雑記:コメントとか

 どうして一人は「真」でもう一人は「亜」が与えられたんだろう? なんてどうしようもないことを考えてしまう今日この頃。

 それはともかく、ニコマスのコメント不足が話題になっているようですね。
深刻なコメ不足: 全てが台無し―雑記帳―
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ニコマス棚卸 9/6~-続・空から降ってくるので
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コメントを躊躇するなかれ:全てが台無し―雑記帳―
コメ騒動-箱の外から
私にはなにも提言とか解答とかないのですが、それでもいろいろと考えさせられることがありましたので、自分の頭の整理のためにメモっておきます。単なるメモです。といって、書くべきことは皆さんが既に全部書いていらっしゃるんですけどね。

・ニコ動のコメントの特色は、それが全くの匿名であることである。コメントする者がニコマスPだろうが見る専だろうが初心者だろうがアンチだろうが、動画上に表示される文字には何の違いもない。誰もが匿名のまま作品の一部となれるシステム、それがニコ動である。

・過去何ヶ月ものコメントが動画上に表示されるニコ動では、視聴者は、時間を越えた擬似的な経験の共有を体験することが可能である。

・自分のコメント歴。多分ニコマスを視聴し始めてから初めてのコメントを打つまでに、1年近くかかっている。コメントを長らくしなかった第一の理由は、ニコマス体験初期に見ていた動画は充分にコメが付いていたし、見ているだけで楽しかったから。すなわち、自分にとってのニコマスは眺めるものであって、自分からアクションを起こすものではなかったから。

・コメントをしなかった第2の理由。コメントを打つのには技術と経験が必要だから。コメント欄に文字を打ち込んでコメントボタンを押す、たかがそれだけの作業でも、最初に一人でやるのには大きな勇気を必要とする。

・ニコマス動画にコメントを打つのは、普通の場合よりもっと多くの経験と知識を必要とする。特にそれはPVにおいて顕著である。ニコマスに一般の視聴者が流入する頻度が極めて少なくなった現在、動画のどこのタイミングで、何を基準に何を評価し、どう場の雰囲気を壊さずにコメントするか、ということを熟知した人が打ったコメントが、ニコマスのコメント群の大半を占めている。

・上記のようなコメント群が、一体感のあるニコマス、協調的で大人なニコマスというイメージを形成する大きな要因になっているのは疑いない。ただし、それがいかに特殊な環境であるかは、「世界の新着動画」がはっきりと示している。セカチャクという企画は全くの失敗であったことを、運営自体が自らの措置によって認めているが、ニコマスにとって利点があったとすれば、ニコマスの内側にいない人が自由にコメントする状態、というものを再現したことである。

・コメントを打つことに限らず、ニコマスに関わりを持とうとする動機を二つに分けるとすれば、動画を見て感動したり、大笑いしたりした自分の気持ちを伝えたい、という感情の表現欲求と、この楽しい空間に自分もアクティブに参加したい、ニコマスのより内側に入っていきたい、というコミュニケーション欲求の二つだと思う。もちろん両者は重なりあっているが、完全に同じものではない。

・たとえば長いシリーズを完結させた作者に感謝のコメントを書きたい、という気持ちは前者の欲求が、ネタ動画のギャグにつっこみコメントを入れたり弾幕動画で弾幕したりするのは後者の欲求が、強く働いているように思う。

・自分が今現在コメントする動機を考えると、コメントを打つことでニコマスに少しでも貢献したい、という欲求が大半の場合を占めている。見る専の自分が何か動画に対して貢献できるとしたら、少しでも再生数を回し、コメントを増やし、マイリスト数を大きくすることしかない。それはやはり表現欲とコミュニーケーション欲から発していたはずだが、もはや自己目的化して別物になっている気もする。

・たとえばアイマスMAD処女作とタグのついた動画を見ている時。再生数だけ回っていてコメントもマイリスも0の動画を見ている時。私がそこにコメントするのは、ただただ恐怖からである。もしこのまま誰もコメントをしなかったら。もし次にこの動画を見た人がこの動画を非難するコメントを残したら。この人は二度と動画を作らないかもしれない。ニコマスが嫌いになるかもしれない。そう想像するのが嫌で、怖いから、当たり障りのない言葉で褒め、何の芸もなく「GJ」とか「おつ」とか連発する。それは欲求というよりは義務感、義務感というよりは強迫観念に近い。

・今でも私は、コメントがたくさん付いている人気動画、固定ファンが必ずコメントしていく動画には滅多にコメントしない。自分がやる必要がない、と思うから。多分、根本的な視聴スタンスはニコマスを見始めた時から何も変わっていないのだ。それでも、何の打算も関係なくどうしてもコメントしたい動画が、時々はあるものである。

・コミュニケーション欲求の話。ニコ動のコメントは匿名だ。打ったコメントに、自分がどれだけ動画を見ているかもどれだけ作っているかも関係ない。それでもニコマス動画にコメントするのは多分他のジャンルよりハードルが高いが、道は誰にでも開かれている。

・最初はコメントを打つだけで満足できる。だが、ニコマスに深く浸かれば浸かるほど、もっとその内側に入っていきたくなるのは当然である。匿名であることに満足できなくなり、自分がここでニコマスを見ていることを認識してもらいたい、自分から何か発信したい、と思う。ある場合にはそれは自分もPになる、という形で表れ、別の場合には生主デビューすることになり、ある場合には、ブログを開設してやたらと語るようになる…。しかし、何を始めるにあたっても、最初にはやっぱりハードルを飛び越える勇気が必要だから、誰もが必ずそこに行くわけではない。

・たとえば、日刊更新で、かつコメに対して次の動画で反応してくれるような動画に毎日コメントしていれば、どこの誰だという認識はされていなくても、「自分の打ったコメント」と「コメントをみてくれる作者」の間にやりとりが成立する。

・生放送は、もっと簡単にコミュニケーション欲求を満たせるシステムである。たとえ固定ハンドルを名乗らなくとも、「◯◯◯番のコメント」というその場限りの人格として認識してもらえる。

・ニコマスPも、生主も、自分で思っている以上に、あるいは思ってもみない形でニコマスに貢献していることが、多分たくさんある。

・コミュニケーション欲求を突き詰めていけば、結局ははっきりした人格として認識してもらい、より恒常的に会話することに行き着く。Twitter。IRC。Skype。

・原初的には、動画を作ってそこにコメントする、という関係だけで成り立っていたはずのニコマスが、現在ではコミュニティ内での人間関係を体験することが大きな目的となっている。もちろんそれは悪いことでは全くないし、動画にかかる比重がゼロになったわけでもない。だが、問題はコミュニティの内側での活動ほど、ニコマスに入ってきたばかりの人には伝わらないことだ。生放送の盛り上がりは元動画に反映されない。ニコマス初心者は、どこの誰がTwitterで動画についてつぶやいているかなんて知らない。

・動画にコメントするには知識と技術を必要とする。初めてコメントする者は、既にあるコメントからそれを学習するしかない。知識と技術を持った人間は有限だから、持っているのにコメントしない人間がいれば、学習対象となる情報量は減少し、飛び越えるべきハードルはより高くなる。コメントの減少は、現在その動画と動画制作者に不利益であるだけでなく、未来のコメントも奪っている。

・同じ動画を見ていても、作者と視聴者が考えることは違う。ニコマスPでニコマス動画を見たことがない人は多分いないだろうが、だからと言って自分の動画を視聴者と同じ思考で見られるものではないし、他人の動画を視聴している時に必ず作者の立場に立てるものでもない。いつでも相手の立場にたって考えるなんて無理だが、少なくとも違う立場の人間と向かい合っていることは意識すべきだと思う。

・時間は有限。かつ、コメントする作業は、多くの場合動画そのものを楽しむ心の余地を確実に奪う。一時停止してコメントを打つために動画の流れを止める。コメントの文言を考えるのに苦心して、動画に集中できない。楽しむためにニコマス見てるんだから、自分が楽しむために一番やりたいことをやるべきなのは当然だ。

・でも、コメント打つってそんなに大したことでもないよね。一時停止や巻き戻しをしたくなければ一言だけにすればいいし、何を書けばいいかわからないなら難しいことを書かなければいい。コメント欄にカーソル合わせてキーボード打つなんて、ほんの一瞬よ。

・人間の流動は常にあるはずなのだが、毎日ミクロ的に動画を追っていると、ニコマスPVの視聴者層は完全に固定化しているように見えてしまう。新着を必ずチェックする人の割合。見た人のうちマイリスする人の割合。コメントする人の割合。よっぽどの人気動画か、動画初心者で画質がニコマス視聴者の求める基準に達していないような場合を除いて、どの動画を見てもいろんな比率が大体一定のように思える。視聴人数をいきなり増やすことはできないが、比率を変えるのは簡単なはずである。マイリスした人全員が一言GJと打ち込むだけで、どの動画を見てもマイリス数よりコメント数が少ないなんてことにはならないはずだ。

・ストーリー系の作品がPVと微妙に異なる点は、作者の制作方針によってコメント比率がかなり変化することと、途中参入が難しい続き物が多いこと。作者の作り方でコメント数が全然違うのは、たとえば「雪ねぇの部屋」をみれば一目瞭然。ストーリー系じゃなくても爽快PとかでんPとか。でも誰もがそれをできる訳ではないし、みんながそれを目指すべきではないのは当然。

・これだけ書いても、自分の中からは運営に要望してシステムそのものを変えようっていう発想が出てこない。やっぱり自分は根がニコマスに対して受動的なんだなあと痛感。

・もはや何の話をしてるんだか…。やっぱり最初から箇条書きでスポラディックに書くことを自分に認めちゃ駄目だな。

・そうか、こういう時にTwitterを使えばいいのか。

・結論はありません。とっちらかりすぎて出しようもありません。


追記。Twitterって何なんだろう、とか言い出すともうほんとに別の話だけど。公開されたつぶやき。今つぶやきたいことをつぶやき、それがそれを聞きたい人に即座に伝わる。感情の発露とコミュニケーションの一体化、あるいは両者間の自在でスムーズな移行。でも、視点をニコ動の側におけば、やっぱり隔離された世界の話なんだよね。それならやはり、Twitterからコメントへの反映が特効薬、なのかな。でもニコマス以外のニコ動にそんな需要はあるんだろうか。実現してしまえば、コミュニティが確立しているジャンル(ボカロ、東方,MMDとか?)には悪い話ではないだろうけど。
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