「声」だけがメロディー奏でだす(2)


前の記事で、下にそのまま追加していくつもり、などと書いていたんですけれども。
結局分割することになりましたとさ。

そんなわけで、続き物の記事なので、(1)からどうぞ。




前回はイントロだけで話が終わっていたので、今回は歌詞の入るところから、ということになります。



verse1
いつだって僕らは 誰にも邪魔されず
本当のあなたを 本当の言葉を
知りたいんです 迷ってるふりして


0:36
めいろっくP スーパーノヴァ 0:36
「いつだって僕らは 誰にも邪魔されず」

0:35、この曲最初の、声と言葉が入る。その歌い出しの瞬間は、春香の肩から上のアップ。この歌い出しのモーションは、肩から下の身体の運動がなく、口だけが大きく動く瞬間が選ばれていて、""実際に春香が歌い出した” 印象を強く与えるもの(この口パクは加工されたものかもしれないが、そこらへんは私にはよくわからない)。
このように、歌い出しの瞬間に、表情と口元の動きをフィーチャーするモーションとアングルを持ってくる手法は、この後2番冒頭、最初のサビの冒頭、と、間奏前の節目の箇所すべてで踏襲されている。
この動画が、全編を通じてリップシンクや”歌っている雰囲気”を作ることに力を傾注しているわけではなく、口元が写っていないカットも多量に含まれるにも関わらず、どこか”ステージ上の二人が実際に歌っている” というイメージを視聴者が描けるとしたら、それはこのような要所での演出ゆえにであろう。
4小節分のメロディーをすべて ”春香ソロ歌唱” のカットで通す、という、この動画としては最長クラスの ”長回し” がここで使われていることも、それを後押ししていると思われる。

また、イントロからの繫がりで見ると、前回最後にスクショを貼った、0:27のロングカメラ・スモークステージのカットの後、一貫して暗いトーンの画面が続いていて、この春香アップのカットの瞬間にぱっと画面が明るくなることがわかる。
もう少し細かくみると、この曲のAメロのメロディーは、1小節=4拍のアタマからではなく、2拍目ウラから始まるのだが、この小節の前後では、

 前の小節の2〜3拍目:ミドルカメラ
→前の小節の4拍目:千早アップ
→歌い出しの小節の1拍目付近:ミドルカメラ
→2拍目ウラ(歌い出し):春香アップ

とカットが切り替わっていて、ミドルカメラのカットは一貫して暗く、千早アップのカットは顔に光が当てられ、春香アップのカットは画面全体が明るい、という構成になっている。いわば、”千早ソロ” のカットが、次の小節の新出メロディーへジャンプするための勢いを生む、導線のような機能を担っているのだと思われる。
ここで見られる、

・歌い出しが ”春香ソロ” である
・拍/小節の節目を示すカットと、メロディーの節目を示すカットが分離している
・”千早ソロ” のカットが小節/フレーズの末尾におかれ、次の小節/フレーズへ向かう導線の役割を果たしている

という特徴は、この後の展開を考える上でも非常に重要な事柄である。

0:43 
めいろっくP スーパーノヴァ 0:43
「本当のあなたを」

歌い出しの一センテンスが”春香ソロ歌唱” だったのに対して、次の、メロディーが繰り返しになるセンテンスは、”千早ソロ” のカットで歌われる。
この”千早ソロ” のカットは、上の春香のものと比べると、やや引き気味のカメラで腰から体を写している。ほっそりした千早の腰回りが写されることで、表情と口元のインパクト、画面全体に占めるアイドルの存在感はやや減殺されている。モーションも初めから体を揺らしているもので、春香のように ”静止状態からの動きだし” を表現してはいない。また、最初の”春香ソロ” が4小節分あったのに対し、この ”千早ソロ” は2小節分のみで、後半の歌詞(「本当の言葉を」)では既に別のカットに切り替わっているのである。
こうしたことは、あたかも春香がソロで歌い出したメロディーを千早が引き継いだか、あるいは途中から千早が相和した、あるいは春香が主旋律を、千早が伴奏を歌っているかのような、両者のステージ上の役割のイメージに、微妙な違いをもたらしているように思われる。

0:50
めいろっくP スーパーノヴァ 0:50

こうして並べると、まるで”春香ソロ”→”千早ソロ”→”デュオ” と綺麗に整理されて動画が進行しているように思われるかもしれないが、3番目のスクショは、上で述べた”春香ソロ”→”千早ソロ” の進行の後、目まぐるしく入れ替わるカットの中から、ごくごく短い一瞬を抜き出したものである。
ただこの、二人が背中合わせになってステップと腕のスイングでリズムを取るモーションは、曲の1番、2番を通じてたびたび出てくるもので、このパートのリズムを表現する上で、重要視されているものだと思われる。


verse2
僕は風になる すぐに歩きだせる
次の街なら もう名前を失った
僕らのことも 忘れたふりして


歌詞2番の部分はスクショを省略したが、基本的に1番の流れを踏襲したものだと言える。歌い出しに ”春香ソロ” がおかれ、次いでそれより短いスパンの”千早ソロ”がおかれた後、ミドルカメラを含む様々なカットに移行する。
ただし、歌い出しの”春香ソロ” は1番の半分の2小節分、「僕は風になる」の台詞のみ。カメラもより引き気味で、初めから身体が揺れているモーション。続く ”千早ソロ” のカットはさらに短く、2拍分程度。歌い出しの流れはより簡素化され、”歌唱らしさ” が弱められた表現となり、運動の流れがより強調される展開となっている。


chorus1
DO BE DO BE DA DA DO スタンバイしたらみんなミュージックフリークス
1.2.3 でバックビート ピッチシフトボーイ全部持ってって
ラフラフ&ダンスミュージック 僕らいつも笑って汗まみれ
どこまでもゆける

1:39
めいろっくP スーパーノヴァ 1:39
「DO BE DO BE DA DA DO」

最初のサビ。「歌い出しは "春香ソロ”」 の原則はここでも観察できる。
これまでの歌い出しシーンと比べても、大きく春香に寄ったカメラ。表情は隠されて、口元と、むき出しの首すじ肩まわりが強調され、画面全体に占める身体の存在感はこの上なく大きい。ちょっと色調を変えれば、タクヲPの動画から取ったショットです、と言っても通用しそうな、極限まで”ソロっぽさ” が強調された歌い出しである。
ただし、ここでは肩が大きく上下動するモーションが使われ、同じモーションのまま次のミドルのカットに繫がるため、同時にリズム感、サビの高揚感が表現されてもいる。

1:48
めいろっくP スーパーノヴァ 1:48
「1.2.3 でバックビート」

このサビの場合には、”春香ソロ”カット→”千早ソロ”カットという直接の受け渡しが行われるのではないが、歌い出しのセンテンスの”春香ソロ”と対応して、メロディーの繰り返しになるセンテンスに”千早ソロ” のカットが、やはり置かれている。カットの繫がり上離れた位置にあることと関係があるのか、ここでの千早のカットは、歌い出しの春香と似たアングルからの、拮抗した強いインパクトを持つ絵である。

ここまで見たように、間奏以前の3パートでは、”歌い出しの春香、2番目/繰り返しの千早” という大まかな役割分担のもとで、しかし個々には少しずつ異なった色づけが、それぞれの”ソロ”パートに対して与えられている。それは、時によって、感じ方によって、ファーストソロ、セカンドソロのようにも、あるいはリードヴォーカルとサブヴォーカルあるいはコーラスの関係のようにも見え、それらが折り重なった、二人の役割分担のイメージを映し出しているように思える。

1:43
めいろっくP スーパーノヴァ 1:43

また、このショットのように、二人が斜め関係になる場面においては、必ず春香が手前、千早が奥側に位置する構図がとられている。これも、上記のような、二人の役割分担の表現に寄与しているのではないだろうか。

しかしながら、ここまで私が述べてきたような役割分担のイメージは、必ずしも視聴者が意識的、明瞭に感知するものではない。
ミドルカメラのカットにおいては、二人が対称、並列な位置関係に並ぶ構図もまた多様されるからで、そこでは、二人が対等、同質的な行動をとっているイメージが強調されることになる。ソロのカットについても、言及した以外のタイミングでのカットの挿入によって、私が述べたようなわかりやすい役割分担のイメージは薄められ、対等的、シンクロしたデュオのイメージと入り混ざるわけである。
しかしながら、視聴者の潜在意識下では、それらいくつかの印象が混濁しながら、このステージにおけるこのデュオの表現/関係のイメージが形成されて、視聴感覚に影響を及ぼしているのではないだろうか。


春香と千早の機能分担の視点から離れて、ダンス自体について若干。
これは純粋に私のフィーリングの話であって、本当のところどうなっているかはわからないのだけれど。

この前半部分のダンスを見ていると、なんとなく遅れて感じられる部分が時々ある。
何が何に対して遅れているのかと考えると、リズム隊の示す拍に対して動きがやや緩く遅れ気味に入っているのではないか。ただ、それが不快である印象はない。
それは何故だろう、というか、どういうこというかということで、以下は私の仮説というか、ただの妄想である。

「遅れて感じられる」と言ったのだけれども、実は、上半身の動きを見ていてなんとなく遅れめな気がする箇所でも、足のステップを見ると、拍に合っているのである。これは、足もとが写るカットでははっきりわかるし、アップで下半身がフレームアウトしているカットでも、肩や腰の震動からステップのタイミングを浮べると、やっぱりたぶん合っている。
では何故それが、上半身では遅れて感じられるのか。足の踏むステップや腰の揺れが、彼女たちが体の中心線で感じているリズムを直接反映したリズムだとすれば、上半身の動きの中心となる腕の運動や体をねじる運動は、より中心線から遠い、あるいは上下の律動に対して副次的な運動である。ダンスのスロー化、身体のアップの多用は、その、体の中を運動エネルギーが伝わっていく時間を増幅させて見せ、中心線から遠い運動を緩く、遅めに感じさせるのではないか。

ところで、そもそもなぜ、足のステップは合っている気がする、と感じられるかと言えば、この前半部において、上下にステップを踏むダンスがきわめて多用されているからである。つまり、彼女たちは、体の中でははっきりと拍を感じてダンスをしているのだ。
けれども、アップの多用、スロー化したモーション、おだやかな色調、アングルの頻繁な切り替えが、その細かい拍の感覚が前面に表出することを抑え、上半身によるより大づかみな流れの表現を前面に押し出しているのだろう。そして、これらの演出上の特徴は、伸ばしたり曲げたり振り切ったりといった運動の頂点の鋭角的なインパクトを、時には弱め、時にはより急激なインパクトや加速感を与えて、運動の流れに複雑な緩急、陰翳をもたらしてもいる。
すなわち、”リズムを感じていながら、しかしそれより大きなフレーズや構成を表現する”ということが、ここで作者がなしている表現であって、それがもたらす現象の一端が、私の感じた「遅れ」だったのではないだろうか。

ところで、先に述べた通り、この曲の歌詞部分のメロディーは小節上の2拍目から始まる(サビの場合は2拍目オモテから)ので、そもそもメロディーと小節の周期からして一致していないわけだけれど、おわかりの通り、以上の私の話は全然そういうところには踏み込んでいない、イメージだけの話である。だいたい、自分の感じたものを、”リズム隊示す拍に対して動きが” と説明した時点からして、ほんまにそういうことだったんかいな、という気はするのだけれど、まあ、私の妄想なんて、だいたいそんなものである。

以下次号。終わらんな、これ。

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