ユピテルの話


このブログも、順調に更新する方がレアな感じになってきました。

まあ、私もたまには忙しかったりすることもあるんですよ。
というのも嘘ではありませんが、空いている時間が全くなかったかと言えばそうではなく、つまりは記事を書く時間を他のことに充てていたわけですね。何をしていてどんなことを考えたかという話はおいおい……、出していく気力があったらいいですねえ。

ジュピターがホットだそうで。あの、いわゆるボックスのアウトさんのあたりでのことですね。ええ、この前ビュっと来た球をパッと見逃した私としては、ここはいわゆるひとつの流れに乗ってうーん、アイマスですねえ、と行きたかったところですが、生憎私はあんまりジュピターに関心がありませんでした、と。
そんなわけで、以下は、私が関心ある話から、ジュピターにかすってそうな部分を適当に羅列するだけのものになります。




私のジュピターとの「初対面」がいつのことかというと、9月18日の翌日、ニコ動に転載されていた、例のTGSの発表の映像で、ということになります。
では、そこで私が感じた、ジュピターという存在に対する第一印象はどうだったのか。
”彼ら” に対する第一印象、というものは、私には存在しない。
というのが答えになります。

子安武人氏の声が聞こえたと思ったら、見た事も想像した事もない、何がなんだかわからない異様な映像が、目に飛び込んできた。アイマスで男とかありえねーとかこいつ顔嫌いとかいった、意識的判断の働く次元の話ではなく、私に認識できたのは、これは3人の新キャラクターで男性の3Dモデルでこれは彼らのステージで、というような具体的な内容では全くなく、ただ、”なんだかわからない異様な何物か”という一塊のイメージが、私がその時その映像から得た全てだった。鮮烈な異物感、強烈な未知との遭遇。

その時見えた、”なんだかわからない異様な映像” と、その後ニコマス動画の中でも姿を見るようになって、今度のアイマスには男が出るらしいぜ、なんだよそれ、でもこうしてみると結構愉快な奴らじゃね? それにこんなカッコよくて新しい部分もある、ストーリー見たけどそんな憎たらしい連中じゃなかったよ、むしろ親しみもっちゃったな、とアイマスの一成分として浸透していった ”ジュピターというキャラクター” は、今でも私の中では結びついていなくて、あの時私が見たものは一体なんだったのだろう、という疑問は、今でも私の中にあります。

そしてそれは多分、あの時あの発表で2の情報を知った体験、あの時覚えた感覚って一体なんだったんだろう、という事柄とダイレクトに結びついていることでもあるのです。つまり、あの発表において最大の焦点であったのは、あずさ、律子、伊織、亜美のプロデュース不可、という情報の部分であって、それは発表上の具体的なポイントとしては、”坂上陽三氏が「プロデュースできませんけども」という言葉を発した瞬間” という音声の情報と結びついていたわけです。「男の登場」という情報自体の衝撃は、その衝撃に付随し付加されるものに過ぎませんでした。ただ、視覚情報という点においては、そうではなかった。視覚体験上において、一番新しく、一番未知で、一番衝撃的だった瞬間は、”ジュピターという存在が初めて公開された瞬間” でした。
また、その後のアイマスを取り巻いた外部的な狂騒がどう方向づけられたか、という点においても、「今度のアイマスには男が出るってよwwww」というメッセージのわかりやすさとともに、「プロデュース不可」や「オンライン対戦不可」にそれと直接結びつく視覚情報はないが、「男が出る」には明確な映像素材がある、という部分の影響は少なくなかったはずです。

”ジュピターが初めて世に出た瞬間”の映像というものは、そういうわけで、9月18日TGSでの発表、という体験、空間、記憶の、ある面での突端そのものであって、アレはなんだったろうね、あの衝撃は一体なんだったんだろうね、と、私は未だによくわからないわけです。


で。
ジュピターが憎くて憎くて仕方がない、目の端に映るだけでも嫌だ、という人も、(数量はともかく)現実にどこかにはいるのだろうけれど、たとえばそういう感情が、ニコマスでの動画表現という形で、具象化されることがあるでしょうか? まあ、まずないわけです。
創作という作業には相当な精神的エネルギーが必要であって、しかも精神的なエネルギーには、形になりやすいものとなりにくいものがあります。ジュピター憎しというエネルギーで、たとえば方々のジュピター動画にアンチコメをつけるとか、あるいは「動画を作っているPの皆様にお願い。ジュピターを私の目に触れさせないでください」という ”お願い動画” の類いを作ることならできるかもしれません。けれども、ジュピターを貶めるためだけに一篇の長編ストーリーを書き上げる、とか、嫌悪の感情をPVに凝縮して表現する、ということができる人間がいるのかどうか……、いたらむしろ凄いと思います。

上は話が極端なようですが、そこまで極端に振れずとも、なーんかこの話は納得できないなあ、この事柄は自分にはしっくりこないなあ、という程度の小さな違和感、不満、もやもやならば、多くの人の心中で、折りにふれ生じるものでしょう。2の発売前後に起こった諸々は、そういうもやもやしたエネルギーが多量に、多様に生まれた時間であったわけです。
そういう中で、ニコマスという場で起こる事象を考える時、もやもやしたエネルギーの中にも、動画という形に結実して発散されやすい、そして捕捉しやすいものと、発散されにくい、あるいは捕捉しにくいものがあるのではないか。では、発散されやすい部分は動画を追いかけることで捕捉できるとして、発散されにくい部分はどこでどうなっているのか。

というような益体もないことを、私はずっと考えている気がします。単純に結論づければ、嫌いや関心の低下が限度まで振れた人は去って盤上からいなくなりました、おしまい。 ということになるのかもしれないけれども、さてさて、それで済ませていいのかどうか。自分自身がいつかどこかの端に振れる可能性が、過去にも未来にもある人間としてはね。


ジュピターの話でしたっけ。
ニコマス動画という形で結実しやすいもの、というところから繋げると、ジュピター動画というものは、それが生まれた瞬間から、常に、一定の均質な方向性を持たざるを得なかった、と言えるでしょう。すなわち、あらゆる次元において、ジュピターは世界から疎外され、憎まれることを宿命づけられた鬼子である。そんな世界の中であえてジュピターを用いるということは、世界に対していかに抗い、彼らの居場所を確保するか、という意味付けを(たとえ作者が意識していなくとも)帯びざるを得なかった。
このジュピターという存在が帯びる方向性は、『アイドルマスター2』が実際に発売されてプレイ可能になる、というトピックによっては変化することがありませんでした。『2』の物語が実在することで何が変わるかと言えば、それは、抗うべき対象世界が、”ジュピターを公然と用いることがはばかられる世の中” や”ジュピターを憎むべき敵と広言する公式” になるか、”シナリオ上必ず彼らが敗退することが宿命づけられたシステム” になるか、という世界設定が変わるだけで、立ち向かうべき対象として世界があり、立ち向かうべき者としてジュピターが存在する、という構造自体は不変です。

それは、「竜宮小町」という存在とニコマスとの関係と相似でもありました。”「竜宮小町」の物語を描く” ということは、常に、”直接プロデュースすることが許されない宿命”や”敗北を宿命づけられた世界” に対していかに立ち向かい克服するか、という意味付けを帯びざるを得ません。

そんなわけで、10年9月以来、私がずいぶん長い間、あずさ律子伊織亜美の話はもっといろんな方向性が出てきてもいいんじゃないか、いや私が見てないだけかもしれん誰か教えて、というようなことを言っていたのを、知っている人は知っているかもしれません。そこからいかに彼らがビュッときた世界をバーンと打ってそうではない自由な地平に達したか、という話はボックスのアウトさんのところに書いてあると思うので、私は別にしない……、あ、それはジュピターの方でしたね。


この記事ね、動画がいくつか出てくるはずだったんですけどね。ひとつも出てきませんでしたね。
要約すれば一段落せいぜい3行で済む内容しかない枕話で、ひと記事分の時間を費やしたのかと思うとね。
そんなこんなで、今後どういう頻度でブログをやっていくのか自分でもよくわかりませんが、この通りわりと平常運転で生きております。

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