落ちる前に進め


昨夜にニコ動でアニマスの24話が配信されまして、TBSでの22話放送以来長きに渡ったアニマス春香さんのターンも、今週でようやく終わり、ということになりました。記念に何か書いておくか、と思い立ったので。
アニマス23話のネタバレを含みます。



ひとつひとつコミュを引いてくるとか面倒なので、大雑把な輪郭の話だけをします。

たとえば車には、”走る””曲がる””止まる”という3つの基本動作がありますが、この基本動作の時点で既に、よく走れることとよく曲がれること、よく走れることとよく止まれることは対立する要素になっているわけです。

車と同じように、春香も「走る」という基本動作を備えています。しかし、春香の「走る」身体機能には、重大な欠陥があります。「よく転ぶ」という欠陥です。
ギャグ漫画の戯画化されたキャラクターなら、チャームポイントで済みます。が、春香は都合良く何も無い安全な場所だけで転べるよう調節されているわけでも、転んでも傷一つつかない体に設計されているわけでもありません。春香にとって、転ぶことは常に、重篤なダメージを受けるリスクと直結した現象です。(ここで言うダメージとは、肉体・精神に直接加わるものと、直接的ダメージが元で生じる、日常生活や仕事を遂行する上での障害の、両方を含みます。)
従って、春香の心中には転ぶことに対する、重い不安、恐怖、抵抗感が存在します。それは、端からはまさしくギャグにしか見えないが故に、本人にしかどれだけ重いのかわからない性格の重さです。(アイマスで、これと似た性質の事象を探すと、そうですね、真にとっての男らしく見られること・男扱いを受けることが、一番似通った性質を持っているのかな、と私は思っています。)

春香は、「体を動かすことが好き」な人間です。つまり、走りたいという欲求を持っている。それでなくとも、彼女がやりたいことをやっていく上では、立つ・歩く・走るという動作が必須の場面は数限りありません。
走りたい。でも走ると転ぶ。転ぶのは嫌。
「走る」という基本動作たった一つの時点で、重大なジレンマが存在することがわかります。
春香の「体を動かすことが好き」とは、そのジレンマに直面した上で出てくる言葉です。
それでも走りたいです、走りましょう、と、そこで言うのが、天海春香です。

走れば転ぶことになる。その転ぶのはどうするのかと言えば、転ばないように「頑張る」のです。
頑張って、転ばない力を身につける。だから、そのためにまず、転ぶことを覚悟の上で走り出す。
どっかでも書きましたが、春香において「好き」であることと「頑張る」ことは、等価で直結した事象です。
もっと言えば、いくら努力したところで、いずれ転ばないようになれるという根拠は、どこにもありません。現に、16年間春香は転ぶことと付き合い続けてきて、未だに転んでいます。
ゆえに、春香の「好き」であることと「頑張る」ことの間には、”信じる”という意志が存在します。16年間転び続けてきてなお、頑張って転ばないようになりますよ、なれますよね? と言える意志。

春香のPに第一に期待される役割、ということに2回言及したことがあって、繰り返しになりますが。
ひとつは、頑張ればちゃんと走れるようになるよ、という信念を、春香の願いを、肯定し保証する役割。
もうひとつは、必ずしも春香自身に見えているとは限らない、転ばないようになるための具体的な筋道を立て、春香に示す役割。
つまりそれは、春香という機体が安定して歩み、走り、飛び、踊れる推進力を得られるまでの助走を支える、補助輪のようなもの、ブースターのようなものと言えるかもしれません。


以上は、無印コミュに基づいて組み立てた話であって、アニマスとは直接関係ありませんが。
アニマス23話に、事務所で春香が小鳥さんにココアを入れてもらっているところに、(赤羽根)Pが戻ってくるシーンがありました。春香と周囲の関係の描写として、とてもよくできていると私が感じたシーンです。
その場面の会話を引用します。

P「うわー、寒かったぁ~。あ、春香、来てたのか」
春香「はい、おかえりなさい」
P「うん、ただいま。…調子はどうだ? 何か変わった事は無いか?」
春香「うーん、あっ、今日は、一回も転ばなかったんですよ。すごいと思いません?」
P「へぇ、すごいじゃないか」
小鳥「奇跡だわ」
春香「えへへへへ」
P「じゃあ、ご褒美にいいものを見せてやろう」

面白いのは、このアニメにおいては、これまで転ぶことを巡って春香とPがやりとりするエピソードはなかったにも関わらず、この場面で、「調子はどうだ?」と訊かれて真っ先に春香が答えるのが、「一回も転ばなかった」ことである点です。
この一言から、春香の身体的・精神的コンディション、ひいては活動の充実具合を測れることがわかるでしょう。転ばないことはすなわち、春香の身体をコントロールする技術の向上と、春香が精神的に安定して自信をもって仕事に臨めていることを意味します。
(アニマスにおいても、たとえば1話と14話の改札のシーンの対比(1話では転ぶが14話では踏みとどまる)においては、アイドルとしての成長と転ぶ頻度の減少が結びつけて描かれています。)
「調子はどう?」という問いに対して、そういう答えを返して褒められる、というやりとりが成立することは、転ぶ頻度と春香の活動状況の関係についての認識が、Pと春香の間で共有されていることを示唆します。

で、よくできていると思ったのは、春香の「すごいと思いません?」という言葉に対する、Pと小鳥さんの応答の温度差です。有り体に言えば、Pが春香と共有している認識を、小鳥さんは共有していないことがわかります。
小鳥さんの「奇跡だわ」は、春香の発言を、場が和んでしまうようなボケ風味の応答、ととっての返しです。そして、春香が転ばなかったことを「奇跡」と形容できることは、小鳥さんが

・春香が転ぶのは当たり前のできごとと考えていること
・それは春香自身の内的な変化や境遇と関係しない事実だと考えていること
・「一回も転ばなかった」のは偶発的な出来事であると考えていること

を示唆します。対して、Pの「すごい」「ご褒美」という言葉は、春香の「一回も転ばなかった」報告を、春香が仕事を頑張っている成果として、純粋に賞賛すべき事柄として受け取っていることを意味するでしょう。(同時に、現在の彼が、春香の仕事ぶりを直接チェックすることが全くできていないことも。)
(なお、このことは、小鳥さんの春香への理解が低かったり、春香との距離が遠かったりすることを意味しません。春香はこれまで何度となく、転ぶことについて周囲と冗談めいた会話をしてきた筈だからです。このシーンではシナリオ展開上、春香以外のアイドルが居合わせることは有り得ませんが、小鳥さんではなく他のアイドルが会話に参加していたとしても、小鳥さんと同質の反応をしていたことでしょう。)

あと、このシーンでちょっと面白かったのは、Pの「じゃあ、ご褒美にいいものを見せてやろう」という応対の仕方が、なんというか実に、”学校の先生”それも”小・中学校の先生”っぽく、私には感じられた点です。
もちろんアイマスで「プロデューサー」と呼ばれるキャラクターには、多かれ少なかれ教師的・親代わり的・兄貴分的要素があります。ただ、全般的にゲームにおける会話描写は(作品を問わず)、それにも関わらず、アイドルを対等な話し相手・パートナーと感じさせるような表現に長けているように思います。
それに対して、アニマスのPは、あるタイプの学校の先生が、生徒と接する様子を髣髴とさせる言動が多いと感じます。(たとえば、2話で伊織たちから相談を受けて、「一緒に考えよう」と言って隣に座り込むところなど。)
ついでに言えば、デスクワークしているPの隣にアイドルが来て喋りかける、という構図は、”放課後の職員室で先生と喋る生徒”そのものだし、23話でライブの全体練習をやろうと奮闘する春香さんは、”規律のルーズな部活で人集めに奮闘する部長”そのもので、アニメ版アイドルマスターはやはり、”よくできた部活アニメ”という側面の濃厚にある作品だな、と思います。

脱線しましたが、上記の会話において、私が表現されていると感じたものを、制作者がどれくらい意図的に表現していたかは、わかりません。シナリオ上、ここで「一回も転ばなかった」のが強調されることの直接的な役割は、対比的に後の奈落のシーンで春香が転倒する(そしてそれがPを失うことと連動する)伏線になることにあるわけなので。
ただ、結果として表現されたこのシーンを私は素晴らしいと思ったし、それによって、少なくともこのPは、春香のプロデューサーとしてはちゃんと仕事をしてきたんだな、と感じることができました。(もしこの局面で「奇跡」という言葉遣いをしたのがPだったならば、どれだけ仕事している様子が描かれたとしても、少なくともこの人は春香のプロデューサーとしては失格の人なんだな、と私は認識していたことでしょう。)


ところで先ほど、Pは春香が推進力を得るまでの補助輪のようなもの、ブースターのようなもの、とたとえました。
では、春香が推進力を得てテイクオフした後、プロデューサーの存在とは何なのか、という問題は、確かに考えることができて。ただ、それは次の段階、別次元のお話になるわけです。
春香とプロデューサーの関係に関心を寄せてきた人は多いですが、しばしば見られることとして、人はなぜか初めからテイクオフ後の春香を出発点にして、春香との関係を語ろうとします。
その結果、どうなるか。テイクオフ前とテイクオフ後で何が違うのかわからないし、そもそもテイクオフできているのかどうかわからないし、もっと言えばこの機体がどんな原理に基づき、どんな推進力で運動しているのかすらわかっていない。そういう状態で機体の操作方法を議論する。そういうことが起こる。
それでキャラクターを語るのは難しいよね、というのは春香に限ったことではありませんが、それで春香というキャラクターは語れなくても春香という存在は語れてしまうのが、春香さんの面白いところです。
ともあれ、春香に局限されない話に持っていくならば。彼女との間に何を積み上げるべきなのか、それによって彼女はいつの時点でどこに到達し、何を獲得できるのか。そういう基盤を確認していないところで、プロデューサーは必要なのか不要なのかなんて話をしてもしょうがないんじゃないかな、とは思います。

アニマスの春香さんは、画面のこちらに向かって、走る特訓をしましょう! なんて提案したりしませんし、ステージでコケて笑われても、別段気にしているそぶりも見せません。けれども私は、このひとは「今日は一回も転ばなかった」と言えるようになるまでに、物語が始まった時から、いやそのずっと前から、他人に知られずとも日々営々頑張り続けてきたんだな、と感じたし、それを見守っている人は、そこにちゃんといました。
「すごいと思いません?」と彼女が笑顔で言えて、そのとき「すごいじゃないか」と応えられる人が隣に居る。それは、それだけで、人と時と世界がどう移ろうとも通じる、アイマス的に価値のあることだと思います。
その価値が、どのような形で表現されていくかということは、また別の、興味ある問題ですが。



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世界で一番頑張っている君に

いろんながんばりますをきいて。

何気なく聞いていた、頑張りますという言葉。
大事な言葉だったんですね。ようやく気づけた。頑張ったね

島村さんと頑張って、篠宮さんと頑張って、美希と頑張って。
また、春香に会いに来ました。そんな誰かでした

Re: 世界で一番頑張っている君に

観鳥さん、はじめまして……ということで、よろしいでしょうか?
どういう経緯で拙記事をご覧になっているのかわかりませんが、個性的なコメント、ありがとうございます。
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Author:Vinegar56%

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