見る/見られる やよい(in レストワールド)の場合


余談というか伏線というか。
なお、このブログにおいて「伏線」とは、「回収されないもの」という意味です。

テレビの向こう側で歌っている少女の世界と、こちら側で見つめている少女の世界、それは本当はそんなにかけ離れたものではないんじゃないか、ということを書いたのは、百舌Pの『スイッチ』についての記事で。
こちらから見ればあちらが非日常だけれど、あちらからみればこちらが非日常、ということを書いたのは、カイザーPの『最後の魔術』について。
もう一つ、天才カゴシマPの『春香の 無免許&轢き逃げ 逃避行(アイドルマスター)』の春香については、まだ書いていない。自己の描く天海春香を「永遠のスーパースター」と規定したのは天才カゴシマP自身だけれど、それは他者にとっての春香であって、そういう他者にとっての春香と、春香自身にとっての春香とが表裏になって描かれているのが、この物語の特質だと思う。

この記事で書くことも含めて、基本的には全部同じ話だとも言えるが、それぞれの話に微細な違いが見えるとしたら、たぶんその違いの部分に、私が一番言いたいことが入っている。違いが書き分けられているかどうかは、純粋に私の力量の問題であって、私自身には与り知らぬところでもある。


レストP 陽気なアイドルが地球を回す (10年03月17日〜10年09月22日 完結)

上記作品のネタバレを含みます。




レストPの『陽気なアイドルが地球を回す』は、異能の存在たちの物語である。登場人物のほとんど全員が、何らかの特殊能力を持っている。(たとえば人の心を読めるとか、籤で必ず当たりを引けるとかいった類いの。)そして異能者たちは各々に、自身の能力と密接に結びついた孤独や精神的な傷を抱えている。
この "異能ゆえの孤独” というコンセプトは、同じように異能者たちの物語である、弓削Pの『アイドルたちのジャンケン大会』や陽一Pの『ノベルゲーム風アイドルマスター 「Bullet×M@sters」』にも見られるものであるが、特に本作において、異能ゆえの孤独を(あるいはそれを抱える人間と)どう向き合っていくか、ということは、全体を貫通する大きなテーマになっている。

で、このシリーズは、誰がどのような能力を持っていてそれがどの時点で明らかになるか、ということも初見時の大きな楽しみであるので、具体的なギミックに踏み込んで書くのはやりにくいというか、もったいなくてあまりやりたくないところではあるのだけれど。

たとえば、この作品においてやよいはどのような能力を持っているかというと、彼女はいわゆる能力キャンセラーだ。やよいに対していかなる特殊能力が行使されても、全く効かないのである。効かないということは、やよい自身は、目の前でどんな異様な力が行使されどんな異常現象が起こっていても全く気づかない、ということでもある。
自分が異能者であることが全ての前提でありアイデンティティでもあるキャラクターたちにとっては、やよいとの遭遇ほど衝撃的でイレギュラーな事態もなかなかない。一方で、当たり前のことながら、やよいの力が意味を持つのは、異能者ばかりが周りにいる、というそれ自体がイレギュラーな物語の中においてだけである。やよい自身の日常生活の中では、その力は全く存在意義がない。

そういうわけで、他者にとってはこれほど異常なものもない存在であるにも関わらず、単体の人間としてのやよいは全くの一般人である、という逆接がここに成立する。
「一般人である」とは、異常現象を感知しない彼女は、そもそも自分がそんな特殊な力を持っていることを気づき得ない、というやよい自身の意識の問題と、彼女は彼女の人生において実際的に取り組まなければならない事柄 ーどのようにして彼女の貧乏な家庭の生活を維持するか、とか、家族との関係をどうするか、とかいったことー の前では、何の特別な力もない13歳の女の子に過ぎない、というやよいの能力とやよいの生活との関係の、2点において。

そういうやよいの存在が、この物語に何をもたらすか。能力者のゲームとしてストーリーを眺める上では、異能という前提そのものを突き崩すやよいの特性は、意外性のあるジョーカー的な機能を持っている。
そして異能者であるキャラクターたちの立場においては、そういうやよいとの出会いは、自己のアイデンティティを崩される恐怖を伴うものでもあるが、同時に、彼女たちが抱えている孤独、苦悩の前提をも消し去る、救いとなり、希望となるものでもある。
一方、異能を感知しない、それ故にその異能に伴っている苦悩もまた認識することのないやよいにとってみれば、やよいの知る人生からかけ離れた、自由でオリジナルな在り方で生きている異能者たち、そしてその異能者たちの行動が生み出す非日常的な世界こそが、輝かしく希望に満ちたものである。
そこには、互いに相手の棲む世界を知覚できず理解できないからこそ、相手の存在が救いになり希望になる、という現象がある。

本作において、そうして異能者たちの世界に憧れたやよいは、彼女たちのいる世界に自分も身を置くことを志すことになる。
「やよいというのはシリアスにするにはとても怖いキャラだと思います。」とは、作者自身が動画説明文に書いている言葉だが、面白いと思うのは、この作品のやよいは、ゲームにおいて描かれるような、あるいは一般にやよいの属性として想像されるような、厳しい現実の生活を抱えた存在であるにも関わらず、彼女が進む道を決定する理由は、新しい未知の世界への憧れであり希望であって、直接的に現実の生活に役立てることは動機として描かれていない点である。
そして、他の異能者たるキャラクターたちは、異能ゆえに、異能者の棲むべき場所に集まるべくして集まっていることを思えば、ある意味で、この作品においてもっとも純粋に、自らアイドルであることを志しているのは、やよいだと言えるのかもしれない。

そして、先ほど「互いの棲む世界を知覚できず理解できないからこそ」と書いたけれど。
確かに、ストーリー全体を俯瞰できる我々読者は、異能者たちの人生が困難に満ちたものであることを知っていて、やよいの目から見えている輝きは、偏った一方向の視点から故の見え方だ、と考えることができる。
けれども、もう一歩踏み込んで、では、やよいの目に見えているその輝きとは一体何なのだろう、それは一体どこから生じているのだろう、と考えてみると、少し違うことが言える気がする。
他の人間が、つねに他者を、その者に固有の能力と、能力に連動した固有の経験とに結びつけて理解しようとしている中で、やよいだけがそうした前提を埒外において、他者を見つめている。
他の誰にも、当人にすら直視することの不可能な、その人間の個性、魅力を、やよいだけが見ているのではないか。
そう考えると、『陽気なアイドルが地球を回す』のやよいは、何よりも、他者の姿を自分の心に映し出すその目において、物語の中で際立てられているのだという気がする。


そうしたやよいの在り方は、たぶんこの作品へと連続している。

レストP 【novelsm@ster】ホットミルク・ウィスパーボイス(前) (11年01月05日) (後) (11年01月17日)

設定的な連続性はどこにも明言されていないのだが、私は『ホットミルク・ウィスパーボイス』に登場するやよい、雪歩、春香、真のキャラクター性、関係性からは、『陽気なアイドルが地球を回す』の彼女たちから通底し延長しているものを感じる。

本作における雪歩、春香、真(『回す』においては銀行強盗チームを組んでいた面子)は互いに気の置けない友人であり、やよいにとってはまぶしい憧れの、しかし未知で不思議なところのたくさんある先輩たちである。

『ホットミルク・ウィスパーボイス』はやよい視点で綴られる物語だから、当然やよい自身の心理も直接的に描写されている。
けれども、たぶんこの作品においては、そうした直接的な説明と同じくらい、この物語世界におけるやよいという人間を、雄弁に物語っている描写がある。やよいの口から語られる、先輩たちの生き生きした姿、彼女達が生み出す阿呆らしくも愉快で、そしてこの上なく美しい会話の光景そのものが、やよいという人間を表わしているのだ。
他者の、世界の、真なる輝きを心に映し出す清明な目にこそ、レストPの物語世界における、やよいというキャラクターの核心が存在するのだから。


ちなみに、『陽気なアイドルが地球を回す』において、何の特別な力もなく、他人の能力の影響を受けないわけでもなく、異能者と遭遇するたびにさんざんな目に合ってしまう、真の一般人の役割を果たしたアイドルが一人いて、それは鈴木さんこと鈴木彩音氏である。
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