8/22雑記


雑談です。だいたい春香さんです。


・ガルシアPの気合いの入った 『眼鏡キャラ愛好志向概論』 を読んでいて。
私は春香さんのリボンが好きなのですが、リボンについて、リボンを結ぶスタイルには春香さんという女性のこんな性格や心理が表れていて、というような、 ”「リボン」と「リボンを結ぶ女性の女性像」の関係” みたいなことは考えたことがなかったなあ、と思ったわけです。
基本的に私は、映像と、その映像が表象する「意味」の対応関係、みたいなものをあまり信用していません。それは、私がそういうものを読み解く能力・知識がないことの裏返しでもあります。対照的に、私はテキストというものは結構信頼しているところがあります(書いてあることがそのまま事実を表わしているだろう、という意味ではなく)。
だから私は、この場面で春香さんがこんな台詞を喋ったから春香さんはきっとこんな人で、ということを考えるのは好きですが、春香さんがその時こんな色でこんな形のリボンをこんな風に結んでいた、ということは、私にとっては、そういうリボンを載せた春香さんの姿形は見ていて楽しい、ということしか意味しないのです。
なるほど、こういう部分でも眼鏡の掛けどころの違い、いや目のつけどころの違いは現れるんだなあ、と思った次第。
別名、私が鈍感な人間なだけである、とも言いますね、自分でよく知っています。

・胡桃坂氏の気合いの入った弓削P語り記事 ああ素晴らしきかな「ハチマユ」カルテット - めぐりあいクロニクルを読んだこととは……あまり関係なく。
この前、誰得なマイリストを公開するための作業をしていまして。そこで、弓削P作品はジャンケン大会決勝と削除されたはるちはコントしか入ってなかったから、日常ものから一つ入れようと思って。いろいろ見比べていましたが、結局 春香ちゃん春香ちゃん その2(12年04月21日 ) しかないな、というか、これを入れておけば後はいいだろう、と思ったんですね。
春香がおいしい役回りを貰っている回は他にもいろいろありますが、弓削Pの癖の強いキャラクター造型の、その癖の核の部分が示されているのはこの回だろう、ということで。
この動画で、あずさが春香に、それは貴方にとって重荷ではないのか、ということを訊きます。これはそもそも、こういう人間にそういう問い方をしたらこういう答えを返さざるを得ない、という決まった流れしか誘発しないという意味で、質問の仕方が下手だとは思います。が、それにしても春香の返答が、口を挟む余地もないくらい決然としたものであったと。
ここで、迷いなくそういう返答ができる春香を凄いと感じる見方もあろうし、非常に歪んだ不自然な状態だという見方もあろうし、それは光を当て方によって変わります。ただ私が言い表わすとすれば、彼女が持っているそれは、愛とかこだわりとかトラウマとか呼ぶよりも、妄執と呼ぶべきものです(「信仰」でもいいのでしょうが、それはちょっとイメージの輪郭がぼやける言葉なのでね)。良い悪いではなく、妄執を得てしまった人間は、こういう生き方をするしかないからこういう生き方をしている、ただそれだけの話なんだ、ということですね。
で、私が面白いと思うのは、弓削Pはなんでそういうものを、春香というキャラクターに与えたんだろう、というところです。たとえば『アイマスクエスト』の春香/閣下というキャラクターは非常にわかりやすくて、いろんな作品が描いてきた春香の流れの中に位置づけていろいろ言うことができます(言えるだけにやるのが面倒くさい)し、『ぷよm@s』の春香も、どこからああいうイメージが生まれて後のどういう作品に繫がっているか、というのが見えなくもありません。ところが、弓削Pの春香というのは、どうしてこういうキャラクターとして形成されることになったのかよくわからない、作者の脳裏世界から出てきた、という以上のことを言えないところが、私にはあります。
さて、オーソドックスに成長・解決に向かう物語であれば、春香が心に抱えた歪みは、物語の進行に従って解決解消され、より広い境地に達する……という方向性が想定されます。『マネージャー秋月律子』『GENUINE』はそういう方向性の物語でしたが、この春香のストーリーは果たしてそういうものなのか。それともこの妄執は今後も当たり前に春香が携え、春香を規定するものとして存在し続けることになるのか、少々興味深いところです。それは、あずさ・律子・春香をめぐる過去の因縁に作者がどのような決着を与えるのか(そもそも決着を与えるのか)という点と、すなわち作者がこの物語世界の行く末をどう思い描いているのか、ということと直結しています。

・カズマ氏の記事に、タイトルが気に入らんといちゃもんをつけたら、記事そのものが消えてへこんだのがいつのことだったか、もう忘れました。ないわー。

・貴音と響はどちらがラスボスか、という問題が以前からありますね(え、ない?)。超能力バトルの世界では昔から、最初にわかりやすくラスボス臭を漂わせて登場するのは貴音の方だが、最終的にほんまもんの人外なのは響の方である、という法則があります。
……いえ、『Bullet×M@sters』の二人がそういう感じだった、というだけの話ですが。あと、『ブラックロォズ』の二人も立ち位置的にそうなんじゃないかなー、と予想していたり。
『アイドルたちの念能力バトル』だとどう考えても貴音の方だろう、Vinegar56%敗れたり! と思われるかもしれませんが、あれは3人チームで美希がラスボスになるので、二人のうちどちらが、というこの話には当てはまりません。論旨に一点の曇りもない。え、それなら『ブラックロォズ』も美希を含んだグループになっているから考え直すべきだって? 困ったな……。

・自分で探しまわって好みに合うものを見つけるということは、なかなか面倒な作業なのであります。従って私は、架空戦記卓m@sの新作に関しては、ab-cd氏の 見てれぅ! と、こえら氏の ニコマスあたりを勧めるブログ。 の両ブログの記事から自分に合いそうなものを見る、というのが動画を見る主要なきっかけになっています。
そういうわけで、今回もab-cd氏の記事 見てれぅ! 毒を食らえば皿まで から、ブースPの ダブルクロスオンラインセッション!!!!11172(12/6/24~) を見て、非常に面白かったわけです。
これはとにかく、ひたすらに面白おかしい動画で、プレイヤーのほとんど暴走に近い言動をアドリブで全部きちんと受けて生かすGMすげえ、とか、これはアイマス分がどうという以前に単純にリプレイとして面白いのだけれど、ではアイマスでなくて良いのかというと、その面白さの間隙の部分を埋めているのが、これを演じているのがどこかの見知らぬ他人ではなくて律子であり雪歩なんだ、というところなのであって、とか、いろいろ言えることはありますが。
しかしまあ、インパクトとしては、とにかくガットゥーゾが全部持っていく、という。
ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾはイタリアの実在のサッカー選手なわけですが、あの、普通にプレイヤーキャラクターとして出てくるんですね、ガットゥーゾが。律子がガットゥーゾで、ガットゥーゾが超能力者で、超能力者がボールを蹴りながら事件を調査するんですね。何を言っているのかわからんと思われるかもしれませんが、私は動画の内容をそのまま説明しているだけです。そういうノリの動画です。
で、このシリーズにはまた、FPSゲーム『Portal』『Portal2』に登場する「GLaDOS」さんも、ネタというかキャラクターとして出てきます。この『Portal』関連のネタは、近頃あちこちで見かける気がしますが、しおいやんPの im@s×Portal 響穴○○シリーズ(12/4/8~12/6/6完結) を視聴したおかげで、なんとかネタについていけるのがありがたいことです。
そもそもこのしおいやんPのシリーズを視聴したきっかけも、ab-cd氏の記事だったと思いますが、まあ、何事であれそれが急速に盛り上がったり浸透したりする時には、それなりの土壌が存在するのであって、「うどんm@ster」だって何もない所から突然それだけが生えてきたのではない、ということですね。

・さっきたまたま アイドルマスター さよなら慈風P(09/4/1) を見まして。
これを見ていて思ったのが、そうか、ここで集って元老院と呼ばれている人たちって、この時たかだかデビュー2年くらいなのか、と。そして盛大に引退を惜しまれて? いる慈風Pは、デビュー1年少々なのか、ということです。つまりこれは今だったら、 "10年デビューPが11年デビューPをネタにして遊んでいる風景" に相当する、ということになるのか。いや、当たり前の話なんですけどね。 
で、周知の通り『さよなら慈風P』には2010年版もありますが、2011年、2012年版はありません。まあ、はじめは大いにある、1年後にもなんとかあるが、その後は…、というのは、ひとりニコマス企画だけのことではなくて、しばしば世の中にあることですよね。

・みゃーも氏の記事 ハルカニの夜。 - Hall of Fame を読んで、いやあ全くその通りだわなあ、と膝をうって喜んでいたわけですが、つまり、逆に言えば、ハルカニという企画が4年にわたって続いている理由は、まさに、”こういうふうにやっていれば良い” ”こういう風に楽しめば良い” というルーティーン、毎年不変の強固なシステムが構築されている点にあるのでしょう。
それは、年を経るにつれ運営者の負担が軽減されている、ということを意味せず、むしろその逆だと思います。ただ、1年目、2年目、そしてアイマス2発売を挟んだ去年まではいざ知らず、少なくとも今年のハルカニという存在は、本質的に、”去年よりも凄い、去年よりも新しい何か” を造る、ということを目指していないし、必要としていない。それは、強みだと思うのです。
もっとも、そのハルカニにしたところで、中心人物の何人かが、自分はもうやれない、ということになれば、存続は一挙に困難になるでしょう。そういう意味で、ニコマスでもっとも強固なシステムを構築することに成功しているのが、週マス編集部という組織です。週マスにおいては現実に、個々の作者の進退に関わらず、全体としては一つのシステムに従って同じものが連綿と作られ続ける、という状態が成立しています。このようなシステムが確立している場合には、後継者が連綿と現れ続ける限りにおいては、つまりは同じものを作り続けるだけで当たり前にその意義を認める人が存在している間は、人員と人心の流動は問題にならないでしょう。
ともあれ、そういうシステムによる解決ではなく、俺は俺の意志でここに居続ける! と高らかに宣言するのは恰好よくもありますが、こっ恥ずかしいことでもあります。けれども人間は感情豊かな生き物なので、その恰好よくもこっ恥ずかしいことを、本気で言える瞬間があるものです。本気で、全力で、言えるのです。
ただまあ、そういうのは大概、もってせいぜい一年しか続きません。だから、私はそういう言葉はあんまり信用しませんが、だからこそ、そういう言葉は、本気で言える時に言っておくべきだ、ということでしょう。

・日本でもそら、2千年前の蓮の実が花を咲かせたことがあるじゃないか、という話。
夏休みのしくだい - 箱の外から
天才カゴシマという人の動画で、夏休みの宿題を冬休みになって提出した双子がいましてね……って、この反応自体がもう一ヶ月遅れだよ! 
まあほら、なんだ、小学校の宿題に、70年ぶりにクニマスっぽいものを再発見しました、同定してください! と持ってきてもらっても困るというか、どんどんやってくれというか、ええ、蝶になりましたね。
ところでボックスのアウトさんというフレーズは自分では気に入っているんだけれど、実に使いどころが少ないですね、これ。

・去年の6〜7月頃、私は非常に気分がふさぎ込んでいて、それが過ぎた8月頃には、バテて記事を書く気が起こらない、という状態になっていた記憶があります。ちょうど今年も、同じ時期に同じような感じで精神状態が推移したので、なるほど、ブログにも年間を通じてのバイオリズムのようなものがあるのだなあ、と2年目になって知った次第です。
佐野倉PというPははじめ、デビュー1周年の日に、無印のプロデュース期間に倣って動画を削除されたそうですね。1年という期間はやはり、単に世の中のスケジュールがその区切りになっているというだけではなくて、なにか人間が生きているリズムと深くリンクしているところがあるのだなあと感じて、今となってみるとなんか面白い消し方だなあ、と思ったりします。
ところで、8月は私のニコマスライフ上いろいろ重要なイベントがあった月で、今月でニコニコ動画に加入して4周年、かつブログを開設して2周年だとか、あとハルカニ開催の月だったりもするし、かのんPの『日刊天海春香』は8/7で投稿4周年でしたし、あとは、ななななな〜PというPは、8/9でデビュー5周年だったり、とかね。
5年前の8月、私はアイマスのアの字も知らなくて、4年前はまだニコ動に入ったか入ってないかという頃で、3年前にはまだどのPがいつデビューしたかなんて全然意識してなかった。2年前の8月9日、今日はデビュー日だと思ってそれまでほとんど打ったことのない広告というものを打ってみたら、その2日前の日刊天海春香2周年とイメージが混ざって「デビュー2周年おめでとうございます!」とコメントしてしまい、顔から火が出る思いがした。1年前は、低テンション状態でやっとこさ記事を1本上げた。そして今年は忘れていた。人間、俺が憶えていなかったら誰が覚えておくんだんだろうみたいなことでも、わりと平気で忘れていくということで、とりあえず思い出したのが今なので、何の脈絡もありませんが、ここで、

ななななな〜P、デビュー5周年おめでとうございます!

、と言っておかなければなりません。1年というのは、そういうものですね。


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No title

どうも、ボックスよりもキューブの方がいいなと思いつつ、呼び辛いHNでブログを始めた2年半前の自分を叱ってやりたい今日この頃、ボックスのアウトです。
15日の記事に書き込もうかとも思ったのですが、まぁココでも名前が出てるので。

私と木星はTGS当日、ニコ生という場で遭遇しまして、一連の流れをライブで眺めてましたね。
で、私はその後、そこで体験した諸々について、フタして鍵をかけてしまいました。
周囲の様々な反応に対しても、考える事をやめてしまった。わかりやすく逃避してたワケです。
結果として、ジュピターを含めてアイマス2については、ほぼニコマスに現れる映像のみを追う事になったので、あの日以来すごろくさんの中にあるという疑問、衝撃の余波というものは、私の中には残っていない(いつか鍵が壊れる事もあるかもしれませんが)。
そんなワケでジュピターのMADについて、割とフラットな心持で見続けてきた私が、今回の様な機会に彼等について振り返ってみたのは、それなりに有意義だったのかな。
いつの間にか、歴史の一端(と言う程でもないかな)を振り返れるだけの時間、ここに関わり続けてきたんだな、という事に気付いて怖くなったのは、ここだけの話。

アイマスのファンの間には、「もんげ」という言葉によって潜在化されてきた、自分とアイマスとの距離感というものがそれぞれにあって、それがアイマス2という起爆剤によって顕現した。
ニコマスでのノベ、ストーリーPVが展開されるにあたって、作り手と受け手の間にあるべき(あると思ってきた)共通認識が失われた事も、2ベースのストーリーMADが生まれにくくなった原因としてあるのだろうと。
「糸電話」に対する反応のバラつきなんかを思い返し、そんな事を考えています。
そして、「届かないアイマス」をテーマとした糸電話から「届くアイマス」をテーマにした「世界点」へと至る時の流れというものを。

ジュピターという要素ひとつとってみても、私とすごろくさんの間には大きな認識の違いがあって、それをアイマスそのもので見た場合、きっと想像できない程の隔たりになるのでしょう。
そうしたものがありながら、例えば「合わせ鏡」についての20選コメントがどうしてああなるのさ、というのは、非常に面白く、また恐ろしい話です。
まぁその前に、響と貴音の話をするならシネ☆MAD3rdのPROJECT IM@S JHS 2nd Grader VISIONに触れないのはフェアじゃねーな、とか言いたくなるんですけどね、ははは。

そういう面白く、恐ろしい部分というのはブログにも現れるモノで、それぞれ好きなものを好きに書いている中で、自分ではどう頑張っても書けない様な事なのに、ビックリするくらい自分の中にフィットしたり、あるいは浸透したりする。
そういうビックリが、これからもあるといいのですけれど、まぁ、あんまり気張るとね、擦り切れちゃいますから。
飛んできたボールをいちいち打ち返すより、振ったバットに偶然ボールが当たってホームラン、みたいな方が、ミラクルで楽しいものです。
そんなこんなで、長文な上になんだかわからないコメントとなりましたが、いつもの事ですね。つまり何が言いたいかというと、

ブログ2周年おめでとうございます。
うん。そういうものですね。ではまた。

Hello! Mr. Out of Cube!

K_1155さん、いらっしゃいませ!

そうでしたね、そもそもの由来からすればボックスではなくキューブにすべきでしたね。ただやはり長嶋監督的視点からは、ボックスでスリーストライク、アウトになる方が馴染み深く、自然に出てくるのではないかと。
とまあ、こんなぶしつけなネタにまで付き合っていただいてしまって、すみませんでした。
まああれです、呼び辛いHNなんて言ったら、自分でこの名前打つのめんどくせーなと思っているVinegar56%なんてどうなるんだ、ということで。愛称、通り名はあるけれど、それとは別に公式名称もちゃんとある、という、そういうの、なにか奥深くていいじゃないか、と思うので、私は「K_1155」さんという名前も好きであります。


私がジュピターについて考えていたのは、いや、あいつら自体は何も悪くないのは頭ではわかっているんだけど、そういうことじゃなくて、なーんか生理的に、あいつらが踊っている動画ってのはしっくりこないんだよね、という感覚。そういう感覚を持っている人が、2が発売される前にはまだ、周りに少なからずいましたし、私自身にも全くないわけではありませんでした。
でも、ゲームや動画で接し続けることをやめなければ、そういうものって必ず、時間とともに消化されていくわけです。今自分の周りにいるニコマス視聴者を見回して、いやーやっぱりジュピターが出てくるとダメだわ、という人は、まずいないません。そして、そういう感覚って一度消化されてしまえば、なーんで自分はあんな些細なことにこだわっていたんだろう、と、むしろ不思議に思うようなことになります。

たぶん、あの9月に起こったこと全体にそれは言えて、ここに居続けるうち、次第に消化されて腑に落ちてきたものがたくさんある。けれども、そうして心内での消化が終わった後、振り返ってその頃が歴史として総括されるようになった時、その瞬間には自分が何を感じ、何を考えていたのかということ、ひいてはその時その場では何が起こっていたのかということを、単純化したりスポイルしたりしていってしまう部分があるのではないか。そういうことを思って。
だから、私がこの前の記事で一番気にしていたことって、ジュピターそのものというよりはその時代全体のことで、私がなにか書くとしたら、一番最初は、その瞬間何を感じていたかを、いま可能な限りで再現しておくことなのかな、と思ったわけです。

だから逆に、ジュピターという存在そのものについて言うと、まさにK_1155さんが自分でおっしゃったような、フラットな心持ち、一定のスタンスをもって最初から今までを見続けている、全体を見渡せる、というのは、とても貴重な視界で。ジュピターも世に出てもうすぐ2年になるわけですが、そういう時に、そういう立ち位置から、ジュピターを一から振り返る。そういうことは、ニコマスに必要なことで、だからこそのK_1155さんの記事へのあの反響だったのだろうと思います。

しかしまあ。本当に、怖いですね。時間が自分の過ごしている日常の上に積み重なってくるということは、それだけで本当に怖いことです。


アイマスとの距離感、そして共通認識ということは、まさに、こういった話の根本をなしていることだと、私も思います。
『糸電話』については……。まあ、私も『糸電話』絡みではいろいろ書きましたが。あの動画って、世間的にはそんなに複雑な話だったっけ。ブロガー内部、春香派限定の暗闘が繰り広げられていた思い出しかないんだけど(笑)(この場合、この手の話題にはほぼ確実に絡んでいるK_1155さんは、とりあえず名誉春香派という扱いでいいですよね?(笑))。

もちょっと言えば、暗闘というのもあまり適当な表現ではなくて、単に各々が各々のために必要なことを書いたら、それが互いにバッティングして刺しあっていた、というだけの話ですけどね。いや、私とシンゴさんがダメージを受けたのは確かだけど、zeitさんがダメージを受ける部分があったかどうかは知りませんが。
しかも、それぞれが考えていたことの差異って、言葉上見える違いほどには実際はなかったと思うんだけれど。ただしその違っている部分は、クリティカルにそれぞれのアイデンティティに直結する違いなんだよねえ、という、今思い出しても厄介なアレでしたね、うん。

結局のところ、『糸電話』絡みで書いたことというのは、少なくとも私について言えば、2がどう、あの動画ひとつがどう、というより、春香さんについて書いていく上で、自分にとっていつかどこかで形にして吐き出さなければならないものだったのですが。そういうものを、zeitさんやK_1155さんやシンゴさんから並行してどんどん新しい言葉やレスポンスが出てくる状況で書かなければならないというのは、一言で言えば地獄だった(笑)、けれども、そういう時に書くことができて、本当に幸せだったと思いますね。一人で書きたいことだけ書くのは、つまらないもの。シンゴさんはお元気かしらね。
あれだね、糸電話の話を始めたら、どこに届く話をしてるんだかわからなくなっちゃったね。


『合わせ鏡』は、まあ、ねえ。K_1155さんの20選の中に入っているのを見つけたときは、そうだろうとも、と思ったさ! 
あの動画ってやっぱり、動画の中にあるものは、何も難しいことはないと思うんです。難しくなったのは、動画の外の世界と人間の方で。そこには、受け手である私たちも、作り手であるウィンウィンPも、両方含めてね。
だから、あの動画について、本当に一番言いたいこと、感じたままのことって、あの動画の中にあるものがこんなに好きだ、ということの筈なんです。でも、いま、文章として何を提示すべきかということを考えた時には、動画の内とその外の世界をどう捉えるのか、人間に対してどのようなメッセージを届けるのか、ということを避けて通ることはできなくて。それをどうしたらいいのか、まだ私にはわかりません。

それはいいとして。
愛識Pのシネ☆MAD3rdの動画ね、私、ちょうど2つか3つくらい先の記事であれについて書こうかな、と思っていたんですけれども。まさか書く前に、こんなところで名前を耳にするとは思わなかった! なんなんだ、この展開。ははは、じゃないよ、心を読まれたのかと思ったよ、まったく。
そういえばあれの敵役って響と貴音でしたねえ。そりゃそうだ。春香と千早のことばかり気を取られていて忘れていました。まあね、あれは、バトル上の実質的なラスボスは閣下で、ストーリー上のラスボスは千早で、結局響と貴音はどってことない扱いだからどっちがどうでもいいんですよ、うん、論旨に一点の曇りもないね!


本当に、面白くて、恐ろしいことだなあ、と、しみじみ思います。
うーん、違うんだよなあ、とか、わかんないなあ、ということがある一方で、そうそう、そうなんだよね、とか、あーっ、やられた! とか、この言葉は俺には書けないけれど、でも俺はこれを言って欲しかったんだ、聞きたかった、とかいうことが起こって、その全部が楽しいんです。

けれどもまあ、できる範囲でね。お互い返せるところだけ返して、気楽にやっていきましょう。
審判がいるわけじゃなし、もう10回連続くらいストライクを取られている気がするけれど、自分的にはまだ余裕でセーフ! と思っておけば、そのうちまた気まぐれに打ったボールが、どこかに届くかもしれないんですから。

そんなわけで、もはやコメント返信だかなんだかわからない内容になってしまいましたが。

本当に、有り難うございます。すごく嬉しかった。
ではまた、ニコマスでお会いしましょう。


むつかちいことは書けないけど

超こっそりカキコ。


なんというか、作る人も見てくれる人も勘ぐってしまって、
春香やアイドル達に自分の都合を挟み込むようなことをしてしまっているのなら、
それはすごく余計なことで、もったいなくて、悔しいことだと思います。

かく言う私も、そういった感情を無視できるようになってきて、ようやく2年ぶりに春香動画作ることが出来た訳ですが、
本当なら春香と私が見つめ合って、お互いニッコリ笑い合うだけで成立する動画なのに、
マイリストコメントにああいう風に書かなきゃ気が済まなかったというのは、
まったく自分の弱さ以外の何モノでもないわけで。。

答えの見つからない、呼吸困難になるような人工の難しさに乗っかるより、
難しすぎて血を吐きつつも、その苦痛に悦楽を感じざるを得ない宿(命)題:春香やアイドル達を考える時間にした方が、きっとスリリングで生産的だとつくづく思います。
少なくとも昔はそうだった気がしますが、なかなか難しいものです…(ぁ

まぁ何が言いたかったかと言うと、
お二人とも20選ありがとね、ということです。 (〆ガテキトーダケドキニシナイ

Re: むつかちいことは書けないけど

ウィンウィンP、いらっしゃいませ!
むつかしいというか、いつも頭でっかちで読みにくいことばっかり書いていて、恥ずかしい限りです。

上で書いたこととはまたちょっと違うことというか、補足めいた話をしますと。
大切なこと、こだわっていることがあるほど、許せないことややり切れないこともいっぱいできますよね。そういう嫌なものとつきあっていくのは辛いし、不毛なことをたくさん考えてしまうわけで、嫌なものから距離をおいて自分の心を平静に保っておく、ということは必要だし大事なことだと思うんです。
ただ、一方で、では周りのくだらないことなんかはどうでもいいから、自分は自分の大事なものだけを見てればいいんだ、彼女のことだけ好きで彼女のことだけ考えてればいいんだ、という風になれば、なにもかもうまくいくのかというと、私はそうは思わないんです。そうやって他人と切り離して自分ひとりだけ抱えこんでいる気持ちって、それが強くて純粋であればあるほど、ひとりだけで考えていることで歪んでいくところがあるのです。

アイドルのことを強く愛して、アイドルのことをものすごく深く考えていて、凄い動画を作ったり深い考察を書いたりしてきたプロデューサーが、だんだんに自分と自分のアイドル以外の世界を信頼しなくなっていって、最後には口を開けば「今のアイマス」「今のニコマス」に対して罵詈雑言を吐きかけるだけになる。私はニコマスのファンをやっていて、そういう人の姿を何人も見てきたので。その人のアイドルへの愛情自体はまったく変わってなくて、その人自身の中ではその言葉はその愛情からでてきたものなんだけど、でも外から見れば、それはやっぱりただの罵詈雑言なんですよね。私はそういう人の姿を見ているのが、一番悲しい。
だから、私は人がひとりだけになっていく、自分だけの世界に籠っていく姿を見るのが辛いし、怖いですね。
でも、それと同時に、自分も明日にはそうなっているかもしれないなあ、とか、むしろ今すでにそうなってるのかもしれないなあ、とか思うところもあったりして。
だからまあ、案外、違うように見えても、変わってしまったように見えても、おんなじものを見ていて、おんなじことを信じて、おんなじことを考えている人たちって、自分で気がついているよりもたくさんいるんじゃないかな、と、そう思っていいんじゃないかな、と考えることにしています。

でも、一方で、いろんなところの表面で目立つ意見って、無印も2もアニマスも全部だーい好き、昔のアイマスも今のアイマスもぜーんぶ変わらないで繫がっていて、今が一番楽しくて輝いているんだよ! ってな考え方、だという感じがするじゃないですか。そういう雰囲気だけで、人や動画やアイマスが捉えられるのって、なーんか自分とは違うよなあ、という気分もあって。無印の春香も2の春香もアニマスの春香も全部同じくらい大好きです! なんて言われると、え、それは無印の春香と2の春香とアニマスの春香の区別がつかないっていう意味じゃなくて? とか茶々をいれたくなったりしません?

動画を見ているとついついそういうことを考えてしまって、それはどこかでちゃんと人に伝わるように言葉にしなければいけないな、と思うんですが、でも、そういうことってやっぱり、動画そのもの、一番大切なことそのものではないんですよね。おっしゃる通り、私も「自分の都合を挟み込」んでしまっているんだと思います。
でも、その「自分の都合」を完全に殺すことって不可能だし不自然だと思うので、その中で何をどう言うのが一番すべきことなのか、これからも考えていかなければならないと思います。

ウィンウィンPから言葉をいただくと、いつも、これでいいやと済ませそうになっていた大切なことを、もう一度見つめ直させられる心持ちになります。本当に有り難く思っております。
私は弱くてだらしない人間なので、ウィンウィンPをがっかりさせてしまうようなつまらないこと、醜いことも書いてしまうかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いです。
コメント、本当に有り難うございました!
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