主に、春香さんの胸や尻について


タイトルにある通り、この記事で扱っているのは、春香さんの胸や尻について、という、とても狭い、ピンポイントな一部分についてだけです。自慢でもなんでもなく、私には、なぜ自分にはこの記事全体を費やして、このたった一つの話題しか取り扱えていないのか、よくわかりません。



記事を書こうとして、どこから話を始めたらいんだろう、と思って、ダメだ、どこから始めたらいいかわからない、と感じ、その時点で書くのを諦める。というような非常にバカバカしいことが、しばしば私には起こります。
この記事も、さてこの話どこから始めよう、と思ってぐだぐだ迷走しているうち、唐突に思い出したのですが。
『Augenblicke』のzeit氏が、

「春香動画の傑作によく見られる、時間がぎゅっと凝縮されたような感覚」

ということを、ある動画について書いたことがありました。今調べたら、10年12月の記事で、浅葱Pの『二人のアカボシ』についてですね。で、私は例によって、この野郎またうまいこと言いやがって、と思いながらその文章を読んでいたわけですが。

たとえば、2012年の今、春香動画というものを鑑賞して、どのような感覚を覚えるものがあるか、と考える時。もちろんその中には、かつて傑作と言われ、典型と思われたものと、似通った質を持つものも存在するでしょう。
しかし、2年前3年前4年前5年前とまったく不変に同質の動画が作られているかと言えば、全くそうではないこともまた、明らかです。

そこでたとえば、1の春香も2の春香もアニマスの春香も等価に一つの動画に詰め込んで、とにかく春香が好きなんだ! という表現。(あるいは場合によって人によって、そこにはゼノグラも入るかもしれないしモバゲーも入るかもしれないしアーケードやSPやDSが入るかもしれないし、その範囲自体はここでは問題にしていないのだけれど。)
もちろん、それと似た表現がかつては皆無だったということではありません。その表現が、動画のそれ以外の特質と互いに排他的なものというわけでもありません。いろんな春香を詰め込んであって、かつたとえば上で引用したような、時間を凝縮した感覚を覚えさせるような性質を併せ持つ表現、も存在するでしょうし、そもそもその二つの事柄の間を区別しない人もいるでしょう。
ただ、たとえばそういう、1も2もアニマスもあの春香もこの春香も、という表現が一定の存在感を持って存在している。それは、現今の春香をめぐる表現のいち特徴として、指摘できることだと思います。


ななななな〜PというPの、『アイドルマスター 天海春香    が好きだ』という動画があって、そこに「愛が溢れてる動画」というタグがつけられていました。
タグがあるということは、この動画からそういう感覚を覚えた人がいた、ということでしょう。ではその、この動画から「愛が溢れてる」ってどういうことなんだろう、何が人をしてこの動画をそう言わしめていたのだろう、と私は考えていて。


一般論として。
この動画は、理屈も外聞もかなぐり捨てて、とにかく俺はひたすらこのキャラクターが好きなのであって、だからその好きな子の好きな姿を目一杯詰め込むんだ、という動画で、だからこの動画からは愛がだだ漏れだよね、溢れるように伝わってくるよね、という表現。
まあ、その ”好きな子の好きな姿を目一杯詰め込む” という意志がどういう形で具現化されるかは、人によって千差万別だろうけれども、そういう表現は確かに成立するだろうし、現に存在して、愛が溢れている動画だと評価されているのだと思う。
ただ。そう見える、ということと、そうである、ということは、やっぱり必ずしも同じではないわけで。


件のななななな〜Pの動画に使われた『君の顔が好きだ』という曲では、Fullの場合、曲中に

「君の顔が好きだ 君の髪が好きだ」

という歌詞が、全部で4回出てくる。録音されてMADに使用されている音源の歌唱は、当然その通りに毎度同じ文句を繰り返している。だが、MAD上で表示されている歌詞字幕では、1、3度目は元通り「顔」「髪」であるものの、2度目は「腋」「脚」に、4度目は「おっぱい」「お尻」に言葉が置き換えられて、各々、天海春香の該当する身体部位がアップで映される。

もし、この動画で作者の表現したいことが、とにかく天海春香が好きなんだ、ということであるならば、その「好き」の中には天海春香の何もかも、当然「腋」も「脚」も「おっぱい」も「お尻」も含まれている。だから、それはどんな順番どんなタイミングで言ってもいいじゃないか、別に最初から「おっぱい」や「お尻」が好きと叫んでもいいじゃないか、と考えることはできると思う。
しかし、この動画はそうなっていない。
何故そうなっていないか、いま大づかみに私がその理由を想像するならば、そこには二つの側面がある。

一つには、開口一番、アイドルを前にして「おっぱいが好き」「お尻が好き」と叫んだならば、それは胸や尻が好きな変態さんの動画、と受け取られるだろう。そういうものを愛でる行為を楽しんできた文脈上にある ”ネタ動画” という第一印象を視聴者にして与えるであろう、ということ。その後に、いやそれだけでなく彼女のこんなところやあんなところも、というメッセージを入れたところで、それが見る者から充分な注意を払って受け取られる保証はない。
もっと言うならば、結局は彼女の何もかもが好きなのだとして、しかしその中で何を真っ先に言わなければならないのか、無数の可能性の中からこの曲を、このアイドルを選んだ意味はどこにあるのか。そういう核心はないのか、ということ。
この曲には、「形」を信じる、とか、「瞬間」を信じる、ということがキーワードとして出てくるわけだけれど、では自分が天海春香について信じる、その「形」とは、その「瞬間」とは、何なのか。まずそういう提示があった上で、その上に「腋」や「脚」を載せ、さらには「おっぱい」や「お尻」を載せる。そうすれば、ああ、この人はそういう下世話な、どうしようもない男の性的な部分までひっくるめて天海春香の何もかもが好きなんだね、という感情を、視聴者に呼び起こせるかもしれない。そういう、MAD作者としての冷静で緻密な計算、構築思想で形作られた流れの先に、「おっぱい」や「お尻」が出てくるのだ、ということ。

もう一つ、一方でこの動画は、画面のこちら側の語り手と、MADの中の彼女との掛け合いの側面を持っている、ということ。(より正確に言うならば、明示的に掛け合いをしているわけではない、むしろ明確な一線が間に存在しているにもかかわらず、同時にあたかも掛け合っているような感覚を呼び起こされる、というような。この感覚をどう言い表したらいいのかずっと私は考えていて、未だにふさわしい言葉が見つかっていないのだが。)
一例として、動画の冒頭「君の顔が好きだ」というタイトルが表示される箇所、最初表示されるのは「君  が好きだ」という文字と照れている春香の立ち絵で、遅れて「の顔」という文字が表示されて春香が背を向ける。単純な二コマの漫画から、”「君が好きだ」と言われて喜んでいたのに「好きなのは顔だよ」と言い足されて拗ねている春香”、というイメージが喚起されるわけだ。
このシーンに象徴的なように、『天海春香  が好きだ』という動画には、普通に想定すれば、MAD内に映像として存在するアイドルとは別の位相に存在しているべき歌や文字というものが、まるでアイドルとの間でリアクションし合っているような、こちらにいる語り手と彼女とのコミュニケーションであるような距離感を時々見せる。
たぶん、この動画の作り手は、実際に自分が天海春香に対してこう語りかけたとしたら、彼女はどう反応するのだろう、ということを、ありありと思い描き、想像し続けずにはいられない人であって。
そういう距離感が、作り手と天海春香との間に存在するとして、そこでこの作り手は、顔が好きだと言っただけで拗ねそうな彼女に、いきなり「おっぱい」や「お尻」が好きだ、と宣告できるのか、ということ。
言えるわけがないのである。
16歳の女の子に向かって、出会いざまに。ましてや、πタッチとか称される行為を受けた時、彼女がいかにマジギレし落胆する女性であるかを知っている人間であるならば。ましてや、それ以上の克明で豊かな想像を思い描いてしまう人間であれば。
だからこその繰り返しであり、だからこその歌詞改変である。顔が好きだと言い、髪が好きだと言い、声が好きだと言い、また顔が好きだと言い、肩や指も好きだと言い、それでもいい足りないもの、それでは言い尽くせないなにか、そんなものでは抑え切れないどうしようもない感情が、腋が、脚が、と言わせ、おっぱいだ、お尻だ、と爆発するのである。
本当のところ、私にはその言葉にこもった感情の動きは、想像できない。それが伝えることを想定した言葉なのか、伝わらないことを想定した言葉なのか、それはまったき自然の感情としてはじめから肯定された言葉なのか、それとも”俺の感情はそのような世間一般の男のごとき下世話なものではない”というような見栄や葛藤が過程にあった言葉なのか、私にはわからない。
ただ、それがぎりぎりまで貯め込まれてふくれあがった感情の発露であることは確かであり、そしてこの動画のこの歌詞が読者に感情のさざなみを呼び起こす力を持っているとしたら、それはそのぎりぎりのものの発露に由来しているのだと思う。

人が人に、好きということを伝えるとき、しかしどうしても言えないこと、言ってはいけないこと、言っても言い尽くせないこと、言っても伝わらないことはたくさんあって。

おそろしく冷静に覚醒した思索と、どうしようもないほどに切っても切れない距離感で彼女を見つめている感情との狭間に立って、ななななな〜Pほどにそれを痛切に知悉していた人はなく。
それでもなお、どうしても言いたいこと、言わなければならないものをぎりぎりまで絞り込み、削り磨いて形成されたのが『天海春香  が好きだ』という動画であり、だからこそ、作者はこの動画において

「とりあえず言うことは言った」

と書いている。この動画において、なにかどうしようもなく溢れてくるものが感じられるとすれば、それは、まさにそのぎりぎりまで絞り込まれるその行為、その過程、その結晶の中から湧き出してくるものである。
それは確かに、誰にでも —むろん本当に誰にでも、ということは有り得ないのだが、少なくとも既にアイマスという世界への回路を開かれている人にとっては、ほとんど誰にでもと言っていいくらい普遍的に思われる— 伝わるなにかを持っていて、そしてそれは「愛が溢れてる」と名付けるにふさわしいものであろう、と、私も信じている。














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No title

うむ。ありていに言うならば、揉みしだきたいよね!(違


というしょうもないことを書き込んでやろうと思ってたんですけど、
気が付いたらコメント欄開放されてなくて寂しくなんか無かったんだからね!

※※不届きな春香Pを高木社長に通報!※※

コメントありがとうございます!

コメント欄はですね、もののはずみで一度閉じてしまいまして、その後開放したつもりが設定を間違えてそのままになっていたりしたという。今も、自分でやった設定がよくわかっておらず、いただいたコメントに気づくのが遅くなってしまいまして、大変申し訳ありませんでした。
まあこんなどうしようもない人間がやっているブログではありますが、生温かく見守っていただければ幸いです。
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