話の桁の違い


タイムリーな話というか、いつでもタイムリーな話を少し。



ニコニコ動画は、投稿して見られてコメントされて、という営為で成り立っている世界です。
ですから、”動画が埋もれる”とか”再生数が沈む”とか、見られている見られていないということが、常に人の意識に上るのは、必然のこととも言えるでしょう。

けれども、何をもって”埋もれ”と考えるかは、人によって、実はまったく異なっています。
ニコマスという範囲内に限っても、”何年前には万再生の動画がいくつあったのに、今のニコマスにはこれだけしかない”、という感触を指して「動画が伸びなくなった」という人もいますし、”この内容の動画なら5千再生は堅いはずなのに千再生しかいかない、おかしい!” という感触を指して「この動画は埋もれている」という人もいますし、数百再生くらいを指して「沈んだ」と感じる人もいます。
皆が同じ言葉で自分の問題意識を語っているために、他人と同じ問題意識を共有していると錯覚しがちになるわけですが、問題を量るものさしというか、認識している問題の(数字的な、量的な、範囲的な)レベルは、人ごとに異なっているのです。

で、たとえばうちのブログで意識しているのはどういうレベルか、ということを書いておきます。
(私のイメージする”相場”と現状獲得できている数字の釣り合い、というようなあまり快くない視点もありますが、それは置いておきましょう)
個別の動画を指して、言っても不毛なことはなるべく言わないようにしているのですが、それでも言いたくなってしまう時。それは、たとえば「毎話50再生、コメント数3だったシリーズ作品が、コメント0になった時」です。

知っている人には言う必要もない話ですが、再生数がようやく2桁とか、コメントやマイリスはあるかどうか、というような動画は、「アイドルマスター」タグの中に限っても、日夜上がり続けています。再生数を物差しにすれば、どういう基準で区切ったとしても、ニコマスの大半は埋もれ動画になる、というのが常態です。
従って、私は動画の再生数自体の高低にはあまり関心がないのですが、(ことに私が見ているのはNovelsM@sterというサブジャンルなので、)コメント数との関係で、再生数も問題になってきます。
現在でもテキスト系動画のほとんどは、動画によって視聴者のリアクションという対価を得られることを想定して作られた筈のものが占めています。だから、動画に対してどれだけ反応があるかが、作る側のモチベーションのためにも、見る側が動画から得られる娯楽のためにも、大きな意味を持つからです。

”どうすればコメント数が伸びるか”という話題で、よく、「動画にツッコミどころを用意すればコメントは伸びる」という話がありますが、それは正確ではありません。「動画にツッコミどころがあって、なおかつ率先して最初にツッコミコメントを打つ者が視聴者の中にいれば、コメントは伸びる」のです。
静まりかえったコンサート会場で一人でオタ芸をやろうとするには蛮勇が必要でしょうが、周り全員がサイリウムを振り回しているライブで見よう見まねで同じことをやるのは難しくない、という簡単な原理で、呼び水となるコメントがあれば、加速的にコメントは増えていくのですね。
そして、動画を見ている母数が大きいほど、呼び水が撒かれる確率も密度も上がります。
ゆえに、コメントというものには、一定数のコメントがあれば更に加速度的にコメントが増える、という閾値が何段階にもあり(再生数自体もそうですが)、かつそれは、再生数とある程度の相関関係があるわけです。

ここで問題です。では、その閾値の一番下では、何が起こるでしょうか? 

わかると思いますが、30人しか視聴者のいない動画にコメントがつくかどうか、という段階になると、動画の内容、作者の自助努力は、何の関係もなくなります。ようは、その30人の中に、常時コメントをする習慣のある人間が一人いるのか、二人いるのか、誰もいないのか。それだけなのです。
(さらに、テキスト系動画は連載作品の占める比重が高いので、投稿を重ねることで母数が増える可能性も、ことに初期母数が小さい場合には、限りなく低くなります。)

従って、一定以下の再生数の下では、動画がどれだけ面白かろうがつまらなかろうが、あるいは連載途中から面白くなろうがつまらなくなろうが、全くコメント数やマイリスト数に影響しない、という現象が、現実に発生します。
(勿論、動画の内容、方向性によってどれだけコメントしやすいかは変わるので、”一定以下”とは言っても、具体的にいくつ以下ならば、いくつ以上ならばと判定できるわけではありません。ただしこれは、上側は上がる可能性があるというだけで、下限が下がることを意味しません。)
動画がこの状態になった場合、外部からは、その動画の内容を評価する指標はまったく存在しないことになります。

さらに言えば、そうした状態のシリーズ作品の場合、連載が長期化すればするほど、コメントが消滅(減少ではない)する確率も高まります。視聴者も一個の生活者なので、大量の新着動画に常に張り付いてコメントするような視聴体制はそうそう持続するものではなく、何ヶ月も連載していれば、積極的にコメントするアクティブ視聴者が入れ替わって、自分の動画からはいなくなる、というケースはしばしば起こるからです。
もちろん、逆のケースもあります。連載開始当初は一話あたり5~6個だったコメント数が、三十話連載した後には十数個に増えていた、というケース。連載が長期化し物語世界とキャラクターに視聴者が慣れ親しんだことで、呼び水に反応する視聴者が増えたわけです。あるいは、投稿何周年とか何十話とかいう節目に、お祝いコメントで一時的にコメント数が増えたりもします。
コメントの閾値とはそのように、固定不変のものではありませんが、しかし厳然として下限が存在するものであることを、再度強調しておきます。

さて、上記の閾値の問題と、実際に私が視聴した閾値に達しなかった動画から、私は次のように思っています。
すなわち、動画がある程度以上の再生数やコメント率マイリスト率を持つことは、その動画が一定以上の「品質」(という言葉をあえて使いましょう)を有することを保証します。けれども、それらがある程度以下であることは、動画の「品質」を知る手がかりには全くなりません。

これは、見る側にとっては、ちょっとした問題です。
なぜならば、視聴者というものは、自分の好みのもの、面白いと感じるものはなるべくたくさん見たいが、好みでないもの、面白いと思わないものはなるべく見たくない、という、非常に当たり前の心理ではあるけれど、実際に作品に対するに際してはなかなか面倒な思考を、普遍的に抱えているからです。
好みでないだろう作品の大量の山が存在するが、その中に好みにヒットするものが存在する可能性を排除できず、その差を外目からは判別できない。そんな状況は、視聴者にとって好ましくないわけです。

たとえば「ウソm@s」という企画が孕んでいる軋轢の根本は、そういうことです。
あれは、私はその内容に興味がある人間なので、だいたい全部のサムネが意味のある記号に見えます。
しかし、関心のない人間にとっては、「アイドルマスター」というその人にとっても庭である場所に、何百という集団荒らしが押し寄せてきたのと同じことです。
自己の琴線に触れる一つだけを探すために、何百という有象無象の山をかき分けなければならない。私はそういう状況を、見る側が負う必要のない不当なリスクだとも、支払うには高すぎる代価だとも思いません。だから、「アイドルマスター」タグの下でどんな動画がどれだけ大量に上がろうが、構いませんし、知ったこっちゃありません。
が、世の中は互いに構わない知ったこっちゃないで済ませられない感情に満ちているので、軋轢は絶えないわけです。

「ウソm@s」という企画は膨張を重ねて、いろんなものが限界に来ている側面もあり、一方でもはや他に代替するもののない機能を果たしている側面もあります。これからどういう方向に行くべきなのか、私にはわかりません。
ただ、矛盾と軋轢を背負って自己を押し通すのが企画ごとの根本であって、押し通せる覚悟のある人がいたから「ウソm@s」という企画は続いてきたし、これからもそういう人がいるのであれば、続ければいいし、続いていくんじゃないでしょうか。

脱線しましたが、まあつまり、埋もれるとか伸びるとかいう話を聞くときは、話の対象となる桁を想像できるとわかりやすいよね、というのが、言いたかったことでした。
たとえば、こえら氏が時々される話とか、zeit氏が時々される話の桁を想像しますと、多分私の使っている桁とそんなに変わらないんじゃないかな、と思うわけで。再生数なら15なのか50なのか100なのか、コメント数なら0なのか2なのか5なのか、マイリスト数なら0なのか1なのか2なのか、そういう世界の存在を前提にした話ですね。
それが想像できたところで、貴方の楽しいニコマスライフには何も貢献しないことを保証しますが、ニコマスブログなんぞをわざわざ熱心に読んでいる方は、このブロガーは一体何を言っているのか、ということが少し見える、錯覚がしやすくなるかもしれません。


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