ノベマスの時間と音、という話が出たので


自分にできる話が残っているうちに公開しておこう、と思いまして。
この文章はですね、数ヶ月前に書きかけていた記事の一部、の予定だったんですけれども。
今となっては、どんな記事を書くつもりだったのかは、言わぬが花ですね。



『アイドルたちのジャンケン大会 決勝戦』

以前の記事で、ノベマスはテキスト、映像、音の三要素からなる、と述べた。(注:実際には、本記事の公開時点で、そのような記事は投稿していない。)
では、その中で、ノベマスという表現が持つ魅力の根幹は何か。

私は、それを、音、音楽だと思っている。
ノベマスという表現の7割方は、音楽で決まる。
より厳密に言うならば、ノベマスという表現の7割方は、「音と、音以外の要素の間に、どのような相互作用を構築するか」で決まる。

確かに、テキストを記述する技能や映像を取り扱う技能が、不要のはずはない。しかしそれらは、「音との間の相互作用の構築」ということを考るならば必然的に、一定以上の水準の、一定の形に成型された技術を要求されるものである。
無論、最終的に構築されるものが相互作用である以上、どこまでが音の力、どこまでがテキストの力、どこまでが映像の力、と明確に区分することは不可能だ。しかしながら、音(そこには音楽からSE、声、無音までを含む)の力を活用するためにテキストと映像が存在するという意識 —テキストあるいは映像の添え物としてBGMが存在する、ではなく— 少なくとも、そのような意識が全くないならば、ノベマスという表現を理解することは困難である。

ゆえに、優れたノベマス作者と見なされる人々は、一切の例外なく、音に対する感覚が鋭敏である。(音楽知識が豊富、もしくは音いじりの技能に長けている、という意味ではない。)言い方を変えるならば、音と音以外の要素との関係ついて、なんらかのオリジナルな感性あるいは技術を持っていることが、ノベマス作者の必須条件である。

既にこのことは、介党鱈Pの【NovelsM@ster】タラPのノベマス講座【アイマス教養講座】(11年12月03日)において、明確に指摘されている。

「BGMに特にこだわりのない人は、動画作るよりも同人、SS界隈に行くほうが向いているかも?」
「どんなひどいアドバイスだよwww」
「や、それくらい動画において音楽は重要、という話ね」 
(介党鱈P『【NovelsM@ster】タラPのノベマス講座【アイマス教養講座】』10:35~10:43より)

上記動画が投稿された当時、この内容を作家の言葉で書かれてしまうなら、もう見る専にできる仕事はないな、と思ったものである。そして実際、介党鱈Pのこの部分の表現は大きなインパクトを視聴者にもたらしたと思う。
ただ、私の感じたところ、それ以上に、視聴者のこの動画における印象、興味、議論は、この後の「できあがったノベマスをどうするか」以下の内容に圧倒的に集中していた。つまるところ、多くの人が「制作講座」に対して本当に求めているのは動画の作り方を学ぶことではなく、カウンセリングであり自己啓発なのだと私は思っている。
非難しているのではない。こんな気楽なブログにどうでもいい言葉を連ねているだけでも折れたり曲がったり砕けたりするのである。ましてや動画を作り晒す人の精神がいかなる辛苦に晒されるか、私には想像することもできない。ただ、それを前提に観察すると、動画製作者による制作指南・解説という行為の受容のされ方が大変理解しやすくなると思っているだけである。

閑話休題。弓削Pの話である。
弓削PというノベマスPの、動画表現上での大きなターニングポイントが、アイドルたちのジャンケン大会 決勝戦(09年05月15日)

における「テーブルゲームでスピード感を出したいという思い」(作者マイリストコメントより)で構築されたゲームパートの表現、そして美希と律子のホリデイ(09年12月25日)以降の一連のコントにおける表現であることは、論を俟たないであろう。

弓削P ジャンケン大会決勝 1:24

弓削P みきりつホリデイ 1:03

これらの表現は、その出現時、間違いなく、ノベマス視聴者にとって絶大なインパクトを有するものだった。
では、その衝撃は何に由来していたのか。弓削Pがこれらの表現によってノベマスにもたらしたものは何だったのか。
私は、まさにそれこそが、「ノベマスは音と音以外との相互作用である」ことの証明、だったのだと考える。

弓削P以前にはそれが存在しなかった、という意味ではない。弓削P以前においても、ノベマスは音との音以外との相互作用である。弓削Pと同根の発想に基づく表現の試みも存在した。重要なのは、その事実を、誰にでも認知できる形で、誰もがその成り立ちを分解して把握できる形で提示した、ということである。
弓削Pがこれらの動画で用いた表現手法は、その後多くのPによって模倣され、様々な局面で使われている。それは画面上のデザインだけの問題ではない。
音との相互作用を構築するためのひとつの有力なメソッドが認知され、意識され、普及し、応用されているということ。これは弓削Pが初めて起こした現象である。ゆえに、私は弓削Pがこれらの動画を構築する手法全体を「弓削メソッド」と呼称している。弓削Pの手法については、既に胡桃坂氏が「弓削インターフェース」という秀逸なネーミングを用いているが、インターフェースそのものは相互作用構築の中の一部分であり手段だと考えるからである。

さらに言うならば、弓削Pがこれらの動画でもたらしたものは、単に制作者側が理解し応用できるメソッドを提示した、ということにとどまらない。これらの動画は、ノベマス視聴者の、ノベマスに対する見方そのものを変革したのである。「すちーむ&びーすと」名義で投稿されたコント動画をリアルタイムで視聴された方は、これらの動画の投稿時、「文字送りが早すぎて読めない」という意の苦情コメントが、動画上に寄せられていたのをご記憶ではないだろうか。今日、弓削Pが同様の表現を行ってもそのようなコメントはつかないし、よりハイテンポな文字表示を行う動画も多々存在するが、(まったく苦情が寄せられないかどうかはともかく)それは一つの当たり前な手法として認知されている。
弓削Pは、ノベマスを鑑賞するということは、必ずしも小説文としてテキストを逐語的に追っていくという要素だけではないのだということを、すなわち音・映像・テキスト3者の相互作用を意識してノベマスを鑑賞するという意識を、一種強制的・顕示的なやり方で視聴者に根付けていったのである。
決勝戦の ”繰り返される6分間” に至るまでの『アイドルたちのジャンケン大会』の長大なストーリーは、その鑑賞の仕方を視聴者が体得するのに必要な条件を整えるための、いわば壮大な前振りであり下ごしらえであった。

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