ロックンロール! とか、大嫌いですし。


前に「共通言語なんてない」というタイトルの記事を書きかけて没にしたのですが。
タイトルを見比べれば明らかだと思いますが、うん、つまりこの記事と全く同じノリで同工の内容を書いていたということですね。没にしてなかったらこの記事でネタ被りになっていたわけで、危ないところでした。(?) 
まあ、結局この記事にもその内容を部分的に流用しているわけですけれども。









gouzouP 君らとの日々を この想いを 12年11月09日

たぶん昨今の流れ的に、この動画も結構伸びるんじゃないかと思いますが、現時点ではまだわかりません。
で、この動画を投稿したgouzou氏がいま、何を見て何を考えているかも私にはわからないので、ただの妄想(しかも非常に失礼な)なのですが。
動画を開いた瞬間、

ダメだ! 再生数が伸びない! コメントも伸びない! 荒れている! 俺は世界を変えられない! こんな動画を投稿しても何の意味もなかった! 消そう! 

とのたうちまわるgouzou氏の未来図を幻視して思わず笑ってしまった、というのが、私のこの動画のファーストインパクトでした。
いやほんと、申し訳ない。 


そういうわけで、この記事の本題は上記のgouzouPの動画ですが、その前に、せっかくだからついでに……という言及の仕方もまた、失礼ですけれども。

胡桃坂氏 【アイドルマスター】きっとこの世界の共通言語は 12年10月23日

gouzouPの動画と胡桃坂氏の動画が同じだとは思いません。両者は、見ているものも考えていることも異なる人間です。(もちろん、記述している私が見ているものもまた、その双方に対してかけ離れているでしょう。)ただ、通じているものがあると、私には見えたので。

胡桃坂氏のこの動画には投稿当初、同じ方向性の内容で称賛を送るコメントが多くついていましたが、3〜4日経つとニコマス/アイマスに関するいろんな意見が交錯しあって、いろんな立場の人の罵り合いの集大成、みたいなコメント群が出来上がりました。そして今は、称賛と感動を表明する系統のコメントと初めから煽り狙いのコメントとが各々分厚くなって、流れ的なものを感じるのは難しい状態になっています。
ただ、私にとって一番印象的だったのは、3〜4日目頃の、コメント同士が次々に反発し合って違う立場を表明している状態であり、そして同じ頃に、この動画をもきっかけとしてtwitter上で起こっていた、9.18等アイマスを巡る諸々に対する解釈、位置づけをめぐる争論でした。

つまるところ、そこで露呈したのは、この動画はいいよね、アイマス愛が籠っているよね、私もアイマスが好きだよ、と同じ時に言っている人同士ですら、実際に見ているもの、愛していると言っている対象はまったく食い違っていて、そして食い違っているお互いに対する理解やリスペクトや愛も欠けていたのだ、ということでした。そして、確かに動画によって自分の中でニコマス/アイマスへの愛を確認し増幅しえた人は居たかもしれませんが、総体として動画が存在することでもたらされたのは、むしろ互いに食い違っている人たちの無理解、憎悪が再確認され、増幅されることですらあったかもしれません。

それは、間違ったことだと思われるでしょうか。こんなに素敵な作品がここにあるのに、そこから怒り、悲しみ、憎しみを得、増幅するようなことが生じるなんて、おかしいと思われるでしょうか。

そうかもしれません。けれども、私は動画についたコメント群から、互いに反発しあい憎しみあう世界が見えてきた時、ああ、この作品は生命を持ったのだと感じました。
何故ならば、そうであるからこそ、私たちは同じものを見、同じ言葉で喋ってなどいないからこそ、「その瞬間は、きっと」「ほんのひと時でも」という、動画の前に置かれた言葉が重みを持つのであり、そして作者はその重みを知っているからこそ、その先を見ているからこそ、その言葉をここに置いたのだと思うからです。



さて。
私は基本的に、馬鹿馬鹿しくてもかっこ悪くても暑苦しくても俺は愛を叫び続けるぜ、みたいな表現は、嫌いです。……いや、嫌いというのは違うかな、辟易します、という感じ。ニコマスなりアイマスなりその全部をひっくるめてそれに対して想いをぶつける、みたいな表現に至っては、辟易を越えて敵意すら覚えることがありますね。
ただ、現実にニコマスの屋台骨を支え続けてきたのはそういう想いであり、そういう想いを臆面もなく叫べる人たちですから、そのことに対する感謝と尊敬の念は持っておりますが、そのことと個人的な好き嫌いは別問題です。

で、たとえばこの動画はいくつもの過去のニコマス動画の引用から成り立っています。そういう動画がこれまでいくつ作られて、そのうち私がいくつを把握しているのかはわかりませんが。そういう動画においていつも私の心を捉えることは、ここにどれだけ膨大なものが集められたか、ということではなく、ここに回収されなかったものがどれだけ膨大に存在するか、ということです。
この動画にしてもそうですよね。特定分野はともかく、ニコマス全体に対して決してディープではない私が見て、見覚えのある程度の動画群しか含まれていません。(それは、gouzouPの活動が目指し続けてきたものからして、そして私とgouzouPの動画たち/活動とのつき合いからして、必然のことなのですが。)

単に、一本の動画の中に盛り込むには限界があるよね、という話ではなく、そこでひっくるめて ”ニコマス” や "アイマス" や "俺ら" と呼ばれている中には、そこで叫んでいる人もそれに拍手を送っている私たちも、見てもいないし知りもしない世界が、どれほど多く存在するのでしょう、ということです。
もっと言うならば、そこで叫び、拍手を送った当人が、別の時には、こんなものはアイマスではない、愛ではない、と何かをその ”俺ら” の中から排除し切り捨てていることが当たり前にあるのを、私は知っています。
それが異常なことだと言っているのではありません。私だって、いつも知りもしないことについて声高に語り、何かを認めず排除しています。現にこの記事がそうです。ただ、それがとても傲慢なことであるのは確かです。

あるいは。ここで叫ばれている愛や価値や永遠は、その対象は、そしてその中で自分自身がなしたことや自分がそこに居た事実すら、無意味であった、と、いやむしろ害悪であり否定し抹消されるべきものですらあった、という想いが、どれほど存在し、今も増え、これからも増え続けていくのか、ということ。
それでもいい、自分が叫び続け、前に進み続ければいい、と信じられる人が叫び、拍手を送るのでしょうが、私はそうではありません。私の半身は、私がニコマスに居る意味の半分は、切り捨て切り捨てられてもまだのうのうと生存しているニコマスを憎悪する側に、そしてどこにも届かず、どこにも回収されることのなくなった世界にあります。


だからつまり、では何故、私はgouzouPの動画について文章を書いているのか、というと。
この動画から湧き出す意志の根源は、確かに半分は、それでも俺は「愛してるぜベイビー」と叫ぶんだ! という尽きることのない情熱なのかもしれないけれど、もう半分は、そんなものを叫ぶことなど無意味だ、いや害悪ですらあるのだ、という悲鳴だから。そしてそこで叫んでいるのが、愛で悲鳴を覆い、癒し、克服し、超越していく世界を切り開く英雄ではなく、両極の叫びがもつれ合い刺し合ったまま、ただ立つだけで精一杯のまま、それでも生きている、一番弱い人間だからなのだと思います。

だからなんだというところで、次にどう言葉をついだらいいかもうよくわからないのですが。
動画を見ている間も、いろんな意味でコメントで埋まっていた方がふさわしい動画だからなるべくコメントをつけたいな、と思うんですが、何を書いたらいいかわからなくてね。
この動画は泣ける、なんて言葉がよく言われますが、動画を見て泣いて、動画に自分が共振したような、あるいは動画を自分を代弁してくれたような、受けとめてくれたような気持ちになると、心地よくてすっきりします。けれども、共振を感じることに心身を消費することで、受け取れる筈だったのに受け取り損ねる、見える筈だったのに見えなくなる世界があって、だからそれはとても損なことなのだと私は思っています。ニコマスに居続けると、損なことばかりが増えます。

そういうわけでまあ、最後にひとことだけ付け加えるならば。
うーん、「お帰りなさい」というのは、違いますね。「お帰りなさい」という言葉は、その言葉を言うまでは彼はここにいなくて、その言葉を言った後には彼はここに恒常的に存在する、という二つの仮定によって成立する言葉で、その仮定はどちらも私の信じるところではありません。
だから、私が言いたいのは、

そんなgouzouPが、私は大好きです!

ということだけです。



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No title

「えぇー、没にしないでくださいよ~」とか、
「未来図の話が目に浮かぶようでワロタw」とか、まあそういうことはひとまず置いといて。

拙作に関するお話、特に「そうかもしれません。けれども、私は動画についたコメント群から~」以降の文章がすごく嬉しかったです。
すごろくさんの言う「動画の前に置かれた言葉の重み」を汲み取ってくれる人がいるのだというそのことが何より幸せで、満たされたような気持ちになって。
gouzouPのついでだろうがなんだろうが、このエントリーを書いていただいて本当によかった。

何かぐっちゃぐちゃなコメントですいません。
最後に「ありがとうございました」の一文で〆ようかと思ったんですが、
いくら感謝しても足りないような気がしたので、
その代わりに、本文に習って、
「そんなVinegar56%さんが、私は大好きです!」とだけ言っておくとします。

Re: No title

胡桃坂さん、コメントありがとうございます!

没にしたとかついでだとか、ほんとにヒドい扱いですみません。気持ちとしては、胡桃坂さんの動画についても、それだけで単記事にするくらいの思いは詰めているつもりなのですが、その場のノリとか流れ的なもので、こんな構成になっておりまして。
没にしたのは、(この記事もそうですが)こういう話をしようとすると、楽しい嬉しいということだけではなくて、自分の不満や不愉快を表明してすっきりしたい、という気分を避けて通ることはできないわけですが、最終的にその不満や不愉快だけが勝って他人に伝わってしまうような文章はやっぱりなるべく出したくなくて、そこが大丈夫かどうかの見極めがなかなかつかなかった、ということですね。

挙げていただいたくだり、私としても一番言いたいことの詰まっている部分で、喜んでいただけて嬉しく思います。ニコマスブロガー胡桃坂さんの文章を読んできた読者として、胡桃坂さんの言葉と思いを少しでも受けとめることができていたならば、これほど嬉しいことはありません。

そんなわけで、デレを別の場所からカウンターで返されると実に恥ずかしいですが、ここで打ち返さないのはもっと恥ずかしいので、私も、本文で言い切れなかったところをこめて、

「そんな胡桃坂さんが、私は大好きです!」

と申し上げておきます。

No title

えーとですね、来週あたりに「アイマス讃歌とバベルの塔」ってタイトルで一本書いてみようかと用意してたんですがね。ボツですわハイ。
まぁ正直、苦手な領域の話ですし、幸い、そういう部分をお任せできる方が、私と同じものを見ていて、言いたい事を書いてくれてたというね。

で、件の動画に対してのコメントについてなんですけども、やっぱり「懐かしい」という色が濃くなっていますね。そりゃそうだ。
そんな中で「凄い勢いで過去の動画が消費されていく」という様なコメントがあって、その「消費」という表現が、この動画のテーマを見事に射抜いていたなと。
使用動画のマイリストもね、公開はしないと思いますよ、うん。
強いて言うなら「アイドルマスター」タグ検索の結果って事になるんですかね?それでも届かないってのを私達は知ってるし、それよりも「なんであの一本が入ってないんだよ訴訟!」という感覚を信じた方が楽しいかなとね。あの人の思うツボな気もしますが。
そんなワケで、私が動画にしたコメントは「春香さんはかわいい!」でしたとさ。

こう、書く事を続けていると、観測者であろうとする自分と、ファンでありたい自分とが喧嘩する事が増えてきてね、難しいし、損してるなぁと思います。
ただ、仮に両者の折り合いを完璧に付けられたとしたら、そこから見える景色ってのは、えらく面白みのないものなんじゃないかなぁとも想像できます。
それはきっと、動画製作者の内面でも起こっている事で、そんな自分との殴り合いから、とんでもない動画が生まれてくる事も、私達は知ってます。
要するに、どうあがいても損する様に出来てるんですな、私達は。酷い結論だ。

さて、ここまで書きながら、実は〆をどうするかばかり考え続けてたんですが、全く思いつきませんね。天丼も3回目は貧乏くじだし。
ああそうだ。いま私はアイマス2やってましてね。エクストラの亜美シナリオについてメモを取ってたんですが
・亜美の他メンバーへの配慮、観察力
・真美シナリオにおけるアンバランスな成長と、亜美との対決動機について
・亜美真美にとっての「楽しさ」
なんて事が書いてありましてね。真美シナリオをもう一周したら記事にしてみようかとか思ってたんですよ。先月末あたりに。
ゆかいすぎて、泣きたい。マジで。
はーあ。アイマス最高!
ではでは。

Re: No title

K_1155さん、いらっしゃいませ!

アレですね、アツい場所に毒を吐きかける仕事なら私にまかせろー! ということですね。
まあなんというか、これからもアイマスがある限り、アイマス讃歌を歌ってバベルの塔を積み上げていこうとする人が絶えることはないでしょう。それを否定したいわけじゃないんですよ。
ただ、誰もがいつまでも強くあれるわけではないし、それなのに強くあらねばここに居られないと思ってしまうと息苦しくなる。弱くて自意識過剰で偏見に凝り固まった人間が、ぶちぶち文句言いながらアイマス続けていたっていいじゃないかという自己弁護を、私は動画をダシにして言い続けているわけですw。

あの「消費」というコメントは、私も強いインパクトがありました。限られた立ち位置や見方を越えて、動画の意味を捉える鋭さがありますよね。
あそこに集まった動画群について、本文中に書かなかったことを書きますと、やはりあの動画の特異さって、どの部分のどの引用を取り出しても、”あの頃のアレと言えばコレ” という、大衆にとっての王道中の王道が捉えられている、同時にgouzouさんの活動を追ってきた人間からすると、どこを取り出しても "あの時gouzouさんと一緒に見たアレ" でもある、というところなんだと思います。
再生数なり人気投票なりで上から順に動画を集めて並べればああなるというものでもないし、動画を長くいっぱい見てきた人がコンセプトに沿って並べればできる、というものでもないでしょう。誰にでもわかる・楽しめるニコマス、というそれこそ馬鹿馬鹿しい絵空事のようなものを求め続けて、そのために足で動画を探し、他人の声を聴いてきた人だからこそ、血肉と化して体現できる世界なのでしょう。
そういう意味では、動画のそこかしこで思い出話とまだ見ぬ動画への希望で話が咲く、というのがこの動画の一番理想の状態なのかもしれないけれど、まあなかなか書けないやね。ちなみに私がしたコメントは「とかちはかわいいなあ」でした。

「観測者でありたい自分」と「ファンでありたい自分」というのは、とても言い得て妙ですね。どちらの自分にも言いたいこと、そこからしか言えないことがあって、でもそれは互いに折り合わないことがほとんどなんですよね。まあ、見る専というのはどうあがいても動画に対して負け続ける立場なわけで、どうあがいても損であると同時にどうあがいても得であるってことでいいんじゃないでしょうか。

亜美真美シナリオについてはね、私まだアイマス2知らないし、ぜひ読みたいですけれども。そうか、数日遅らせれば自分で亜美真美について書く必要なかったのか。
公式の描き出すアイドルについては、最近もcha73さんのブログでの対談記事があったり、音PがSPをプレイしてtwitterで印象を語ったりされていますけれども、まだまだ語られていないこと、認識はされていても形になっていないものがたくさんあって、これからもどんどん言葉が積上っていくといいですね。

ではでは。他人とまったく意見が同じになってしまうというのも、まったく食い違っていて接点すらできないというのもつまらないわけで、違う人間同士が同じものを見て通じ合うことができるということは幸せなことです。K_1155さんとこうしてやりとりができること、本当に有り難く思っております。



No title

 と、いうより
 
 
 伝えたい気持ちと伝えたい相手ってのがあって。あの動画を見た人が"君ら"ってのをどう解釈してくれたかなと。
 ああいうサムネにしてああいう動画にして、ある意味ではミスリードを誘ってみた面もあるんだけど、一番作りたかったのは「動画を並べる」ところではなくて、あの後半の真っ暗なところなのよね。コメント禁止にしたところ。あの動画を見て、"君ら"を、『アイマス』の事だったり『アイドルたち』の事だったり、あるいは『あの並べた動画たち』だったり『幾千の動画製作者達』だったりと解釈する人が多かったようなんだけど、いや、もちろん解釈は自由だし、そういう意図がなかったわけでも無いし、そういう想いが漏れ出ていたのかもしれないのは確かで、確かに俺はアイマスが好きであのアイドルたちが好きであの動画たちが好きでそれを作っている人を尊敬しているんだけど、この"君ら"ってのは、まさに君らなんだよ。あの動画を見てくれた君らであって、あるいはあの動画たちをいっしょに見た君ら。「とかちつくちて」とか「うー、わっほい!」とか「wwwww」とか「8888」とか「アラブ王~」とか「↑」とかをいっしょに書き込んだ君ら。あとは兄ちゃんと姉ちゃんと犬と猫と、終盤のラッシュの中に入れた色んなサイトとか、ブログとか、松PPとか、黒王に乗ったお姉さんとか。あるいはそれらをいっしょに読んだ君らとか。君らとのあの日々を情熱と呼ばせて欲しい。
 
 
 伝わらんよね。いままで色んな文章を書いてきて動画を作ってきて、色々やってきたわけだけれども、まあ俺が下手糞なおかげで誰にも何も伝わらないのよ。だから辞める事にしたのよ。で、最後に「Have a nice IM@SLIFE」って残したわけだけど、基本的にはいつも俺が言ってる「佳いアイマスライフを」をかっこよく英訳してみた台詞なわけだけど、調べてみると"Have a nice life"って言葉には「あばよ」ってニュアンスも含まれるみたいなのよね。今風に言うと「じゃあの」か。で、さよならを言う前に、最後に君らにありがとうを言いたかったんだ。だから「あの動画の意志の源泉の半分は情熱で半分は闇」ってのは確かに当たっていると思う。ありがとう、さようなら。

 たかが3000ぽっちも回らないような動画についてあれこれと語るのは恥ずかしいけれども。最後に記念として。
 
 

Re: No title


この記事って、私が何を感じたかを喋っている記事であって、動画が何なのかを考えている記事じゃないので、あの動画のどこのシーンで何がどうなっていて、というようなことは書いていません。
なので少し、上では書かなかったことを書いておくと。

私が見た時一番鮮烈に印象に残ったのも、あの真っ暗になるところでした。あそこには、ああいう表現を持ってきたからには、映像や言葉をいくら積み上げても表現し足りない何か言いたいことが詰まっている筈でしょう。
で、私個人の思い入れとしては、あそこには今でいなくなった、あるいはこれからいなくなるだろう人やもの諸々の全部が詰まって見えたし、あとちょっと思ったのは、真っ黒な画面ってまるで順一朗社長/会長と徳丸さんのために贈られた絵みたいで、そう思っているのも素敵だよね、とか。

ただまあ、これを作ったのはgouzouPなので、もうちょっと違うものを含んでいるだろうな、と。gouzouさんは "君ら" と言いたくて、ではその "君ら" って何かと言ったら、文字通りに "君ら" なんですよね。コメントで書かれた言葉を使わせていただくなら、いっしょに動画を見た君ら、いっしょにあの日々を過ごした君ら、というのが一番核心に近いのかな。

それはね、わかりますよ、説明されなくても。私ら、gouzouさんの作ったものを観て、書いたものを読んで、一緒に生放送を見て、言葉を交わしてきて、gouzouさんが何を言い、何を悩み、何に喜び、何をしようとしてきたか、
ずっと見てきたわけで。
人の作ったものやっていることにはその人自身が表れるもので、それを他人は受け取っているものです。ひょっとすると、その人自身が理解している以上に。
だから、gouzouさんと一緒に時間を費やしてきた人間は、gouzouさんが何をいわんとしているか、わかるというか、知っていますよ。それは、K_1155さんとかシンゴさん私とか目に見えるところにいる人間だけではなく、たとえ直接伝える手段を持っていなくとも、そこかしこにいる人が知っています。それこそ、これまでgouzouさんのブログや動画や生放送を見たことのある "君ら" 全員が、なにがしかは受け取って理解しているわけで。

ただ、じゃあそれってgouzouさんの"伝えたいこと" が伝わっているってことなのかと言ったら、それは別問題ですよね。”伝える” ってことが、書き手作り手が "伝えたい" と思っている対象あまねく全員に、書き手作り手が狙って想定している通りの心の変化を相手の心の中に作り出すことだとするならば。
文章にしろ表現にしろ、そんな甘いもんじゃありません。書き手作り手が願い想定していることがそのまま伝わるなんて、万に一つもありませんよ。そうでなかったら、表現者は誰でもたちまち独裁者か教祖になれているでしょう。(現に、私や他の人はgouzouさんへ向かって私はこう思っています、こうあってほしいです、と "伝えよう” としたことって、どれだけgouzouさんに "伝わった" でしょうか? ……というレトリックを使いたくなるところだけれど、それはgouzouさんには"伝わらない"ことがわかっているので言いませんが。)

だから、gouzouさんが、自分の思っていることが伝わらないと思っているのなら、それはgouzouさんのやり方がまずいからではなく、人間のやることってそういうものだからです。
だからほとんどの書き手作り手は、自分の言いたいこと全部は伝わらないっていうこととある程度折り合いをつけてなんとかかんとかやっていくものですが、gouzouさんがそれでは満足しない、もっともっと高い理想を追う人であることを知っているので、私はあなたの考えをどうしようとも思いません。gouzouさんが伝わっていると思おうが伝わっていないと思おうが、それによって何をしようと思おうが何をやめようと思おうが、それも含めてのgouzouさんであり、そんなgouzouさんが好きだ、と言うだけです。

ただ、なおなおもう一言付け足すならば。たとえgouzouさんが願い想っている通りのことが起きているように見えずとも、gouzouさんの想い、感情それ自体はgouzouさんの作ったものやったことを介して他人の心を揺り動かす強靭さがあって、それは個人に見える以上の深さと広さをもって心に浸透していくもので、そしてそれは人から人を介して更に多くの心を揺り動かし続けています。だから、そこまでひっくるめて見た時、伝わっていないように見えて、本当は伝わっているのかもしれないね、ともう一度言っておきます。

「Have a nice IM@SLIFE」って、私はずっと、そろそろ自分は辞めようかなあ、明日あたり終わっていてもおかしくないなあ、と思っているわけで、まるで私がこっちで送り出す側にいるかのように言われても返答に困るんですけどねえ。まあ、とにかく。

また会いましょう。
再会はいつどこでであっても素敵なことですが、それが近い未来に、より多くの機会に起こることであればより素敵であり、そしてもしその場所が私たちの出会った場所、ニコマスであるならば、これにまさる素敵なことはないでしょう。ま、それは自分の意志で決められることではないので、私はただいつどこでgouzouさんと再会してもいいよう、なるべく楽しく健康に毎日を生きたいと思います。
gouzouさんも、どうぞ御自愛ください。

こちらこそ、ありがとう。









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