本体原理主義春香リボン学概論


過日、春香さんのリボンについて提示された、新たな学説につき、

本体原理主義の立場からの意見を明確にせよとの要望があった。
ただ、この件について、

「リボンは本体である」

というテーゼを出発点とする本体原理主義の立場からの見解を示すためには、まずその基盤たる「リボンは本体」思想のよって来る淵源、「リボンは本体」というテーゼの意味を知る必要がある。
以下は、そのために執筆した、本体原理主義春香リボン学の概論である。件の学説については、この概論を踏まえて、別に記述する予定である。ただ、筆者の時間的・精神的な都合により、実現は保証しない。








そもそも本体原理主義とは、アイドル天海春香の表す美を鑑賞し、考究し、記述する手段となるひとつの枠組みであり、その枠組みの基礎となる、美の鑑賞・考究・記述のための一個の視点が、「リボンは本体」という発想である。言い換えれば、「リボンは本体」とは天海春香を鑑賞することで個人の中に生まれあるいは動かされる何物か、心的、感情的な働きを扱うための考え方であるから、その発想自体もまた、天海春香を直接鑑賞することで生まれる感情の動きの中から形成され確立したものである。その形成の過程を、いま天海春香を鑑賞しているある仮想的な個人の思考過程として示そう。
天海春香は一人のキャラクターであるから、彼女の美を愛でようとするならば、その美の本質的な淵源、本質的に愛でる対象とすべきものは、彼女の容貌、肉体、声 ー現実の人間に準じて、天海春香を構成する外的な要件と捉えられるものー そしてそれらを通じて発露され観察できるであろう彼女の内的・精神的な特性であるはずだ。そこで、衣装・アクセサリーあるいはアクセサリーと作用しあって変化する髪型等は、美を発揮させるための付加的、副次的なアイテムと発想するのが一般的であろう。
ところが、いまたとえば春香のノーマルPVを鑑賞するとして、踊る春香の映像を眺めているうち、ふと、上記の、本来的に対象とすべきものではなく、付加的・副次的な存在にすぎない筈の、頭上のいち付属物になぜか目を惹き付けられ、いつしか無心にその動きを追っている自分に気付く。そう、リボンである。そうして、目を奪われている理由すら飲み込めずに、あたかもそれ自体感情を持ち表現する生き物であるかのごとく動き変容するリボンを見続けるうち、リボン自体、本質的な固有の美を具有する存在としか思われなくなってくる。
そうして、表現し、たえず変容し、美を具有するリボンという捉え方を得て、視野をリボン以外まで広げてみる。たとえば、色・形状・動作、すべての面でリボンと絶妙に調和し複雑に相互作用し合う春香の頭、ひいてはその頭部と連続し調和し相互作用する春香の顔、さらには肢体の全体あるいは各部との調和・相互作用の美。また、ひとつひとつ個性豊かで、しかも各々に繊細なバランスを形成する衣装とリボンとの組み合わせの美。そして歌ごと・ダンスごと・局面ごとに多用に表現されるリボンの在り方動き方と、踊り歌い表現する春香の精神・肉体との呼応の美。さらには、そのような頭上特性を持つ春香と、異なる頭上特性を具有した他のアイドルの間での、各々の頭上との調和美の多様なあり方。それら、今まで漫然と見過ごしていた各部・全体・相互関係に存在する美を、今までとまったく異なる新鮮で明確な感覚を持って感じとれるようになっていたことに気付くであろう。その時、我々はわき上がる驚異と賛嘆の感情を、この言葉によって表現するわけである。※1 

「ああ、あるいは、リボンこそが本体だったのではあるまいか。」

(ここではステージシーンに仮託して「リボンは本体」思想の確立過程を描いているが、当然、コミュシーン、あるいは静止画等を出発点としても、同様に個別に確立過程を描いていくことが可能である。ここでは、文章の長大になることを慮って、ステージシーンの例ひとつに代表させている。)

主観的な感情動作としての「リボンは本体」思想は、上記の内容で概ね理解できようが、これを、学問上この発想が持つ意味・意義、という観点から捉え直すと、次のようになる。
既述の通り、我々は現実の人間の生態からの類推により、またゲーム上のアイテムの操作に関する知識から、衣装・アクセサリー・そして(それらに伴って変化する)髪型を、アイドルの身体”本体”から着脱(髪型の場合は変化)可能な、付加的・副次的な要素だと見なしがちである。「リボン」は「本体」という二単語の連結が、ひとつの主張となり聞き手に印象づけられる言葉として成立するという事実そのものが、「普通は(リボンのような)付属物と明確に区別される”本体”を、アイドルは保持している筈だ」という観念が、多くの人の思考の根底に存在することを示していよう。
これに対して「リボンは本体」思想を基盤としてアイドルの美を考えることの意義・利点は、大きくまとめて次の3点である。
第一に、この視点を持つことによって、無前提無批判に前提知識を用いることなく、現に眼前にある美を捉え理解する思考に習熟する、ということ。たとえば視点を胸に展開すれば、彼女たちは衣装の下に乳房を持つ筈であり、その上にそれを隠しあるいは強調するものとして衣装が付加されているはずだ、という、前提知識に基づいた予断によって胸の美を記述するのではなく、衣装と一体になった総体として、その局部において何が起こり何が生まれているのか、を記述できよう。そのような、前提知識、既存の常識を相対化してアイドルの美を捉え直す、柔軟な思考に習熟するための有力な起点が、リボンに狙いを定めて相対化を行う「リボンは本体」思想なのである。これが、アイドルの美の「全体」「総体」を捉え直す、「リボンは本体」視点第一の意義である。
第二に、リボンという一局点に関心を集中して観察し、その場面ごと・種類ごと等による微細な差異・変化を見分ける作業をこなしていくで、アイドルの表現する膨大な質量を備えた美を細大もらさず受け取る感受性・観察眼を磨いていく、ということ。またアイドルの表現するあらゆる状況・カテゴリに対して、それに対応したリボンの個性・状態によって区別できる、という体系的な把握が可能になる。これが、アイドルの美の「細部」「個別」を捉え直す、「アイドルは本体」視点第二の意義である。
第三に、第二で述べたように把握できた、リボンという基準点を持つことで、リボンと髪の毛、リボンと頭、リボンと目、リボンと鼻、リボンと顔、リボンと靴、リボンと手、リボンと全身、リボンと声、リボンとライト、リボンとステージ、リボンと空気…といったように、各部の相互作用・関係性の中でアイドルの美を見ていくことが可能になる。それは更には、様々な局部・全体と別の局部・全体の相互作用・関係性を感受し把握していくための手がかりとなろう。アイドルの美の「相関」を捉え直す、「リボンは本体」第三の意義である。
総じて言えば、リボンという個に注目し、他所・全体へと視野を転換・拡大・総合していくことで、柔軟で豊かな視野を以て流動的・多層的・複合的なアイドルの美を感受観察していく枠組み。これが、「リボンは本体」思想を基盤として、春香の、ひいてはアイドルの美を鑑賞・考究・記述するための、本体原理主義春香リボン学の考え方である。
繰り返し強調するが、これは個人の鑑賞・考究・記述の手段としての発想であり枠組みである。従って、本体原理主義者の発する「リボンは本体」とは、春香という個人に向けたコミュニケーション上の言葉ではないし、春香自身の意思を出発点とするものではない。たとえば、よく知られているように、ゲームの無印『アイドルマスター』の伊織においては、伊織のデコ、そしてぬいぐるみの「うさちゃん」という固有のチャームポイントについて、タッチコミュで固有の反応がある。これに対して、少なくとも筆者の知る限り、春香のリボンに対してタッチコミュでリボン固有の反応は存在しない。すなわち、アイドルマスターの世界観の中において、アイドルマスターにとっての、そして春香自身にとっての、リボンという存在の意味・位置づけ・由来を示す一次資料は与えられていない。春香のリボンに対する言葉はすべて、受容者の心中に生まれ、育ち、深められていったものであって、そこに(アイドルマスターの、春香自身のの示してくれる)正しい解答は存在し得ない。本体原理主義春香リボン学は、その認識の上で、自己が春香を鑑賞する、という心的な過程を深めていくための切り口であり、その切り口の先に紡がれていく営みなのである。
なお、「リボンをつけていない春香」「春香がリボンをつけていない状態」をどう考えるか、という問題は、リボン学を深める上で重要不可欠の問いであるが、この点について記述するには、また別に相当の紙幅を必要とするため、また別の機会としたい。この問題はまた、パジャマ春香さん鑑賞学とも密接に結びついているが、その点についても、力が及べば触れていきたいところである。

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