千早と共に生きる、ということ


順番というものがあるので、この記事の公開はもう少し後回しになる予定だったのですが、そうか千早の誕生日か、と気付いたので。
この前の私的なドタバタについては、また日を改めて。


中南海P 律子「医者になったけど、もう心折れたわ」 (12/2/23)



上記の動画についての大きなネタバレを含みます。


中南海Pの『律子「医者になったけど、心折れそう……」』シリーズ(11/8/6~)を、私は優れたフィクションだと思っている。優れた、というのは、この物語が、人間というものについて、あるいは人間の営みというものについて、ノンフィクションや論述ではなくフィクションであればこそ、読者に共感され、理解されやすい形で表現できている部分がある、と感じるからである。

同じことだが、少し言い方を変えると。
「どんな難しい疾患も、隠された疾患も、分析して、見つけ出して、治して見せましょう」という気概に満ちた免許取り立ての新人医師・秋月律子が、謎だらけの医師・四条貴音の経営する小さな診療所に採用され、さまざまなおかしな患者に遭遇する……、というのが本シリーズの概要だ。
だがもちろん、現実には、この律子のようにどこもかしこも頭でっかちで杓子定規で世間知らずで理想家の新人、などというものは滅多にいないだろうし、この貴音のようにエキセントリックで優秀で訳ありで都合良く自分だけの城を構えている上司、などというものもいないだろう。
しかしながら、そのような極端に戯画化されたキャラクターを用いることで、本シリーズの描くエピソードは、単に特定の物語世界の中の特殊な一エピソードではなく、医者という職業人が遭遇する、あるいはもっと広く、仕事する人間が遭遇する、もっと言えば、人生において、他者との関わりの中で誰もが遭遇するような、普遍的な問題・苦悩を活写し得ている。あるいは、この作品からは、そういう普遍的な問題を、戯画化されたキャラクターによる表現の中に落とし込もうとする、作者の明晰な意識が読み取れる。
そういう意味でこの作品は、キャラクターを人間の一つの類型としてではなく、人間の一つの典型として描くことに成功している作品だと思う。


さて、最新作の『律子「医者になったけど、もう心折れたわ」』は、サムネにある通り、千早が患者としてやってくるお話である。千早と医者、という組み合わせの時点で連想する人も多いだろうが、千早が声を失う、という問題を扱ったエピソードである。
中南海Pの作品の主人公は、デビュー作(知っておきたい腎不全〈アイマス教養講座〉 10/1/8)に始まる教養講座のシリーズ、そして本シリーズにおいては律子であるが、それ以外の単発の作品においては、千早に焦点をあてたものが多くある。

Cell 千早とP(達)の一年 (11/1/3)
『Toy Soldiers』 by Martika/如月千早 〔ノベマス短編〕 (11/3/3)
 聞 こ え る 千 早 〔ノベマス・嘘最終回〕 (11/5/3)
きこえる千早〔Ifm@s;嘘最終回〕 (11/11/5)
歌わぬ千早:第一節〔嘘m@s〕 (11/11/6)
千早さんの収録風景:カーペンターズ (12/1/31)
春香さん千早さんの収録風景:サイモンとガーファンクル (12/2/10)

中南海Pというプロデューサーの中で千早がどういう位置を占めているかは、これだけでは断定しがたい。ただ少なくとも、千早の抱える物語が、この作者の重要な関心対象であることはうかがえよう。
だからこそ、と言うべきか、『律子「医者になったけど、もう心折れたわ」』の千早は、喉を痛めつける無茶なトレーニングをして声を失っていくわけだが、その千早の精神・身体上の問題そのものに対する解決は、本動画の中では提示されない。動画自体の主眼は、医者の側でいかに手を尽くしてもどうにもならない、そういう患者を前にして、医者はどうすればいいのか、という点にあろう。
(本動画の展開は、たとえば無印コミュの流れをなぞる『Cell 千早とP(達)の一年』とは全く異なるわけだが、にもかかわらずその展開は、『Cell~』で繰り返される「体は嘘をつかない」というテーゼと、深く結びついているように思われる。)
けれども私は、本動画は、ニコマスの千早の物語の系譜の中においても、重要なオリジナリティを持つものだと思う。

その第一の理由は、医師として千早に接する、という視点そのものにある。
所詮は他人である彼女たちは、弟が、家族が、プロデューサーとの関係が、というような、Pや事務所の仲間ならば知り得るかもしれないことを把握することもできないし、実際に今進行しつつある千早のアイドル生活の内実を知ることもできない。
にもかかわらず、職業人としての知識と経験ゆえに、千早の心と体の状態そのものについては誰よりも深く理解し、共感することができる。そういう視点から千早を描写する、というオリジナリティ。

第二に、その延長線上の事柄として、その立ち位置ゆえに描ける千早の姿がある、ということ。
今まさに、この舞台だけ歌えれば永遠に喉が潰れていい、と言い切って舞台に出て行く千早を、わかった、それで構わない、といって送り出す。そんな情景を、およそ我は千早のプロデューサーなりと自認している人間の視点から描くのは、ほとんど不可能であろう。
千早に対して影響力を持ち得ない他人であるからこそ、それを描くことが可能になる。それは無論途方もなく間違っていて、取り返しのつかないことには違いないが、しかしその瞬間、確かに彼女なりの覚悟と決意を持って舞台に立とうとしている千早の姿、というものを。

第三にして、もっとも重要なこと。
そうして、千早がたとえば弟も家族も歌も完全に失い、それを代替する何物かも得られずにアイドルをやめたとしても、そこにはただ堕ちていくしかない奈落が待っているのではない。その先にも千早が歩むべき・歩まなければならない・歩むことのできる人生があり、そこにも千早を想い、支える人たちがいるのだ、ということ。
本動画のシナリオはそんなことを描いてはいないし、そこまで意図していないかもしれない。しかし私はこの物語世界の先に、そういう未来を見出だす。
千早という患者を前にして、 ”何のために医者があるのか” と幾度も自己に問いかける医師・律子は、たとえば千早がスキャンダルに見舞われたとしても、アイドルをやめたとしても、二度と声が出ない体になったとしても、はたまた精神崩壊したとしても、ふたたび彼女が患者として目の前に現れれば、現れ続けるかぎり、彼女の体のために最善を尽くし続けるだろう。そういう千早にとっての支えは、たとえ千早自身が気付かずとも、彼女の周りの至る所にあるだろう。そして実際問題として、物語は ”こうして千早は歌を失ってしまったのでした” で綺麗に幕を引けても、千早自身はそれから何十年も歌えない体とつきあって生きていかなければならないし、生きていくことができるのである。

千早というアイドルから歌が奪われたら、あるいは、千早自らが歌を失う道に踏み込んでしまったら。それは、千早の物語を巡る根本的で重大な問いの一つである。連綿として問われ、今も問われ続けているし、それに対する解答は、いくつかの作品において結実した。
しかし、たとえば自力によって、もしくは「プロデューサー」なり「春香」なり「仲間」なりの支えによって、あるいは燕の出現なり過去の幻影なりのファンタジックな力によって、それを克服し、歌を再獲得できた千早がいるとして、ではそれらを手に入れられなかった千早はどうなるの、どうすればいいの? という問いはおそらく、完全に打ち消すことはできない。

脱線すると、春香の無印ドーム成功EDを巡る問いの構造も、それによく似ていると思う。ED後自力で前を向くなり、プロデューサーと結ばれる未来を勝ち取るなり、代替となる人間関係を獲得するなりできた春香がいるとして、ではそれらを手に入れられなかった春香はどうなるの、どうすればいいの? という問い。
アイドル生活が春香にとって幸福であれ不幸であれ、あるいはその結尾にプロデューサーと結ばれるのであれ振られるのであれ、その先にもやっぱり春香の人生は続いているよね、というのを、私はごく当たり前の発想だと思う(ことに、千早の物語ややよいの物語と比べるときには)のだけれど。ある時代、ある流れの中で春香の物語が考えられていた時には、そういう発想は全く想像の埒外に排除されていたように思えるし、今そういう認識がどれくらい共有されているのかも私にはよくわからない。
私個人の視界からは、無印のあと強まり続け、必要とされ続けてきた ”「仲間」を愛する・「仲間」を結びつける・「仲間」のために存在する春香” という文脈とブレンドすることで口当たりがまろやかになっただけで、ニコマスの通念が春香の人生に対して持ち得ている視野は、『「永遠の嘘をついてくれ」』がニコマスの春香のイコンだった頃から大して変わっていないように思える。
 
それはともかく。 "声を失った千早" に心をとらえられ、思索してきた人は多いが、 ”声を取り戻す” ことに心を砕いた作品は多くとも、"声を失った先の未来” ("声を取り戻せなかった先の終焉" ではなく)を見据えた例を、あまり思い至らない。
本作品は、それを指し示すものだと思う。歌えない、べったりと依存できる相手もいない人生だとしても、そこにはやっぱり、それなりの千早の人生があり、千早の幸福があるよね、ということ。いや、先にも述べた通り、本作品のシナリオ自体は、そこまで提示していない。ただ、私はこの作品の物語世界から、この物語世界に息づいている人間たちから、そういう未来を見出だすし、それを、千早の物語の系譜を考えるとき、忘れるべからざる大切なことだと思う。

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