近況報告的な⑴ 亜美真美


長くなったので単独で。





1 亜美真美


もちろん私は、いくつもの亜美真美動画の大傑作を知っています。が、それでも、個別のコミュの内部におけるこの二人のキャラクターの破天荒な面白さと愛らしさは、それを目にしている間、どのような2次創作によっても再現し得ないのではないか、と思わせる破壊力があります。
ただ、全体として、二人のキャラクターが成長するストーリーとして読んだ場合、このシナリオには語られていない部分、不完全な部分が多々ある、というのが初体験時からの私の印象であり、今回もそれは変わることがありませんでした。この記事において書くのは、そうした印象に関わることです。魅力の部分については、ここで私が語るまでもないことですし、表現できる気もしません。


亜美真美シナリオ全体を貫徹する要素として、次の3点が挙げられるでしょう。

⑴”楽しさ” と "思いやり"
今の自分にとっての楽しさ、面白さが最大になるように行動する。これが、この二人の中に常に存在する行動原理です。
ここから、あの斜め上に自由奔放な言動の数々が生まれるわけですが、その一方でこの二人は、道理を説かれればただちにそれに従う素直さ、聞き分けの良さをも持っています。その根底にあるのは、他者に対する思いやりです。
亜美真美は、他人を傷つけると理解している行為は、絶対にやりません。にもかかわらず、他者に迷惑をかけるような行動に走っている場合は、それによって誰かに迷惑をかけるかもしれない、と自力で気づくだけの想像力が不足しているのです。

⑵"ずっといっしょ"
亜美真美のPに対する発言においては、3人が ”ずっといっしょ” であることを確認する言葉が、しばしば結論的に出てきます。
二人にとって、Pが居て互いが居て、3人であらゆるものを分かち合っている現在の状態こそが、今まで体験し得た中でもっとも楽しく幸福な状態です。その状態が永続することを願望し、信じる、ということが、シナリオの最終盤まで持続する、亜美真美の、Pとの関係性についての認識です。

⑶"二人一役"
二人一役で一人のアイドル「双海亜美」を演じている(いた)、という事柄は、亜美と真美というキャラクターを考える上で、常に根幹として据えられてきたテーマですが、無印における「双海亜美」というユニットの「二人一役」というシステムの意味を考えるためには、次の2点を理解しておく必要があります。
第一に、「二人一役」は、彼女たち自身が、自分たちならではの”面白い”やり方として自発的に考案し、望んで生まれたシステムであって、外から強制的に与えられたものではありません。それ自体が、彼女たち自身の精神的欲求に根ざして生まれた存在です。
第二に、「二人一役」は、アイドルとしての労苦を二人で均等に分担・共有し、非常時にはいつでも交替できる、という負荷・リスク分散機構によって、心身の能力に限界のある年少の二人が一人前のアイドルとして仕事をこなすことを可能にする、必要性と必然性をもって構築されたシステムです。そしてその機構は、二人がどんな場面においても交換可能である、という、亜美と真美の個性・機能の同質性、体験の共有性を大前提として構築されています。
従って、この「二人一役」システムは、二人のどちらもが、一人でアイドルとしての負荷とリスクを背負える覚悟・能力と、あえてこの安全で機能的なシステムを放棄するだけの動機の両方を獲得しない限り、解消不可能なものです。確かに、二人の同質性と共有性という前提がわずかでも崩れれば、この機構はただちにデメリットを生むでしょうが、少々のデメリットによって打ち消されない大きなメリットをもったシステムなのです。


以上3点から、このシナリオを二人のキャラクターの成長の物語として捉えるならば、そこには3つの要素が考えられるでしょう。

一つ目は、自分の行動の全域にわたって、それが及ぼす影響を考え、責任を自覚できる想像力を会得すること。(⑴の領域) これについては、後述します。

二つ目は、”ずっと一緒” な関係に終焉、別れが訪れたとしたら、それに対してどう向き合うのか、ということ。(⑵の領域) 
これは、52週目までのコミュ内においては生じることなく、最終週の活動終了宣告によって、初めて二人が遭遇する問題です。
無印の全てのアイドルは、ここで一旦、ある時間、ある関係の終焉に向き合う事を余儀なくされるわけですが、亜美真美の場合にはやや特殊な事情があります。なぜならば、この終了宣告と同時に突きつけられる、二人のうち一人しかラストステージには立てない、という事柄によって、亜美と真美のそれまでの関係は決定的に決裂し、それにどう決着をつけるかが、ラストコンサート前の会話の焦点となるからです。
そしてドーム成功EDの場合、ラストコンサート後、二人は二人だけで「作戦会議」を開き、「明日からもプロデュース」してほしい、「兄ちゃんと一緒じゃなきゃイヤ」だ、という結論を伝えます。そしてPは一も二もなくそれを承諾し、結論として語られるのは、亜美真美にとってPは「ずっと一緒」で「ホントの兄ちゃん」で「新しい家族」であり、Pにとっては「ここまで慕われる存在になれたこと」こそが「最高のプロデューサーの証」なのだ、ということです。
すなわち、無印亜美真美シナリオの最終ゴールたるドーム成功EDにおいて確認されるのは、シナリオ全体を貫通してきた ”ずっと一緒” こそが最高の価値を持ち、未来永劫持続していくものである、ということであり、別れや終わりに対してどう向き合うか、という問いが正面から描かれることは、一度もありません。(「モモちゃん」の手術をめぐるコミュを考慮すると、一度も、と言うのは語弊があるかもしれませんが。)
ややそれにとどまらない含みを持つ言葉を探すとすれば、ラストコンサート後の会話中の

「これからも、ずーっと、亜美たちと一緒にいてね」
「ああ。ふたりが望む限り、な」

という応答がそうである、と言えるかもしれません。「ふたりが望む限り」という言葉は、”二人一役” がふたりの望みによって生まれ、ふたりの望みによって解消されたように、"ずっと一緒" もまた亜美と真美の今後の成長に伴って変化していく可能性を内包しています。
この、 "ずっと一緒" をめぐる亜美真美シナリオの結末は、主人公が12歳の二人(彼女たちは、他の全てのアイドルが、既に人生の中で体験している"卒業"というイベントすら、まだ体験していません)だからこそであり、それは、二人の心身がより成長した未来において、あらためて問い返すことのできる余白を残したもの、と言えるかもしれません。

3つ目。既に言及している通り、"二人一役" という状態の解消こそ、亜美真美シナリオ終盤の最大の焦点であり、それは必然的に、二人それぞれの心身の変化、成長を必要とします。(⑶の領域)


以上で、「亜美真美」 総体としての、ストーリー上の要点は見えたとして、では「亜美」 と「真美」という個別の人格それぞれの物語に注目した時、そのうちの何がどのように描かれているのかを、次に考えたいと思います。

まず、真美。
真美の物語は、明解で観測容易なものです。それは、ここまで再三述べてきた、”二人一役” の解消に必要な要件を獲得する物語そのものです。
亜美真美コミュ動画についた「真美は不憫」「真美はいい子」タグの数を数えればわかる通り、亜美真美コミュの中には、二人一役のシステムゆえに真美が一方的に不利・不条理な条件を否応無しに体験する、というエピソードが少なからず含まれます。

それらのエピソードは、二人一役による出番調整ゆえに、亜美が得ている利得を真美は得られない、というシチュエーションと、亜美の突発的な不在によって真美が厳しい条件で仕事をこなさざるを得なくなる、というシチュエーションの二つに大別できます。
そうしたシチュエーションの中で描写される真美の変化もまた、2要点にまとめられます。

ひとつは、亜美と自分との個性の差異に対する、自覚の芽生えです。亜美と真美が互いの違いを自覚するようになったことが語られるコミュは、二人が揃って会話するもの(たとえば、レコーディングにおいて、二人の声の適性の違いが語られるなど)の中にもありますが、真美の場合には、亜美が仕事中または不在時の、Pと二人だけでの会話において、亜美との違いの意識や、亜美へのライバル心の芽生えなどが、より詳細に描写されます。
注意すべきなのは、これは、単に真美は個性を意識するようになったから早熟、大人びている、という話ではない、ということです。二人の間に差異を認めること=二人の同質性・共有性を否定するということは、それまで二人が幸福を最大化し続けしてきた原動力そのものを否定することであり、ひいては現在彼女たちが得ている幸福そのものを破壊する可能性を秘めた行為であり、それ自体が大きな勇気を必要とする、生みの苦しみを伴った決断です。

もうひとつは、不条理に向き合うこと、そのものです。”二人一役” という傘の中にあっても、いやその傘があるからこそ生まれる不条理な現実を受け入れ、否応無しに与えられるタスクを乗り越えていくということは、一人の人間として仕事に向き合う覚悟と能力を、また一人の人間として仕事することを希求する動機を、涵養することに直結しています。

このように、真美の物語は、(相方と区別された)自我の芽生えと、それに伴う覚悟と能力の獲得による ”二人一役” からの離脱、という、亜美真美シナリオの3ポイントのうちの⑶の面を表現している、と言えるでしょう。


それでは、亜美の方は、何を表しているのでしょうか。

特に高ランクコミュを中心に、亜美と真美のエピソードを比較した時目に付くのは、亜美が後先考えない行動によって真美に迷惑をかけるケースの多さです。本番前に貰い物を食べ過ぎて寝てしまったり、本番前に遊びに行って迷子になったり、一番酷い時には、本番前に遊びに行って連絡が取れなくなったまま、あちこちでツケで買い食いしていたり。
また、二人の間で、アイドル活動をめぐって競争心を煽り優劣を争うような発言を始めるのは、決まって亜美からです。これはおそらく、亜美真美が常日頃、二人で競い合うような遊びを幾度となく繰り返してきたが故であり、亜美に悪意がないからこそのことと言えるでしょうが、真美の側は自分の名前を名乗らずに活動しているという事情を考えれば、センシティブさに欠ける行為であるのは確かです。

亜美は、真美に比べて感性に乏しく、他人への優しさに欠けた人間なのでしょうか? 
いえ、そんなことは全くありません。既に述べたよう、二人揃ってのコミュのエピソードにおいては、亜美も真美も他人を思いやる優しい心の持ち主であることが十二分に表現されています。
では、何故亜美はこのような言動を取ってしまうのか。

つまるところ、亜美には想像力が足りないです。レセプション会場の壁に落書きを書いたら、迷惑がかかる誰かがいるかもしれない、という連想ができないのと同じように、自分が本番前に遊びに出かけて、もしそのまま迷子になったりしたら真美に迷惑がかかるかもしれない、ということにも、自分では思い至ることができないのです。

そうした問題を、正面から取り上げて亜美の成長を描いたのが、先ほど一番酷い時には、といった例のコミュになります。

双子と豚 月の仕事 11月 07年05月05日


このコミュでは、ツケで食べ歩いた亜美のフォローで真美とPがさんざん苦労する様が描かれますが、戻って来た亜美は、自分が悪いことをしたとは微塵も思っていません。自分の行動によって、周りの人間がどんな影響を被ったかを、全くわかっていないからです。最後の選択肢において、「真美の気持ちを考えるんだ」を選んで問うた時初めて、自分が真美の立場だったならば、どれだけの心配や苦労をしたかを覚り、自ら真美に謝ることになります。

このコミュが表現しているのは、まさに、3ポイントの⑴の事柄、自分の行動の全域にわたってその影響を考える想像力を身につけることであり、それこそが、”一人二役”からの離陸を描いた真美の側に対して、亜美の物語の側を通して表現されている亜美真美シナリオの要素だ、と言えるでしょう。
自我の芽生え、一人前の大人へ向かっていく精神の成長を表現した真美に対して、まったく子供のままの状態からスタートして、他者に接するために必要なことを学んでいく亜美。


……と、わざと真美と亜美が対称的になるように筋を描き、結論づけてきたわけですが。

本当に、それでいいのでしょうか?


たとえば、亜美と真美の言動をつぶさに比較したとき、”二人一役” による相手の不利益を慮った発言が多いのは、どちらでしょう? 私の見る限り、それが多いのは亜美です。

ぶたP 双子と豚 55 07年05月04日


上はランクA/Bで発生する「表彰式」コミュですが、ここで亜美は、

「真美も、同じだけ活躍してるのに、亜美だけが
表彰されるなんて、ずるくな〜い?」

「これからもらう表彰状、
できれば真美の分も、もらえないかなあ?」

とPに訊ねます。これは高ランクのコミュであり、もっとも顕著な例ですが、このような、亜美の真美に対する気遣いが観察できるコミュは、低ランクから存在します。
また、コミュ中で、自発的に ”二人一役” の将来的な解消について言及するのも、決まって最初は亜美からです。これらの発言を通じて語られる、”二人一役” の現状に対する彼女の捉え方はおおよそ次のような感じで、非常に明快かつ初期から一貫しています。
すなわち、真美が望むのであればいつでも二人一役を解消したい、ただしPや真美に積極的な意見がない場合、自分としては楽しくて安定した現在の状態をただちに解消するのは怖い。
こうした”二人一役”を巡る会話に関して真美から、現状を肯定し、場の流れに追従する以上の積極的な意見が出ることはまずなく、この話題は、通常のコミュの枠内ではそれ以上発展することはありません。

こうして見ると、明らかに亜美は、常に真美を気遣い、二人の間に不公平が生まれないように慮り、あるいは真美が不公平を感じることを恐れていることが窺えます。
とりわけ、上で引用した台詞のように、一人で表舞台に立っている時でも「真美の分」を意識して奮闘する態度は、コミュ上では亜美に固有の言動と言えます。
(一方で真美には、「双海亜美」という他者の看板を背負って仕事するということ、自分がまずい仕事をすれば亜美の評価が傷つくということを意識する固有の態度がありますが、亜美のそれに相当するような、自分が表舞台に立っているときに”亜美の分””亜美のため”を意識する言動は見受けられません。)


ここに、疑問が生じます。一面ではこれだけ真美のことを気遣い、思いやっている亜美が、別の場面ではあのように真美に迷惑をかけてそれに気づかない、という二つの断面の間には、随分と印象の乖離があります。
最初の筋書きでは私は、亜美に足りなかったのは想像力だ、とまとめました。しかし、その見方は本当に正しいのでしょうか。私には、低ランクコミュの中のいくつかにおいては、亜美には初めからそのくらいの力は当たり前に備わっているように感じられるのですが。

別の疑問もあります。上で述べたような真美の成長は、最終的にラストコンサート前の会話で、自分はステージに立たないことを受け入れ、舞台袖から亜美を見守る、という行為に集約されて結実します。
一方、私が亜美についてこうではないか、と述べてきた、想像力とか思いやりとかいったことはどうでしょう。ラストコンサートのエピソードの中に、何らかの形で繫がっているのでしょうか。
二人の間の思いやりは、ラストコンサートの開催が告げられて、亜美と真美がどちらも出番を譲らずに喧嘩になった瞬間に、一旦完全に瓦解してしまいます。そして、ラストコンサート前の会話において、確かに二人の絆の確認と和解は描かれるものの、個人の物語として焦点が当たるのは、真美がどう納得するか(Pとしては真美をどう説得するか)という事柄であって、亜美が何を決断するか(Pは亜美にどう接するか)という事柄ではありません。
それでは果たして、私が亜美の物語の特質かもしれないと述べてきたことは、どれがどのくらい正鵠を射ていて、それはどのくらい亜美に固有のもので、どのくらいラストコンサートの中で結実しているのでしょうか? 

それは、わからないのです。明示されていないのだから。
つまるところ問題は、無印亜美真美シナリオというものは、亜美個人の物語として読んだ時、あまりにも語られていない点、不完全な点が多い、というところにあるのだと、私は思っています。

二人は、少なくとも全体としての出番の数は、まったく均等に与えられてきたはずです。真美とまったく同じだけの時間、亜美も舞台裏で過ごす経験をしたはずです。そこで亜美は何を考え、Pと何を話したのでしょうか。
本番前にいなくなって迷子になった時、Pが見ていない世界で亜美は何を考え、何を体験してきたのでしょうか。
真美を舞台袖に残してひとりでラストステージに立つ時、亜美には何が見えていたのでしょうか。

亜美真美シナリオは、亜美という個人の内面については、驚くほど多くのことを、語らずに済ませています。いつもと同じ陽気さでラストステージに向かう亜美が、ある者にはまったく何も考えていないように見え、ある者には重い十字架を背負っているように見えます。誰も、亜美の内面を知らないからです。知ろうにも、知る手がかりがあちこち欠落しているからです。

亜美が真美に迷惑をかけるケースが目に付く、と私は述べました。けれども、「双海亜美」のユニット活動の中で、逆に真美が本来の出番だった時、亜美に迷惑をかけたことは、一度もなかったのでしょうか。真美は「いい子」で責任感が強いから、そんな短慮なことはしないのでしょうか。二人揃っている場面を見る限り、どちらも似たり寄ったりの思考能力しか持っていなかった子供なのに?

逆のことも言えます。亜美は出番の時、真美を気遣う言動が見られる、と述べました。けれどもそれは、真美の出番においては不利不均等な条件下での対応が強調され、フラットな状態で真美が亜美を語る機会が少ないがゆえ、でも有り得るでしょう。
亜美の物語が、情報の欠落したブラックボックスであるということは、見た目は明快な筋書きを描ける真美の物語もまた、本当は対応する語られざる領域をもったブラックボックスなのかもしれない、ということをも意味します。

ただ、そうした、コミュの中では欠落した(あるいは描き切れなかった・描くわけにはいかなかった)情報について、まったく無頓着にシナリオが構成されているわけではありません。ラストコンサート前の最後の選択肢における、以下のPと真美の会話は、私にはとても奥深いものだと感じられます。


「亜美を見て、自分の力を確かめてほしいからだ。
いいところや悪いところ、よく見てほしい」
「そーすると、真美のいいところと悪いところも、
わかるの?」

この会話こそは、まさに私が述べたような、真美が語られている時の亜美、亜美が語られている時の真美、シナリオの中では語られなかった領域を探る、手がかりを示すものではないでしょうか。
そしてその答えは、所詮は二人は同じような人間なのだ、というほど単純でもなく、さりとて亜美はこうで真美はこう、とあっさり線を引けるほど容易なものでもない筈です。

ともあれ、私としては、このような形でなければ双子という存在を扱うシナリオを構成し得なかっただろう、という必然性は諒解できるものの、このシナリオが多くの語られざる領域を抱え、就中双海亜美という個人の物語としては重大な欠落を残したままである、という感想は変わりません。
無印の後、果たしてそれは、どれほど語られてきたのでしょうか。私には、まだよくわかりません。


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