結果としては、アニマスの話


zeit氏、damehumanoid氏、gouzou氏がやよい動画の記事を書かれているのを見て、そーか、アニマスに乗っかってやよいの話をするのが当今の流行か、と思って書き始めたのですが、何故かやよいがちっとも登場しませんでした。
途中で、あ、これはニコマス動画の話にならないでアニマスの話になるな、と思ったので、アニマス関連の考えていたネタをぐちゃっと詰め込みました。読んでいてもどこに話が行くのか分からないと思いますが、あしからず。



私はよく、各アイドルのポジションということを言います。
つまり、十数人のアイドルを使って物語を作りましょう、ということになった時、どのアイドルに物語上のどんな役回りを分担させるか(たとえば殺人事件の謎を話し合って解決する、という場面が与えられた時、まとめ役になるのは誰でブレイン役は誰で場をかき回すのは誰で和ませるのは誰なのか、というようなこと)は、誰に考えさせてもだいたい似通ってきます。
そういう、全体の中でこのアイドルにはこんな役割をさせるよ、という傾向あるいは共有認識を、私はそのアイドルのポジションと呼んでいます。これをそのアイドルの個性だと思っている人もいて、無論それは何も間違ったことではありません。
けれども、それはゲームで描写される各アイドルのキャラクター像とは必ずしも一致しないし、また完全に一致させることが元より不可能なものでもあります。原初的なアイマスのアイドル描写=コミュにおいては、Pと一対一の時の、Pの主観視点で見えること以外のアイドルの情報は元より欠落していて、それ以外は全て想像によって書き足すしかないのですから、当たり前のことですね。
アイドルの個性についての、逆のパターンもまた、これで説明ができます。すなわち、ニコマスでもアニマスでもなんでもいいですが、自身のアーケードや無印のプレイ経験に基づいて、あれを書いている人はこのアイドルの個性を正しく描けてないよ、という不満を持つ人。アイドルとの一対一の関係から己の導きだしたキャラクター像と、キャラクター集団全体の中で与えられた役回りから定まってくるアイドル描写の違いに怒っているわけです。
以前もこういう話は書いたことがありますが、再度記述したのは、アニマスを見ていると、アイドルのポジションというものについて、改めていろいろ考えさせられるからです。アニマスで描かれる諸々の人間関係は、公式と非公式とを問わず、延々と描き足され循環して構築されてきた、各アイドルのポジション相関図総集編という感があります。
私はアニマスを毎回楽しく見ている方の人間ですが、そういう意味では、アニマスに予想外の驚き、新鮮な衝撃といったものは感じません。私はそういうものを期待してアニマスを見ているわけではない、ということでもあります。

何を期待してアニマスを見ているか、ということは、アニマスの受容のされ方を考える上でのポイントだと思っています。
全般的な傾向として、たとえばシナリオ単体でのエンターテインメント性の高さ物語性の高さ、あるいはキャラクター個々の掘り下げ、そういうものを期待していた人は、アニマスから離れたか、あるいは離れつつあると思います。たとえばゼノグラが好きだった人の中で、アニマスでも波瀾万丈の面白いストーリーが見られるだろう、と期待していた人。あるいは、竜宮小町の結成事情・あずささんが髪を切った理由等について、納得のいくよう掘り下げてくれるだろう、と期待していた人。逆に見続けている人、楽しんでいる人はというと、可愛い女の子がたくさん出てきて日常を過ごしながら成長していく姿、それだけで幸せだなあ楽しいなあ、という人が多いんじゃないでしょうか。
期待していたものと提供された実際のコンテンツとの一致性が問題になるわけですが、そこにアイマスの前提知識がどれだけあるかは関係ないわけです。つまるところ、可愛くて楽しいものは誰が見たって可愛くて楽しいのです。それ以外の何か、それ以上の何かを求めるなら、アニマスでは満足できなくなるでしょう。

アニメとしてアニマスを見て、期待するものと違っていたという人は仕方がないわけです。しかしアイマスコンテンツとしてアニマスを見て失望した、という人の場合、それは多種多様なアイマスコンテンツの中から特定のものを選択した上での結果ということになります。
状況から事前情報から、13人のアイドルに均等に出番を与え、大きな波風を立てることなく和気藹々とした姿を描く、そういうものになろうことは想像がつきます。そういうアニメと、キャラクターを自由に構築してロボットに乗せたアニメ、あるいは原作ゲーム、コミック化、2次創作。各々の媒体ごとコンテンツごと、固有の特性と周辺事情があって、描きやすい情報と描きにくい情報があるのは当たり前の話です。
たとえばシナリオのエンターテインメント性やキャラクターの掘り下げを求めるのであれば、どれに求めるのが一番合理的か。合理的というのは、予想できるコンテンツの性格からして、どれに自分の求める内容が含まれている蓋然性が高いか、ということです。私などは、ノベマス中心にコンテンツを摂取している人間なので、そういうものが見たいならアニマスじゃなくてノベマス見ればいいのに、と感じる場面に時々出くわします。まあ、それだけのこだわりを持ってアニマスに臨める、理想を載せられるのは羨ましいことです。

諸々の人が期待するものの総体を考えた時に、アニマスは最大限に広いニーズに応える、最適解に限りなく近い道を選択しているな、と私は感じています。そのことは前に書きました。

たとえば私が戦術的によく構成が練られているな、と思ったのは、1話ごとに人物への焦点の当て方を変えていたところです。まず1話は、例のドキュメンタリー風の構成で、特定の主役を定めずに次々登場人物を回していく。(これ自体、Pと視界を共有して画面を眺めるのが当たり前のゲームプレイヤーと、登場人物は全員画面内にいて客観視点からそれを眺めるのが当たり前のアニメ視聴者の意識の差を摺り合せる、苦肉でありながら最上の策だったと思います。)続く2話では、伊織、やよい、亜美、真美をグルーピングして主役級としつつ、全員を出す。3話は雪歩一人がはっきりと主役で、主役に絡むグループとして春香、真、Pがいて、それ以外のメンバーは場面ごとに緩やかにグループに分けて描写する。4話は千早一人が主人公、他に春香、響、貴音、Pしか登場しない。
1話ごとに、主役として焦点が当たるキャラクターが絞り込まれて、話内の人物関係線が整理されてきました。これにどんな意味があるかというと、4話まで見続けていれば、いろんな子がめまぐるしく出てきてガヤガヤしているのが楽しいという人から、一人のエピソードがしっかりと描き込まれるのがいいという人まで、幅広い人のニーズに、どこかでヒットする可能性が高いわけです。
実際に放送初期、1話は何がいいか分からなかったけれど2話は面白かった、1話も2話もピンと来なかったけれど3話は良かった、そういう感想をいくつも見かけました。勿論ここには、表出する感想の偏りの問題があります。1話も2話も面白くなくて、来週面白くなかったら切る、と言っていた人は、3話目が琴線に触れなかった場合、何も感想を言わずにいなくなっている可能性が高い。そうやって話数が進むほど、実際に見ている人の感想は好意的な方、よく咀嚼された方に純化されていきます。とはいえ、そうやって、1話ごとの構成の違いが興味を引き止めているケースがあるというのは、一つの戦術的成功と呼べるのではないでしょうか。

最適解に近い、ということで言うと、細部の描き込みが凄い、というのもそうですね。アニマスのここの何気ないワンカットがこのアイドルのキャラクターを的確に表していて凄い、みたいな"発見"は、逆にいうと、そういう瞬間的で微細な描き込みくらいしか、キャラクター描写をアピールする機会がないということです。言うまでもなく、13人全員の描写を存分にやったら、いくら時間があっても足りません。
しかし逆に、短時間の何気ないシーンで読解に足る情報を提示できるのは、アニメの強みでもあります。メインキャラクターが喋っている奥で小さく映っているサブキャラクターのやっていることが面白い、とか、この瞬間の微細な表情変化が凄い、とか。アニマスが、多人数が動き回る手間のかかる絵を多用したり、やたらと背景を描き込んだりするのは何故かと言えば、それはスタッフのこだわりであり愛情であるというのは勿論そうでしょうが、そうしなければゲームでもコミックでもないアニメでコンテンツを提供した意味をアピールできないから、というまっとうな戦術的判断でもあろうと思うのです。

いろいろ話がとっちらかっていますが、要するに、アニマスは「アイマス」の「アニメ」化として非常に良好な戦術的判断をしていると思うし、それは一定の受容者層を確実に掴んでいる、ということですね。一定の受容者層と一口に言いましたが、ギャルゲーっぽいゲームでポリゴンのキャラクターに熱中する行為、と可愛い女の子が出ているアニメを視聴する行為、では間口の広さが全然違います。
で、たとえば4話の千早っていう子はなんか暗かったけどまだ奥の深いところがありそうで、きっとまた主役回があるよね、とか。竜宮小町ってどういう基準で選ばれたのかよくわからないよね、とか。あのユニットは結成のタイミングが早すぎて、なんかそのうちコケそうだよね、とか。今挙げたのは何かというと、いずれもアイマス知識のなかった人の感想として、複数観察できたものです。
アニマスが始まって以来、ゲームやってないとこの面白さはわからないんじゃないの、これだけではこの子の魅力は伝わってないだろうな、そういう言説をたくさん耳にしてきました。それは対象である"アイマス初心者"に、どういう人物像を想定しているのかよくわからないことが多いのですが、"初心者"は”経験者”がアイマスをやり込んでいる時間のうちに、たとえばいろんなアニメを見てアニメを見る目を養っていたりするわけです。
別に過ごした時間や視聴量が問題なのではないですが、前提知識の多寡に関わらず、提示されたコンテンツの魅力を的確に理解できる受け手はそこら中にいるということ。あんまり心配しなくていいんじゃないかな、というか、あんまり自分が当たり前としている前提の有無と他人の受容能力の有無を混同しない方がいいんじゃないかな、とは思います。

この記事、最終的には7話の伊織が長介に発破をかけるシーンは素晴らしかったね、個人的にアニメだからアニマスだからということを置いて純粋におおっとなった初めてのシーンだったよ、という結論に繋がる筈だったんだけど、全然繋がらないからもういいや。

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