陽一P『千早を飼うことになった。』に関する覚え書き


陽一P 千早を飼うことになった。 (11/10/9)



投稿当時はそれなりに話題になった動画ではあるのだが、今、この動画の話を、と言ってどのくらいの人がすぐにピンと来るのかは知らない。しかし筆者としては、"この記事を読まれる方は、あらかじめこの動画の内容を把握している" という前提で、以下の文章を書いていく。

本記事は、この動画について、紹介や感想を述べることを目的としていない。単に、筆者がこの動画をどう評価しているか、を述べることだけが目的である。そして、「この動画そのものをどう評価するか」という端的な総括は、あらかじめ格納せずに記しておく。格納先には、瑣末で蛇足的な事柄しかない。最初の総括を読んで何もひっかかるところがなかった方には、そのままお帰りいただくことを推奨する。格納先には、貴方の人生にとって無駄なことしか書かれていないことを保証できるからだ。


本作の投稿当時の評価としては、 "過激である" ことを前提としたものが主流だったと思う。「問題作」という表現もあったし、「退廃的な芸術作品」という表現もあった。
ノベマス読者としての筆者の見解は、それらと異なっている。
「既存のノベマス作品に対し、とりたてて斬新な部分も、注目すべきオリジナリティもない、平凡な作品」、というのが、筆者の本作に対する基本的な評価である。
「既存のノベマス作品に対し」という部分について、若干の説明を加える。

第一に、性行為描写の過激性について。当今(投稿当時においても)、18禁小説レベルの性行為描写を持つノベマスの例はいくらでも存在する。性行為描写を持つノベマスを、珍奇で過激なものとして反応する人が多いのは、単にそれらのうち少なからずが、再生数と関係ないところに、すなわち多くの人が知らないところに存在しているからだ。

(補足すれば、はじめからノベマスにそのような状況が成立していたわけではなく、そのような表現が当たり前に生み出されるようになるまでにはそれなりの変遷があった。また、現在でも、ありとあらゆる表現が野放図に展開しているわけではなく、センシティブに扱われる境界線が存在する。しかし、それを詳述するのは本稿の目的ではない。)

そういう意味では、 "エロは伸びる" "ノベマス作者は伸ばすためにエロをやる" という流説は、どちらも迷信である。「伸ばすことを狙い、伸びるように工夫されたエロが、狙いが嵌まった時だけエロは伸びる」のである。

そして本動画こそ、そうした伸ばすための工夫が、サムネ・タイトル・動画冒頭のインパクトから作者の動画外での動きまで含めて、総合的なプロモーション技術が存分に駆使され、成功を納めた動画である。
逆に言えば、特筆すべき点は、そうした動画をプロモートする技術の面だけであり、内容面には特筆するところがない。そのことを、もう少し説明する。

まず、陽一Pを知る読者ならば、この作者が、本作と同工の、一人のアイドルとの、相互の精神的な依存を伴う性的な関係を描写する作品をいくつも投稿してきたことに、すぐに思い至るであろう。

響を飼うことになった。 アイドルマスター (10/2/5)

やよいと援助交際することになった (10/9/29)

いおりんの足をひたすらぺろぺろするだけの動画 (11/5/22)

作品ごとにシチュエーションの差異はあれ、これらの作品が、テーマ的にも表現手法的にも同質のものの繰り返しであることは、明らかであろう。

次に、アイドルとの性行為を描く作品において、相互の精神的な依存をテーマとし、背徳的、退廃的、閉鎖的な世界を描出する方向性は、むしろ極めて常套的な手法であり、陽一P以外にも多数の先例が存在する。(例はすべて、本作の投稿以前のものである。)


下着ドロP アイドルマスター短編『足りなくなる』 (08/9/9)

瑞P シアワセのカタチ【5mium@s】 (09/6/14)

愛識P 【Starting over】 気ままな気のせいのせいで【Cross×Over】 (09/1/13)

愛識P やよ‥‥子猫を拾って愛でて見た \カワイイ/ (09/2/28)

梅子茶P 【刺しm@s】 幸せな二人 (10/8/8)

看板泥棒P 「ねえ──、ワンって鳴いてよ」【エロm@s】 (11/3/15)


ちなみに、本稿の公開が対象動画の投稿に対してこれだけ遅くなったのは、「多数の先例が存在する」と大見得を切って実際に思い浮かんできた動画がこれだけで、自分の脳内データベースの衰えに絶望してそのまま投げ出していたからである。
なお、ここでは ”先例” として一括りにしたが、実際には、ことに古い作品ほど、各々の作品・作者に、特徴的な部分が存在している。しかし、本稿では詳述するのを省く。
ただ、たとえばこの中の愛識Pの作品と比較することで、陽一P作品の特性も明らかになるので、若干それを行っておく。

以前言及したことがあるが、愛識Pもまた、繰り返し依存関係を中核とする世界を描いている作者である。愛識Pは、自身の描く物語を「救済」の物語であると定義し、その骨子は多くの作品で同じだ、と自ら言明してもいる。自覚しているだけに、その同じテーマの作品群に対して、各作品ごとにどのような変化、シナリオ上の起伏をつけるかに、彼は注意を払っている。いわば、「起承転結」の「起」「転」の味付けを常に変動させて、同じものを新しく見せようとしているのが、愛識Pの描く人間関係である。
それに対して陽一Pの描く依存がテーマの作品は、いわば起も転も結もない、「承承承承」の世界である。終始、閉じた世界で二人の人間が絡んでいる風景だけが存在する。どれを取っても同じ、どこで切っても同じ。そういう意味では、愛識Pの描く依存が、読者の感覚を逆撫でしつつシナリオの起伏によって最後まで引っ張ろうとする方向性を持っているのに対して、陽一Pのそれは、読者がその風景に感応できる部分があるかないか、合うか合わないかが全てであり、反発が生まれるのは当然のこととも言える。

なお、ここまで異性の性的関係を扱った作品に絞って話をしてきたが、同性の関係を扱う作品を含めると、もっと例は増える。同性関係を描き、シリアスな方向性を打ち出そうとする作品の多くが、”世間に背を向けて二人だけの背徳的で閉鎖的な関係に溺れる” という方向へ向かうからである。陽一Pもその類いの作品を作っているし、他の作者を含めれば、例はそれこそ枚挙に暇がない。


繰り返しになるが、再度筆者の評価をまとめる。
本動画は、
・赤裸々な性行為の描写
・男女が相互に依存する関係
の両面において、過去のノベマス作品群に対しても、作者自身の作品群の中においても、特筆すべき斬新性、オリジナリティを持っていない。ただ、その内容をプロモートする技術の卓越性だけが特筆すべきものである。結果として、本動画をめぐる語り、批判が生じた。それは作者がこの内容をプロデュースした狙い通りであろうから、作者の目的が想定の範囲内で達成されたという点において、幸福な結果を得た動画と言うべきであろう。


また、「声を失った千早」という設定自体についてはここまで特に言及していないが、公式、ニコマスともに長い系譜を持つ設定であり、特段この動画で新出したものでないことは、周知の通りである。ノベマスの中で例を挙げれば、たとえば

綾丸P 如月千早の失踪(仮)(10年01月02日~02月17日完結)
中南海P 律子「医者になったけど、もう心折れたわ」 (12年02月23日) ・ 律子「心は折れたけど、明日も医者の仕事頑張ってみようかな」(12年04月23日)

が該当する設定を持つ。
「声を失った千早」について、本動画の描く結論では納得できない、という方は、これらを視聴してみても良いのではないだろうか。


                                 以上。

















































ただ。

私は、SS書きとしてはともかく、ノベマスPとしての陽一Pという作者に関しては、それなりに長きにわたって読者をやっている。読者としては、本動画に彼の思考・資質がどのように反映されているか、想像せずにはいられないし、このPの作歴の中で、この時期にこのような動画が投稿されたことがどのような意味を持つのか、この動画から陽一Pという作者のどんな部分が明らかになるのか、考えずに済ませるわけにはいかない。


大前提、大命題として。陽一PというPは、千早のPである。
千早Pである彼が、何故千早をこのように扱った動画を、世間に対して公開するのか。それは、アイドルを道具としてしか見ていないから、エロが書きたいから、再生数が欲しかったから、と言った回答だけで片付く問題ではない。
なぜならば、まさしくそれだけなのであれば、 "あえて千早でなければならない" 必要性はない、からである。少なくとも、作者自身の中には、 "これを千早で表現しなければならない必要性" がなんらかの形で存在した筈であり、そしてそこには、陽一PというPのアイドル観、アイドルへの対し方が反映されていよう。それが何なのかを考えなければ、「陽一Pというプロデューサーの作品として」本動画を読解したことにはならない。

本動画の設定を知ると、陽一P作品の読者ならば、ただちに連想される事柄があろう。 "千早が声を失っている" という設定は、この作者の過去作、『Bullet×M@sters』(07年11月21日~10年08月26日)において、既に登場しているものだ、ということ。
『Bullet×M@sters』は陽一Pの最初にして最大の長編作品(そして私の中での位置づけとしては、このPのもっとも重要な仕事)である。作品中で、千早の初出自体は08年5月である。ただ、千早を巡る物語は、このシリーズの中で第一部のクライマックス的な位置づけになっており、当初から「声を失った千早」が、中核的なテーマとして構想されていたことが想像できる。
すなわち、このPにとって「声を失った千早」への問題意識は、『千早を飼うことになった。』前後で突然出来したものではなく、むしろ創作活動の一番最初から意識し続けてきた、大きな命題であった筈なのだ。
そして、10年08月26日に投稿された『Bullet×M@sters』のエピローグにおいては、登場人物各々の、未来へ歩む姿が描かれて、物語に終止符が打たれたが、その中には、千早に関する描写も含まれていた。すなわちこの時点で、彼は「声を失った千早」の未来をどうすべきか、どうあるべきか、という問いに対して、少なくとも一旦は、作品による回答を出していたわけである。いわばその命題は、彼にとっては一度 、「終わった」 ものだった筈なのだ。

では、何故彼は、1年以上前に決着をつけてきたはずの問題を、ふたたび引っ張り出してきたのか? 10年夏と11年秋の間に、何か大きな変化があったのだろうか? 
思い返してみれば、確かに重要な事件が起こっている。ゲーム『アイドルマスター2』の出現である。『アイドルマスター2』の千早シナリオによって、”プロデューサーの与り知らぬところで声を失っていく千早” という存在は、公式のストーリーとして現実化した。

それでは、『千早を飼うことになった。』は、作者が『アイドルマスター2』で表現された千早に衝撃を受け、千早についてのストーリーを考え直し、再構築しなければならない必要性を感じたことによって、生まれたのだろうか? 
動画と、動画に関する作者の言動を観察する限りにおいては、そうは思われない。この動画から感じられるのは、自らの心中にある課題と対峙しようとする、内的な方向性の動機ではなく、世間を挑発し、他者に対してなんらかの意識を喚起しようとする、外的な方向性の動機である。
明らかに作者は、世間に対して、千早についての何かを突きつけたがって、もっと深く考えろと叫びたがって、いるように見える。発しているメッセージ自体が、どれほど批評としての鋭さを持ち得ているかは、ともかくとして。そしてそれは、作者の中に、自らが千早について蓄積してきたものについての何らかの自信、依って立つ基盤が存在すればこその事柄であろう。

逆に言えば、この『千早を飼うことになった。』の内容を踏まえることで、陽一Pが過去に描いてきた千早の物語が、何故あのような形でなければならなかったか、を理解することが可能になる。

『Bullet×M@sters』における千早は、弟も歌も家族も奪われて、まったくの独りで、プロデューサーというと殴り合う。その時プロデューサーの方は、春香によって精神的に支えられているのだ。なんでそんな構図になるのか、不思議だと言われれば不思議なこと。
あるいは『Abyss in Heaven』の千早は、信頼すべきプロデューサーや事務所の仲間を一応持ってはいるが、それらから切り離された、「地下」という世界で、一人でオーディションを戦うことになる。そこで彼女のパートナーとなるのは美希であって、プロデューサーではない。『Abyss in Heaven』の千早には帰るべき場所はあるが、頼るべき大人はいない。
何故、陽一Pの描く千早の物語は、そのような形になるのか。平穏にプロデューサーが隣に居て「一緒に未来を目指」したり、あらかじめ寄り添ってくれる「仲間」が配置されている物語を書くのでは、駄目なのだろうか? 

その答えが、『千早を飼うことになった。』のPと千早の関係を通して、顕われている。
彼が千早に惹かれる感情の中核には、互いの一番弱くて歪んでいるところで通じ合あうとする情動が存在する。それは、最初に例示したように、対千早に限らず、陽一Pの作品中にしばしば表出する体質ではある。
けれども彼は、千早にこそ、それともっともよく響き合う資質を見出だしているのだろう。千早の中に、自己の抱える弱さ、傷、孤独とどうしようもなく似通ったものを、どうしようもなくぴったりと寄り添えてしまう相性の良さを、見出だしているのだろう。

彼女の求める全てを自分にすり替え、互いにもたれ合うだけで完結している世界は、単なるプレイのシチュエーションではなく、芸術的表現を目指した工夫でもなく、作者自身が魅入られ吸引されている磁場そのものである。誰よりも、陽一P自身がそれをよく知悉している。
『Bullet×M@sters』において、戦いの後プロデューサーとアイドルは同じ光景を目撃する。それを目にするのはPと千早であって、Pと春香でもなければ、春香と千早でもない。『Bullet×M@sters』は春香を主人公とする物語であり、Pと恋仲になるのも春香であるにも関わらずだ。『キラーチューン』においてはもっと端的に、千早自身の口から、自分とPは「臆病さ」が似ている、と共通点が語られる。
これらの物語において、プロデューサーと千早とは、なんらかの呼応する共通性、類似性を帯びた存在なのだ。

ゆえにこそ、陽一Pが千早に向き合って物語を書こうとする時、彼は千早を突き放し、叩き落す。異質の存在を物語中に呼び込んで、彼女に叩きつけることを志向する。
たぶん、誰よりもP自身が、自らの情動、体質を嫌悪し、それを振り切ろうとしている部分があって、そしてそこに遠心力を働かせられるのは作者だけであることを、このプロデューサーは知っている。

一方、彼の他の物語と『千早を飼うことになった。』を見比べると、本動画にのみ欠落している、特徴的な要素が存在することにも気づく。
すなわち、陽一Pの千早をめぐる長編群、『Bullet×M@sters』『Abyss in Heaven』『キラーチューン』のすべてで、千早に付随して語られる存在。高空を飛翔する「鳥」のモティーフが、本動画においてはまったく登場しない。

この "蒼い鳥" のイメージは、ともに堕ちてゆこうとする情動とそれに逆らう志向という、陽一Pの千早をめぐる軸の、根本に存在するものでありながら、同時にそれにとどまらない位相を持っているように思われる。
『千早を飼うことになった。』も含め、すべての陽一Pの千早の物語は、結局のところ彼女を、たったひとりの孤独からは解消解決する方向に動いている。けれども、そうして千早の物語を描き続けずにはいられない陽一Pの心情の根幹には、虚空をただ、高くはてなく飛ぶ "蒼い鳥" の美しさ、そのものへの憧れ、希求があると思うのだ。
彼女に幸せ、笑顔をもたらしたいという願い、彼女の隣に寄り添いたいという感情、ともに堕ちていきたいという欲望のいずれも、その同じイメージから同時に湧き出ているものである。が、同時にそれらと別次元の、そのもの自体への憧憬、千早というアイドルが陽一Pというプロデューサーを魅入らせた、その瞬間の原動力が、そこに存在し続けているのではないか。
陽一Pの長編が、つねに「歌を歌う」こと、それも、具体的に特定のアイマス曲のナンバーを歌っていくことを大きな軸としているのも、あるいはその原点には、理想の "蒼い鳥" を描き出すことへの希求があるのかもしれない。

さて、しかし『千早を飼うことになった。』には、そうした形而上的なイメージへの希求も、情動に逆らって動く激しい志向も、存在しない。いわば本作は、陽一Pが抱く千早への想いの中から、その美しいところも激しいところも除去して、もっとも醜くどろりとしたものだけを見つめて映し出したポートレートである。

最初に述べた通り、私は「この動画そのもの」は特に評価していない。
けれども、陽一Pが千早を描いてきた軌跡の中に位置づける時、本作もまた、欠かされざる一面を表現した一ピースである。ひとりの千早Pが描き出す世界の中の一つの礎石として、興味は尽きないし、世に出てしかるべき作品だったと私は思っている。それは、本作が傑作なのか駄作なのか、問題作なのか否か、数字や人気を第一目的にしているか否か、ということとは関係がない。


ともあれ、以上は陽一Pのノベマス作品群を(ただしあくまで私個人の読解と解釈によって)踏まえた場合に出てくる話であって。そもそも作者自身が、別段そんなことは期待せず、動画一個の中だけで受け取られ語られるだろうことを想定して放出している動画である。
結果としてこの動画から新鮮な刺激を受けて反応する人たちが現れたのだから、それだけでも作品が世に出た意味は大いにあったと思う。ただ、私としては、作品を囲む言葉が予定調和の壷の中にとどまっている光景は、見ていてそんなに刺激的ではないと。だから必要な範囲の評価とは別に、蛇足をつけておいた、というだけの話。
もっとも、私だって動画化されていない部分の陽一Pの創作活動については無知だし、他人から見れば私の文章こそごく狭い壷の中にあるようにしか見えない部分も多々あろう。そのようにして語りの幅がどんどん拡がっていけばもっと面白かったけれど、この作品はそういう展開にはならなかったわけで。






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