば、それはその部分にあるのではないか……。

この作品について、取るに足らないおぼろげな記憶から何が導けるか必死に考えて、そこで思考を止めかけていた、そういう浅はかな見解を、その日再び現実に目見えた動画は、微塵に粉砕し、悠々と飛び越えていった。
もって私は凱歌をあげるべきである。これほどに誇らしいことがあるだろうか。










『灰春香と春香』には、春香の形をした、二つの存在が登場する。
ひとりは、語り手で主人公、もうすぐラストコンサートを迎えるアイドルである「私」。
いまひとりは、ある夜「私」の前に現れた、「私」とまったく同じ姿形の、しかしモノクロに見える存在、ラストコンサートを迎えた夜のまま止まった時間にいる、という『私』である。

この作品には、描かれていない空白がたくさんある。

『私』は「私」と一度言葉を交わしたきりで姿を消す。その後、彼女がどのような世界でどのようになっているか、知ることはできない。

『私』の言葉によってラストコンサート後生起する事柄について知った「私」は、『私』が辿った経過の範囲を飛び越えて、プロデューサーに、女性としての自分への真の感情を明かすよう問いつめる。そこでプロデューサーが応えた言葉もまた、作品中では描かれていない。
ただ、その後の描写と、そして『春香と灰春香』におけるモノクロの春香、『灰春香後日譚SS』における「妻」の描写とを考え合わせたとき、おそらくはこの語り手こそは、プロデューサーと二人だけの愛を得て、それらの未来を手にした「灰春香」なのであろう、と想像することができる。

ただ。そうであったとしても、この「私」が内包しているものは、それだけではない。

『灰春香と春香』の描く、その後。
あの夜から、果たしてどれくらい後のことなのか。今はステージで歌を歌ってはいない彼女は、ふと誰もいない公園を訪れて、歌を歌う。「私」は語る。日々は確かに続いている、と。ステージにはいない、ただ一人の頂点を目指す場所にはいない、けれどもそこには平穏で幸福な日常があって、そしてやっぱり歌と共に彼女はある。

それは必ずしも、プロデューサーとの幸せを勝ち得た誰かのものだけではなく、たとえばあの夜彼女がプロデューサーと永遠に別れ、事務所からも去ったのだとしても、はたまた全く別の誰かと結ばれたのだとしても、やっぱりその先には、確かな日常があり、そこに「私」なりの、「私」にしか持てない幸せがあるのではないだろうか。


誰もいない公園で歌っていた「私」の前に、いつの間にかひとりの幼い女の子が立っている。
歌が大好きだと、「私」の歌っているその歌を知っているというその女の子に、

歌が「いちばん」好きか? 

と問われて、「私」は答える。


「キミだって、パパやママとお歌、どっちが好き?
 って訊かれたら答えられないよね?」



「私」は、「私」の知っている正しい答えはこれだ、とは言わない。聞き返されて考え込んでしまった女の子もまた、これが答えでしょう、とは言わない。それが何よりも難しく、重く、深い問いだと、二人とも知っているから。
そこでただ、二人は一緒に歌い、そして「私」は、今はもう自分の髪に結んでいないリボンの片一方を、彼女の髪に結んで送り出す。

「私」は、本当のところ、その問いの答えを見つけたのだろうか? 
それは、どんな形をした答えだったのだろうか? 
私たちは、それを知り得ない。
そして、それが本当に正しい答えだったのか、誰にも決めることはできない。

「私」から歌とともにリボンを受け継いだ彼女もまた、同じように歌を愛し、歌とともに育ち、歌を歌って生きていくだろう。
そして同じように、人を愛し、家族を愛し、仲間を愛し、多くの幸せを見つけていくだろう。
そしてきっと、彼女にもまた巡りあうべき運命の出会いがあって、その相手と共に、彼女だけの答えを見つけることになるだろう。
けれどもその答えもまた、本当にそれが正しいのか、誰にも決めることはできないのだ。

ただ、彼女もまたそこで、自分だけが見出だした真実をリボンにこめて、自分が紡いできた歌とともに、次の誰かへと受け渡すにちがいない。
それは、ループでもなければ分岐でもなく、前進でもなければ後退でもない。

ただ、私から君へ、君から誰かへ、誰かから私へ、そして私から私へと、限りなく受け渡されてきて、受け継がれていくもの。
そこに正解はなく、そこに解決はなく。
誰かから受け継いだ片一方のリボンと、自分で見出だしたもう片方の新しいリボンとを結び合わせて、自分だけの答えを編み出し、そしてまた誰かへと受け渡していくもの。
春香と春香のプロデューサーだけが巡りあえた、何よりも難しく、何よりも重く、何よりも深く、誰よりも面白い問いの答えを探し続ける、終わりのない旅。


そうやって、リボンの片一方は、私から私へ、春香から春香へと受け渡されている。
それでは、「私」がかつて結んでいたリボンのもう片方は、どこへ行ったのだろうか?


『灰春香と春香』のラストシーン、「私」の手に残っていた最後のリボンは、風に乗せられて「私」の手を離れ、遠い空へと飛んでいく。ちょうど、春香の歌う歌のように。

空の彼方へと見えなくなっていくリボンを見送って、「私」は思う。
あのリボンは、空をひらひらと飛び続け、時空も世界も超えて、


「そしていつか、『私』のもとへと、届けられる」


のではないか、と。

歌が好きな女の子に贈られた片方のリボンが、これから生まれ、これから育ち、これから歩んでいく春香へと受け渡されていくメッセージならば、空を舞い上がっていったもう片方は、あるいは過ぎ去り、あるいは時を止め、あるいは立ち止まり、ここにはいない、ここからは見えない、違う時空・違う世界のどこかにいるすべての春香へ向かって、飛び続けるメッセージだ。

これまで何人の人が、春香のために想い、春香のために笑い、春香のために泣き、春香のために怒り、春香のために迷い、春香のために悩み、春香のために絶望してきたことだろう。そして、これからも。
けれども、彼ら彼女らは、知っているだろうか。何年も前から、今この時も、そしてこれから先も、その場所へ向かって飛び続けている、一本のリボンがあることを。
『私』は憶えているだろうか。かつて「私」が、他ならぬあなたのもとへと、飛ばしたリボンのことを。

それは、誰にも知られず、誰にも気づかれず、誰にも受け取られないものかもしれなくて、それでもそこに在って飛び続けていることには変わりなく、そして、「私」は信じている。
大丈夫、それはいつか届くんだ、と。

私もまた、それを信じる者である。






























天才カゴシマPというプロデューサーがいる。
春香のプロデューサーである。

彼の春香は、誰の春香よりも春香だ。ストレートPの春香が、愛識Pの春香が、陽一Pの春香が、かーれるPの春香が、誰の春香よりも春香であるのと、同じくらいに。
ただ、彼の描く春香は、ななななな〜Pの描く春香がそうであるような形では、春香ではない。

ときどき私は、もしななななな〜Pがこの春香を見たならば、なんというのだろう、と、まったく何の益体もない夢想をすることがある。
こんなものは春香でもなんでもない、と言うだろうか。
そうだったら面白いが、そうである保証も全くない。私はななななな〜Pという人間のことを全く知らないし、彼が他人の春香のことをどう思っていたのか、全然想像がつかないのだから。
ただ、この二人のPとそれぞれの春香が、およそかけ離れて何の接点もない世界に棲んでいることだけは確かだ。


天才カゴシマPの『春香の 無免許&轢き逃げ 逃避行』そして『夏のナンセンス』を、私はノベマス史上に、いやニコマス史上に記す意味のある作品だと評価しているのだけれど、『マザーロード』については必ずしもそうではない。『マザーロード』は、ただ彼と彼の作品を好きな人間にとって記念碑であり宝物であればよいもので、そして事実そうなっているのだから、それだけでいい存在だと思っている。

ただもちろん、天才カゴシマPという作家の軌跡を観る上では、『マザーロード』は欠くことのできない作品である。
何故ならば、『マザーロード』は、彼が『無免許&轢き逃げ 逃避行』において、一度はこれでいい、と留めおいた事柄を、問い直し、見つめ直し、歩んできた道のりの中で放り出して来ざるを得なかったものと、いま一度向き合った作品だからだ。


『マザーロード』の末尾、主人公である「春香」が、自分を生んだ母である「春香」からのメッセージを受け取るシーンがある。

『マザーロード』は、設定としては『春香の 無免許&轢き逃げ 逃避行』と連続したものとして語られているが、私はその設定を、そのまま飲み込んでいるわけではない。
各々の物語には各々に一個の世界、一個の生命があり、それはその外部からいくら言葉を付け加えたところで、それだけで継ぎ足しできるものではないからだ。
私にとっては、細部の設定がどうであれ、『春香の 無免許&轢き逃げ 逃避行』も『夏のナンセンス』も『マザーロード』も、それぞれに一個の独立した生命である。そして、それ故にこそ、設定や論理を超えて3つの世界にいる春香は互いに繫がり、呼応しあっている存在でもある。

だからそのメッセージは、私にとっては、ただ一つの物語の中で尋常に渡されただけのメッセージではなく、時空も世界も超えてひとりの春香からひとりの春香へと受け渡されたメッセージなのだ。

そして、天才カゴシマPが春香から春香へと受け渡したそのメッセージが、果たして何に託されていたか。
それを目にした時の私の感情を、なんと表現したらいいのだろう。


それは、リボンに託されて、そして抜けるように広い青空の下で解かれ読まれたのである。










リボンにメッセージを託して飛ばした、春香とプロデューサーがいて。
リボンに託されたメッセージを受け取った、春香とプロデューサーがいて。

それは、そのどちらも与り知らぬ、だれにも繫がっているとは信じられていない偶然には違いない。


けれども私は、春香が、「私」が飛ばしたあのリボンは、空を果てなく飛び続け、私が知っているすべての、私が知らないすべての世界の春香を巡り、そしていま、文字通り時空も世界も超えて、春香のもとへと届けられたのだ、と。

そしてすべての春香のそばには、そうして世界を超えて巡り続け、受け渡され続けているリボンと、その中に籠められた真実が寄り添っていて、過去も、今も、これからも、どんなときでも春香は、その積み重なり続ける真実を抱いて歌っているのだ、と。

その時以来、そう、私は確信している。










この文章のカテゴリを「春香」とする。私は決して、ひとりのプロデューサー、ひとりの動画作者、ひとりの人間だけの話をしているのではないのだから。











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年明けのおかしいテンションだったんだ

"アイドルマスター 春香と灰春香"について、
私にとっても思い入れが深いような、そうでないような不思議な動画だった気がするので新年早々書き殴ってみます。

私の記憶が正しければ、当時のようつべ板ノベマススレに、なP本人が投稿直後に貼りに来て、
「初ノベマスです><」的な初々しいセリフを書き込むもんだから、
「どれどれ見てやろうか…って投稿名見たらな先輩じゃないですか!」とよくわからないリアクションをしつつ、
それとは別に当時から春香Pとして勝手に敵視(悪い意味ではない、はず)していた私は
「ネームバリューなんかじゃ評価してあげないぞ☆」と、神妙な気持ちで動画を視聴しました。

動画を見て、とにかく「面白い」と思った私は、すぐさまスレで「いいじゃん」と思いっきり上から目線で感想を書いて、
内心は「悔しいけど、この人スゲーわ」と復讐を心に誓うことになりました。

そのあと、なんかやたら評価されて再生数がすごく伸びて、聖地認定されたりしてましたが、
評価されすぎたことへの悔しさと、なPは俺の獲物だから、っていうよくわからない心理と、
一番最初に評価したのは俺だからな!という、これまたよくわからない動画独占欲が働いて、
コメントがたくさん付いたらしいその動画を見ることはなく、
結局最初の一回が最後になってしまいましたとさ…、というもったいないお話。
(記憶があいまいなので全部正しいとは言えませんが…w)

思い出と言うにはあまりに一方的で自意識過剰なんですが、
なんとなーく心の片隅で残っている大まかなストーリーとそれに対面したときの悔しさ、
そしてこうして語られるたびに感じるななななな~Pへの嫉妬心は、
動画が消えて、時代が移り変わってしまった今でも、
忘れることは出来ないんだなと痛感している最中です。


あれですね。PV系Pとか関係なしに春香Pは一度はノベマスを書くべきだと思うね!(ブーメラン)
PVで春香をひどい目に合わせてやり逃げしてるP沢山いやがるしw
ななななな~Pは春香のそういう春香の影の面を動画に映すことはあまりしなかったように思います。
だからこそ、この"春香と灰春香"でその面に誰よりも真っ向から向き合っていたことに、
春香のプロデューサーとして尊敬の念と狂いたくなるほどの嫉妬心が湧いてきます。
いつか届いたり追いついたりするんですかね…(苦


…えー、年始早々よくわからない記号をつらつらと書き殴ってしまってすみません…;
何が言いたかったかというと、明けましておめでとうございます。ことよしこ!(逃

正月だーい、とぼんやりしているうちに……

ウィンウィンP、いらっしゃいませ!

この記事に、他ならぬ春香のプロデューサーからこんなに熱いお言葉をいただけたこと、本当に嬉しく思っております。
にもかかわらず、返信がこのように大変に遅くなりまして、本っ当に申し訳ありませんでした。

ななななな〜Pの活動当時やウィンウィンPのデビュー当時をリアルタイムで見ていない私としては、御本人からこのように貴重なお話をうかがうことができて、とても面白く、有り難いかぎりです。

ノベマススレって、もう何年も前から、ごく限られた層のスレ民だけが書き込む感じになっているようですが、08年頃はまだ、P同士が自貼りして交流し合う空気のある場所でしたよね。
ななななな〜Pが自貼りしたということもそうですが、ウィンウィンPがノベスレをウォッチされていて、そのように感想をいの一番に書き込まれていたということがまた興味深いです。あれですね、やっぱり春香動画を一番良く知っているのは春香Pだ、ということなんでしょうね。是非、その現場をじかに自分の目で見てみたかったなあ……まあ、私がアイマスそのものを知るより何ヶ月も前のことですから、どうにもなりませんけれども。

いいなと思った動画が何か予想外の伸び方をしてしまったり、あるいは動画を見てできた自分のこだわりや感情が強すぎて、その後見られなくなってしまう動画ってありますよね。私も、見直すことができないうちに消えていった動画がいくつもあって、思い出すだに複雑な感情で頭がぐらぐらしたりします。

>春香Pは一度はノベマスを書くべきだと思うね!(ブーメラン)

やだなあ、ウィンウィンPはブログで春香とPのストーリーを書かれていたじゃないですか!
あれ、それともこれは、ウィンウィンPノベマス進出宣言!? やったー!!
ともあれ、PVとノベマスと、もちろんどちらがより優れているとかアイドルを表現するのに向いている、なんてことはないのですが、それぞれできること、表現するのが得意なことは違っているわけで、普段やっていない分野の表現をやってみることで、アイドルの新しい一面が見えてくることはあるでしょうね。
個人的に思うのは、ノベマスというか、文章でアイドルを表現しようとすると、そのアイドルがしゃべったり考えたりする内容を自分で想像しないといけないわけで、もし本気でゲームの中のアイドルと同じように考え同じようにしゃべるアイドルを描こうと思ったら、もの凄くそのアイドルのことをよく知っていないといけませんよね。そういうところで、文章でアイドルを描くことは、ゲームの中のアイドルのことを考えていく上でも意味のある作業になっているんだろうな、と思っています。

何はともあれ、私はすべての春香Pのファンではありますが、なかんずくここで話題にのぼっている二人のPについては特別に強くファンである、と勝手に自己認定させていただいている身としては、その当人からこのようにお二人をめぐる話を聞けたこと、そしてウィンウィンPの嫉妬心を呼び覚まさせるちょっとしたお手伝い(?)ができたこと、何よりの喜びです。
ウィンウィンPの嫉妬につきましては、どんなに他のPを嫉妬したり意識したりしたところで、それによってウィンウィンPのやりたいこと、作りたいものがぶれることはないだろうし、そこに私が口出しできるようなことはないので、ただ、ウィンウィンPが御自身の目指す高みを登っていかれるさまを、これからも楽しみにしています、とだけ申し上げておきます。

ではでは、コメント、本当に有り難うございました。明けてからもう一週間も経ってるやんけ! という感じですが、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。



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