思い出してみた:やよい編


何度か書こうと思いつつ、なんとなくやっていなかったこと、のひとつ。







ウマP アイマス◆やよいじめ1(πタッチ) 07年03月06日



ウマPのこのシリーズは、たしかアイマスを知った最初期(ノベマスにハマるより前)に見たコミュ動画の一つで、特徴的な口調やモーション、コメントの盛り上がりぶり、「やよいじめ」というタイトルのインパクトもあって、強く印象に残ったものです。
ただ、好みということで言うと、それほど惹かれたわけではありませんでした。だいぶ前に書いていた関連記事を覚えている方はわかると思いますが、アイマスの中で、容姿の面で最初に私に印象があったのは、千早であり、美希であり、伊織であって、つまりは、髪が長くて、一番普通に美人とか美少女とか呼ばれそうな顔立ちのキャラクターであって、やよいはそこから外れていた、と。
もっとも、容姿ということで言えば、春香なんて子には最初まるで興味を惹かれなかったわけで、いろんな人の話を聞いていても、アイマスにおいて容姿はきっかけにはなっても、必ずしもどのアイドルへこだわるようになるかを決定づける要因にはならない場合も多い気がします。ともあれ、私にとってやよいとのファーストコンタクトは、覚えはしたが特段の思い入れは生じないものだった、ということになります。

さて、時系列的には次に、08年後半に流行していたノベマスの中でのやよいを知り……、となるところですが、意図的にそこは後回しにして。


私は、やよいが苦手でした。(2年ぐらい前の私ならば、まだ「苦手です」とはっきり現在形で書いていたでしょうが、流石に4年も経った今は、いろいろ感覚も変わってきているわけで、ここをどう表記するかは微妙なところです。)
どうにも、いろんな動画でその姿を目にしても、自分にはわからない気がする、しっくりこない気がする。私にとってやよいは、そういう存在でした。

いつ頃から苦手を意識するようになったのか、今となっては自分でもよくわかりませんが、記憶に残っているのは、09年の初め頃に見ていた、くらわんPのノーマルPV集や桃邪気Pのアカペラ動画など、全アイドルを見比べる・聴き比べる動画における、やよい、というより、やよいを取り巻いている風景、です。
どのアイドルにも、たとえばズコーだとかトイレ行ってくるだとか壁だとか男だとか、それぞれに晒されているストレスがあり軋轢があって、あるいは、これは上手いあれは下手だとか合ってる合ってないだとかキャラになっているなっていないだとかで、声優の歌唱についてもそれぞれいろいろ喧しい声がある中で、やよいだけは何をどう歌おうが、ただ「やよいはかわいいなぁ」「やよいはかしこいなぁ」「またひらがなかw」だけで済まされている(ように見えた)。その、やよいを取り巻いているコメントの空気に、ものすごく違和感があったのです。コミュ動画でもそうでしたが、私としてはそれほど強いこだわりがない、やよいというキャラクターのディーテールのひとつひとつに、大勢の人たちが熱狂し集団的に画一的に褒めそやし愛でている(ように見えた)その異様さに、自分はとても同調できる気がしませんでした。

今思うに、私にとって、アイマスなんぞ、3Dモデルの女の子キャラクターなんぞというもにのめり込んで熱中している、ということへの抵抗感、気恥ずかしさ、気持ち悪さ(もしくは、気持ち悪く感じるべきだ、という自己規制)が、(仮想の)"やよいを愛でる集団" に自分はとても溶け込めない、溶け込みたくない、という感情に変換され、凝縮されていたのだと思います。
先に、最初は千早、美希、伊織、と言ったように、美人の女の子を美人として可愛く思う、ということは、比較的スムーズに自己正当化できて(彼女たちはそのカテゴリに含まれる、と認識すること自体も含めて)、一方で亜美真美ともなると、彼女たちを愛しく思うこれは赤ん坊がかわいい、子どもがかわいいと思うそれであって、性的にどうこうというものではないんだ、と自己正当化できる。けれども、やよいはどうだろう。性的な要素を除去されて無垢性というか小動物性というかそういうものを強調されて、しかし根本的には性的ななにがしかを含んだイコンとして崇め愛でる、それはとても気持ち悪いことの筈だ、自分はそう思わなければならない筈だ……。というような論理を、明確に言語化して思い描いていたわけではないけれど、たぶん、そういうことだったのだと思います。

気持ち悪いと思うかどうかは別として、世の中はやよいという存在をいつでもいつまでも「かわいいなぁ」だけで片付けていて、そんなことでいいのだろうか、という認識・疑問は、ずっと後々まで私の中に残っていくのだけれど、それは置いておいて。
そんな、やよいとやよいを取り巻くものに対してがちがちに構えを作っていた私が、初めてその構えを溶かされて、なんて素敵な世界なんだろう、やよいってなんて可愛いのだろう、こんなことができるやよいって凄いな、と思ったのが、この動画でした。

もあP アイドルマスター「じゅもんをあげるよ」やよい 09年05月15日



これ、もちろん素晴らしい歌で、素晴らしい動画で、そして今に至るまで私にとってとても大切な作品、なのだけれど。ただ、それ以前にも、やよいが可愛い動画、やよいが癒される動画には、そう数多くとは言えずとも触れていたわけです。何故この動画で初めて、すんなりとそう思えたのかは、自分でも説明できません。この動画と、この動画に巡り会ったときに、そういう条件が整っていて、そういうことが起こったのだ、としか言いようがないのです。
ただ、ひとつだけ言えるとすれば、私にとってそれがこの歌だったということには、必然性があったのでしょう。この歌、もちろん励ましの歌であり、願いの歌なわけだけれど、たぶん、そこで励まされ願われている中には、たとえそんなものすごく大変な人生を歩んでいるわけではなくとも、誰にだっていつだって起こりえる、感じえるようなつらいこと、かなしいことが含まれていて、そんなとても身近なところから出発して、とても身近なところに在ってくれる優しさが詰まっている。こういう歌を歌えるのが、歌ってくれるのがやよいなんだ、と、とてもしっくり来たのです。
ここから始まって、やよいの「GO MY WAY!!」いいじゃないか、やよいの「キラメキラリ」いいじゃないか、と(実際にそんな順序で進んだかどうかは、もはや思い出せないけれど、少なくとも心象風景としては)、だんだんにやよいの歌、やよいが歌ったり踊ったりしている動画への "好き" が広がっていった、この動画はそういう出発点でした。


さて、何度か書いている、「わからない」「しっくりこない気がする」という感覚。それは、述べてきた、やよいを取り囲む空気に馴染めない、ということだけではなく(それとも連動しているでしょうが)、やはりやよいというアイドルそのものを私が「わからない」と感じている、という要素があるように思います。けれども、それが何なのか、なんとも説明の仕様がない。「わからない」と感じている、としか言いようがありません。
つまりそれは、実際にゲームでやよいをプレイしたりコミュ動画を見たりして、物語のここが理解できません、キャラクターのここが納得できません、という話ではないのです。同じように非常に断片的なキャラクター情報にしか接していなかった時期であっても、これまで出てきた千早や伊織や春香については、こんな子だよね、こんな子に違いない、だから自分としてはこんな感情をこの子に対して持っているよ、というイメージがあっさり固まっていたのに対して、やよいの場合は、この子は自分にはわからない存在なんだ、という感覚がずっとあって、そのまま目にする機会だけが増えていく。

なんでなんだろうなあ、とずっと考えていて、ある時はたと思い当たったこと。

アイドルマスター あっというま劇場「疑惑の二人」(前編) 08年07月07日



なんだ、それって『あっというま劇場』のやよいじゃないか、と。
『あっというま劇場』の人間関係には二つの中心があります。ひとつはPで、何人ものアイドルたちがPを取り合ってドタバタしている。。もう一つはやよいで、やよいを中心にやよいを愛好するサークル的な何か(P、小鳥、律子、千早、伊織)が存在している。そしてこのやよいが曲者で、大げさに言えば、やよいはその魅力によってこれらやよいにメロメロな連中の心をいいように操っているのだけれど、それがどこまで自覚的で、どこまでわかって行動しているのか、読めないのである。作者本人が「765プロで一番底知れない女」なんて解説しているけれど、周囲を惑わせる小悪魔的魅力たっぷりで、しかしその本質は悪魔なのやら小悪魔なのやら天使なのやら、読み取らせない奥深い魔性を秘めている。『あっというま劇場』のやよいは、そういう存在でした。

ストレートP アイドルマスター 慟哭 09年01月31日



で、この短編の場合には、『あっというま劇場』での具体的なキャラクターづけはないわけだけれど、構造としては同じものがやよいと伊織の関係の中にある。この動画の中で、伊織の場面ごとのやよいへの感情は、立ち絵の表情変化によって手に取るようにわかるけれど、一方やよいの方が何を考えているのか、伊織をどう思っているのかは最後の最後までわからなくて、伊織は一方的に振り回されてしまうわけである。

あれ、この、構造って、私のやよいとの距離感そのものだなあ、と。私にとってのやよいって、根っこのところに底知れなさ、不可解さ、不可知性がある存在で、で、その根っこって結局、ストレートPの描くやよいの特質そのものだったんですね。三つ子の魂百まで、信仰恐るべし。

そんなわけで、やよいはわからない、と思っていた私にとって、やよいの内面を考える、ということができる気がしてきたきっかけの動画が、たとえばこの作品でした。

ガテラー星人P 【やよいノベマス】善意の境界上 10年03月25日



この動画の初期時点におけるやよいは、ものすごく純粋無垢で理想主義な精神を持っている(ように見える)のですが、そういう精神の裏側には、ものすごく重い現実と、その現実を受け入れられない、受け入れるわけにはいけない歪な精神状態があるのではないか。そして、それを受け止めた時、そこには新たな地平が開けるのではないか。
こんな風にやよいを見ることができるのか。こんな風にやよいを捉えることができるのか。この動画を初見した時のインパクトは本当に大きなもので、今でも、私と、人格としてのやよいの関係を考えようとすれば、第一に浮かび上がってくるのはこの動画です。

あるいは、この動画。

すっきりぽんP 【i-Fest@!】バイバイ、アイドル 09年12月05日



この動画に出てくるアイドルたちって、ものすごく陽気でバカバカしい連中です。そういう、陽気でバカバカしい連中が集っているあたたかくて一種ノスタルジックな情景、はすっきりぽんPの作品中にしばしば横溢しているものですが、この動画の場合には、そう生きるしかない、そうあることでしか認められないいかんともしない現実が拮抗して存在することで、その陽気でバカバカしい面白おかしさが支えられている。そういう場所で、そう生きるしかないその生き方をやり通す先頭に立って生きているのがやよいで、それはその情景がバカバカしければバカバカしいほどに、面白おかしければ面白しろおかしいほどに、重みを持っている。

そういうのがやよいだ、という話ではなくて、そういう動画から、私は自分がやよいと向き合うきっかけ、やよいを考えるための立ち位置を得たのだ、という話。


ありがP 伊織・やよい 「Here I Go」 Syd Barrett (11年07月17日)



ありがPの動画はどれも大好きで、氏の動画デビューは私がブログを書き始めたより後のことなので、この作品に至るまで全部の動画をリアルタイムで取り上げるチャンスがあったわけだけれど、ほとんど何も書いていない。思えば贅沢なことでしたが、それはそれとして。

この動画、結果としては要するに、初め伊織がプロデュースされていたところ、まんまとやよいがその地位をぶんどって居座ってしまって、結局伊織はどう思っててどうなっちゃったんだろうねえ、ということになるわけだけれど、でも、やよいが全て計算づくだったのか、何も知らずに思ったことを言っていたら話がそう運んじゃっただけなのか、本当のところはわからない。
で、筋だけだったらあんまり明るく楽しい話とは思えないわけだけれど、出ているのはやよいおりだし、動画全体になにか飄々とした雰囲気があって、何とも言えないトボけたおかしみが漂っている、そんな動画。

ここまで読んできた方はおわかりだと思いますが、つまり、私にとってのやよいって、わりとこの動画に出てくるような存在なわけです。やよいってこういう子だよね、という話ではなくて、こういう距離感があるのが、こういうところから出発しているのが私にとってのやよいで、そして今となっては、そういう感覚自体がちょっと遠くて懐かしい場所にあって、でもそういうものが自分の中のどこかに棲み衝いていて、それはそれでちょっと面白いことなんじゃないかな、と、そんな感じですね。よくわからないけど。



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