当ブログの動力の7割は「嫌がらせ」、残りの7割は「さびしさ」です


この記事には、他者に対する攻撃的な論調の言葉を含みます。そういったものに不快感を感じられる方は、今の時点で回れ右をするか、見なかったことにして御容赦いただければと思います。



アイドルマスターというコンテンツは、言うまでもなく、公式に提供されているものだけをとっても、様々な時期、様々な作り手によって、様々な媒体を通して、様々な表現形態を用いて表現されてきた。従って、このコンテンツに関心を寄せる多くの人にとって、それら別々の場所で多様に表現されているものの相互の関係性をどう捉えるかは、大きな意味を持つテーマであり続けてきた。

たとえば、私は当ブログで「無印アイマスの春香」という存在を考えるに際して、無印のゲームソフトをプレイすることで閲覧可能なすべてのシーンは、単一の物語世界に属するものであり、各所で描写されている「春香」というキャラクターはすべて同一の人格である、ということを前提としておいている。
しかし、人によってはこの仮定ですら、「このシーンはどのシナリオライターによって書かれたものであるか」「アーケード版の時点から存在するシーンであるか、アーケードにない無印で付加されたシーンであるか」といった視点から分割することが可能な(もしくは分割すべきと感じられる)ものであって、無条件に誰に対しても通用する前提ではない。
ただ、一本のゲームソフトの中で展開されているものを、単一の世界だと捉える考え方自体は多くの人に理解できるものであろうし、私はそれを自然に感じ、より区分して考える必要性を感じないため、私自身はこの前提を一貫して採用している。当記事においてもそうである。


上記の前提を踏まえた上で、ここでたとえば、「無印アイドルマスターの春香」と「紹介4コマ漫画の春香」の関係性を考えてみる。

”春香は(転倒の原因になりそうな障害物が)何もないところではしょっちゅう転ぶが、転んでも怪我しない。逆に何かある場所では絶対に転ばない” という広く人口に膾炙したトピックがあって、今でもニコマス動画上では、これに対する考え方をめぐってしばしばコメント同士の衝突がある。

私の知る限り、このトピックの最初の出典は公式サイトの「MASTERPIECE」の紹介における春香の紹介4コマ漫画だったようである。内容をメモしておくと、

一コマ目: 歌いながら転んだらしく、「もう伏がちなっ♫ あいたっっ」という台詞とともに床に背中を打っている、ジャージ姿の春香
二コマ目:「また何もない所で転んじゃった」と舌を出して照れ笑いする春香と、「大丈夫? 春香ちゃん」という雪歩、「でもそのクセどうにかしないとまずいよね…」と言う律子
三コマ目:バナナの皮、草を結んだワナ、ダイルがめくれて段差ができた床が写っている。春香の周囲に、転倒の原因になりそうな障害物を仕掛けた表現と思われる
四コマ目:三コマ目の障害物に囲まれながら、軽快に歌い踊っていると思われる春香と、それを見て「やっぱり『何かある所』ではころばないね」という律子、「すごいよっ 春香ちゃん」という雪歩

この四コマの世界内において、「何もない所では転ぶが、『何かある所』では転ばない」ということが、確かに春香の特性として描写されていることが確認できる。
これを、無印版アイマスの世界内における、春香の転倒をめぐる描写と比較してみよう。(無印春香コミュ中で、転倒が関わるものはきわめて広範囲に及ぶが、ここではこの記事の論旨を示すに充分な、典型的な例のみを挙げる。)

まず、ランクF「運動」コミュ。

ぷげらっちょP アイドルマスター はるかっか 03 (07/5/19)


春香がダッシュして転んだ後のくだりに、こうある。


春香「あいたたたぁ……」
プロデューサー「だ、大丈夫か、春香!? 今、
すごい勢いで転んだみたいだけど」
春香「あはは、ちょっとつまずいちゃいました。
私、そそっかしいから」
プロデューサー「そうか。何かに足を引っ掛けたのか?
あれ、そうじゃないみたいだな……」


ここで、最後のPの台詞において、(必ずしも確定的な事実描写とは言い切れない表現ではあるが)、春香が、何も転倒のなりそうな原因がなくても転ぶ場合があることが、表現されている。
ついで、コミュ末尾(選択肢「慌て者め」を選んだ場合)の


春香「あ、いえ。平気です、大丈夫ですっ」
「私、よく転んじゃうみたいなんです。
でも、慣れてますから!」
「クセみたいなものだから、あんまり気に
しないでくださいね?」
プロデューサー「うーん、『転ぶのに慣れている』ってのも
ちょっと問題だけど……怪我ないなら、いいか」


によって、春香の転倒が、頻繁に起こる「クセ」である(と、少なくとも本人は認識している)ことが確認できる。
ここから、「何もない所でも転ぶ」こと、「よく転ぶ」ことは、紹介四コマと無印アイマスの春香に共通する特性と考えても矛盾ない、と言うことができよう。

それでは、『何かある所』の場合にはどうだろうか?

ランクE「ライブ(ライブハウス)」の例を見てみる。

ぷげらっちょP アイドルマスター はるかっか 23 (07/6/14)


以下は2度目の選択肢分岐で「スタッフを待ったほうが 」のを選んだ場合の会話である。


P「ダメだよ。ひとまず、停電が直るのを待とう」
春香「で、でも……。このまま、お客さんを、放っておくわけには、いかないですよっ」
P「そうだけど……。勝手なことをしないで、スタッフの対応を待ったほうがいい」
春香「私、今すぐ、スタッフさんのところに行って、様子を聞いてきます!」
P「あっ! 春香、いきなり走ったら危ないぞ!」

すぱーん!

P(……春香が、思い切り転んでしまった)

春香「あいたたっ。足、引っ掛けちゃった……。ううっ。少し、ひねったかもしれません」
P「だ、だから、言ったのに……。立てるか?開演は延期だ、医者に行こう」
春香「ううっ、ごめんなさいーっ」

P(春香の応急処置に、少し時間がかかり、待っていたお客さんは不機嫌になってしまった)
 (そのせいで、停電復旧後に、ようやく始まったライブは、盛り上がりに欠けた……)


ここで、エピソードの起こる場所は、小さなライブハウスの開演前の舞台袖である。転倒の原因になる障害物が多くあると考えるのが自然だし、「足、引っ掛けちゃった」という台詞は、実際になんらかの障害物が転倒の原因になったことを示唆している。そして、この転倒によって、春香は治療を必要とし、仕事に影響の出るような身体的ダメージを受けていることが、見て取れる。

この例では、エピソードの前提として、停電という特殊な状況がある。またこれは比較的低ランクでのエピソードであり、従ってアイドルとして駆け出しの春香が表現されていると考えられるだろう。従って、このコミュで観察できたことを、そのまま無印の春香全体に適用して考えるのは飛躍があるかもしれない。

そこで今度は、より高ランクのコミュの例を見る。ランクC「TVリハーサル」である。

アイドルマスター はるかっか 65 (07/6/19)


一度目の選択肢分岐の終了後のくだり。


 「おーい春香、あと10分くらいで再開だって」

どんがらがっしゃーん!

春香「ぷ、プロデューサーさーんっ、た、たすけてくださーいーっ……」
P「ど、どうした!? すごい音が袖のほうからしたぞ……そこで待ってろ春香、今行く」
春香「すいません、転んじゃいましたぁ。そこのセットに、思いっきり足引っ掛けちゃって」
P「大丈夫か? ちょっと足、見せてみ」
春香「あいたっ……ううっ、少しひねったかも」
P「マズいな、もうすぐリハ再開だってのに……とにかく医務室に行こう、春香」
春香「えっ? だ、ダメですよ!!」
P「足ひねったんだろう? まっすぐ立てないみたいだし……それじゃ歌のリハは無理だよ」
春香「へ、平気です、このくらい!我慢できますっ!」
春香「もう時間もないし……私がみんなの予定を遅らせちゃうわけにはいかないです!」


このエピソードの場合には、停電やあわてて走るといった特殊な状況は描かれていない。けれどもこの場合にも春香は、「セットに、思いっきり足引っ掛けちゃって」と、具体的な障害物で原因で転倒し、やはり仕事に影響する身体的ダメージを受けている。(この後の選択肢で、負傷に対する対応の違いによって、後の仕事の成功度が変化する様子が描写される)

上記2例から、異なるランク、異なるシチュエーションにおける複数の事例において、「『何かある所』でも春香は転ぶ可能性があり、転倒によって仕事に支障の出る身体的ダメージを受ける可能性がある」ことが示されており、これを無印全体に広く通じる春香の特性である、と、主張することが可能になるだろう。
(前述のように転倒を扱うコミュは多岐に渡り、その中には「何もない所で転倒するケース」や「転倒しても大きなダメージのないケース」もあるが、本記事の大意に影響しないので、ここでは例示を省略する。)

なお、だからと言って、アイドル活動の進展や心理状況に関わらず、常に春香の転倒をめぐる特性が不変であるというわけではない。同じランクCの「ミーティング」から、それがわかる。

ぷげらっちょP アイドルマスター はるかっか 66 (07/6/18)


一度目の選択肢分岐、「いいとも、走ろう」を選んだ場合の会話。


春香「えへへへ……実は私、特訓しました!ダッシュしても全然転ばなくなったんですよ!」
P「おお! それはすごいかも。よし、是非特訓成果を披露してくれ」
春香「はいっ! いきますよ!見ててくださいっ!」
春香「ほら! ほらほら! このとおり!全然ちっとも転ばないっ」
P「ふむふむなるほど……って、危ない!?」
春香「ああああ~っ……」

ばったーん!

春香「あうううううっ、えぁっ、いたたたたたぁ」
P「以前よりはきちんと走れるようになったかもしれないけど……転ぶときは転ぶんだね」
春香「は、はい、すみませんっ。結構頑張ったつもりなのになぁ」


ここでは、(結果的に転んでしまうものの)、春香は自主的な「特訓」によって、「ダッシュしても転ばなくなった」という改善の手応えを感じている、ということが描写されている。
この後、選択肢「あえて軽く笑う」においては、「走るのにもだいぶ慣れたみたいだね」「うん、今は走る姿に自信がついてきた感じだ。頑張ったな!」と、Pの目からも「特訓」により変化が生まれていると見えることが語られる。一方、選択肢「適当になぐさめる」では、

春香「転ぶのがクセになってるのかな。なおしたいなぁ、転び癖」
春香「転ぶのにも、もう随分慣れてるんですけどね」
P「だったらそのままでもいいんじゃないか?」
春香「よ、よくないですよぉ!かっこわるいじゃないですかぁ!」
(中略)
春香「特訓で大丈夫になったつもりだったのに……やっぱり私、自信なくしちゃうよぉ」

と、春香が、自身の「転び癖」について、「よくない」「かっこわるい」「自信なくしちゃうよぉ」と、治したいと感じ、悩んでいる姿が描かれる。
ここから、

・春香の転倒についての特性は、固定不変のものではなく、本人の努力や意識の持ち方、精神状態によって変化する(省略しているが、精神的な要因から、転ぶかどうかやダメージを受けるかどうかの状況に変化が生まれるケースは、いくつかの局面で観察できる)
・春香は、自己の転倒について悩み、コンプレックスを抱えており、それを克服するための努力を行っている

の2点が読み取れよう。
また、コミュ冒頭の社長からの指令についての台詞から、ランクE「運動」とこのランクC「ミーティング」は、内容的に連続性があることが推測できるが、たとえばこの「ミーティング」コミュの内容を知ることで、最初の「運動」コミュにおける「私、よく転んじゃうみたいなんです。でも、慣れてますから!」という明るく軽い発言だけから、”春香はよく転ぶが、そのことを本人は気にしていない” といった単純な結論を導くわけにはいかないこともわかる。

長くなったが、ここまで述べてきた、無印コミュの世界における春香の転倒をめぐる特性と、「やっぱり『何かある所』ではころばないね」という台詞が断言的・結論的におかれる、紹介4コマの世界におけるそれを見比べると、無条件には、両世界の春香が同じ特性を備えた存在だと捉えることはできないのが、明らかであろう。
(念のために述べるが、私の主張の本旨は、「無条件には」「捉えることはできない」の部分にある。 ”両者は同一ではありえない” あるいは "どちらかの春香描写に誤りがある" と主張しているのではない。論理の組み方によっては、ふたつの春香描写を同じ世界の同一人物と解釈して論証することも可能である。ただ、本記事中でそれをすることに私は意義を感じないので、ここでそのような論証例は作らない。)
既に私は過去記事落ちる前に進めにおいて

「ギャグ漫画の戯画化されたキャラクターなら、チャームポイントで済みます。が、春香は都合良く何も無い安全な場所だけで転べるよう調節されているわけでも、転んでも傷一つつかない体に設計されているわけでもありません。」

となかば冗談めかして比喩的に述べているが、そこで述べた大意を、実際的な例証に基づいて示すと、以上のようになるわけである。


ここまでの議論を踏まえて、別の、より曖昧な例を考えてみたい。
アーケード版アイドルマスターのキャラクター紹介の、春香の紹介4コマ漫画である。ふたたび内容をメモしておこう。

一コマ目:人のいない電車内で座っている春香。地の文による「地方の春香は仕事の時だけ上京します」の説明、「←寂しいの苦手」というキャプション。「始発は人がいなくてさみしいな…」という心中描写。
二コマ目:春香の顔アップで、「そうだ!!こんな時こそ歌だよね!!」「わたし、歌おう!!」の台詞。
三コマ目:立ち上がって胸に手を当て歌い出す春香
四コマ目:春香が歌っている車両とその両隣の車両が写る遠景。中央の車両に乗っているのは春香だけで、春香は(おそらく車両外まで聞こえる大きさで)歌いながら「それにしてもだれも乗ってこないなァ…」と思っている。両隣の車両は満員で、「隣の車両に不気味に歌う娘がっ」などとざわめきとまどっている様子。

この内容と無印の内容の対応関係を考えるのは、前の例より複雑な作業になる。ゲーム内に、通勤中の春香を描写したシーンは存在しないからだ。ただ、このような局面において有り得そうな行動を、無印中のシーンから類推することは可能だろう。無印の春香のキャラクターを観察した時、電車内で突然歌い出し、左右の車両が満員の状況でも気付かずに車両を占有して歌い続ける、という行動を彼女が取ることに蓋然性があるかどうか。

たとえば、無印中での春香の他人に対する態度の描写が、ひとつの注目点になり得るだろう。
無印世界の春香の行動において広く観察できる特徴として、しばしば他者に対する気遣いが言動に表れる、ということがある。
一例として、ランクD「CDレコーディング」を見る。

ぷげらっちょP アイドルマスター はるかっか 43(07/6/16)


「春香は新規アルバムレコーディングのため、スタジオに長時間、缶詰状態になっている……」(Pのモノローグ)という状況でのコミュである。ここで春香は、Pから「さっきから、リテイク続きだ。疲れてきてないか?」 と声をかけられて、

「いえ、私は、まだまだ!でも……、録りが長引いちゃって、すいません」
(中略)
「それにしても、スタジオスタッフの皆さんも、お疲れみたいなので……」

と言う。長時間の缶詰状態、リテイクの繰り返し、と、疲労のピークにある筈の状況である。しかも、この後に続く会話からは、春香自身の意志は、レコーディングを継続してやり遂げたい、というところにあることが明示されている。にもかかわらず、Pから声をかけられて最初に出る言葉は、「録りが長引いちゃって、すいません」 という仕事のパートナーに対する謝意なのであり、「スタジオスタッフの皆さんも、お疲れみたいなので……」という他のメンバーに対する気遣いなのである。

このような気遣いは、仕事仲間のような、密接なコミュニケーションのある相手に限らない。
たとえばランクE「サイン会」では、

ぷげらっちょP アイドルマスター はるかっか 24 (07/6/14)


商店街での合同サイン会で、人が集まりすぎてしまったという状況に対し、

春香「お店の軒先、人がいっぱいで動けなくなってきてます」
P「さすがに、人が集まりすぎかな?商店街が、ふさがってきてるよ」
春香「他のお店に出入りする人も、困ってるみたい」

春香はまず、自らのファンと関係ない他者に迷惑がかかっているという部分に気付く。
ついで、状況打開のため仕事を分担しようというPの提案(選択肢「よし、仕事を分担だ 」)に対しては、

春香「そうですね。じゃあ、メンバーの中で、握手担当とサイン担当を分けましょうか?」
春香「あ、でも……不公平になっちゃわないかなぁ」

と、具体案を提示しつつも、「不公平」にならないか、という来客全体への気遣いを口にしている。
このような、さまざまな局面、さまざまな対象に対しての、春香の気遣いを表す言動は枚挙に暇がない。
過去記事「好き」という言葉 (春香コミュ概論導入編)において私は、春香が仕事の合間、公園に赴いて歌を歌うという事象を扱ったが、この「公園で歌う」という行為も、"春香の他者への気遣い" という文脈の中で考える時には、個人的に歌う時にはなるべく他者に迷惑がかからない場所で歌う、という他者への気遣い(意識的なものか、無意識の習慣かはともかく)が背景にある行動、と捉えて不自然ではないだろう。

さて、このような無印世界の春香が、通勤電車の中で、さびしいからと言って突然歌い出し、両隣の車両の混雑という他者にかけている迷惑に気付かずに歌い続ける、という行動を取ることに蓋然性があるだろうか?

あるいは、比較の対象は無印でなくてもいい。漫画と同じく春香の通勤電車中の行動の描写がある、アニマスを考えてみよう。電車が空いている間はイヤフォンをつけて音楽を聞きながら口ずさみ、混雑してくるにつれて身を縮め、老人に気付いて席を譲るアニマス世界の春香が、別の日においては漫画の春香のような行動を取るかもしれない、と考えることに蓋然性はあるだろうか。3者の比較から、この場合においては、無印とアニマスの春香は相通じる性格を持つと考えるのは不自然ではないかもしれないが、漫画の春香と残り2者が同一性を持つとは、無条件にはとても言いがたいのが明らかだろう。

ここから言えること。
すなわち、紹介4コマ漫画中に「←寂しいの苦手」という断定的な表現があることのみを以て、無印の春香やアニマスの春香も「寂しいのが苦手」という同じ特性を持つ、ひいてはアイドルマスターの春香というキャラクターには「寂しいのが苦手」という個性が備わっている、という結論を導くことはできないのである。
これは、各作品の表現形態というものを考えてみれば、当たり前のことである。一対一の会話を主体としたゲーム上で描かれるに適合したキャラクター性と、4コマ目でインパクトあるオチをつけなければならない漫画で描かれるに適合したキャラクター性、お茶の間に流れる30分のアニメ番組で描かれるに適合したキャラクター性、それらが無条件に同一の形状になるわけがない。

繰り返し強調するが、私は ”漫画の春香は、無印の春香やアニマスの春香と同一ではあり得ない” あるいは "3つの作品のいずれかの春香描写には誤りがある" と主張しているのではない。
たとえば、「好き」という言葉 (春香コミュ概論導入編)で詳しく論じたように、無印世界の春香には、歌を歌っていると他のことを忘れて没頭してしまう、という特性がある。ここから論を展開すれば、「他の車両の乗客の様子も目に入らずに歌い続ける」という漫画世界の春香は、無印世界の春香と共通する特性を持つ、と導くことも可能である。ただしこう論理展開した場合は、「歌への没頭」が無印と漫画とで共有される春香の特性として見えてくるのであって、「寂しいのが苦手」であることに共通性があると示されたのではない。

すなわち、(作り手、制作体制の違いや作品が生まれる文脈の違いといったことを置いても)表現形態の違いから、各作品の描写には必ず差異が生じるのであり、その差異を認知した上で共通点を明らかにするのでなくては、個別作品を超えて共有されるキャラクターの特性を発見し説得的に論証することはできない、と私は考えている。
ゆえに、私がこのブログにおいて春香を論じる時には、常に出典をどこに置くかということを意識してきた筈だし、たとえば無印とアニマスといった複数作品に渡って語る時には、常に個別作品それぞれに対する読解を踏まえて、共通点や差異を語っているはずである。必ずしもその論証過程が逐語的に全て記録されているとは限らないかもしれないが、少なくとも論理構成としてはそうなっている筈だ。


おわかりと思うが、私は直接的には、cha73氏の記事父さんがみたアイドルマスター23、24話(春香編その2)中の「【さみしいのは昔から春香の弱点だった】」というセクションの内容を意識して、この記事を書いている。
ここまでの議論から、たとえばcha73氏の記述中の

「少しアニメから脱線してしまうのですが、アイドルマスターの元祖であるアーケード版(通称アケマス)時代から、春香の弱点はさみしさだったんです。知らない人も多いと思いますので証拠をどうぞ。」

以下の例示を、私が春香についての論証としては、まったく説得的でないと考えていることが、ご理解いただけるだろう。
紹介4コマについて、ここで表現された「弱点はさみしさ」が無条件に拡大して適用できるものではないことを、既に示した。
その次の例示は、さらに説得性に欠けている。

「さらに、アケマス関連書籍の「アイドルマスターキャラクターマスター」の9ページにも、春香のプロフィールに Weak Point:sport/Lonleness と書いてあるんですよ。」

もし、この論理が認められるならば、すなわち、「ゲーム中には直接同じ表記はないが、関連書籍中に『Weak Point:sport/Lonleness』(ママ)と表記されていることを根拠に、『アイドルマスターの元祖であるアーケード版(通称アケマス)時代から』(すなわちゲーム中の春香も含めて)『春香の弱点はさみしさ』であると無条件に考えてよい」のならば、どうなるか。
たとえば明日、『新:アイドルマスターキャラクターマスター』という関連書籍が発表されて、「実はもうひとつ、春香の弱点は「くらくて狭い場所」という設定がありましたが、あの本では秘密にしていました」とそこに記述してあれば、明日から、「アイドルマスターの元祖であるアーケード版(通称アケマス)時代から春香の弱点は「くらくて狭い場所」でした」と無条件に言えることになるし、さらに明後日、「実は今までの関連書籍に書いてあった春香のプロフィールには誤りがありました。春香の弱点はスポーツだけです」と公式サイトで告知されたならば、その瞬間から「アイドルマスターの元祖であるアーケード版(通称アケマス)時代から、春香の弱点はスポーツだけでした」ということになってしまうだろう。
(この場合、後だしで設定を変わるケースを持ち出すのは反則だろう、と感じる方がいるのであれば、「明日、本来アーケード発売時に公開予定だったが手違いで公開されなかった設定資料集が発見される」でもいいですよ。)
関連書籍中の設定は、確かに考察の有力な糸口(特に、作り手がどのような意図をもって作品を作ったか、と考える時には)にはなるだろう。しかしそれは、その記述自体が、一対一でゲームの内容をそのまま表していることを保証するものではない。作り手が意図したかもしれないそのような設定が、作中にどう反映されているか(あるいはされていないか、変化したか)まで観察して初めて、その情報を手がかりにしたことが意味を持つ。cha73氏の文章中では、

「ただ、この設定はアイドルマスターのゲーム中ではほぼ表に出てくることはありませんでした。
ゲームでは常にプロデューサーが一緒だからです。」

という部分がその考察過程に当たると言えるが、これ自体は、cha73氏の今回の記事全体の中においては力点が置かれているとは言えない簡素な記述であるから、ここでは深く追究しない。
(私自身はむしろ、春香の人との関わりへの希求、人との関わりを感じられない局面での脆さは、ゲーム中に色濃く表れているものと考えている。無印(アーケード)内部の一個の世界のみが主要な関心対象だった時期には、春香のそうした側面はすべて、Pとの一対一の人間関係のみに着目、集約されて考えられる傾向があったと言えよう。その意味で、アーケード・無印の時点から、「さみしさ」というより広い範囲の人との関わりを扱うキーワードを見出だそうとするcha73氏の着眼点自体は鋭いし、また現在的な発想であると言える。)

もう一点だけ、cha73氏のこのセクションの記述について書く。4コマ漫画、関連書籍の例示について、ドラマCDからの例示があり、

「春香はひとりでがんばろうとするとダメな子なんですね。
そのくせ、ひとりで何とかしようとしがちなところがあります。」

という、この例示部分全体を通しての結論と思われる文章がある。この、「春香はひとりでがんばろうとするとダメ」という結論は、この部分の論理展開においては、「春香の弱点はさみしさ」という最初に挙げられた特性と明確に区分されず、連続一体の事柄のように記述されている。
しかし、ドラマCDの例示中最初の例を見ると、cha73氏自身が

「しかし、ドラマCD「アイドルマスター_エターナルプリズム01」では、
春香は伊織と真とユニットを組んでいるのですが、ある歌を歌う資格をかけて
961プロのプロジェクトフェアリー(美希、響、貴音)と競うのですが、春香はこの歌への思い入れが強すぎて
ひとりでユニットの和を乱し、失敗してしまいます。」

と書いている。ここで「ひとりとがんばろうとするとダメ」の証拠の一つとされているこの文は、しかし、”他者との関わりがない孤独な状況での春香の弱さ” という最初想定された状況を表すものではなく、むしろ ”他者と関わりがある状況にも関わらず、他者との関係性(『ユニットの和』)よりも我意を押し通そうとする(『この歌への思い入れが強すぎて』)" という 行動を記述した文章になっている。この文面からは、この例においては、さみしさ=他者との関係性によって規定される心情よりも、むしろ自分自身のこだわりによって意思決定している春香を強調しているようにしか思われない。
さらに言えば、話をこの一連の例示箇所にとどめず、アニマスについてのcha73氏の記事全体の論旨とこの文面を比較した場合には、この文面が、全体の論旨と真逆の内容を記述していることが、わかるだろう。すなわち、同記事中「=春香を立ち直らせたもの=」のセクションにおいてcha73氏は、

「真と伊織が1話からずっと遠慮のない言葉のぶつけ合いをしてきたことを覚えているでしょうか。」

「春香はみんな仲良く楽しくやっているのが765プロだと、いつの間にか思い込んでいたんです。
でもよくよく考えてみると、そうではなかった。」

「それなのに、事務所にみんな来なくなってしまったこともあってか、
春香の中にある765プロ像が自分にとって理想的なものにすり替わっていたんですね。
そうではないことに気付かせてくれたのが、伊織と真だったんです。」

「言いたいことを言えなくなっていたのはなぜか?
自分の発言が周りに「えー」っていう反応をされることを嫌がってはいなかったか。
それは春香の理想の765プロを守りたいから。
でも765プロってそんな場だったっけ? 違うじゃん! と春香は気付いたんです。」

「どこがおかしいのか? どうしたら自分は5話の頃のようにちゃんとみんなに言いたいことを言えるのか?
みんなと自分は何が違うのか。やっと気付いたんです。」

「春香はみんな仲良く楽しくやっているのが765プロだと、いつの間にか思い込んで」「自分の発言が周りに「えー」っていう反応をされることを嫌がって」=他者との関係性を気にして自分の意志を他者に対して明示しなくなったことがアニマスの春香の錯誤であり、「遠慮のない言葉」を「ぶつけ合い」、「5話の頃のようにちゃんとみんなに言いたいことを言える」ようになるべきだと気付いたことが春香にとってのこの問題の解決だった、と論じている。
これに対して、「アイドルマスター_エターナルプリズム01」を例示した文面で言われているのは、「伊織と真とユニットを組んでいるのですが」「この歌への思い入れが強すぎてひとりでユニットの和を乱し、失敗」して、=「みんな仲良く楽しく」やるのではなく「みんなに言いたいことを」「遠慮のない言葉」でぶつけた結果失敗してしまった、という例である。少なくとも、表現された文面上は、この例示が他の記述との関連性の中で有効に機能しているとは言いがたい。
以上「アイドルマスター_エターナルプリズム01」についての指摘は、かなりのところ、単にcha73氏の文面の言葉尻を捕らえたに過ぎないものであって、私としてもそれほど力点を置いて主張しているものではないが、根底にある私の問題意識は同じなので、あえて略さずに記述した。


本記事内で何度も言い換えてきたことだが、再度まとめる。
私は、”すべての(公式)アイドルマスター作品は同一的・共有的・連続的世界を構成している” という前提にたった表現構築手法、それ自体は否定しない。そうして生まれた表現もまた、私個人にとっても示唆的で魅力的で意義深い提示を多量に含んでいる。
しかしながら、文章であれその他いかなる表現であれ、個別のトピックの背後には、そのトピック、その表現固有の文脈・状況・特長・限界がある。その文脈に対する分析をとばして、単に表面上に記述されたトピックだけを拾ってきて無条件に並べるのは、すくなくとも万人に対して論理的な説得力を持った表現ではない。それで説得できるのは、”それらのトピックは全て無条件に同じ文脈上で語れる” という前提を、あらかじめ共有している相手だけである。
ゆえに、”すべての(公式)アイドルマスター作品は同一的・共有的・連続的世界を構成している” ことを無条件に前提とし、その前提の構築過程を持たない考証は、少なくとも私に対しては、説得的ではない。


以上のように、私がこだわった点は、cha73氏の記事中、他のアイマス作品と関連づけてアニマスの春香を説明したセクションに集中している。アニマスそれ自体に対するcha73氏の読解を非難、否定するものではない。むろん、仔細に検討すれば、私が解釈を異にする部分はあるであろうが、それは全体として私が自己の論をcha73氏の論と相克すると考えているということ、cha73氏の解釈を排除否定したいと考えているということではない。
私自身のアニマス終盤の春香についての論は、すでにこのブログの外で書いた。それはある特定の個人とのやりとりの中で、特定の個人を読者と想定して記したものであり、その文を対象を変えてこのブログに焼き直すつもりはない。もし、それならお前はアニマスの春香について何を考えているんだ、と疑問に思われる方がいたなら、その文に巡り会っていただければ幸甚である。
ただ、直接アニマスについての言及によらずとも私の思考過程が読めるということと、当記事が、cha73氏の読解の本旨を論難することを意図したのではないことを示すため、当ブログ中の過去記事からの引用を示しておく。


春香は本当に「歌がうまい」のか。より、

「「ある日の風景3」一つとっても、「歌のお姉さん」「近所のおじいさん」「友達みんな」「周りの人」あと省略したけれど「ケンカした友達」とこれだけ多くの人が関わってくるのが春香コミュの世界。春香の居る世界において、「アイドル天海春香」でもなく「プロデューサーの前の春香」でもない日常生活の持つ意味は、極めて大きい。」


「好き」という言葉 (春香コミュ概論導入編)より

「”自分には、ただひたすら「頑張る」こと、「好き」であること以外に、アイドルとして依って立つ基盤がないのでは?”という、切実な不安の裏返しでもある。
そのことは、他のコミュを見ることでより明示的になるが、「ある日の風景1」においても、「やたらに頑張ってばっかりで、うまくいかなくて、ちょっとかっこ悪いかも」という台詞の中に窺える。
自分は「やたら頑張ってばっかり」いるだけで、「うまくいかなくて」、他人から見れば「かっこ悪い」だけなのかもしれない。」

「かように、春香の中では、”アイドルとしての自分”に対する大きな不安、恐怖と、それにくるまれた秘めたる自負、プライドとが、常に鬩ぎあっているのである。
故に、春香の物語において、春香のプロデューサーが真っ先に求められること、何よりも為すべきことは、アイドルとしての天海春香を全力で肯定することであり、春香というアイドルを揺らぐことなく信じることである。」


いずれも、無印コミュを典拠にして最終的に導かれた文章である。各々の記事が書かれた文脈というものがあるので、必ずしもその側面に力点を置いて記述してはいないが、前者はcha73氏の記事に言う「春香の弱点はさみしさ」、後者は同じく「春香はひとりでがんばろうとするとダメな子なんですね。そのくせ、ひとりで何とかしようとしがちなところがあります。」で表された要素を、射程に入れた表現である。特に後者の記事末尾の、「春香の「お仕事」という概念を読み解き、今回言及した内容と重ね合わせるならば、私が、春香のプロデューサーにとって、もっとも辛く重いコミュであると思っているところの「一月の仕事」コミュの、その辛さ、重さという意味を説明できるであろう」という記述において私が念頭に置いていた事象は、まさにcha73氏の語る「ひとりでがんばろうとするとダメ」「ひとりで何とかしようとしがち」の内容と密接に結びつくものであるが、未だ記述することを果たしていない。

実はただいま、長々書いてきたこの記事をどう締めくくるか見失っていて。
最後の自記事からの引用の部分を作成するにあたって、zeit氏への嫌がらせとして、自分の書いたものに依らず、すべての文をzeit氏の記事から引用してやりくりするという案があったのだが、脳裏にてんちの姿をした亜美真美が浮かび上がってきて、「いたずらとはそのように陳腐でひねた発想で行うものではないぞよ」と宣われたのでやめたのである。
しかしまあ、どの道全体がcha73氏への嫌がらせなのだから、もう一人や二人嫌がらせの対象が増えたところで本質的な違いはないじゃないか、ということで、zeit氏の記述を引用して終わる。なんでやねん、とツッコむ方がいても、嫌がらせです、としか答えられない。や、ぶっちゃけ本当に、最初どうやってこの記事を締めるつもりだったのか覚えてないっす。
And You!!

Augenblicke 春香 9/27~11/03

「ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかで、春香さんの立ち位置というものは、良くも悪くも見える。基本的にポジティブな娘さんですけれど、こんな私じゃダメかな、と思う時だってあるはずなのです。というか、コミュではそういう春香さんもたくさん見ることができます。その両方を捉えて初めて天海春香を見ていることになると。」


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