朝も昼も夜も切なさに酔っていたいのだ


ただでさえ最近は春香トークばかりしていて、え、ノベマスってなんですか、え、ニコマスブログ? うちは春香さんの頭のリボンファンサイトですよ? みたいな雰囲気になっているので、そろそろ流れを変えなきゃいかんと思ってはいるのです。しかしそういう時に限って、私としては久しぶりに斉藤和義の『君の顔が好きだ』を聴き直したくなったりして、そして同じタイミングでこんな記事が上がってきたりする、という。

もう見れないのかなあ - 続・空から降ってくるので

なにこの嫌なシンクロ。
まあなんです、私、上記の記事に出てくる、ななななな~PというPの動画については、ストーカー的な執念を持っているもので、誰がいつどの動画についてどんな文章を書いたか、というようなこともかなり調べているのです。
『続・空から降ってくるので』のカズマ氏と言えば、ななななな~Pの『天海春香  が好きだ』についてまともに文章を書いた数少ない一人でありまして、この動画については、残念ながら現時点では暫定世界1位である、と評価せざるを得ない書き手であります。(本当は、少なくとももう一人、おそらくほぼリアルタイムで全動画をちゃんと見た上で、この動画について今でも読める文章を書き残した人がいますが、悔しいのでまだ触れません。)世界ランク1位を狙う予定の私としては、見過ごすわけにもいかないでしょう。
そういうわけで、今日は一日中、概ねななななな~Pについて何を書くかばかり考えて…、って、このパターンは最近やったぞ、おい。
あ、えーと、この記事は別に動画についてなんか語るわけじゃないです。ただの雑談です。なんというか、読み返したくも思い出したくもない代物が出来上がってしまったので、推敲とか一切していません。何が書いてあるか私にもよくわかりませんので、読まれる方は後よろしく。





『君の顔が好きだ』は、言うまでもなく、ななななな~Pが自作のニコマスMADに用いた曲の一つでありました。私はこの15ヶ月くらいというもの、ななななな~PがMADに用いた十数曲の曲(のうち、手に入れられて、比較的好みのもの)を、まあ何度となく聴き返してきたのですが、流石にその頻度も、最近はぐっと減少しています。
で、昨日久しぶりにこの曲を聴いて、知ったのです。ああ、私は忘れたんだな、と。イントロが流れても、頭が歌の世界に入り込んでいかない。歌が聞こえても、頭の中を動画が流れない。いや、今でも憶えていることはそれなりにあるんですよ。あんなシーンがあって、こんな恰好で、あんな表情をしていて、こんなポーズで。でも、全部断片。繋がらない、流れない、踊りださない。最初はそうじゃなかったんですよ。去年の今頃、この曲を聴いていれば、呪わしいくらいありありと思い浮かべることができたんです。
何よりつまらないのが、歌を聴いてももう大して苦しくない、ということですね。ななななな~Pに限ったことじゃないですが、私にとってニコマスで出会ったいくつかの歌は、動画と、アイドルとの結びつきなしでは考えられないものです。『君の顔が好きだ』もそうです。この曲はね、斉藤和義の歌声だけでは完成していないんですよ。この歌は、ななななな~Pがいて、春香さんがいて、動画があって、初めて完成する歌なんです。だから私にとって、この曲を聴くということは、半身をまっ二つに引き裂かれる音を聴くようなもので。この歌でしか救われないのに、聴けば聴くほど辛い。
なのにそれが、今は曲を聴くだけで、癒されてしまう、救われてしまう。これじゃ、ただ好きな音楽を聴いているのと一緒だ。
まあね、いつかこうなることはわかっていたんですよ。現に何本かの動画は、それが消えたことを知ってからものの数日のうちに、もう春香さんがどんな衣装を着てどんなダンスをしていたかとか、そんな簡単なことすらわからなくなっていました。でも、この動画はそうではなかった。そしてそれが全部朧げになってわからなくなる前に、何か確かなものを書き残せると思っていた。
でもね、無理なんです。別に私はアイマスのために生きているんじゃないし、四六時中春香さんについて考えたりななななな~Pについて書いたりして生きていられないし。そしてそれを忘れようが書けなくなろうが、やっぱり生きているし、生きていくしかないんですよ。
そして、じゃああの時、一番克明に憶えていて一番面白いことが書けそうなこの動画について最優先で書いておけば良かったのかな、と思うと、それはやっぱり違うわけで。私が『天海春香  が好きだ』について本気で文章を書くとしたら、それは私がななななな~Pの春香について、能う限り、知っている限り、憶えている限りを尽くして書いた先にしかあり得ません。だって、この動画はななななな~Pの全部の春香動画の上に載っている、その支柱の重さ太さの上にしかあり得ないものだから。その過程をすっとばして、つまりこの動画はこういうものなんです、と結論だけ述べることに、意味なんか無い。同じ作品を見て、それにぞっこん惚れ込んだ人が、こいつは俺には語りきれない、とにくみんな見てくれ! と言ったのであろうが、たまたまチラ見した人が、あ、これちょっと面白いからみんな見るといいですよ、と言ったのであろうが、それは同じ一行の短文に過ぎません。動画ならごくシンプルであっても伝わるかもしれませんが、言葉は伝わりません。簡潔な言葉だけでも伝えられるのは、特別な能力を持った書き手(あるいは、受け手も)の場合だけです。私には無理です。
もっと言えば、私は、そうして言葉にしてしまうのが、怖いのかもしれません。全部言葉にしてしまえば、その限界が、私の記憶の、思いの総量の限界が見えてしまうから。実際に私はこれまでななななな~Pの動画について2本記事を書いて、そして失望しているわけです。あんなに好きなつもりだったけれど、なんだ、言葉にしてみればたったこれだけか、これだけしか私に表現できるものはないのか、と。(それでも、そのとき能う限りの力を尽くせたという点で、その2本は私の文章の中では満足のいくものです。少なくとも、今ここで書いているものなんかよりは、ずっとずっと)そうして、もしそれがどこか実際に存在するものについての文章ならば、書いた後で広がることも新たな発見があることもあり得るでしょうが、私が相手にしているのは記憶ですから、書こうが書くまいが、それはただ目減りし、歪んで、失われていくだけです。

ここまで書いておいてなんだけど。別に私はさあ、私はこんなにこのPを愛しているんですぅ、とか、こんなに辛くて悲しい思いをしてるんですぅ、とか、そんなことを宣伝したくてこんなブログをやってるんじゃないんだ。そりゃあね、こんな呪詛や愚痴や惚気は、やろうと思えば毎日だって書いていられるさ。だけど、そうじゃないんだよ。私はただ、これがどんなに素晴らしいものかというね、これをやった人がどんだけ凄いかということをね、自分の口で言いたかっただけなんです。その周りで私がどうグチャグチャしていたかなんて、どうでもいいんだ。なのに、積み重なっていくのはどうでもいい言葉ばかりだ。

うん、やっぱり、書いてみるとどうにも辛気くさい文章になりますね。話を変えましょう。

件のカズマ氏の記事、つかPの「アミリオン」とななななな~Pの「好きだ」を並べて取り上げていますね。流石「『天海春香  が好きだ』が好きだ」世界ランク暫定1位のカズマさん、わかっていると言わざるを得ない!
一方でカズマさん、以前なにかのタイミングで「好きだ」を見て感慨にふけっていた時には、「好きだ」とwhoPの『THE iDOLM@STER -MEMORY2 SAKURA-』とを一緒に挙げて、この系統の極北だ的なことを言っていたんですね。実は、カズマさんだけじゃなくて、『天海春香  が好きだ』について文章を書かれた方の中には、この「MEMORY2」(あるいはwhoP)を連想した人が結構いるのですが、うむ。

おぬしら、わかっとらんのう。

と言わざるを得ない! 

まあ、誰かとの比較で自分の持ち上げたいものを持ち上げる、みたいな誰も愉快にならない図式で話をするのは微妙だとは思うんですが、なにしろwhoPなので。こう、わかむらPだったらどうけなしてもいいや、とか「ぷよm@s」ならどういじくったって大丈夫だろう、というのとベクトルは違いますが似たようなレベルで、whoPとwhoPファンなら別にどう扱ったって小揺るぎもしないからいいや、というのがあるでしょう。(え、ない?) なにより、例に出すのにこれ以上わかりやすいサンプルもないので、このまま続行します。
で、まずはですね、whoPの『THE iDOLM@STER -MEMORY2 SAKURA-』をですね、知っている人は思い浮かべていただきたいわけです。(保存している人はもちろん見ればよろしい。)思い浮かびましたか? ほら、動画が始まるとまず、美希の声が流れてくるでしょう。それから字幕がいろいろ、表示されますね。それでもって、それから先もずっと美希のいろんな台詞が絶え間なく肉声で流され続けつつ、字幕もいろいろ表示されつつ、折々にいろんなコミュが挿入されて、こう、ストーリー的なものが進行していきますよね。(なんつー説明だ……。)
次にななななな~Pの『天海春香  が好きだ』をですね、これも思い浮かべられるひとは、思い浮かべていただきたいわけです。(保存している人はもちろん(ry)するとどうでしょう。まずですね、声がないことに気付きますね。この動画、コミュ映像は結構写りますが、基本春香の声は聞こえません(一箇所だけ聞こえますが)。それから字幕。字幕もありますが、基本、歌詞をそのまま表示しているだけですね。『MEMORY2』のように、歌詞でもコミュの台詞そのものでもない語りとか呼びかけとかそういうテキストがいっぱい表示されるわけではありません。
どうですか? 違ったでしょう。証明終了!

というのは冗談にしても、私はこういう、コミュとか、音声とか、テキストの扱い方というのは、そのPの世界の捉え方とでもいうべきものが浮き彫りになるところだと思っています。『MEMORY2』の時のwhoPという人は、つまり、そのコミュとか、美希の肉声とか、それらをつなぎ合わせて自分に見えている美希の物語とか、そういうそこにあるもの、描き出すものを信じ切って、全力で寄りかかることができる人なわけです。
この、何の疑いもなく全力で寄りかかれるかどうか、というのは、アイドルやゲームとの関係だけの話ではなくて、たとえば、視聴者に対して全力で寄りかかる、というのもあるわけです。こんなに素敵な俺のアイドルを見てくれよ、という動画もそうですが、それだけでなく、お前はどう思うんだ? とか、お前次第なんだぞ、とか、君たちのおかげで僕たちは、とか、そういうものを平気で全部視聴者に投げることができる、というのもそう。Pが各々どこを向いて、何に対して全力でよりかかっているかということは、人によっては各Pの性格を全く異なるものとして見えさせるようですが、私にはあまり大きな違いとして感じられません。だから、ここでwhoPを引き合いに出しながら思い浮かべている範疇と、読んだ方が思い浮かべているであろうそれは、かなり違っているだとうと思いますが、あんまりあのPはこうでそのPはああで、なんてことを言っても全然面白いことにはならないので言いません。ただ、そこで寄りかかれる人と寄りかかれない人がいて、その姿勢の差はコミュ、声、テキストの用い方に表出する、と私は思っているわけです。
それで、whoPに話を戻すと、自らwhoPを名乗っていた頃のwhoPという人は、本気で世界の中心には美希がいて、美希への好きを、美希の力をひたすら開け放っていけば世界は美希で覆われるだろう、と確信していたわけですよね。だから、彼を表現する文句に「MADじゃなくてLOVE」というのがある。たまたま今はMADの形をしているけれど、それは愛そのもの。けれども、いつの時点かで彼は覚ってしまった。世界はそういう風にできていない、と。そこで彼がどこに行ったのかといえば、誰とも接続せず自分ただひとりで、美希の居る、美希のための世界を造り上げよう、というWorld End Produceの人になって現在に至るわけですが。
えーと、世界の涯まで行って迷子になりそうな話を『天海春香  が好きだ』に戻しますと。この動画の歌がどんな言葉から始まるか、覚えておいででしょうか。

「僕が僕であることを人に説明することの無意味さ」

これなんですね。「春香」が「好き」を歌うはずなのに、いきなり「僕」なんですよ。しかも「説明することの無意味さ」です。何度も引き合いに出して恐縮ですが、たとえばwhoPだった頃のwhoPだったら、考えられないでしょう。彼が「美希」が「好き」と言おうとして、「僕」や「無意味」が最初に出てくるとは思えない。んで、更にこの歌にはこんな言葉もあります。(というところで、最も核心的なネタに触れずしかしそのエッセンスを入れるために若干苦心)

「朝も昼も夜も切なさに酔って胸痛めてる自分もいい」

この台詞なんか、全然「好き」な相手のことを問題にしていないわけです。好きな相手を想って一日中「切なさに酔って胸痛めてる」自分そのものを、そんな自分もいいね、とか言っちゃっている。一方でこの歌には「まぶたを閉じても君だけは映る」なんて言葉がありますが、実際この動画を作った人は、まぶたを閉じても春香が映っちゃうような生活をしているんです。アイドルを引退した春香との静かな結婚生活の場面をありありと夢想して、ブログに書いちゃうような人なんです。だけど一方でこの人は、そうやって一日中春香のために思い悩む自分、想い続けている行為そのものを、斜めに達観したような目で見て茶化しつつ、でもそんな自分を肯定している。
なんかな、ここらあたりの話は、時が経てば経つほどやりにくくなっているところがあって。私自身が、いまや泣いていても、悲しいから泣いているんだか、泣ける自分に酔いしれるために泣いてるんだかわからん状態なわけでね。まさしく「朝も昼も夜も切なさに酔って胸痛めてる自分もいい」という言葉そのもので、どうしても話の中に私という「自分」がグチャグチャに混ざり込んでしまう。
それはともかく。だから、たとえばカズマさんはこの動画を「ここまで「近しい存在」として春香さんを捉えた大作があっただろうか」と表現しているし、みゃーもさんは「愛が溢れる」「想いを爆発させてる」と表現している。それはこの動画の、ものすごく普遍的で自然な感じ方だと私も思っています。でも、その「近しさ」「溢れ」って、ひたすら好きで好きでしょうがなくて画面を突き破って向こうにいっちゃうようなものが爆発しているから「近」くて「溢れ」ているんじゃないんですよ。好きで好きでしょうがない自分そのものを覚めた目で見つめている「遠さ」(我々とアイドルの間にあるものを「遠さ」とか「隔たり」とか表現してしまうのは、何も説明していることにならないと思っているので私は好みませんが、今はとりあえずこの言葉を置いておきます)を内包しているからこその「近しさ」なんですね。
「たかがゲームと知りつつ」という、ある種の人には衝撃的な覚醒であり、一つの終着点である言葉は、ある種の人にとってはそれがどうしたのと言いたくなるような当たり前の前提で、出発点に過ぎないのです。……スマン、ここやっぱりななななな~Pの話じゃないね、ただの私の感想だ。
ともあれ。『天海春香  が好きだ』には、「信じる」という言葉が何度もでてきます。「信じる」というのは、何もしなくても無条件で信じられる、という自然で自明なものじゃない。それは、とても能動的で自覚的な行為なのです。
ななななな~Pの、内にある、覚めた目。それは、春香ドーム成功EDとか、L4U以降の公式の展開の憤懣とか、そういうもので醸成された後天的なものなんじゃないか、というと、そういう側面は多分にあるでしょう。ただ、それと同じくらい、アイマスと、ニコマスと出会う以前から形成されていた彼のパーソナリティーによる部分も確実にある。
そこで先の、コミュや音やテキストの使い方、という話になります。意外に思われるかもしれませんが、ななななな~Pという人は、動画中でコミュをそのまま使ったことが、ほとんどありません。ほぼ、『ヤッホー!』『天海春香  が好きだ』の2作だけ、と言っていい。(公式曲MAD以外で)春香の声をそのまま使っているのも、この2作だけです。(ここで絶対にこの2つだけ、と自信を持って言い切れないのは、まあどうにもしょうがない。あと、これが”意外”という筋立ては、読者のマジョリティはななななな~Pを『ヤッホー!』『天海春香  が好きだ』『春香と灰春香』の3つを以て認知しているだろう、という前提に基づいていますが、そもそもその前提がどれくらい成り立っているものやら)
ならば彼はダンスシンクロで魅せるとか、ステージだけで自分と春香のすべてを表現できるとか、そういうPなのかと言えば、勿論そうではありません。ななななな~Pの動画は、あくまでコンセプト、ストーリーによって成り立つ動画です。だけどそこで彼は、春香が動き笑い表現するコミュとか、春香の肉声とか、自己の想いを投影したテキストとか、そういうものに全面的に寄りかからないし、寄りかかれない。そういうものをフィルターに掛けて、ギリギリまで絞り込んでしまう。あえてまた対比的に言うならば、ななななな~Pの動画は、どこまでいっても「LOVEではなくMAD」なのです。MAD以上の何かであろうとしてないし、MAD以外の何かではない。
みゃーもさん(の文章については、またどこかで触れるだろうけど)がこの動画について書いて、「思いっきり、ファン代表Pなのw」と言っていますが、それは確かに、凄く鋭いところをついていると思います。彼の視線は時々、春香の隣を歩むプロデューサーよりむしろ、こちらから春香さんを見つめるファンに、よく似ている。そういう視界を内包している。だけど、それなのに、まったく同時にこの人は、どうしようもなくプロデューサーで、春香のプロデューサーであるというところから一歩も動けない、一歩だって譲れない人なんです。
(しかし、よりによってななななな~Pに向かって”あなたは「思いっきり、ファン代表P」ですよ”と言ってしまうとは。まったく揶揄ではなく、これを言えてしまうみゃーもさんは凄い。ななななな~Pが自分の動画について書かれたこの文章に気付いてなかったとは思えませんが、いったいこの言葉を聞いてどんな顔をしたか、見てみたいものです。いえ、どんな顔も何も、そもそもどんな人相の人なのか知りませんが。)
つまるところ、私はそういう人が好きです。こんな人が好きです。この人が好きなんです。それについては、そうだからそうなんだとしか言いようがありません。

どうせだからこの機会に愚痴るネタはまとめて放出しようと思ったんだけど、いい加減で終わらないとアニマス最終話が始まるので(おっかしーなー、最終話前に一本便乗したネタを書けるくらいの時間があった筈なんだけどなー)、『天海春香  が好きだ』を保存して見られる人向けに、ネタを一つ出しておきます。
えーと、もうどこの歌詞で出てくるシーンだったか忘れちゃったんだけど、いろんな衣装の春香さんが出てきて春香さん大集合になる絵がありますよね。あのシーンで出てくる春香さんはみんな、ななななな~Pのこれまでの春香動画に出てきた春香さんです。たとえば、ベージュハイチェックで頭にハイビスカスを挿しているのは、言わずと知れた『ヤッホー!』の春香さん、パンキッシュゴシックでギター背負っているのは『ナニカ』の春香さん、スノーストロベリーは『未来』の春香さん(ティアラは付けていたっけ?)、あと誰が何だったか忘れましたが。で、注目は、左上。灰色の春香さんがいますよね。しかも、二人いる筈です。えーと、知らない人(はここまで読むのか?) 向けに解説しておくと、ななななな~Pには『春香と灰春香』『灰春香と春香』という、ノベマス形式の動画が2本あって、その二つはストーリー的には直接繋がっていないんですが、どちらにも灰色の立ち絵で表示される春香さんが出てくるのです。で、そのうち『春香と灰春香』は、この『天海春香  が好きだ』より前に投稿されていますが、『灰春香と春香』は『天海春香  が好きだ』より後に投稿された動画なので、この時点ではまだ未知の存在なんですね。だけど、この「好きだ」には、ちゃんと灰春香さんが二人出てくる。もっと厳密に言うと、ななななな~Pの動画で灰色で表された春香さんが登場するって、実はこの2本のノベマス形式作品だけじゃないので、ここで出ている二人が『春香と灰春香』『灰春香と春香』の二つに対応していると断定することもできません。だけど、少なくともここからは、”「灰春香」は単一、一種類の春香の在り方を表現する存在ではない”という重要なポイントが読み取れるのです。『春香と灰春香』を知っている人ならば、(灰のつかない)「春香」=Pと離れてアイドル活動を続ける春香、「灰春香」=Pと結ばれてアイドルをやめる春香、という図式を思い描けることと思いますが、灰春香さんは、実はそれだけで括れる存在ではなかったのです。まあそれがわかっただけでも、『天海春香  が好きだ』の味わいがまたぐっと深く……、ほんとにこれ、動画を見られない人にはなんの意味もない話だな。

……ああ、ついでにもう一つ。最初の方で言った、あえて今日は触れなかったななななな~Pについての記事を書いた方が、その中である動画についてこんなことを書いていて。

「この動画には一時期「春香さんのポジティブ力は世界をも救えると俺は信じていて」というようなタイトルが付いていた」 

私はリアルタイムではななななな~Pの動画をみたわけではないので、この話も件の記事を読むまで全然知りませんでしたが。あー、やっぱそんなこと言ってたんだ、と。笑っちゃうよね。なんでそんなバカみたいなことを本気で言えるんだか、本当。

まあなんだ、書いているうちにちょっと思い出してきたけど、やっぱあれだね。ななななな~Pは春香の最高のプロデューサーだってことに尽きるね。

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