つらつらと百舌P作品(番外:煙草編)


ちょっと長くなったので独立で。
いつまで経っても終わりましぇーん!

※本文中に、百舌P各作品のネタバレ、引用が含まれます。


・『ダイオード』 煙草との距離感

『ダイオード』全編にわたるキーアイテムである煙草は、過去の百舌P作品でもしばしば登場している。その登場の仕方を見ると、それらの作品と『ダイオード』の性格の差が表れているように思う。

『Si,Si,signorina』の視点人物は、扉の向こうで春香が身支度している音を聞いて、一服する時間があるな、と考える。『ビッ千早』のプロデューサーは、千早が車から去った後で煙草を取り出そうとして、それがなくなっていたことを思い出す。『ダイオード』の真の回想の中のプロデューサーもまた、煙草を吸う時はいつも真の前からいなくなり、真は喫煙室まで探しに行く羽目になっていた。
彼らは、アイドルの前で煙草を吸わない。煙草はアイドルの側にあるべきものではなく、プロデューサーはアイドルの前では煙草を吸わないものなのだ。

『ダイオード』のポルノ監督は、何の疑問もなく真の前で煙草に火を点ける。つまりは、それが彼と真の関係と、プロデューサーとアイドルとの関係の差だ。『Si,Si,signorina』で、『ビッ千早』で、『ダイオード』で、それぞれ彼女たちがプロデューサーに恋をしたことと、彼らがアイドルの前で煙草を吸わない人間であることは、多分関係があるし、ポルノ監督が真の前で煙草に火を付けた事と、彼が、プロデューサー - =アイドルにとっての唯一絶対 - になれないことも、多分対応している。

しかし、そうして真との会話が進み、思い出話を始めるにあたって火を点けた煙草を、結局彼は吸うことなく燃え尽きさせる事になる。その時間、目の前に居る真という存在が、あるいはその存在が彼に思い出させた何かが、彼に煙草を吸う事を出来なくさせたか、あるいは忘れさせた。アイドルの在るところに、煙草は必要とされないのだ。
真がポルノ監督の前を去った後、彼は再び新たな煙草に火を点け、「煙草は、止められそうにねぇなぁ」と呟く。今度の煙草は、吸われるだろう。前との違いは、彼が、煙草を吸わなければ生きられない自分に、煙草を吸う行為の物語上の意味に、自覚的になったこと、あるいはそれを思い出したことだ。


・『ビッ千早』 煙草を介したメッセージ

『ダイオード』に次いで煙草が大きな役割を果たしているのが、『ビッ千早』だ。両作品が煙草の影の濃さという点で共通していることは、両作品の性格の類似する部分と無関係ではないだろう。

『ビッ千早』の喫煙のシーン。
千早はPに煙草を持っているか訊ね、Pは持ってないと答えるが、千早はPのポケットをまさぐって煙草を手に入れる。Pは「女の子が吸う様な味じゃねぇぞ」と言い、千早は慣れた手つきで火を点けて「やり方さえ覚えれば、簡単ですよ」と答えるが、やがて「不味い」と吸いさしの煙草をPに差し出す。

『ビッ千早』の千早は、煙草を吸い慣れた生活を送っている。『ビッ千早』の千早と『ダイオード』の真はどちらがより恵まれた境遇か、などと比較しても仕方がないが、その点において、『ビッ千早』の千早は、煙草を吸わない『ダイオード』の真(「体が資本」だからと、意識的に自制している)よりも、むしろポルノ監督の方に似ている。ポルノ監督も千早も、会話中に煙草の火煙で何かを描いている。ポルノ監督が真の前では結局煙草を吸わなくなったのと同様、プロデューサーの前の千早も煙草を吸うのをやめる。違いは、『ビッ千早』には、煙草の受け渡しを巡るやりとりがあることだ。

当然ながら、千早の「不味い。」という台詞は、吸っている物がPの日常吸っている代物で、Pがそれを「女の子が吸う様な味」ではないと注意した、ということを前提としているわけだ。わざわざそれを吸ってみせた上で「不味い」と言うのは、慣れているように見えても本当はまだまだこんなことをするのは辛い女の子なんですよ、というアピールに他ならないし、当然、暗に「やり方を覚えた」「両方」のうちのもう一方についての自分の気持ちのアピールでもある。ついでに自分の吸いさしをPに吸わせようとするわけで、露骨に間接キス狙いでもある(笑)。吸うと間接キスになるので、Pは携帯灰皿を取り出す。
一事が万事、この調子でずっと千早はPにアピールしているし、Pは見事に全部スルーしている。そこを解説するのは野暮だと思うのでこれ以上やらないけれど、かように『ビッ千早』のちーちゃんはPにぞっこんで、ついでに意外と? 純情なのだ。

そもそも、なんで『ビッ千早』のプロデューサーは千早に呼び出されなければならないのか、という話だ。『ダイオード』のポルノ監督がその気になれば女には不自由しないのと同様、『ビッ千早』の千早だってアシに使ったり抱かれたりする男には不自由しないだろう。
つまるところ、それはPが、いつまでたっても千早に対して煙草を吸えない女の子を前にしたプロデューサーとして振る舞う男であるからだし、そういう男であるからこそ、千早の想いが届く事はない。


・煙草のある生活

以上、『ダイオード』『ビッ千早』両作品での煙草の扱われ方を踏まえて、各々のラストシーンと煙草の関係を比較してみたい。『ビッ千早』『ダイオード』の登場人物4人は、それぞれに夢破れた後の現実に疲労している。そして、描かれた物語を通して自らの抱えた想いが届かないことを再確認した上で、生きていくことになる。だが、結末における煙草との関係は、それぞれ異なっている。

『ダイオード』の真は煙草を吸わず、ダンス教室を開くという夢を描いて生きている。
ポルノ監督は真が去った後あらためて煙草に火を点け、今後も煙草とは縁が切れなさそうだ、と考える。
ポルノ監督同様、真が描くような夢は持ち合わせてなさそうな『ビッ千早』の千早は、プロデューサーの煙草を持ち去った。彼女はその煙草を吸おうと思えば吸える。
では、『ビッ千早』のプロデューサーは? 彼も夢ではなく煙草に頼って生きていくしかない側の人間の筈だ。しかし彼は明日からも、千早の時と同じように担当アイドルの前では煙草を吸わない生活を続けるだろうし、今現在は吸いたくても煙草そのものがない。

そう対比すると、私は、時系列的に考えるとあまり深い意図はなさそうな、千早がPの煙草を自分の懐にしまった行為に、煙草を手に入れたこと以上にそれをPから遠ざけたことに力点を置いて、象徴的な意味を見出したくなってしまうのだ。
『ビッ千早』の千早も、『ダイオード』のポルノ監督同様、今後も煙草とは縁の切れない生活をするだろう。しかし、そこに煙草以外に寄辺となる何かが多少なりともあるとすれば、その何かはきっと、彼女が元プロデューサーの煙草を持ち去った行為の中に顕われている、ような気がする。

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