「声」だけがメロディー奏でだす(1)


気分転換にね、私もオールタイムニコマス20選ってヤツをやってみようと思ったんですよ。

それが何故か、こんな記事になってしまったんですね。

めいろっくP 
【アイドルマスター】 『WORLD'S END SUPERNOVA(Philharmonic or die)』 【VRF2010】 
10年09月16日




この動画について、私が凄いと感じたものを言語化しようとしても、それらは大体、「VerRockFestival2011」におけるカズマもとい匿名希望氏のレビューの中で既に表わされている気がして、これ以上のことは私には書けないな、と思うわけですが。

ただ、ひとつあえて述べるすると、はるちは動画というか、デュオのステージの表現として、これは凄いな、と感じた点が一つありまして。まあ、非常にオカルト的なというか、私個人の感じ方の問題なのですが。
それは、この動画、春香と千早、それぞれが単独で映っているシーンがいっぱいあるわけですが、そうして彼女たちが一人で映っているどの瞬間を見ても、ステージ上にいる、見えないはずのもう一人の存在を濃密に感じられる気がして、それが凄いな、と思ったのです。
それは何故なんだろう、とか。私がしたいのはたぶん、そんな話だと思います。


その前にもう一つ、個人的でオカルト的な感覚の話をしておきましょう。
ライティングとか色調とかエフェクトとかいう言葉があって、私も時々使いますけれども。ぶっちゃけ私は、動画見てても、その映像の何がどこまでどの用語の領域の仕事なのか、さっぱりわかっていません(笑)。
なので、この動画の ”光とか色彩とか、そこらへんのもの" 、としか言いようがないのですが。この動画の、 "そこらへんの表現" を、私がどう感じたかというと。

小学生の頃、近所にちょっとした運動場のようなものがありました。
何が「ちょっとした」ものだったかというと、照明設備があったんです。あの、野球なんかのナイターの試合の時に使う、ポールの上に電球がたくさんならんだ奴(名前知らない)の小型版ですね。
何か用事があって遅くなった帰りがけ、その横を通りがかると、薄暮のくらく寂しい道の向こうでそこだけがぼうっと明るく、遠くで人が球を打ったり蹴ったりして走り回っているのが見えます。運動場の各隅各方向から照らす燈光は、その人々のまわりに淡く複雑な影を描きだし、それは陽の残り具合、その時々の季節と天候に応じて、時々刻々と色合いを変えます。
それは、逢魔が時の濃い闇に包まれた世界の中で、ひそめていた息をほっと吐き出せるような、あたたかく、優しく、幻想的で、そしてどこか懐かしい光景で。そして、小さな子供の目線から見えるそれは、とても遠く、広い景色に感じられたのです。

そんな感じ。……なんのこっちゃ。

ま、嘘ですけどね、今の話。はるちはに「嘘」や「夢」はつきもの、ということで。


以下の記事では、スクリーンショットを多数貼ってありますが、これらのスクショを撮った回数や箇所は、動画の構成や流れに対して忠実ではありません。単に、私が説明しやすいように、説明しやすい場所からとっているだけです。


introduction

0:00
めいろっくP スーパーノヴァ 0:01

動画を開けて、最初に耳に入ってくる音は、アーティストを迎える拍手の波。それは、音楽とステージが世界を形成する手前、日常のざわめきと弛緩の延長上にある音。その中を、暗闇から、ステージ上に静止する二つの影が浮かび上がってくる。

この、完全に静止した世界に佇む何ものかは、馴染み深いキャラクターなどではなく、もっと異形で恐ろしい何かなのではないか、とは以前書いたことで。
そうしてその姿が浮かび上がってきて、動くアイドルと化するまでにかかる時間は、せいぜい1秒。6分にも及ぶこの動画の中で、本当にごく一瞬の出来事なのだけれど。私は、こんな風に、暗闇の中から立ち上がってきて、そしてまた暗闇の中に消えていくであろうステージが、好きなのである。

0:02
めいろっくP スーパーノヴァ 0:02

イントロのメロディーが入ってくる最初の瞬間、二人は真上に向かってスッと手を伸ばし、同時にカメラはロングに切り替わって、一気に明るくなったステージの全景を映し出す。開幕前のざわめきを断ち切る、シンバルの強打のごとき一撃である。

真上にまっすぐ伸びた腕は、当然、そのまま重力に従って下に落ちてくることを予感させる。
ところが、この突き出された腕が、なかなか落ちないのだ。
2拍目、まだ落ちない。3拍目、4拍目、まだまだ落ちない。(なお、この曲においては、ほぼ1拍=1秒の長さと考えて差し支えない。)まるで時間が引き延ばされでもしたかのように(いや、実際スローモーションなわけですが)、ゆっくり滞空しながら降りてくる。

0:06
めいろっくP スーパーノヴァ 0:05

では、その落下の運動はどこで本格化するのか。
このイントロにおいては、だいたい4拍=1小節周期で、節目を示す強い音が入る。そのちょうど5拍目、次の小節に入った瞬間のショットが上。
ここではカットが春香のアップに切り替わっているが、一つ上と比べて、ほとんど腕が動いていないことが見て取れる。ここから春香は一気に腕を振り下ろして撓め、同時にカメラもグイーンと春香に向かって寄る。そして次の拍ではもうカットが切り替わり、身を屈めて次の動作準備に入った千早が写っているのである。カメラのアップ動作自体も、拍の後半で急激に加速しているので、コマ単位で見ないと、最後の方は何が写っていたのかすらほとんどわからない。下は、その最後の瞬間をあえて捕らえたものである(笑)。

めいろっくP スーパーノヴァ 0:06−2

すなわち、この2小節目冒頭において、4拍分ためた運動エネルギーをわずか1拍で解放し、さらに同時にカット切り替えのタイミングとカメラの動作まで重ねるという念入りな仕掛けで、視聴者を画面上の運動の世界へと引きずり込む、強烈なフックがかまされているわけである。


0:09
めいろっくP スーパーノヴァ 0:09

0:18
めいろっくP スーパーノヴァ 0:18

カットの頻繁な切り替え、様々なカメラアングルとモーションを次々と繋いでいくのは本動画の全体にわたる特徴であって、それはこのイントロ部分で既に現れているわけである。だが、全く無秩序無差別にシーンが並んでいるのかというとそうではなく、ある程度の流れが存在する。
たとえば、上記2枚のように、ミドルで二人の位置関係とダンス全体を見せるカットは、ステージの現在の状況を把握し大まかな流れを示す機能を果たしていると言えそうだ。両カットでは、ダンスとリズムの同期関係が視認しやすいだけではなく、一枚目は上から左右対称に二人を写した静的な構図で、画面のトーンも暗く、2枚目は横からのより動的で奥行きを感じさせる構図で画面も明るい、という形で、曲の時間的進行に伴う変化が表現されている。

0:08
めいろっくP スーパーノヴァ 0:08−2

0:12
めいろっくP スーパーノヴァ 0:12

と言って、先に述べたように、引いた構図でダンスをじっくり見せ続けるわけではなく、アップの印象的なカットも、引いた構図と同程度以上の時間を割いて次々と重ねられる。たとえば顔と足をフレームアウトさせた胴体だけのショット(これは脚見えてますけど)、あるいは胸から上だけのアップ、(省略しましたが)足もと、ほとんどブーツだけしか写ってないカット、なんてのも。
ちなみに、ここまでアップのショットが ”春香ソロ” の絵ばかりなのは、筆者が春香さんを贔屓しているから……ではもちろんない(笑)。イントロの前半において、今述べたような特徴的なアップの絵を写されるのは春香のみで、千早にはせいぜい、上半身全体を写したあまり奇抜でないカットがあるだけなのだ。

では、”千早ソロ” の印象的なカットはいつから出現するかというと、それは冒頭から20秒目、イントロも半ばを過ぎてからである。

0:21
めいろっくP スーパーノヴァ 0:21

0:28
めいろっくP スーパーノヴァ 0:28

見比べると、長い髪にきりりとした目、肩が装飾された衣装に伸びやかな腕を持つ千早の上半身が、春香のバストショットよりもずっと、ダイナミックで複雑な動きを表現していることがわかる。反対に、その頭部と脚を隠して胴体だけを写した時には、衣装の起伏と肌の露出に富んだ春香のそれより、ずっと静的なフォルムと地味なトーンの絵になることも。
その総体として、この二人のアップでの身体表現は、めいろっくPによる出番の調整と光と色彩による演出もあいまって、きわめて相補的かつ拮抗した役割を果たしているわけである。

0:27
めいろっくP スーパーノヴァ 0:27

冒頭部で見たように、このイントロでのカット切り替えのタイミングは、たとえば4拍あるいは8拍単位でのアクセントといったものに対応している場合もあるのだが、そうはでない、不規則な間隔で行われる場合も多々ある。その中には、音楽的な進行と絡めて解読できるものもあるであろうが、それは私の手にあまる。
ただ、面白いと思うのは、おそらくはそうした理詰めの分析で選定されたのではなく、非常にファジーで感覚的な必要性に応じてその挿入タイミングが形成されたカットが、少なからず存在するのではないか、という気がすることである。

たとえばこのスモークがかかったステージのロングのカット。これは、入るタイミング自体は小節のアタマに合っていて、アクセントを示す機能を持ってはいる。
けれども、このカットが写るのはこの1拍目のみで、次の瞬間には別のアングルに切り替わってしまう。しかも、これまで二人の全景を写す絵においては、下手側が春香、上手側が千早という初期位置が遵守されていたのに、このカットのみはそれが入れ替わっていて、ステージ上は他のシーンには存在しないスモークで覆われている。また、ここでの二人の動作は、対称形に開いた片腕を下げるだけのもので、これまでのミドルのカットのようにリズムに乗った全身運動を行ってはいない。
つまり、リズム上の、あるいは運動の流れ上の要請から、このタイミングで挿入するのがこの絵である必然性は見出だしがたいのだ。単に、作者が "この絵そのもの" を見せておきたかったがために置かれている、としか思えないのである。
この、スモークが行き渡って広大さが強調された舞台上で、二人が扇形に広がって構えた、安定した構図。この景色、このイメージそのものを、このイントロの中のどこかで、視聴者の脳裏に描かせておく必要があったのだろう。

このように、わずか35秒のイントロの随所で既に立ち上がっている、作者の中にある必要性、必然性によって選ばれた絵・動き・タイミング。それが、この動画全体を貫く根本的な美学、構成原理となっていることに、やがて私たちは気づくはずである。

以下次号。たぶん、スクロールしてスクショを一度に見られる方が楽しいから、(え、文章? なんですかそれ。)、このまま下に追加していく形になるかな。いつ出来るのか知らないけれど。
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[動画紹介]オールタイムニコマス20選

「パティシエになりたーい!」ブログ。にて、オペラPが オールタイムニコマス20選 2012年9月30日ver.  という記事を書き、それに吊氏がリアクション。 オールタイムニコマス20選ての

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